明石新菜と対立した時、正直ずるいと思った。桃李も自分で命を絶ったのに、同じように自らを死に逃げた彼女はこうして普通に生きて、普通に過ごして、普通に笑っている。背負うものは同じはずなのにちょっとした偶然で花千代の元へ辿りつけたというだけで、幸せに、悠長に、第二の人生を歩んでいる。
「どうもこんばんは。ところできみは運命って信じる?」
「それ、新菜のことナンパしてるの?やだやだ、古いよ、そういうの」
「そう?喜んでくれる子は喜んでくれるよ」
「その子の趣味がおかしいんじゃない?」
「かもね」
そんなの決まってるじゃないか。私に愛されたいがために死を選ぶくらいなんだから、桃李はとびきり趣味が悪い。
それはさておき、軽口を叩き合った仲とはいえ、花千代のためにも手加減するわけにはいかない。多分、花千代のことなんかなくても、羨ましさと妬ましさで、手加減なんかできなかったと思うけど。
明石新菜と猫宮葵を誘導して引き合わせてやれば、猫宮葵はあっさりと明石新菜を地獄に還した。五人もいながら随分と時間がかかっていたのは、実力が足りていないわけじゃなくて、索敵能力が足りていなかっただけのようだ。けどきっとこれからは、ぴくりとも動かなかった戦況が一気に暴れ出す気がする。あくまで気がするだけ。良い方向に傾くか、悪い方向に傾くか、可能性は半々くらい。花千代からはもういいとの言葉を受けたけど、おまけとして目の前の囚人をもう一人、花千代のもとへ還してやった。いつもならこの、仕事が終わったタイミングで桃李のことを教えてくれた花千代が、今回はなぜか桃李の場所の特定に苦戦しているようで、黙り込んだ。私はいつでもいいと声を送って、四十宮から離れる。今こうして桃李の居場所を特定できないということは、天使さまに縋った桃李もまた、世界に逆らえなかったということの証明だ。それが分かっただけでもいい。第三者の介入や、天使の力をもってしても、歪んだ輪廻は正せない。新しい事実を知った、また一歩前に進んだ。それから、次は、私じゃない誰かが桃李を助けることになっても、悲しさなんて抱かないと、強く誓った。
▽
四十宮の異変から十数年、あの後、どうやらとある天使が管轄区であった春崎を支配しようとした動きがあったらしい。その無謀ともいえる野望は一人の悪魔によって打ち砕かれたようだけど。花千代にとって取るに足らない存在だったのか、はたまた桃李と同じように、そういった異端を世界が弾くのを分かっていたのか、私に仕事が回ってくることはなく、ささやかに終幕を迎えたようだった。なぜ今この話を出したかというと、ようやく聞こえた花千代の声が示した場所が春崎だったから。あまりいい思い出がないけど、なりふり構っていられない私は再び春崎に踏み入れた。
ずっと前に来た時と服装は違っても、容姿の根本的な部分である顔だったり身長だったりは変わっていないから、あの頃の私を知っている人がいたら厄介だ。そう思っていたものの、大きく変わった街の景色に圧倒されている私に気付くものは誰ひとりいなかった。街並みも、行き交う人々も、踏みしめる地面すら、全てがまるで初めて訪れた街のようで、少しだけ戸惑う。この空間から桃李を見つけ出せるか不安になったが、それでもとにかく探さなければ何も始まらない。頼ることができるのは、信じることができるのは、花千代の言葉だけだ。一歩踏み出そうとしたとき、控えめに腕を引かれた。
「あ、あの、すみません」
声の主は紛れもない桃李だった。初対面のときに桃李から話しかけられることは初めてで、どうしてだろうと考えるうちに眉間に皺が寄る。今回は何かがおかしい。花千代が今の今まで桃李を見つけられなかったことも、この街がここまで変化したことも、私より先に私を見つけた桃李のことも、全てが予定とずれている。身長差を縮めてやることなく桃李を見下ろすと、おそるおそるといったように、それでもちゃんと一字一句しっかりと私に届けるように、桃李が声を張り上げた。
「は、はじめまして! 突然ごめんなさい!」
ぎゅうぎゅうと私のシャツの袖を引く桃李の目をまっすぐに見つめるが、誰か、そう、たとえば悪魔だとか、人間じゃないものが桃李に擬態しているわけでもなさそうだ。それにしては恐れが入り混じりすぎている。そろそろ私もそのへんにいるような低級の十数倍生きているから目を付けられたのかと思ったけど、そうでもないみたいで、さらに分からなくなる。この桃李の正体、目的、私に声をかけた理由、どうにか引き出さないと。ただ無言でじっと見つめていると、そんな私に怯んだのか、あっという間に大きな目に涙が溜まっていって、ぱちりとまばたきをするたびに長い睫毛がそれを掬う。それを見た瞬間、駄目だと思った。怪しいと分かっていても、やっぱり桃李は泣かせたくはない。別人だと確信を得るまではきっと言葉で揺さぶることすらできない。これはまごうことない桃李だと自分に言い聞かせて、ここにいる彼女の本性がなんであれ、今だけでも三笠桃李として扱うべきだと思いこんで、大粒の涙がこぼれ落ちそうな桃李の目元に指を持って行こうとしたが、次の言葉に再び静止することになる。
「運命! 感じたんです! びびって、どきって、したんです!」
「ええ、と」
「私、三笠桃李って言います! 桃李って呼んでくれたら、もう、すっごくすっごく、嬉しいです!」
この言葉がなんなのか、この一連の流れはなんなのか、分からないほど鈍くない。私はこんなに勢いをつけたことはないけれど、桃李が喜ぶ、初対面でのあの言葉たちだ。用意していた展開をごっそりと取られたうえに、必死という一言でしか表せないような表情で私に詰め寄られて困惑する私と、そんな私を置いて話を続ける桃李。私はただでさえ人の目を集める背と髪を持っているというのに、桃李が大声で私をナンパしているようにしか見えないこの図は、周囲の人間の好奇の的になっているのが分かる。止まってしまった手を動かす間もなく、その手を桃李にぐっと握られ、ずいっと顔を近づけられる。といってもかなり距離はあるけれど。
「お名前、教えてください!」
ああ、もう、どうにでもなれ。
▽
「皇さんは、甘いものって好きですか?」
「どうだろうね」
「お、教えてくれないんですか?」
私の言葉を全部押し切った桃李に無理やり引きずられて座らされたのはカフェの一席だった。向かい合って目を見て話すのはまだしも、得体の知れない存在に名乗ってしまった。私の想像する最悪の事態が起こりうるのなら、名前を教えてしまったいま、逃げるのは難しいかもしれない。長く生きるようになってから数々の驚きと出会ってきたから、そうそう動揺の色を見せることはなくなったと自負していたけれど、ここまで異常としかいえない展開についていけるほどの順応力を、今の私はどうにも持ち合わせていないようだった。
「ちょっと待ってて」
そう声をかけて席を立ちあがり、ココアとコーヒーを注文してレジの前で待つ。どうしたものか。あれが本物の桃李じゃないとしたら変な動きを見せたときにどうにかしてやればいい。殺すでもいいし、全て吐かせるでもいい。もし私を狙う組織でも出来ているならそれを潰すだけだし、単独犯ならあのひとりを消せばいいだけ。ただ、問題は、あれが間違いなく本物の桃李だったとき。彼女が今まで転生を繰り返している三笠桃李その人なのだとしたら、異常な点が多すぎて、次の一手が考えられない。桃李から私にコンタクトをとってきたことはまだしも、あの言葉が、あの一連の流れが、偶然とは思い難い。私が一つ前の桃李に何かしてしまったか、ネビロスやミツキとの接触でなにかずれが生じたか、天使さまとやらとなにか関係でも結んでしまったか。考えこむうちのコーヒーとココアの乗ったトレイが目の前に差し出された。面倒だったからまとめて片手で取ってトレイを押し返す。席に戻ろうと振り返ると、女の子らしい花柄の財布を手にして、頬を膨らませる桃李がいた。
「……おいくらでしたか」
「さあ、レシート捨てちゃったからわかんない。ところでココアでいいよね」
「……私が奢るつもりだったのに」
「はいはい、ココアでいい?」
「……はい」
ぶすっとしながらも大人しく私の後をついてくる桃李に「笑っているほうが可愛いよ」と告げると、足音が少し乱れた。ネビロスとトロイラスも分かりやすいと思ったけど、桃李が一番分かりやすいかもしれない。ココアを桃李のほうに、コーヒーを私のほうに置く。少しして桃李が私に追いついたところで椅子を引いてやると、桃李の口からは小さく感嘆の声が漏れた。
「レディーファーストってやつですね」
「そうだね」
「かっこいいです」
「ありがと」
桃李がココアを飲んで、満足そうに顔を綻ばせたのを確認してから私もコーヒーを口に含む。ふうふうと息を吹きかけてココアを冷ます桃李を、頬杖をついて見つめていると、ぱちりと視線が合う。途端に顔をぽぽぽと赤くして、視線をあちこち泳がせたあと、照れたように微笑む。積極的だったとしても、桃李は桃李だった。さっきまで考えていたことが一瞬で霧散する。偽物だとか本物だとか、偽物だったらどうしようとか、本物だったらどうするべきかとか、ちっぽけなことかもしれない。だって私は初めから選択肢なんか持っていない。私の道は枝分かれなんてしていない。私がするべきなのは、桃李の幸せを作り出すこと。それだけだ。なんだか少し体も心も軽くなった気がした。私のするべきことはいつでも変わらない。例えこの桃李が、いつもの桃李と違うとしても。
「……あの、私また、皇さんと会いたいです」
「どうして?」
「え、あ、だ、だから、運命を感じたからです!」
「ふうん」
適当な紙に連絡先を書いて渡してやる。それを大切そうに握りしめる桃李の後ろ側に確かに存在する違和感を、見ていないふりをする。