――コンコン、

ペンギンが部屋を出て行って即、船長も「氷を持ってくる」といって出て行った。頬が思った以上に赤く染まってしまった事に罪悪感を募らせたのかは分からないが、この人のツンデレ加減だけは当初から何も変わらないな、なんて。

彼が戻ってきてからもそうして暫くしてまた部屋を出て行ったときにも、自分の心情は終始穏やかさを取り戻していた。

1人になって考えた事は、まず、自分には"覚悟"が全く足りなかったという事。仲間になる。それがどれほど心強くて素敵で、重き事かを理解していなかった。海賊であろうが何であろうがその意味は変わらない。やっている事が野蛮でも不当でも、仲間の為ならそれが一番の正義になる。
クルー全員の人生がこの船に乗っていて、それを皆でクリエイトしていく。1人ひとりに責任があって、時にフォローし、ぶつかり合い、励まし合って、生きていく。それが、仲間になるという事。
…それを思えば、やはり自分はもっと強くならなくてはいけないと思った。もっともっと強く、逞しくならなければ。慣れるだけでは意味がない、守ってもらってばかりではいられない。"力"を、つけなければいけない。それこそ1人で出歩こうとしても咎めなく「行ってらっしゃい」と言ってもらえるくらいに。


「――ライ、大丈夫か?」


ノックの後、入ってきたのはペンギンだった。彼がこうして戻ってきたという事は、飲んだくれていたクルー達の強制帰還が完了したのだろう。今頃食堂で、呑み損ねた酒を…抱き損ねた女の事を惜しんで眠い目を擦っているだろうか。


「うん、もう痛くない。…大分赤み引いた?」

「あぁ、…けどまだ残ってるな。嫌だとは思うが冷やし続けた方がいい。あいつ等には…気が向いたら説明する」


――クルーにお前の全てを話す


氷を持ってきた船長が部屋に入ってきて第一声。この一件で船の指針が変わったことを船員に説明するのが船長の義務であり、いくら船の長が決めた事といえど、それにある程度の同意と合意は必要。その為にはクルーに事の経緯を全て説明せねばならない。…そう、今まで隠して―騙してきたと言っても過言ではない、己自身のことを。

そうしてライはペンギンと共に食堂へと向かった。両頬を溶けかけた氷で挟みながら、この行く末を考える。…彼らは、何て思うだろう。黙っていたことに対して、己が異世界の者ということに対して。…今後の、船の指針に対して。
もし、もしも受け入れられなかったら。そう思うだけで少し、怖くなる。以前に船長は「誰も責めたりはしない」と言ってくれたものの、正直なところ分からない。"溝"を感じて、けれども船長命令だからって、しぶしぶ受け入れる人がいたら。それによってハートの海賊団に亀裂が入る事だけは、何としてでも避けたかった。…あいあむ、平和主義である。


「――来たか」


食堂に入れば、皆の目が一斉に自分に向いて、そして凝視された。頬を真っ赤にして氷を当てているこの状況、どっからどう見てもおかしいのは自身でも分かっている。それを見れば絶対にシャチかセイウチかベポあたりが詮索するのが目に見えていた為か、刹那船長が「始めるぞ」と皆の視線を牽制した。


「よろしくやっててもらったところ悪ィな。今後の船の指針について早急に説明すべき事案が出た」

「…誰かに聞かれたらマズイ話?だから潜水したの?」

「あァ…そうだ。察しが良くて助かるぜ、セイウチ」


この海賊団が今までそういう大切な―重要な"会議"をどうやってしてきたのかは知らない。知らないけど、いつもヘラヘラしているシャチもセイウチも他のクルーだって、ベロベロに酔っていた筈なのに何時にも増して真面目な顔をしているもんだから、妙に緊張感があってライは何だか居たたまれなくなった。


「まずは、ライの事だ。…お前らに黙っていたことが、一つだけある」


皆の顔が一斉に自分を向く。ライは小恥ずかしくなって、両頬に氷を当てたまま俯き加減に視線を逸らした。
その一言でクルーほぼほぼ全員の脳内に浮かんだのは、船長とライが"出来てしまっていた"という事。何だそんな事とうの昔から皆分かってましたよ、なんて今のこの状況では言えないが、改めて船長の口からちゃんと公言されるのを盛大に楽しみにしていた節はある。
…だからそう、誰しもがその次の一言「ライはこの世界の人間ではない」という言葉に盛大な勘違いを打ち砕かれた衝撃で見せた反応は、ライの想像していたとおりのものだった。


「俺達―ペンギンと俺がそれを知ったのは、コイツを拾った日だ。ライが自ら白状した」

「…じゃあどこの世界から?と言われても、"ニホン"という国としか答えられない。ライ自身も良く分かっていないんだ…ずっと生きてきた世界から突然、こっちにやってきたとしか説明のしようがない」

「…まァコイツの事はとりあえずここまでにしておく。話せばキリがないからな」


少し、ざわつくクルーの間。ライは視線を向けられなかった。皆がどんな顔をしているのか、怖くて見ることが出来なかった。


「問題はここからだ」


そうして船長は、最近新聞で取り上げられていた婦女誘拐事件の事を話し出した。発生場所もまばらで犯行グループも不特定多数。それの目的が最初は何か分からず、その時は何も懸念していなかった事。…しかし、最近になってそれらの探し物が何か、特定された事。
「コレだ」そう言って船長が掲げた右手からスルリと重力に従って流れるように落ちた、シルバーのチェーンの間で揺れる小さなピンクゴールドの指輪。目を凝らさなければそれが何だか直ぐには分からないであろうが、けれどもそれに一番に気付いたのはライの事を"人一倍"見ているあの男。


「…それってライちゃんが付けてた指輪じゃないの?」

「そうだ。今日…俺達は酒場で店主から、つい先日この島で婦女誘拐事件が起きたこと、そしてその犯人共が未だこの島をうろついているという話を聞いたんだ」

「機転を利かせた船長がそれをとっつかまえようと、罠を仕掛けた。…お前らが呑んだくれている間にな」

「っな!ペンギン!言ってくれればオレ達だって協力――」

「…冗談だ。あまり騒ぎにして犯人に警戒されても困るから極秘で行動した。…ライに協力してもらって、俺達はその犯人を捕らえることに成功したんだが」


ピンキーリングをはめている女を捕らえ、指輪の入手場所を聞き出している理由。けれどもその根本は分からなかった。その海賊達も"誰か"に雇われてそうしているだけであって、それが何故必要なのか知らされていなかったから。

…けれども事態は一変する。ある1人の海賊の、発言によって。


「…この指輪を狙っているのは…新世界に君臨する四皇の1人、カイドウだ」

「「!!!」」


全員の顔が引きつり、その場の空気はやはり凍り付く。…あの倉庫の時よりも、何倍と冷たく。


「カイドウって…っ、何でそんなちっちぇえ指輪なんか」

「それが分からない。だから俺達はこれから、それを探ろうと思っている」

「な!まさかカイドウを相手に…!?無茶っすよ船長!」

「んなこたァ分かってるよ。カイドウに接触するのは全ての準備が整ってからだ」


まずは勢力を拡大、高次の段階に踏み込む必要がある。ハートの海賊団としての己らの名を上げ、個々の力量アップも必須。そして、"情報"を得る。指輪について、加えてカイドウのテリトリー、傘下についても知っておくべきだろう。
新世界では今までのように事がすんなり運ぶことも少なくなる。…指針は、今のうちに定めなければならない。


「最終的には、カイドウを四皇の座から引き摺り下ろすつもりだ。取るべきイスは必ず奪い取る」

「……」

「異論のある奴は唱えろ。そして、それに納得できない者は船を下りて構わない」

「「!!!!」」


凍っていた空気がピリリと張り詰める。まさかそこまで船長が考えているなんて思ってもいなくて、ドクリドクリと心臓が泣き出す。

…その時、スッと一人のクルーの手が上げられた。


「なんだ、セイウチ」

「ライちゃんのことさ、何で今まで黙ってたの?」


ライはそこで初めて彼に目を向けた。セイウチの声はいつになく真剣で、そんなセイウチを見るのは初めてな気がして、ライは彼から目を離すことができなくなっていた。
いつも自分にちょっかいを出して、気にかけてくれて、たくさんの時間を共にしてきた。…だからそう、もしかしたら彼は裏切られたと感じているのかもしれない。


「ライが他世界から来たという話に確証が無かった。…いや、俺達もその時は大分混乱していたからな…俺達がそんな状態で、クルーに公言するのは良くないと判断した」


例えば最初にライの事を全て話していたとしても、それがもっともっと先であったとしても。クルーの気が何も変わらないことくらい、ローは分かっていたように思う。ただ単に言うタイミングを失った、と簡単にまとめるならば、それはそれで事足りるとさえ思っていた。
しかし、ローがそれを言ったところでまたセイウチの顔が険しくなったのをライは見逃さなかった。ドクドクと増す鼓動が警鐘を鳴らす。ライは頬から氷を外した。真剣な彼に自分も真剣に向き合わなければと、そう思ったから。


「僕達の気が変わらない?そんな重要な事聞かされて、それでも変わらないと思った?」

「…セイウチ、」

「他世界から来たプリンセスを匿うなんてさ…気が変わるのは当然でしょ」

「……」

「僕達はプリンスになるんだよ?船長僕達のことちっとも分かってないんだから…そんなの俄然ヤル気になるに決まってるじゃん」

「……は?」


拍子抜けしたペンギンの返事で、場の空気がガラリと色を変える。
プリンス、そうか俺達はプリンスかとざわつき始めるクルー達。


「あーもう…ライちゃんそんな顔で見つめないでよ…そんな可愛い格好までしてさぁ、襲いたくなっちゃうじゃんか」


…何だろう。疑惧して損した気分。彼との間に"皹"が入ってしまうのではないかって、ちょっとでもそれを悲しんだ自分がバカみたいだ、なんて。


「カイドウを引き摺り下ろす…シビれるなーヲイ!」

「なぁプリンセスって何だ?メスのクマのことか?」

「俺達もとうとうここまできたか――!!」


騒ぎ始めたクルー達の中に、不安や危惧等は一切無く、意気揚々とした空気が流れていた。…あぁ、自分はもう既に忘れていた。彼等は海賊。自分の思うところに彼等は存在しない。自分の憂いなど、感じていた"溝"も、彼等には皆無。
何もかも吹っ切れた気がした。自分は、色々と思い込みすぎていたんだって。そうして取り詰めていた空気から開放されたからか、その目からまた溢れ出す涙。


「…バカ、」


ありがとう。そう言ってライはセイウチに笑みを向けた。溢れる思いは不安や畏怖ではない。彼等への感謝の気持ちとなって、未だ赤く染まる頬を流れていった。



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