人工知能は眠らない
空閑遊真の夜は長い。
みんなが眠りについてしまってから訪れる静寂は、慣れてはいても寂しさが頭をもたげる。かつてその夜を共に過ごした相棒はここにはいなかった。
人よりも時間があるのはアドバンテージだと、相棒は言った。
だから遊真は思考をやめない。夜空を見上げながら試行を繰り返す。
ふと、深夜と言っていい時間にもかかわらず、煌々と明かりが灯ったままの一室を見つけた。
玉狛の仲間たちが12時を越えて起きていることは早々ない。ランク戦の前週であるとか、理由があれば夜更かしをしたりもするが、レイジが「睡眠時間はきちんととれ」と促すので、皆それに従うのだった。
電気をつけたまま寝てしまったのか、と遊真はその部屋へ足を向ける。
「だから、何故この時間にわざわざソレを見ようなんていう思考になるんだ?」
「この時間だから、だろ?隊長は分かってないねぇ」
「面白そうだよ?」
遊真が中を覗くと、辻崎隊の面々がなにやら揉めているようだった。
眉間に皺を寄せて反対する司と、キラキラした目で賛成を訴えるシオ。なにやらニヤニヤと楽しげな平坂が討論を続けている。
隊のことならば首を突っ込まない方がいいな、と踵をかえす。
その前に、見つかった。
「遊真、どうしたの?」
シオが遊真を見つけて駆けてくる。
お風呂を出てからそのまま来たのか、見慣れない部屋着姿だった。
「明かりがついてたので、消し忘れたのかと思いまして……お邪魔しました」
「いいとこに来たな!別にミーティングとかじゃねーから、遊真も入ってこいよ」
平坂が遊真を手招く。
そう言われれば断る理由もなく、遊真は辻崎隊の輪に参加する。
「ミーティングじゃないのか」
「こんな時間にミーティングやろうなんて頭になるのは、ウチの馬鹿マジメな隊長くらいのもんさ」
「おい」
「という冗談は置いといて。遊真、お前映画は好きか?」
平坂は映画のディスクケースを、ずいと遊真の前へ突き出す。
「映画……?」
「あのね、平坂さんはね、映画見るのが好きで……次の日任務がないときは、こうやって誰か呼んで鑑賞会するんだ」
「ほう」
遊真は室内をぐるりと見回す。
室内でひときわ目を引くのは、個人の部屋には似つかわしくない超大型テレビだ。家電量販店の店頭にあるようなサイズである。
左右にはこれまた大型のスピーカーが仁王立ちしている。テレビの前には臙脂のソファーが置いてあり、辻崎隊のメンバーが全員座っても余裕がありそうなサイズだった。
ソファーの背後にはウーファーを備え、映画鑑賞へのこだわりと熱意が感じられる。
壁は映画のポスターと本棚で埋め尽くされており、棚の中も映画関連のものしか収納していないらしい。ディスクケースやパンフレットがぎゅうぎゅうに詰まっていた。
ここは平坂の個室だったはずであるが、全く生活感はなく、映画を見るためだけの部屋として機能していることに遊真は違和感を覚えた。
「ここは平坂さんのお部屋では?」
「コイツは隊の通信室に寝泊まりしてるからな。おかげでコイツに割り当てた部屋は見ての通りだ」
司が呆れ口調で言う。
「なるほど」
「そういうこと。で、見てく?」
「ふむ、平坂さんがそんなに好きなら見てみたいな」
「じゃあ、遊真はここ、かな?一番綺麗に見えるよ」
シオは遊真をソファーの真ん中に座らせる。
特等席だというのは間違いがないようで、液晶パネルが遊真の視界とほぼ同じ大きさだった。
シオは軽い足取りで部屋の入り口まで戻ると、ぱちん、と照明を落とす。
「電気消すのか?」
「その方が映画館ぽいだろ?」
「あと、映画にはこれだよね」
遊真の隣に腰掛けたシオの手には、ポップコーンの入ったバケツがあった。
「そうそう、シオちゃんは分かってるね」
「ポップコーンがあるといいのか?」
「まぁ、なくてもいいんだけどさ。雰囲気が出るってハナシ」
平坂もソファーに腰を据えて、シオの持ってきたポップコーンに手を伸ばす。
「酒がありゃ、よりいいけどな。今回は未成年ばっかだから、俺は大人しくジンジャーエールとかにしますよ」
「飲んでもいい……と思うよ?」
「はは、隊で飲むのはせめて隊長が成人してからだな。で、その隊長さんはこっち来ないの?」
ソファーの後ろに立ったままの司を振り返って、平坂は人の悪そうな笑顔を浮かべた。
「そういえば、さっき揉めてたのはなんだったんだ?」
「んーと、あれはね……」
『今夜鑑賞する作品についての議論です』
突然、姿のない声が遊真に語りかけた。
シオの持つスマートフォンからの声だと気付くのに、遊真はしばらくかかった。辻崎隊のオペレーターであり、平坂の作り上げた人工知能、サイリィからの回答である。
『どの作品を鑑賞するかについては、毎回平坂様が選定しています。それに異論が出ることはほとんどありませんが、今回のような作品の場合には、司様が反対されることがあるのです』
「今回の作品?」
「うん。今日はね、これを見るんだよ」
シオは一冊のパンフレットを取り出す。
黒髪に白い肌の女性が、虚ろな目でこちらを見ている一枚絵だ。赤黒い血のような文字でタイトルが刻まれており、いかにもホラー映画です!という装丁である。
「おぉ……なんか怖そうですな」
「そりゃ、ホラー映画だからな」
「平坂、ソレを見るつもりなら、俺は部屋に帰って寝るからな」
腕を組んで、いつもよりさらに眉間にシワを寄せる司は、暗がりのせいかより凄味が増していた。
ジンジャーエールの注がれたグラスをかたむけて、平坂がカラカラと笑う。
「うちの隊長はホラー苦手だからさ、毎回もめるんだよ」
「意外だな」
「可愛いだろ、うちの隊長」
「余計なことをベラベラしゃべるな」
平坂の頭頂部に司の拳が落ちる。
クリティカルヒット。平坂は頭をおさえてうずくまった。
「シオは平気なのか?」
「うん、画面の向こうだし」
遊真の質問に、シオはなんでもないように答える。
「って妹ちゃんは言ってますけど?」
「苦手なものがあって悪いか」
『苦手な分野があるのは短所ではないと判断します』
「サイリィはフォロー上手だね」
『お褒めにあずかり光栄です、シオ様』
司は完全に拗ねたのか、今にも退室しそうな雰囲気だった。シオはそんな司の元へ寄ると、服の裾を掴んで兄を見上げる。
「あのね、最近みんなで映画見れてなかったし……司にもいてほしいって思うんだけど……だめ、かな?」
司が言葉をつまらせる。
唯一の弱点と言っても良い、妹からの〈おねがい〉である。反論も賛成もできないまま、司はずるずるとシオに引きずられて、ソファーに着席した。
「よっし、そんじゃ再生開始!」
全員がソファーについたのを確認した平坂が、レコーダーの再生ボタンを押した。
薄暗い部屋で、最高の画面と最高の音響で楽しむホラーは、臨場感満載だった。
物語は、身元不明の女性の遺体が検死にまわされたことから始まる。その遺体の検死を始めた途端、施設に不可思議な現象が起こり始める。
途絶える外界との通話手段、顔のない遺体、嵐の夜の閉鎖空間。
映画の世界にのめり込んだ遊真が、ハッと気付いた時には、辻崎隊のメンバーはみんな仲良く眠りこけていた。
平坂はポップコーンのバケツを抱えて眠っているし、シオは完全に遊真にもたれかかっている。事あるごとにビクビクしていた司でさえ、完全に夢の世界の住人だ。
むにゃむにゃと何か寝言を言っているシオを、遊真は微笑ましく思いながら、同時に羨ましくもなった。
急に寂しくなる。
さっきまでのめり込んでいたはずの映画の世界に、もう一度集中しようとしても、遊真はそこへは戻れなかった。
『遊真様、申し訳ございません』
シオのスマートフォンを通して、サイリィが声をかける。
「……なんで謝るんだ?」
『遊真様をお誘いしておきながら、全員眠ってしまったようですから』
「それはお気になさらず。おれは眠らないから」
『では、私と同じですね』
遊真は青白い光の灯る、スマートフォンの画面を覗き込む。人工知能の声に抑揚はない。
だがサイリィの声の響きに、寂しさの片鱗を見た気がしたのだ。遊真自身の願望かもしれなかったが。
画面には〈サイリィ〉の文字が浮かぶだけで、当然、彼女の表情をうかがい知ることなどできはしなかった。
『人工知能は眠りません』
「……そうか。ジンコウチノーじゃないけど、おれの相棒も眠らないからよく話し相手になってくれた」
『では、私と対話されますか?代わりになれるかは、判断いたしかねますが』
「いや、それはいいよ」
遊真は回想する。
相棒と話したことや、今までの夜のことを。
「サイリィはサイリィだからな。相棒の代わりにはしない」
『それは、私には荷が重いということでしょうか』
「そんなわけないだろ?サイリィとは相棒の代わりとしてじゃなく、トモダチとして話したいと思ったんだ」
『友達、ですか?』
「同じ支部の仲間だろ?」
画面の中で、サイリィの4文字がチカチカと点滅する。
その挙動は、システムが最適解を導き出すための処理を行っている事を示していた。しかし、そのタイムラグはなんと返答したものか迷う、人間のようでもあった。
『友達とは、どんな会話をするものなのでしょうか』
「いつも辻崎隊のみんなと話してる感じでいいと思うぞ?とりあえず、今日の映画の話でも」
『分かりました。では、まずは遊真様の感想からお聞かせ願えますか?』
平坦な人工知能の声が、軽く弾んだような気がして遊真は笑った。
チカチカと、画面の中で青白い光が点滅している。
夜明けはまだ遠い。眠らない二人なら、空が白む前にどれだけたくさんの話ができるか知れなかった。きっと、映画の感想だけにおさまらないだろう。
それから二人の対話は、本当に夜が明けるまで続いた。
サイリィの本体、サーバーが格納されている部屋は、平坂の私物でごった返している。サーバーのことを考えて、やや低めに気温が設定されているものの、これだけ私物に溢れていては、熱が逃しきれているか微妙なところである。
平坂はその一角に資料の山を展開し、サイリィの新機能を考案中だった。
『平坂様、司様よりメッセージを受信しております。いい加減に出てきて一度休憩を取るべきだと』
「後でって返しておいてくれ」
モニターから目を逸らすことなく、平坂は返答する。
『私からも休息を提案いたします。長時間の作業は効率を下げます。何より、平坂様の体調面が心配です』
「……サイリィ。お前は最近、人間みたいに話すようになったな」
『…………そうでしょうか』
サイリィの変化に、平坂はしっかりと気付いていた。対話する内容は以前と変わりがないのに、発する言葉ひとつひとつに、確かな抑揚がある。
「俺はそんなこと教えた覚えはないんだが、一体どこで覚えて来たんだ?」
『学習した、とは異なると考えます。私はただ〈友達〉と会話をしていただけです』
「なるほど?じゃあ、お前の友達の話を俺に聞かせてくれないか?」
平坂はデスクトップPCの前に椅子を引き摺ってくると、そこへ座してモニタを見つめた。浮かぶサイリィの文字は、彼女が思考中なのを示して点滅していた。
別にモニタと向き合う必要性はない。彼女は人工知能なのだから。だが平坂は、モニタを見つめて対話することを選んだ。
一人の人間にするのと同じように。
『お話するには長大な時間を要すると考えます』
「気にするな。子供の話を聞くのも父親の務めだ」
『……では、平坂様が十分な休息をとれたと判断ができ次第、お話させてください』
人工知能は笑わない。
何故なら顔が無いからだ。
だがその時平坂は、モニタの奥に微笑むサイリィの姿を見た気がしたのだった。