「いいかアイル、タークスたるもの人質になるべからずだぞ、と」
愛用のロッドをリズム良く肩にあて、アイルの目の前を行ったり来たりするレノ。そしてその口から発せられるのはタークスとしてプロフェッショナルに仕事をこなす掟。アイルはそれを適当に聞き流し、自身の髪の毛先を見て痛んでいないかチェックしている。…まるで黒板の前を行ったり来たりする教師とその話をかったるそうに聞く生徒のような光景が広がっていた。
「――…というわけで俺の訓練内容は、鬼ごっこだ」
「…鬼ごっこ!?」
アイルは目線を毛先からレノに向けた。
「10分間俺に捕まらなければアイルの勝ち」
「…そんなんでエエの?」
「なんだ?楽勝ってか?」
そんなの楽勝!と簡単に言ってやりたいところだが、仮にも相手はタークスのエースだ。それが自称であれなんであれ彼は長年タークスとして務めているわけだから、自分がそう簡単に勝てるワケがない。もしかしたら捕まるのに一分もかからなかったりするかもしれない。…なんて無茶難題な訓練内容。やるだけ無駄なんじゃないかと内心アイルは思っていた。
「…じゃあそろそろ始めるか。準備はいいか?」
「んーまぁ、OK」
とにかく捕まらなければいい話だ。鬼ごっこよりは隠れんぼをすればいい。タークスのエースに勝てるわけがないんだからそんなに意気込んでやるほどでもない。気楽に行こう。遊びでやるつもりでいいじゃないか。痛んだ毛先もそんなになかったし。…ってそれは関係ない。
「言っとくがただ逃げるだけじゃ訓練にはならねえからな。しっかり攻撃してこいよ、と」
先ほどの自分の心を見透かしたようにレノは言った。
「…わかった」
「ま、俺はハンデとして手加減はしてやるつもりだ」
「してもらわへんと困るわ」
アイルは背伸びをし、足首をくるくると回して準備体操のようなものをした。
「じゃ、ヨーイどん!」
「っは!?」
いや待て待て待て待て。二人のスタート位置がいささか―いやどう見たって近すぎるだろ。普通追いかける方はハンデとして10秒は待つだろ。小学生でもそれくらいのルールは知ってるぞ。と頭の中で反論していると、案の定すぐに捕まってしまった。
「つーかまーえたっと!」
「ちょっと待てーーーー!!!」
全く持って意味が解らない。全く持って不服なんですけど。掴まれた右腕を振りほどこうと必死になるも、そこもかなりの力量差。レノは余裕の笑みを浮かべていた。
「卑怯か!!卑怯にも程があるわ!!!」
「誰も待ってやるなんて一言も言ってないぞーっと」
「普通待つやろ!!鬼ごっこのルール知らへんのか!!」
「これは普通の鬼ごっこじゃないぞーっと」
「屁理屈か!!!」
何とか逃げようと試みるがどう足掻いたってその手からは逃れる事が出来なかった。距離を詰めようとするレノを避ける為にアイルはレノと同じ歩幅ずつ後ろへ下がる。
「さぁ、捕まったな。どうする?」
いたってレノは楽しげな顔をしていた。…コイツ確信犯だ。アイルは思った。遊びだと思ってやってるのはコイツだ。ハナから訓練なんかする気なんかなかったのだ。何て奴だ。デスクワークはろくにしない。部下の訓練もろくにしない。怠惰な先輩。先ほどタークスのエースだと言った事をナシにしてやりたい。そんな事を考えながら後ずさっていると、冷たいコンクリートの壁にぶち当たってしまった。
「…さて。ここで問題だ」
少し真剣味を増したレノの声に、一瞬体がゾワリと震える。
「…捕まった奴は、どうなると思う?」
「…!」
現実の話。もしもの話。人質など聞こえがいい方なもので、敵対する相手を追い詰めたら間違いなく殺すだろう。それがこの世界―いや、タークスの世界。相手に躊躇いはない。そのつもりでタークスに恨みを抱いているのだから。
「…、」
ジワリ。と汗ばむのを感じた。たかが訓練。されど訓練。けれども舐め腐っててはいけない。本当はこの世界にルールも掟もないのだ。慈悲も、悲哀も、憐れみもそこにはない。サバイバル。生きるか死ぬかの二択。言い訳無用問答無用。これが、タークス。
…そう思って少し反省しだした途端。
「?!」
体が宙に浮いた。
「っな?!」
気付けばレノにお姫様抱っこされていて。そうする本人はこれまた楽しそうにそそくさと歩きだしている。…え。なに。どういう事だ。さっきまでのシリアスな雰囲気どこへ行った。
「っ何?!っなんなん?!」
「こんな可愛い人質は真っ先に喰われるに決まってんだろ?」
「っは?!」
待て待て待て待て。おかしいおかしい。…コイツ、最初からこれが狙いだったのか。だからあんなにノリノリだったのか。最低。最低だ。この変態最低だ。
「職務怠慢!ツォンさんに言いつけたる!!」
「残念!ツォンさんは承諾済だ」
「っな…?!」
「捕まえたら好きにしていいってな」
「〜〜〜〜!?」
あの大仏ただじゃおかねえ。こんな事なら最初から捕まった後の罰ゲームを聞いておくべきだった。レノの腕の中で暴れながら、アイルは敵の本拠地―レノのマンションに連れていかれてしまった。
…そしてその後、たっぷりおいしく頂かれましたとさ。