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夕刻。コーティング作業が予定よりスムーズに進んだようで、明日の朝仕上がりを見に来ると言ってレイリーは帰っていった。


「皆何時に帰ってくるかな?」

「さぁなぁ…俺は帰ってこねえ確率の方が高ぇと思ってるが」


コーティングに一日費やされると聞いていたから、もしかしたらそのまま島で泊まってくる事も考えられる。十中八九酒場に居れば戻っては来ないだろう。自分が言うのも何だが、1週間以上お預けをくらっていた彼等(特にセイウチ)のことだ、この島で存分に"発散"し新世界へ臨むつもり…だと思いたい。


「暇やなぁ…散歩行ってきてええ?」

「遠くには行くなよ、半径5メートル以内だ」

「船内で終わるやんそれ!海の方なら問題ないやろ?」

「あぁ、そっちか」


「暗くなる前に帰って来いよ」と言うアシカにトドが「お前も母親化してきたな」と言って笑っていた。お前も、ということは前者に誰かがいるのであろうが、大体…いや、思い浮ぶ人物は一人しかいない。
今頃何しているのかな、なんて。彼と離れるとついついそんな事を考えてしまう。セイウチやシャチに手を焼いている姿を想像しながら、ライは一人海へと向かった。


*


「――"wirbelnde fult"」


ドルフ、キラーウェルを乗継ぎ、少し沖合いに出て、ライは技の練習に勤しんだ。
レイリーから貰った言葉が刺激になったのだ。この世界に来た意味は必ずある。自分の存在意義はここにある。だから、懸命にこの世界で生きていく為に、鍛錬する。まだまだ力のない自分には必要なこと。船内を水浸しにして怒られるくらいなら原料のたくさんある場所に行ってすれば一石二鳥。


「う〜ん、上手くいかんなぁ、」


しかしやはり、気持ちとは裏腹に技の精度は上がってはくれない。海上で敵に追われた際の逃げの一手として、海に渦潮を発生させその場を凌ぐ手法を編み出してはみたものの、渦潮が綺麗に渦を巻いてくれずに苦戦を強いられる。自分は割と器用な方だと思っていたが、それとこれとは関係ないようだ。体力の問題か、身体の構造の問題か、気持ちの問題か、技のレベルの問題かなんて分からない。
ホエルの背に寝転び、技を出すイメージをするように手を空へとかざす。自ら進んで人の命を奪う行為にはまだまだ抵抗はあるけれど、漫画のようにかっこよく技を放つ事ができたらいいとずっと思っていた。なのに、一向にそれは叶わない。素質がないのだろうか、この実は自分には使いこなせないということだろうか、…やはり"その覚悟"が足りていないのだろうか。


「キュー」


悩んでいると、キラーウェル数匹がホエルの背に顎を乗せて此方を見ているのに気づく。…なんて貴重な光景だろう。クジラの背に、シャチがいる。これも我の力のお陰なのだろうか、それすらも分からない。


「…なんで君等はウチを慕ってくれるん?」


向き合うようにうつ伏せになり問いかけるも返答など無いことだけは分かっている。無意識に溜息をつけばまるでその息で飛ばされたかのように、乗っけていた顎を引き真下へ潜っていくそれら。そしてうねり上がった尾びれがラスト水面に叩きつけられ、


「わ!」


バシャン。またと力がフッと抜ける。…昼間といい今といい、盛大に水を吹っ掛けられる自分はおちょくられているのだろうか。数秒後には水面から顔を出してこちらを伺ってくるキラーウェル達。遊んで欲しいのか、はたまた励ましてくれているのか。表情からも鳴き声からも判断は出来ないけれど、何となく後者のような気がして、ライが含み笑いを向ければそれらは嬉しそうに喚き始めた。
既に太陽は水平線へと隠れようとしている。自然の力で濡れた服を乾かすのは無理だなと思い、船へ戻ろうかと思った、
…その時。


「……?」


帰路へ向けた視界の隅に入ってきた、一隻の船。沖から来たのではない、それは島を縁取るように進んで、その場に―ハートの海賊団の船―ポーラータングの近くに着岸した。


「……」


怪しい。第一に沸いた感情を持ったまま、その船の動向を訝しげに目で追う。
そしてすぐに船から三人の男が下りてきた。遠すぎて顔は見えない。分かるのは黒ずくめで体格のいい男だということ、そして、怪しいという事。それらは足を止める事無く、集いもせずに個々に船へと近づいていく。…まるで最初から、ポーラータングに行く事が決まっていたかのように。


「…ウェルちゃん、戻ろう」


嫌な予感がした。最初に定着した不信感が今更覆ることなどなくて、それはどんどんと最悪な方向へと思考を導く。
留守を狙った盗賊なのではないか。
船にはアシカとトドがいる。二人ならそう簡単にやられる事は無いだろうけれど、見て見ぬふりなど出来ない。自分も列記としたハートの海賊団の一味、仲間だ。この2か月でその位置をようやく確立したのだ、奇襲に怯えてなどいられない。


「っ…トド…!」


キラーウェルの背に乗り、船まであと十数メートルというところでそれは目に飛び込んできた。船から下りて来、マングローブへと消えていく白―トドの姿。焦ったように走る姿から想像できることは一つしかない。
やはり、奇襲をかけられた。船長達を呼びにいったのだと思われる。…だが、何故自分を一番に探さなかったのだろう。自分では役不足なほど、強い敵なのだろうか。そうなれば尚更、アシカを一人にしておくわけにはいかない。敵は3人だった。加勢し、少しでも戦況を変えれれば。


「っ…ありがとウェルちゃん!」


岩場を伝い砂浜を駆け、船へと向かう。靴なんて履いている暇などない。裸足のまま、砂まみれのままライは船へと駆け上がった。



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