「っ!」
勢いよく開いたオペ室の扉。ビクっと大きく反応したライは、戻ってきた二人に多少安堵の息を漏らす。…しかし、もう驚かすのはやめて欲しい。キュウと閉まるような感覚の心臓を労わるように、ライは胸に手を当てた。
ズカズカと入ってきて先ほど座っていたイスにトラファルガー・ローはまた腰掛け、その後ろから現れるペンギンはその後ろに立つ。 ライが2人を交互に見やっていると、トラファルガー・ローがその口を開いた。
「……もしお前の話が本当だとして、」
「?」
「……ここに来た理由は、何だ」
最初に出た感情は、彼らが仮にもそれを信じてくれたという少しの喜び。信じてもらえるのならどんな質問にも答えるつもりでいた。信頼を築く事が第一だから、例えそれが彼らの未来であろうがなんだろうが、何でも話す覚悟でもいた。…のに。
「…………それは、わかりません――」
この世界に自分がいる理由。それだけは、答えることが出来なかった。…だって、知らないのだから。知らないというより、わかっていないのだから。寝て起きたらそこは夢の国でした…なんてトンネルを抜けたら雪国張りの名言は、彼らの表情を呆気にとらすには十分な台詞で。
「…………でも、私は」
ニホンへ、帰りたい。彼らへの恐怖が緩いでも、その気持ちが変わることはなかった。この大海賊時代を無力な自分がどうやって生き抜けというのか。今まで世界でもトップクラスの平和な国で暮らしてきた自分が、この世界で生きていけるわけがない事くらい、嫌という程わかっている。
…しかし。
「……でもっ、帰れないんです――」
帰り方がわからない。どうやって来たのかもわからないワケだから、帰り道だってわからないのは当然の事。もしかしたら、このまま一生帰れないのではないか。…そう思ったら、ライの目から不安が溢れ出してしまっていた。
「…………あーーーーわかった。…お前の言いたいことはわかったから、」
泣くんじゃねェ。トラファルガー・ローは酷く困惑したようにそう言った。
「…………お前が元の世界に帰れるまで、面倒見てやる」
「…………え、?」
「どっちにしろいく宛てもねェんだろーが。…この船に置いてやるって言ってんだから、有難く思え」
「……でも、っ」
「言っておくが、全部を信じたワケじゃねェからな――」
自分の秘密を知っているやつを野放しにして置く馬鹿がどこにいる。下手に口を滑らされても困るから、監視の意味も含んでいる事を忘れるな。トラファルガー・ローはそうとだけ言って、ペンギンに何かを告げるとそそくさとその部屋を出て行った。
「……ぐすっ、」
面倒を見てもらえるという事はイコールどういうことだと、解答を貰ってもまだ解決しないその問題。そうしてイマイチ状況を理解出来ていないライがキョトンとした顔をしていると、その場に残っていたペンギンはゆっくりとライに近づいてきた。
「……点滴を変えようか」
流した涙の水分補給をしないとな。冗談混じりにそう言うペンギンの声色は、思っていたよりも穏やかだった。
「……疑って悪かった」
少し声色を落として、控えめに。おそらく最初のスパイ容疑の事を言っているのだろうと思う。涙を拭いながらライはその首を横に振って彼の言葉に応じた。今は自分が悪者でないというレッテルが剥がされただけでもよしとしなければならない。そして生かされたという事実にまず、感謝しなくてはならないだろう。
「……あ、あの、…ありがとうございます」
「…………そういや名前、聞いてなかったな」
「っえ?」
「…名前。お前の、」
「……ライです」
「...ライ、か――」
点滴を変えるペンギンの行動をライはずっと見ていたが、ペンギンは終始ライをその目の端に映すだけで、自分を見ることはなかった。
「…………いい名前だな」
ポツリと放たれたその言葉は、そのオペ室に静かに溶けていった。
***
「――……チッ」
静まり返った廊下に大きく反響した、苛立ち。ローはトレードマークの帽子を乱暴に脱ぎ、無造作に自身の髪を掻きむしった。
…あんなこと、本当は言うつもりではなかった。
他世界から来ただって?そんなお伽話なんて子供の間でも流行らない。大逸れた嘘を付いて盛大に海にでも落とされたかったのか、バカにして怒りを買って殺されたかったのか。…否、彼女のあの時の瞳はそんな色してなかったこともわかっている。だから余計に、腹が立つ。
「……、」
そうして真実味を増すためか、あろうことか彼女はロー自身の能力についても触れて来た。あまり人前で使った事のない能力の事も、自身の体に隠された秘密の事も。
…正直、耳を疑った。コイツは何を言っているのかと、事実であるそれをも架空の話であるかのように感じたが…今思えばそれは受け入れたくないという拒否反応だったのかもしれない。彼女が自分の秘密を握っているその事よりも、彼女が本当に他世界から来たという事実を。
場の空気、ペースはこちらを有利に働かせておかねばならないと、常に気を張っていたのに。完全に彼女の手の内に入り込んでしまった。味わったことの無い妙な感覚がローを襲い、そしてそれを薙ぎ払うようにローは咄嗟にそれを口にしてしまっていたのだった。
けれども理由はそれだけではない。彼女は危険だと思ったというのもある。自身の秘密を知っている事も、本当かどうかは定かでないにしろこれからこの世界で起こる事を熟知しているという事も。いい意味では遣えるだろうが、逆の意味で、もし――
「――決断、早かったな」
「!」
考えこんでいたローの背中にかかったのは、ペンギンの声だった。
「……なんだよ」
「…………いや、別に。珍しいと思っただけだ」
だから本当はあんなこと言うつもりはなかったんだって。らしくない自分にあれは不可抗力だと、ローは何度も言い聞かせているが、
「俺の知ってる船長は…物事を慎重に進め、自分が納得するまでとことん追求する人なんだがな」
「……うるせェよ」
嫌味ったらしく言うペンギン。けれどもその顔に怒りはなく、寧ろ彼は微笑んでいるように見えた。
「……泣かれると弱いクセ、直した方がいいんじゃないか?」
「!」
さらりと、その核心の上辺を撫でるかのようなそのセリフ。…コイツ、俺をおちょくる気だな。そう思ってローがその顔に不機嫌さを醸し出すと、ペンギンはそれを楽しんでいるかのように鼻で一つ笑う。
「冗談だ、怒るなよ」
「……てめェ、」
「……俺もあの子をこの船に置くのには賛成だ」
まだ半信半疑だが。と付け加えるペンギン。自分と同じ思考を持っているのだろう。…だとしたらそれは、一体どのベクトルと一致しているのだろうか、なんて。
「……厄介なモン拾ってきやがって」
ペンギンがそう言われるのは、これで二度目だった。
…けれどもその厄介という言葉が最初のそれと同じかどうかは、ペンギンにはわからなかった。