何とも奇妙な光景が出来上がっている。


「いつでもいいぞ。覚悟が出来たら食え」


少し風の出てきた甲板のへり、海に背を向けて1人立ち、その数メートル前でこちらを眺め―いや、凝視するクルーの面々。まるで追い詰められた犯人―いや、補食対象者のような気分にライは陥っている。

実を食べて海に飛び込む…という事で、その"儀式"は甲板にて執り行われることとなった。

船長の合図の後、手に持っていた悪魔の実に別れを告げるようにそれを一つ見つめたライは、意を決して齧る事無くそれを丸ごと頬張った。直後、舌で少し表面を舐めてみるも、やはり無味。口の中に唾液が広がっていき、硬かった実が少しずつ柔らかくなっていくのを感じ、暫くそれを堪能してから歯を立てる。

まるで飴玉を食べたかの如く、バリボリバリボリと硬そうな音を立てながら、食べづらいのか右の頬へそれを寄せたり左の頬へそれを寄せたりする光景に、ハムスターみたいだと誰もが思っていたが敢えてツッコむことなく神妙な面持ちでそれを見守っていた。
そして刹那、その眉間にどんどんと寄っていく皺を確認。


「…マズ、」


…何で丸ごといったのだろう。それも敢えて誰もツッコまなかったが、ここで吐き出されてもそれはそれで困るので「頑張れ!」「噛まずに飲み込め!」とクルー一同は声援を送る。

そうして噛む事十数秒。ゴクリ、と最後の一口を飲み込んだライは下から上へと自身の身体を確認し、手の平をグーパーしてみたりした。食べた直後すぎるのか、これといった変化は感じられない。…何の実感も、無い。ドクリドクリと鳴り続ける鼓動の速さも変わらなくて、とりあえず何事もなく食べ終えれたので少しだけ安堵の溜息をつく。


「まァ…第一関門クリアってとこか。行け、ライ。心置きなく飛び込んで来い」

「アンタ殺生だな」

「心配するな、溺れたのを確認したら助けに行ってやる」


コイツが。そう言って指された方向にはやはり我が頼れるペンギンの姿。この時ばかりは切に訴える眼しか向けられなかったが、ライはコクリと一つ頷き、手すりへと手をかけ船の真下―海を見た。


「え〜僕も助けに行きたい」

「それは俺が許さん」

「おれが行こうか?」

「あ、やっぱりいいよ。僕溺れたライちゃんの人工呼吸担当するから」

「それも俺が許さん」

「お前らなァ…これは遊びじゃねェんだぞ。…おいどうしたライ早く行けよ突き落とされてェのか?」


ザパン、と船に打ち付ける波をじっと眺めていたライに痺れを切らした船長がそう言った。

食べたら即飛び込むつもりでいた。それが船長命令であり、自分だって早く"成功"か"失敗"なのか結果を知りたかったから。…しかし、海からこの甲板までの距離の長さのあることったらこの上ない。何を躊躇っているかってこんな高さから海に飛び込むことにまずビビっているのである。高飛び込みの選手でもあるまいし、しかも風が出てきた所為か波も少々高くなり海の底は当たり前だが見えない。…これは、恐怖でしかない。


「…あの〜、水面あたりまで潜水とか……」

「…仕方ねェ、シャチ、飛び込め」

「え?オレ?」


ライの必死のお願いは無視をくらい、船長の命令にシャチは何の遺憾も無くせかせかとサングラスと帽子、そして靴を脱ぎ始め、準備体操をし始めている。それを手すりに手をかけたまま呑気に眺めていると、何故かこちらにズカズカと近づいてくる船長。…え、何、まさかシャチと一緒に突き落とす気か、と思いきや。


「えっ?ちょ、ま――!?」


シャチが甲板から可憐に飛び込んだと同時、ライは船長に担がれていた。
振り返ってシャチの行く末を見守る。そんな躊躇なくよく飛び込めるなと少し尊敬の眼差しを送り、そしてそれはその身がちょうど海に入る寸前の出来事だった。


「"ROOM"」

「?」


いつぞやと同じ、青く薄い膜が目の前にかかった。これはまさか、と思ったのもつかの間ライの身体は既に船長の腕の中にはなく、目の前に迫るは青い海。


ザパーーーン!!


「!!!!」


盛大な水飛沫が舞い、波の合間で水の波紋が広がった。他のクルー達は手すりから身を乗り出してライの浮上を待つも…打ち付ける波は平常を取り戻したがそれは一向に姿を現さない。


「沈んだか」

「ライ!!」


予め靴を脱ぎ準備万端だったペンギンは帽子を後ろへ放り投げると、躊躇する事無く直下に海へと飛び込んだ。




「(ライ…!)」


勢いよく飛び込んだペンギンの身体は数メートルほど沈み、その衝撃で起こった泡で視界は真っ白。それが消滅するのを待っている余裕などなく、ペンギンは少し進んで泡から抜け出て辺りをキョロキョロと見回す。天候が良いからか海の中はそれほど見通しも悪くなく、障害物もない為、ペンギンはすぐにその姿を捉えた。
ライの身体はピクリとも動かず、水に従うようにどんどんと沈んでいく。あの高さ(水面間近)から落ちて気を失う事はない、本人も多少なりと泳げると言っていた。恐らく力が入らなくなって意識を手放したのだろう。

この"儀式"は、成功したのだ。

そう確信し、ライがミイラに成らずに済んだ事に安堵しながら意識のない彼女を追う。


「…?」


…しかし、後数メートルのところで追いつく、という時。

意表を付かれる事態が起こった。


「っ…!?」


ぬっ、と突然、ライの下、奥底から現れた巨大な黒い影と、いくつかの小さな影。ペンギンは驚いて大量に空気を吐き出してしまい、そうして浮上せざるを得なくなったのだが、


「っ、は、…!?」

「おいペンギン!?ライはどうし――!?」


張り上げられたシャチの声がフェードアウトしていくと共に、海面が青から黒に染まっていく。水底から現れた巨大な影達に一同は声を失い、ローはカチャリとその刀に手をかける。
影が大きくなるにつれ水面が大きく波打ち、それは船が揺さぶられる程の衝撃だった。その正体が眼前まで迫るもペンギンは再び潜る事無くそれらの動向を見守ったまま動かない。…否、動けなくなっていた。


「「…!?」」


ザバン、と大量の水と共に、水面に姿を現したのは。

ライを背に乗せた巨大な鯨と、何十体という鯱の群れだった。



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