「あーーーー釣れねえなぁ…」
何かを主張するかのように大きくそう言って、手持ち無沙汰な両手を後ろに組んでそれを枕代わりに寝転がってしまったシャチ。そんな彼の行動を合図として、ライもそれを横目に諦めるように目の前の標的から視線を外した。
朝っぱらからシャチとライは、食料調達という名の釣りに励んでいた。波立たない穏やかな海と雲一つない青い空が続いている本日は絶好の釣り日和であるとテンション高く意気込んでいたその時は、大量に獲物をゲット出来るだろうと二人共に妙な過信があった。
…しかし今は、そう思っていた時が最早懐かしい勢いだ。そうして投げた最初の一投目が今だその青い海の中に沈んでいるという事実をお互い口にしなくなったが最後、まるで凍ってしまっているのかと思うほどピクリともしないそれは、二人の運の絶不調さを嫌という程語っていた。
「くそー、今日はいい事があるはずなんだけどなあ」
「…何で?」
「今日は7月7日だぜ?ラッキーセブンが二つも並んでる日だぜ?」
どんだけツいてないんだろうな。とシャチは投げやりに呟いて、当てつけるようにその足で釣竿を揺らす。
それを眺めながら、シャチが呟いたその日付をライは頭の中で繰り返していた。ラッキーセブンな日であると同時、他にも何か意味があったような、ないような――。
「…あぁ、今日七夕かあ」
「?…何だって?」
「七夕。知らへんの?」
シャチは耳にしたことのない単語を聞いたかのようにポカンとしていた。日本では短冊に願い事をかいたりとイベントがまっさかりな一日であるが、…考えてみればこの世界ではそういった風習はなさげである。
「織姫さんと彦星さんが会うことを許された日なんよ」
「おり…?」
「おりひめと、ひこぼし」
「誰だそりゃ?お伽話か何かか?」
「…うーーん、まあ、そんなとこ」
適当に返事を返せば、お前もそういった類のものを読むんだなとシャチはニヤついていた。…なんだかシャチに馬鹿にされた気分だったが、釣りも進まないのでライはその概略をシャチに語ることにした。
「働きっぱなしの娘に見兼ねた父親がある男を紹介して、二人は結婚することになったんやけど――」
結婚してから二人は毎日毎日川辺でお喋りばかりするようになり、仕事をしなくなってしまった。それに怒った父親が二人を引き離すも、そのショックでより二人は仕事をしなくなってしまって。哀れに思った父親は、年に一度―この7月7日だけに二人が会うのを許したのだった。
「年に一度?!どんなけ厳しいんだよ?」
「まあ、それを糧に頑張れってことでしょ」
「うわー俺無理。無理むりムリ。男の方ぜってー浮気してるってそれ」
「こら。神聖な話を汚すでない」
「だって年に一回だぜ!?ぜってーキツイって!話すことすら出来ねえんだろ?」
「愛があればいいんじゃない?…知らんけど」
そんな状況に陥ったことがないもんだから実感はわかないが、遠距離恋愛の電話もメールもない酷バージョンを想像すれば確かにキツイかもしれないと思った。一週間ならまだしも、一年はその何十倍にもなる。時が過ぎるのはあっという間だとも言うが、二人にとってその期間がどれほど長いものかなんて想像だにできない。
「愛、ねえ…」
そんなキレイ事。とシャチは皮肉を込めたように言った。…確かにキレイ事かもしれない。愛があれば、なんて。だったらこの世界でも日本でも、戦なんて起こらず毎日平和だろうに。
「…シャチは掟を破ってでも会いに行きそうやな」
「どうだろうな」
そう思えるほど人を好きになったことなんてねえし。今度は少し寂しそうにシャチはそう言った。…一体シャチはどんな恋をしてきたのだろうと思ったが、何だか聞く気にもならなくてライは真っ青な空へと目を向けた。
「…………」
…もしも、例えばの話。
自分がこの世界で誰かと恋に落ちたら、織姫と彦星のような状況になってしまうのだろうか、なんて。
「……、」
まるで夢見る少女のようなその妄想を、ライはすぐさま思考から消した。そんなことを考える暇を与えたこの空間に自嘲げな溜息を漏らしながら、思い出したかのように当初の目的のものへと目を向ける。…と。
「……あ、」
「ん?」
「っ、きた!!きたきた!!」
「っマジか!!」
その言葉にシャチは飛び起きて、ライの釣竿を手にとっていた。…自分のなのに、とも思ったが、あまりに嬉しそうな彼の顔を見たらそんなことどうでもよくなって。
「こりゃ大物だぜライ!」
シャチの言葉に期待を寄せて、真っ青な海へと向けられたライの目。
そこ映されたものは、魚か、…それとも。
「…――」
…それは、彼女だけが知るお伽話――。