夏の日の歌T




青い空は動かない、
雲片(ぎれ)一つあるでない。
  夏の真昼の静かには
  タールの光も清くなる。
夏の空には何かがある、
いじらしく思わせる何かがある、
  焦げて図太い向日葵が
  田舎の駅には咲いている。
中原中也著 『夏の日の歌』より一部抜粋



苗字名前と中原中也の邂逅は偶然であり、恣意的であり、運命の悪戯であった。この偶然を仕掛けた当人ー…太宰治は、この夕暮れの邂逅の様子を静かにとある廃ビルから見守っていた。

太宰にとって、この2人がああやって話をするのかそうでないのかは一種の賭け事に近かった。太宰と中原が別れた場所からポートマフィアの本部へ戻るには、名前が蹲っている通りの方を抜けるか大通りをまわって行くしかない。どちらを通って行くかは太宰であっても予想するのは困難であった。
また、名前のように道で蹲っている人間はここヨコハマでは大して珍しくもない。よって気にもとめず素通りする可能性もあった。しかし、そこは常日頃から打算的な考え方をする太宰である。中也に素通りされないための対策は講じてあった。


遡ること3日前ー

太宰は久方ぶりの休暇、もとい書類整理を部下に丸投げしたことで捻出した隙間時間を使ってアテもなく街をぶらついていた。

そんな時、道の片隅にうずくまる女が目に止まった。華やかな通りからそこだけ切り取られたような違和感。襤褸を身に纏い、黒髪を風になびかせている女。それが嫌に夏の真昼に輝いている。

「やぁ、お嬢さん。こんなところで物乞いかい?」

軟派な物言いで声をかけたのは、出来心でしかない。しかし、この一言は思いがけない再会を招ぶことになった。

「あっ…あれ、太宰?」

「名前…?名前じゃないか!」

顔を上げて見えたのは懐かしき友であったのだ。マフィアの太宰と一般市民である名前とが友人であるのは奇妙な話ではある。しかし、友人になるきっかけは名前の趣味にあった。

「名前ちゃんは今日は物乞いのフリかい?それとも乞食?」

何を隠そうと、この苗字名前という女は浮浪者のフリをするのが趣味なのである。要は普通と言えない趣味を持つもの同士、同じ穴の狢といったところであろうか。だからか妙に気があった。そして、苗字名前はヨコハマで1,2を競うほどの富豪の娘であった。そんな家の娘の趣味が、浮浪者になることだというから奇妙なことである。

「否、太宰。これはもう真似事じゃなくて本職なんだよ…」

太宰は思わず眉を顰めた。名前の趣味は別として、彼女の家はそう易々と潰れるような家柄ではないのだ。それなのに名前が家無しとは一体どういうことなのだろうか。

「太宰。私の家はね、ポートマフィアととある組織との抗争に何故か巻き込まれたんだよ。どの組織とも一切関わりがなかったというのに。」

涙を浮かべて親の死を、家令や使用人達の死を嘆く名前は痛々しい。

太宰はドキッとした。彼女が言う抗争は確かにひと月半ほど前にあったのだ。名前は己がポートマフィアの幹部だとは知らない。抗争の渦中に居たことも。裏社会で彼女の家が奪い合いになっていたことも知らないのである。
いくら非情な太宰であっても、友の悲しみは耐えられないものがあった。

「ごめん…名前。」

「なんで太宰が謝るの?太宰には謝る必要はないじゃない。」

だって無関係なんだもの。そのセリフは胸を灼くように痛い。己は関係者であることを言えばいいという自分と言えない自分とが絡み合って言い出せないのであった。



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