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――あれから、二か月


「いいぞーライ!」


ヒラヒラと見張り台に向かって手を振ったシャチの後、振り返した手を高々と上げ海に向かってライが合図を出せば、間もなくして数十メートル先から不自然に発生した波が船目掛けて押し寄せてきた。近づくにつれその波を発生させている黒と白の物体が鮮明になり、猛スピードで船目掛けて突進してくる様はいつ見ても圧巻だとペンギンは思う。


「うおー!大量大量!!」


ギリギリまで近づいていた黒と白の物体が踵を返し、ザパンという盛大な波音と衝撃が船を襲った。甲板上で網を張り待ち構えていたシャチとトド(ハートの海賊団で一番体格のいい男)はずぶ濡れだがその顔に嫌悪は無く、気にも止めずに網をせっせと引き上げていく。はち切れんばかりに網にかかった魚達が甲板の上でピチピチと思い思いに跳ね上がり、水飛沫が舞いまた彼等を濡らした。
所謂、追い込み漁ってやつだ。これのお陰でこの船は食糧難に陥る事無く毎日美味い料理を頂く事が出来ている。

あれからライはよく海洋生物と"戯れる"ようになり、色々な場面で彼等の力を借り、ハートの海賊団も彼等と共存するようになった。
しかし、能力についてはまだたくさんの謎が残っている。海の生き物全てを操れるのかといわれれば、そうでもない。ライに友好的なのは専ら海の"強者"で、魚類は寄り付かないのである。

それでも、ライはその能力にたいそう喜んでいた。動物が好きと言っていたから、こうして海の生き物と触れ合えるのが幸せなのだろう。
今もそうだ。追い込み漁を手伝ってくれた御礼にと、事前に用意しておいたイワシをキラーウェルに与えている彼女の顔は太陽のように眩しい。


「シャチ…やなかった、キラーウェルちゃんたち、ありがとうね」

「また間違えたなお前…その度にオレはあの時のことを思い出してドキドキすんだぞどうしてくれるんだ!」

「知らんがな!」

「い〜な〜、"セイウチ"現れないかな〜」


海賊との交戦も懸念していたとおり格段に増えたが、ライが前線に立ち率先して攻撃する事は今尚無かった。それでも、遠くからサポート役として水を飛ばすくらいはしている。
彼女は絶対にその能力で人を殺めない。海に落とす、水を纏わせ動きを封じる等、敵の攻撃を防ぐ事に徹底し、それを他のクルーが止めを刺すといった形が最近の手法として定着してきた。何かと効率もいいしこちらの力を温存出来るので船長も遺憾を示さなかったし、ライもその方法に納得しているようなので俺もそれで良いと思っている。恐らくまだ怖いからという理由が大半だろうが、目立てば目立つほど手配書に載る確立が上がってしまうので控えているという方が正しいかもしれない。ダブルで手配書に載るなんてこれっぽっちも喜ばしい事ではないからだ。

ライの素性が明るみになっても、こうして戦闘員としても活躍するようになっても、クルーの彼女への態度が変わったかと言われれば、答えはNO。しいて言えばライのシャチやセイウチへの当たりが少しきつくなった気がするが、それはそれで良いと思っている。ちなみに俺の気持ちは日に日に――いや、平行線だ。俺の理性万歳、とでも言っておこう。




クァー


「――あ、新聞きた」


丁度ニュース・クーが届けてくれた新聞を受け取ったライは、ずぶ濡れの床掃除を他の者に任せ場所を移動してそれを広げた。
初めて新聞を読んだ日以来、ライはよくそれに目を向けるようになり、最初は読めなかったそれもペンギンや他のクルーに単語を教えてもらい、7割ほど読めるまでになっている。

体力や力がついてきたことによって心に余裕が生まれたからか、他の海賊の動向が気になるようになった。…そう、忘れていた訳ではない、ここがあの漫画の世界だという事。ハートの海賊団がこうして存在していると言うことは他の有名な海賊達も勿論存在していて、この海のどこかにいるという事を。
だから積極的に新聞に目を通しているというのもある。ただ、事が全て漫画通りなのかは、未だに分からないままだった。あの麦わら海賊団が世間を賑わせているのは本当のようだが、書いてある内容も島の名前も自分の頭の中にあるものと随分違うのだ。


「なぁなぁ、この島ってどこにあるん?」

「ん?何だ、また麦わらの一味がやらかしたってか?」

「あいつら本当命知らずなんだな」

「そのうち会ったりする?」

「そりゃあ新世界目指してんだったら、どっかの島でかち合ったりするかもな」


「何だ会いてぇのか」と「お前も随分命知らずに育っちまったもんだ」なんて関心するように言うシャチとトドに苦笑いを送る。結局今になっても自分がこの世界について既知な事は話していない。なんなら一生墓場に持っていくつもりでいる。

だが、この世界が自分の認識と異なるところにあっても、彼等だけはあの漫画の中のままなのではという期待はどうも拭い取れない。事が進めば彼等と密接に関わるようになっていた気がするが、…今となっては本当にそうなるのだろうかという訝しさの方が大きくなっている。
…そう、今やハートの海賊団の指針となった件―カイドウの件、自分の指輪がこうして関わっている時点でシナリオ通りには展開しないだろうから。


「しかももうすぐシャボンティ諸島だ。今までに無いくらい悪い海賊をお目にかかることができるぜ?」


あれから、カイドウの傘下やテリトリーなど今入手できる情報は概ね把握したが、指輪に関していえば何一つ進展が無くなった。
あの後すぐ婦女誘拐事件は解決したと新聞では取り上げられ、その事件はパタリと発生しなくなっている。一件落着の裏で狙いをライの指輪一つに絞ったからこその"ONLY ALIVE"の手配書ということだろうが、今のところ変装のお陰で誰にもバレてはいない。

それは時間の問題だと思われていたが、それでも船長もライ本人も、なんならクルー全員もそこまで懸念をしていない節があった。
一つはライが一般人として取り扱われており、ハートの一味としての記載が無い事。そして、手配書に名前が載っていない事。
ハートの海賊団は新世界へ向けてその航路を順調に進め、着々とその知名度、および勢力を上げつつある。船長の懸賞金もどんどんと上がっていき、トレーニングに一層励んだクルー達の個々の戦闘力も格段に上昇。ライもすくすくと育っている事がその危険を希薄にしている事も挙げられるだろう。


「…シャボンティ諸島か――」


…だから、そう。
この時はまだ、誰も知る由もなかった。


この二ヶ月が、後に来る嵐の前の静けさであったということを。



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