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沈み行く意識の中、それは海の中から聞こえていた。


やっと会えたね


ゴボゴボと口から漏れる空気を押さえたくても押さえられない。意志とは裏腹に手も足も動いてはくれなくて、あぁこれが泳げないということかと、カナヅチの人の気持ちが痛いほど分かった気がした。


ずっと待ってたんだよ


空を切望するかのように無意識に伸びていく手のその先、見える光はどんどん小さくなっていく。

誰に話しかけているのだろう。誰の声なんだろう。何の、夢なんだろう。


よろしくね、ライ――


ねぇ、どうして、ウチの名前、知っているの。

助けて、ねぇ、話しかけないで、助けてよ。




「――っ」


パチリ。と勢いよく目を開ける。目の前には見た事のある風景。いつも寝ているベッドではない。その硬さとその光景によって思い起こされる過去の記憶に、まさか同じ状態に陥っているのではと、ライは咄嗟に左腕に目を落とした。


「――起きたか」

「!」


左腕から右側へ視線を向ければ、いつぞやと同じようにイスに座る船長の姿を捉える。自分の身体が点滴付けになっていない事を確認したライはゆっくりとその身体を起こした。


「成功だ。お前も晴れてこっち側の人間に仲間入りだな」


刹那船長はそう言って立ち上がり近づいてくる。その顔はわりと穏やかで、成功という言葉を聞いてライは安心したように大きく深呼吸をした。

熱と脈を測られた後で、またもや手のひらをぐーパーしてみたり、自分の身体をまじまじと見やるも、結局何も変わってなくてやはり第一に思うところは"実感が、ない"。


「血液でも取って数値の変化でも見られればいいんだが、そういうわけにもいかねェ。異常はないか」

「はい、大丈夫です。…けど、本当に、能力者に…」

「それは確かだろうが、疑問点はまだまだある…いや、寧ろ増えた」

「え?」

「だが、能力の解析は後回しだ。取り急ぎお前には改造が必要だからな」

「改造――?」




その後何の説明を受ける事無く船長に連れてこられたのは食堂。いつも綺麗に並べてあるイスの内の一つがど真ん中にポツンと置かれていて、「座れ」と言われたのでとりあえず腰掛ける。イスの下には新聞紙が何枚か敷いてあった。…一体何をするのかと思いきや、


「――おーし始めるぞライ!」


目の前に包丁をもったアザラシが仁王立ちをかます。


「っ、え?…え何!?」


何ですかここは処刑台ですか、自分今から捌かれるんですか。


「断髪式だ!」

「断髪…ってそれ包丁やん!」

「安心しろライ、俺はコックだ!」

「全然安心できないんですけど!」

「じっとしてろよライ…俺お前の首を削ぎ落とすとかしたくないからな…」

「怖いこといわないで!」


有無を言わさずとはまさにこのことだ。美容院ならば長さはどうしますか、とか色んな要望を聞いてくれるのに、そもそも本人の了承も無しにジョキジョキでなくザクザクと切られていく髪。肩より少し長かったそれはあっという間に見えなくなって、下に敷かれた新聞紙の上へバサリバサリと落ちていく。
勢いがいいな、切りすぎていないだろうか、坊主だけは止めて欲しい…とビクビクしている自分を見兼ねてか、じっと見ていただけだった船長がようやくその口を開いた。


「指名手配された奴がまず何をするか、分かるか」

「……えっと、変装…ですか?」

「そうだ。写真のまんまで堂々と出歩く奴なんていねェ、それはタダの馬鹿だ。…まぁ、俺みたいに力のある奴は別だが」


改造。それは己の身形を変えるという意味だったようだ。確かに写真のままの顔で出歩けば自分、即捕まるだろう。変装すれば多少―いやかなり敵を欺け、無駄な抗争だって避けられる。やはり船長は上手だと思う傍ら、だったら最初からそう説明してくれればいいのにとも思うも…この人包丁を持ったアザラシに怯える自分をただ単に見たかっただけなのでは、とも思う。


「――よぅし、終わったぜ」


そしてそれはものの10分程度で終わった。我ながら上出来だというアザラシの満足げな声を聞き、確認の為髪を触る。どうだろう、10センチ以上は削ぎ落とされただろうか。触った感じ変な段差もないし量も均等。…アザラシの意外な特技、発見だ。海賊辞めたら理髪店でも営めるのではないだろうか。


「――お!ライ!!バッサリいったな!」

「短いのもイイね〜そそるね」


そうして食堂にやってきた、いつものコンビ。シャチは片手にボウルを持ち、木べらか何かでその中をコネコネしている。…何だあれはと思っていると「はい、では次の工程へ」と言ってアザラシはシャチとセイウチとハイタッチをしてその場を退いた。どうやら選手交替のようである。


「…何色なん?」

「仕上がってからのお楽しみだな。喜べ、これは船長チョイス!船長好みの色だ」

「…俺は黒髪が好みだ」

「あ、そうなんすか?」

「ライちゃんなら何でも似合うよ」


髪を切った次にすること…と言えば、染髪。シャチがコネコネしていたのは染料だった。ダークブラウンから明るい色に変えるのは何年ぶりだろうかと、少しその状況を楽しんでいる自分がいる。本当に美容院に来たみたいだなんて…と、いうより、染料も配合するなんてこの一味何なんだ、副業で美容院でも営んでいるのか。


「じゃあ10分後、洗い流してくださいね〜」

「はーい」

「分かっているとは思うが…肩まで浸かるなよ、溺死するぞ」

「溺れたら僕が助けに行くから安心して」

「うんわかった絶対溺れない」


そうして美容院を去り、ライは一人風呂場へと向かった。


「…!うわ、短い」


風呂場に着いて即洗面台にある鏡で己を見て吃驚。誰だ、と一瞬思ってしまった。こんなに短いショートにするのは初めてで、そうだな…なんだか"たしぎ"っぽい。髪色はまだ分からないが、船長のことだから変な色にはしていないだろう…と思う。

心機一転、というのが相応しいだろうか。追われる身として、能力者としてこの世界を生きていく。
未だ実感は無いけれど、ライは身を引き締める思いで、風呂場の扉を開けた。

――新しい私、デビュー



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