32



「…なん、だと…?」


船長が目を瞠る。彼がそんな風に驚く姿を今まで見たことなど無いが、それほど衝撃的な事実であることは自分でも分かっている。自分だって未だ、この状況に乗り遅れているのだから。


「…ライ、お前――」


愛刀に込めていた力を抜き敵意の無くなった船長から目を外し、ライは後ろからの声に今度はしっかりと自我を保って振り返った。

紛れもなく、目の前にいるのは自分の父親。この世界に飛ばされる直前、自身が眠りにつく直前、「おやすみ」と確かに言い合ったその顔、そのもの。
どうしてここにいるのって、本物なのって、消えた筈の質問たちがぶわりと蘇るも、どうしてかそれはまた声にはならない。喉が震え始める。目が熱を持つ。そう、それはドラマティックな感動の再会――


「なんちゅー奇抜な恰好しとんのや!いつの間にそんな不良娘になってしもたんや恥ずかしい!!」


…に、なる筈だった。


「っは、…はぁ!?第一声がそれ?行方不明になっとった娘との感動の再会の第一声がそれ!?」

「お前をそんな風に育てたつもりは一切ないぞ!どこの男にたぶらかされたんや!!」

「っ、たぶらかされてへんわ!これは変装や!この世界で生きていくためにしたへーんーそーう!!」

「それはそうと何でこっちの世界におんのや!!ホンマにどないなっとんねん訳のわからん!!」

「知らんがなウチに聞かんといてや!知らん間にこっちの世界飛ばされてどしょっぱつから海賊に殺されそうに――」

「……おい、お前ら…ちょっと黙れ」


唐突に始まった親子の感動の再会…いや、親子喧嘩…ならぬ言い合いは、船長の呆れを含んだ低い声によってフェードアウトしていく。

クルーはただ、唖然とそれを聞いていることしか出来なかった。突然に現れたライの父親。確かに驚いたことには驚いた。ライの父親ということはイコールその人も他世界の人間で、それがここにいるという事実はあの時―ライがこの世界の人間ではないと知らされた時同様の衝撃だったことは間違いない。けれどもそれがライと同じ方言を使用し言い合う姿にその驚きはすっ飛ばされ。ライが使うよりもそれは些か厳つく聞こえ、このダンディな親父は怒ったら相当怖そうだなんて…こんな時なのにそんな感想しか思い浮かばなかったのは果たして吉なのか、凶なのか。


「とにかく…ライ、無事で何よりや」

「…!」


先ほどの会話とは正反対な穏やかな声色に、ライの中に眠っていた日本への寂寥感がブワリと蘇る。
もう二度と会えないかと思っていた。帰れないと思っていた。なのにそれは急速に自身へそれを示し始め、


「っそや、アシカさん…!!」


けれどもその思考を撥ね退けるように、ハッと思い出したようにライは父の後ろ、少し離れた場所で立ち尽くす男の横、壁にもたれ掛かっていたアシカへと向かった。


「大丈夫ですか…!?」

「…あぁ、ただのかすり傷だ…。お前は平気なのかよ」

「ウチよりアシカさんの方が――」

「――おいセイウチ」

「了解〜」


気付いた船長がセイウチを首であしらい、その意を汲み取ったセイウチ、他数人がアシカの元へ駆け寄って来、彼を運んでいく。それをただ黙って見ていた―アシカと戦い続けていた男が、そこで初めて口を開いた。


「…すみません…彼を"敵"と思い…危うく殺めようと、」

「っ申し訳ございません!!」


そして、もう一人呆然と突っ立っていた男がライの目の前に立ちはだかり、猛烈なスピードで床に膝をつき、頭を下げる。ゴツン、と物凄く痛そうな音が響いた。


「とんだご無礼を…!!チビなる暴言を吐きその上刃を向け膝蹴りを食らわし壁にぶち当て挙句の果てには仕留めようと…!!申し訳ございませんお嬢様…!!」

「…いや、……え?」

――お嬢様?


己が探していた人物だと分かって謝罪したい気持ちは分からないではないが、それよりも聞きなれぬ呼名が気になった。お嬢様とはそう、どこかの気高き夫人の子やお金持ちの息女のことを指すものだと認識している。一般市民の自分が今までそんな呼び方をされたことは一度も無いし、自分に相応しくないことなど己が一番分かっている。


「死んでお詫びを…!!」

「もう良いイメルダ、ルアン…済んだことだ。ライ、怪我はないか?」

「…骨がイッとるかもしれん」

「そうか。怪我がなくてなによりや」

「……え、人の話聞いてる…?」

「生きている…それで充分だ。このことは不問とする」

「アサト様…」


なんと有難きお言葉。そう言ってイメルダと呼ばれた―ライを殺そうとしていた男はまたと地面にのめり込むほどに土下座をし、ルアンと呼ばれた男も深く頭を下げる。

…父親が自分の娘の身体を蔑ろにしたことはとりあえず今は置いておこう。

アサト、様。アサト、確かに父の名だ。それに敬称をつけるという事は、少なくとも彼等は父を慕っている身であるのは分かる。けれども、慕っている人の娘をお嬢様と呼ぶほど自分にその素質、父に尊厳があっただろうか。今までに何度か父の会社の部下と会った事はあるが、これほどまでの敬意を見たことはない。それにその、気持ち悪いほどの礼儀正しさ…というより、所作。何か腑に落ちない。自分の知らない父がここにいるみたいで、それはどこか、家来と王様のような関係で。


「…どういう事か説明してもらおうか」


しかし、割って入った間から自分が消えたことによって、再びそこに蔓延していく緊迫感に、再び二人が武器をとるのではないかとライがまたその方へ戻った途端。


「すまないが、説明している暇はない。…事が大きくなる前に帰るぞ」


さぁ。そう言って、ふいに父に手首を取られた。



back