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「――焦んなってペンギン!約束の時間までまだ1分もあるから!!」

「あと1分しかねぇじゃねえか!何かトラブルにでも巻き込まれていたら――」


船の前にて。大の男二人のアーギュメントはその15分前から続いていた。
どんなに遠くにいようが飲んだくれようが集合時間が決まっている時にはその15分前に集うのがいつしかこの船の鉄則となっていて、ベポもそれだけは破った事がないし、ライもそのルールについては把握している筈だった。なのに、15分前になっても10分前になっても5分前になっても一向に姿を現さないそれにソワソワしだしたのはこの船の(自称)風紀委員長。ベポ単体ならアノヤロウまたどこほっつき歩いてんだと怒りがこみ上げるところだが、紅一点の女子が帰ってこないとなると湧き上がるのはまた別の感情。

着岸して別々に行動する直前にはシャチやセイウチその他クルーと同じ方向に歩いているのが見えていたため、てっきりそれらと行動を共にするもんだと思っていた。なのに聞けば「最初から行動していなかった」という論外な発言に、何故あの方向音痴たちをペアにしてしまったんだコイツらはとペンギンは少なからず後悔に苛まれる。
確かに彼女は以前の彼女とは違う。けれど、それとこれとは別問題。一応彼女は賞金首の身だ。迷子になっているならばまだ救いようがあるが、もし、もし何かトラブルに巻き込まれていたらと思うと気が気でない。
だからこうして探しにいこうと提案しているのに、誰も―船長ですら暢気にしているのがペンギンには考えられなくて、それがより一層己の気持ちをオーバーヒートさせていく。


「ペンギンはライちゃんのことになるとすーぐ熱くなるんだからぁ」

「…そりゃそうだろライは――」

「それだけが理由〜?」

「…………は?」


ニタニタと気持ち悪い笑みを浮かべるセイウチに顔を向けた瞬間、サッと熱が引くのが分かった。彼の言わんとしていることは分からない。なのに、何故か的を射抜かれた気がして反論の言葉は出てこようとはしない。


「――あ、帰ってきた」


しかしそれに終止符を打ったのは、船のへりからずっとマングローブの方を見張っていたトドだった。
誰しもがその声の先に目を向けて、そうしてその指が導く方へと視線を動かす。先に見えたのは図体のでかいシロクマ。そしてその1歩後ろを歩く紺のキャップの白つなぎの華奢な身体。ペンギンは盛大に安堵の溜息を吐き出し、熱くなったトレードマークの帽子を脱ぎ先程のセイウチの言葉を掻き消すようにガシガシと頭を掻いた。


「――遅ぇぞお前等!!心配したぞー!!」


一つもしてなかったじゃねえかと呆れたように、彼等の元へ駆け寄っていくシャチの背を追いながら、彼女へと視線を投げる。手を振りながら近づくシャチに同じように手を振ってはいるものの、どこか元気が見えない。この島へ上陸する前のテンションがそこにないことに、やはり何かあったのではと、怪訝になったペンギンもゆっくりと歩き出す。


「――っ、えええええ!?」

「?!」


しかし刹那、数メートル前をスキップしていたシャチがその足を止める。酷く拙い叫びに一体何事かとその時はそれほど"期待"していなかったのだが。


「…!」


そのシャチの前、デカイ白熊の奥にあるもう一つの影に、ペンギンはその叫びの意を知ることとなった。


 *


「――どうぞ」

「あぁ、すまないね」


この船の食堂に"お客様"など招いたことのなかった集団は、一番綺麗な―いつも船長が座っている場所にその人を案内した。そしてその前に船長が座ったので、クルー達は数歩下がって船長の後ろへ記念撮影のように二列になって並ぶ。
お客様にはお飲み物をと気を利かせたライはアシカと共にキッチンを探ったが、出てくるのは酒、酒、酒。随分と長い間船に乗っているが確かにこの船に乗って飲んだ物って水か牛乳か酒くらいしかない。紅茶なんて優雅なもの飲んだ記憶がない。こういう時に酒を出すのも如何なものかと思い、とりあえず無難な水を二人の前に差し出した。


「――さて、まずは何から話そうか」


一体誰が想像出来ただろう。この船に客が―しかもあの伝説の冥王がこうして我等が食堂のイスに腰掛けるというシチュエーション。ベポは知らないと言っていたが他のクルーは勿論その存在を心得ており、いつになく背筋をピンと伸ばして立っている光景はライから見れば異様で、何だか写真に収めておきたい気もするがそんな代物この船にはない。

さて、何故レイリーがこうしてこの船に来たのかというと。あの後、ライは自分だけがこの話を聞いていても捗々しくないと思い「船長を呼んでくる」と言ってその場を去ろうとしたが「私が行った方が早いだろう」とレイリーが言うのでそうして頂いた。護衛を兼ねてとのことだったが恐らく迷子になってしまうことを考慮してくれたのだと思われる。…頼りないというか、なんというか。強くなる云々の前に自分の方向音痴加減をどうにかした方がいいかもしれないと思いながら、心強すぎる味方を連れて船へと急いだというわけである。
集合時間も迫っていたが、この時ばかりは焦りは浮かんでこなかった。だってこんなに偉大なお方が隣に居れば船長も怒るに怒れまい(実際ヤキモキしていたのはペンギンということを知りもせず)。

そうしてレイリーは、先程自分に話した事をまた一から船長に告げた。
CPの名が出た途端、いつしかカイドウというワードを聞いた時のように起こったどよめきに、2ヶ月間の平和な日々が走馬灯のように消えていく気がしたのは自分だけではないだろう。
船長はしばし、黙っている。どうするのだろう。レイリーに全てを打ち明けるのだろうか。一体彼は今、どんな顔をしているのだろう。後ろに立っている為に船長の顔は拝めない。


「…全ての決定権は君にあると聞いている。話すも話さないもそれは自由だ」

「……見返りはいらねェってか。ただ"世間話"の相手になって欲しかったワケじゃねェだろ」

「そうでもない。気がかりだった女の子の居場所が分かっただけでもスッキリしている」

「冥王は随分と世話焼きらしいな」

「あぁ…年を取りすぎたせいかな」


レイリーが一つ水を口に含む。そうして動きを見せる度にクルーの中に緊張が走るのが良く分かるが、伝染したように自身も緊張してしまうのでもう少しリラックスをして欲しいところだが、そんなこと言えない。


「……腕の良いコーティング屋を知っているか」

「…あぁ、知っている」

「ソイツを紹介してくれたらコイツの秘密を教えてやってもいい。…但し、無償でだ。それが条件だな」


いきなり何を言い出すかと思えば、商談の話。どうやら昼間の交渉では良い収穫はなかったようだ。…ちゃっかりだなぁ、なんて。やはり抜け目がないというか、なんというか。


「あぁ、いいだろう。お安い御用だ」


レイリーは思った以上にアッサリと承諾してくれたが、船長はそれでも抜け目なく「ソイツをまず紹介しろ、話は交渉が終わってからだ」とさらに条件を足す。冥王相手にすごいなと少しばかり感心するも、警戒を怠らないところは尊敬すべきところだろうか。海賊に年功序列制度はないのかもしれないけれど、それでも傍から見れば生意気な発言と捉えられても可笑しくはない。隣にいるシャチの顔をふと見上げれば強張っている。船長なんでそんなに強気なんですかと言わんばかりの表情だ。

けれどもレイリーは、その船長の態度にフッと笑ってまた水を一口含んでから、こう言った。


「その必要はない。私がそのコーティング屋だ」



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