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 ピピーッと笛の音が鳴り響いた。

 ──しんどい。疲れた。帰りたい。

 10分間の休憩となり、ふらふらと人の少ない壁際へ行く。床に座り込み、浅く息をしながら目を瞑る。

「研磨」

 名前を呼ばれたのでゆっくりと瞼を押し上げるとナマエがいた。

「お疲れ様」

 ナマエが「はい」とボトルを渡してきたので受け取った。

「ありがとう」
「どういたしまして」

 冷たい水分が疲れた体に染み渡るのを感じながら、ごくごくと一気に飲む。ナマエが「美味しい?」と聞いてきた。俺が頷くと、「いつもより濃い目に作っちゃったんだよね」と彼女は言う。自分の膝に肘を立てて、両手で頬杖をつく仕草が可愛い。

「たくさん動いたから、このくらいで丁度いいよ。というか、気づかなかった」
「そっか。よかった」

 遠くでナマエを呼ぶ声がして、彼女は「はーい」と返事をしながらぱたぱたと駆けて行った。ナマエがいなくなった左側が、少し涼しい気がした。
 ぼんやりとナマエが何人かに囲まれているのを眺めながら、腹の底から何かが蠢く感覚に気づかないふりしてまた目を瞑った。

§

 ナマエと知り合ったのは高校に入学してすぐのことだった。
 クラスメイトに馴染めない俺に気を遣ったクロに提案されて、毎日昼食はクロの教室で食べることになった。一年が二年の教室にいるのは最初は目立って嫌だったけど、俺と違って友達の多いクロのおかげで変に絡まれることもなくすぐに慣れた。
 ナマエはクロのクラスメイトだった。去年もそうだったらしく、二人は結構仲が良かった。

「へー黒尾の幼馴染なんだ」

 初めて話した時、俺はなんと返せばいいかわからなかったし、全部クロが代わりに返事してくれるだろうと思って黙っていた。今更反省しても遅いが、あの時の俺は凄く態度が悪かったしクロがいなければ絶対嫌われていたと思う。

 ナマエは全然喋らない俺を気にすることなく、会えばクロがいようがいまいが話しかけてきた。時々「これあげる」とお菓子をくれたりもした。

 他人に興味ないしましてや女子なんて未知の生物だから、今まで誰かを好きになった事なんて無いしどういう人がタイプとかもよくわからなかった。俺には全然関係のないことだと思っていた。
 でもナマエのことは可愛いなって思うし、大人っぽくて色気を感じた。見かけるとつい目で追っちゃうし、クロの教室に行った時に姿が見えないと少し落ち込む。話しかけられると緊張するけど他の人に感じるそれとは少し違くて、嫌な気分ではなかった。

 クロに言われて、これが人を好きになると言う事だと知った。

 ナマエには彼氏がいた。バイト先の大学四年生。大学生なんて俺からすればかなり大人だ。それを知った時、ナマエが凄く遠い存在に感じた。それ以前にも何人か付き合ったことがあるらしくて、どれも歳上だと風の噂で聞いた。
 年齢なんて大した価値のないくだらない数字だと思っていたけど、俺は初めて自分の年齢を恨んだ。あと数年早く生まれていれば俺もナマエと付き合えたかもしれないのに。
 そんな事を考えて落ち込むたびに、顔も知らない男達を頭の中で何度も殴った。

 ナマエが彼氏と別れたと知ったのは、制服が冬服に変わった頃だった。ナマエが友達と話しているのを聞いた。
 どうやら浮気されたらしい。ナマエと付き合っているのに浮気する男の神経が俺には信じられなかった。ナマエは悲しみよりも怒りの感情の方が大きいらしく、「あんなゴミ、別れて清々した!」と言っていたので俺は元彼に未練がないならよかったと安心した。

 その男の浮気相手は同じバイト先にいるらしく、ナマエは面倒なのでバイトも辞めたと言っていた。
 それを聞いたクロがすかさずナマエをバレー部のマネージャーに勧誘した。俺はそれをハラハラしながら見守ったが、内心「クロ、ナイス!」と親指を立てていた。

「えーどうしよっかなぁ」

 ナマエは迷っていた。そりゃそうだ、二年生のこの時期、受験やら何やらで大変なのに今更運動部のマネージャーを始める奴なんていない。
 しかしクロはぺらぺらと上手い口でナマエを勧誘し続けた。その様子を見て、将来クロが詐欺師になったら俺は友達としてどうしたら良いかほんの少し真剣に考えた。

「ま、いーよ。二人がいるなら楽しそうだし」

 ナマエが言った。
 すごく嬉しくて、その後クロと初めて男臭い熱い握手を交わした。

 ナマエがマネージャーになって、最初は虎がうるさくてウザかったけど部活に行くのが前より少し楽しみになった。三年が抜けた後だったのもよかった。

 バレーをやっている最中はバレーのことしか考えていないけど、ナマエに「頑張れ」とか「お疲れ様」とか言われるだけでいつもよりやる気が出た。人を好きになるって凄いと思った。

 ナマエはよく俺のことを「可愛い」って言う。年下だから馬鹿にされてるのかと思って嫌だったけど、女子にとって「可愛い」には色んな意味が含まれてると知って、少なくともナマエが俺を好意的に思っているならなんでもいいやと受け入れるようになった。
 でもやっぱり可愛いよりかっこいいと褒められた方が男としては嬉しいし、時々ナマエに「試合中の研磨まじかっこいい」って言われた時だけバレーやっててよかったと思う。

 女心も恋愛の仕方もわからない俺にはナマエの攻略は難易度が高すぎて、時々心が折れそうになる。でも他の男に取られるのは絶対に嫌だし、ナマエのことは俺が幸せにしてあげたいから諦めない。

「なんか研磨って年下なのに、私より全然大人っぽいよね」

 ある時ナマエが言った。

「年上と付き合ってもさー、みんなお子ちゃまで疲れるんだよね」
「……ナマエは年上に何を求めてるの?」
「やっぱリードしてほしいし、甘えたい」

 ナマエは「私結構ワガママだから」と続けた。
 そんなの、俺なら全部叶えてあげるのに。ナマエのためならなんでもするよ。その言葉は喉元につっかかって、言おうとしても全然音にならなかった。

「……年齢なんて関係ないと思う。元々の性格と、どれくらいナマエのことを想ってるかが大事だと思う」

 ようやく絞り出したそれは、ちゃんとナマエに届いたらしい。ナマエは目を丸くしてこっちを見ていた。

「……超衝撃。研磨、いいこと言うね」

 ナマエは「たしかにそうかも」と言いながら何度も頷いた。

 ──だから俺を見てよ。

 心の声はどう頑張っても口に出すことはできなかった。俺は拳を握りしめた。

§

 季節は巡り、春になっても俺はナマエに気持ちを伝えられなかった。

 同じ部活になってから一緒にいる時間が増えて話す頻度も増えて、時々メッセージアプリでやりとりして。クロの助けもあって、他の人より少しは親密度が高くなっていると思う。
 でもナマエは俺のことをW年下の可愛い男の子Wだと思っているのがヒシヒシと感じる。

 ナマエがかまってくれるならなんだっていいけど、どうにかして男として意識してもらわないと先へ進めない。
 マネージャーの仕事を手伝ったり、重い物を持ったり、真剣に練習してみたり。俺なりに気を引くために頑張ってるけど、イマイチ効果は読めない。

 練習試合なんかに行くたびにナマエは他校の男に連絡先を聞かれていて、焦る。そういう時は一応虎や夜久くんを筆頭にうちの部員が阻止してるけど、見える範囲だけだ。部活が忙しくて彼氏なんて作る暇ないはずだけど、いつなんのきっかけでナマエに気になる男が出来るかわからないから怖い。

 外堀はもうかなり埋まってるってクロに言われたけど、それは最低限の準備が出来たということ。
 賭けはしたくない。




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