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「――はぁ…っ、疲れた…!」


数分走って息が上がって来、どんなに進んでも変わらない緑の景色に少々諦めの意もあり、ライとベポは一度その場で立ち止まった。
振り返るも物音は無く、切れた息を取り戻そうと必死な己の呼吸だけが辺りに響く。


「…ここどこだ?」


またもや見境無く走ってしまうところがまだまだ甘いなと思いながら、荒い息のまま仕方無しに一つ一つ幹を確認していった。
ようやく見つけた数字は、けれども目的の40番方面を表すものではなく"13"という不吉な文字。…大分とんちんかんな方向に走ってきてしまったらしい。よりにもよって危険な方へ舞い戻るとはどんな嗅覚をしているんだ。


「あそこに建物があるぞ?聞いてみるか?」


かといってじゃあどっちに進もうか、と頭を悩ませていると、ベポが指を向けた方に小さく見える、屋根上に緑の球体を乗せた何ともいえない形をした建物。木々で囲まれた中にポツンと佇むその景観だけではお店なのかただの民家なのかは判断出来ないが、じっと突っ立っているよりマシかと思い、近づいた。

咄嗟の判断だったが、キッドに手を出してしまったと今更ながら後悔に苛まれる。きっと彼は今、激おこだ。トレードマークの髪色のように顔を染めて自分達を探しまくるだろう。そうして先に船長と遭遇されても、それまた困る。…よって、これ以上の迷子はご免である。

そうして建物の正面に廻れば、緑の球体部に掲げられた看板に薄っすらと見えた文字に、ドクリと心臓が反応した。

"シャッキー'S ぼったくりBAR"

自分はこの場所を―この建物を、知っている。認識した脳内に自然と思い浮かぶあの場景。途端、高ぶる心。…もしかしたら、もしかするかもしれない、なんて。まさかこうしてこの店に足を運ぶことになるとは思わなかったが、"知った店"であるからか何の警戒心も沸いてこず、寧ろ期待心を持って扉へと手をかける。「ぼったくられないかな」というベポに「道を聞くだけだから大丈夫だと思う」と返しながら、そそくさと店の中へ足を踏み入れた。


「――いらっしゃい」


こぢんまりとした店内、カウンターの中、壁にもたれ掛り立つ黒髪の短髪の女性と刹那目が合った。フゥ、と真っ赤な唇から一つ息が吐かれ煙草の煙がふわりと舞う。客が来ても体勢を変えず煙草を持つその様は物凄くかっこよくて、あの漫画の中のままの姿に思わず見惚れてしまう。
――シャッキー。BARの店主で、この女性の通称だ。本名は…忘れてしまったけれど。


「あら、可愛らしいお客さんだこと」


ニッコリと口角の上がった口元に同じ女なのにドキリさせられ、ライは少し気恥ずかしくなった。
「どうぞ」と促され「客じゃないんです」と否定したが、再び「どうぞ」と言われ少し圧を感じたのでしぶしぶベポと共にカウンターへ向かう。

店には誰もいなかった。もしかしたら麦わらの一味が――と抱いていた淡い期待を捨て、イスへと腰掛ける。刹那目の前にグラスが差し出されるも中の液体はどうみても水の色をしていなくて、オレンジジュースといった部類だろうが、無料でオレンジジュースを提供する店に今まで出くわした事などない。"有無を言わさず提供しお金を徴収する"がぼったくりBARの由来か、お金なんて殆ど持っていないのにどうしようか…とチラリとベポに目を向ければ既にそれを飲み始めていてライは少し頬を引きつらせた。…このクマ、入るときにぼったくられないかなと言っていた事はすでに頭に無いのだろうか。


「…あの、迷子になったので道を聞きたくてお邪魔したんですが、」

「あら、いいのよ。こんな可愛いお客さん久しぶりだもの。サービスするわ」


色んな意味を含めてそう言えば、悟ってくれたのか彼女はそう返してくれた。
「よかったなライ」そうしてベポはおかわりと言ってシャッキーにグラスを渡す。思わず「こら」と遠慮のない彼を注意するもシャッキーは笑って「いいのよ、たくさん飲んで」と言ってくれた。…後で請求されたりしないだろうか、それだけが怖くて満面の笑みは返せない。


「あんなに走ったら喉渇くぞ〜。…ここに来た事はバレてないみたいだな、上手くまいたみたいだ」

「…海賊に追われていたの?……ハートの海賊団なのに?」

「!…ご存知だったんですね」

「だいたいのルーキーは把握しているわ。それにその格好、一味の証でしょう?」


煙草で指された自身の服―ハートの海賊団のコスチューム、白いツナギ。…さすが情報通だ。「キャプテンのこと知っているのか」と何故かベポは嬉しそうにし、再びそのグラスを空にする。まぁ、バレたからといって特に問題はない…と思っていたのだが、


「それに…あなた、あの子でしょ?」


またと煙草と共に小さく指の向けられた方へ、ベポと一緒に顔を動かす。その壁にはもう幾度となく見た、いや、見飽きた"一般人"の時の己の手配書。
え、と思わず小さな声を上げてしまった。だって、そうだろう。一番バレる確率の高い相手から逃げてきた途端にこの話題になるなんて思っていなくて、たった一瞬、入った時に目があっただけでそれを判断し、そして招き入れるなんて。…すごい、と感心する前に、この展開はまたもやマズイのではないかと無意識にグラスを持つ手に力が篭った。


「…いや、似てるってよく言われ――」

「あら?私の目は誤魔化せないわよ?」


化粧の奥に隠したって無駄よ。笑顔で止めの一言を頂き、ライは何も言えなくなった。

苦笑いを返す中、ドクリ、ドクリと心臓が警鐘を鳴らす。有無を言わせず目の前に座らせ、商品を提供した理由が、これなのだとしたら。懸賞金目当てて招き入れられたのだとしたら。
あの漫画の中で麦わらの一味の手助けをしていたからつい、彼女は"良い人"なのだと思い込んでしまっていた。…迂闊にも程がある。この2カ月誰にも気付かれずに、勘ぐられても割りと簡単に凌いできたから、安心しきっていたのかもしれない。

あからさまに視線を動かして怪しまれることを恐れ、目の端に映る限り隣の彼の状態を探るも、ベポは固まって動かないでいる。どうするべきかを考えているのか、はたまた何も考えずに己の答えを待っているのか。…こんな時ペンギンや船長がいたら、何て返すのだろうか。ドクリドクリと鼓動が煩いだけで次にどう出るべきかの答えが出ない。


「ふふ、どうやって逃げようかって考えてる?」

「……」

「心配しないで、あなたを政府に差し出す気はないわ」

「…………本当、ですか?」

「ええ。私別に懸賞金とか興味ないもの」


フゥ、と吐き出された煙で白くなる視界。先程よりも近くで感じるその匂いがやたらと己を刺激した。本当だろうかと、今や止められなくなった懐疑を前面に押し出すも、「そうか、なら安心だなライ」と言ってベポはグラスをシャッキーに差し出す。…アッサリと肯定する彼にライはガクリと肩を落とし、張り詰めた空気から開放されるように大きく息を吐き出した。


「ただ、あなたには興味があるわ」


名前も載っていない、懸賞金額の大きな手配書の人物。誰しもがこれは誰なんだと第一に思い、その額に目が眩む。けれども、そう思う大半は一般人と下級海賊達。この世界の摂理や情報に敏感な者は、その細部を探ろうとする。この者が追われる"理由"、懸賞金額の"理由"。情報通のシャッキーのことだ、その細部が知りたいのだろうと思われる。


「教えてくれたら、道を教えてあげてもいいわよ?」


吐き出された三回目の煙の奥に見える彼女の笑みは、この空間に入った時となんら変わらない。それでも、突然の尋問にやはり何て返すのが正解なのか分からずに、ライはグラスの淵に口を付けて音を発する行為を妨げることしか出来なかった。



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