天羽月彦
クリア


※天羽月彦について捏造妄想入っています。



「うわあ―――!!」

 突如発せられた奇声にその場にいた者達の肩が反射的に飛び跳ねた。
 ここはボーダー本部、研究室。
 何が起こったのかという思いと同時に声の主の正体が誰なのかを知っている彼等は嫌な予感……否、面倒なことが起きたという想像はついていた。念のために確認するのは本当にどうしようもない不足な事態が発生した時のためだ。バフ〇リンの成分半分に達するかは分からない優しさは彼等にもある。残り半分は慣れによる諦めだ。

「もうやってらんない!人生ハードモードとかマジできつい。もうまったりしたい。そしてEnjoyしたい。Hey!生が尽きるまでに、ソーダそうだ実現しよう!何のしがらみもない法被のi、yになればhappyハッピーOkeydokey承知の助さ〜」
「神威さんが壊れた!!」

 仕事中、急にラップ口調で歌い出す者がいれば狂ったのかと思うのは別におかしなことではない。そう叫んだのは配属された間もないエンジニアだった。愕然とする新人に声を掛けたのはこのチームで働くのが長い先輩だった。

「お前アイツの歌、初めて聞くのか」
「初めてに決まっていますよ!?」

 何を言いだすのだと先輩の発言に疑問を持つ彼の頭は至って正常だ。
 疲労が溜まると発狂しだすエンジニアは稀にいる。彼女はそういうタイプの人間なのだろう。分かりやすくSOS信号を出しているなら休ませるべきなのではないだろうか。新人の提案に先輩は首を振る。

「理解できないかもしれないが安心しろ。アイツが歌っているのはラップだ。ラップは安心できる」
「何故ですか!?」

 先輩曰く彼女は仕事に関しては基本頭がぶっ飛んでいる自由人だ。発狂していなくても歌うし発狂していたも歌う。彼女の思考と行動を理解できる者はほぼいない。ただ分かるのは彼女が歌い出す時は絶好調の時か何かを生み出す時しかない。そして彼女がラップで歌う時それは新しいアイディアが浮かんだ時だ。
 突然思い付きで開発し始める自由さに待ったなし。何せ彼女はこの研究室内で自由を行使する権限がある。強制的に止めるなら他のチームのチームを集めるか室長にお願いするしかない。しかし今彼女が歌っているのはラップ。生み出されるものはボーダーに貢献できる代物であることが多いため部下たちは基本放置する。
 彼女の名前は神威アキ。トリオンに関する制御及び施設開発チームのチーフだ。


◇◆◇

 
 天羽月彦は「相手の強さを識別できる」サイドエフェクトを持っている。同じ強さの人間が目の前に二人いれば二人とも同じ色。一人が弱くて一人が強ければ違う色に見える。特に強い人間が魅せる色は胸をくすぐる程色濃くそして輝いている。中々出会えないこともあってその色は天羽にとって非常に魅力的なものだ。
 一般的に人は八割程、視覚から情報を得ている。更に天羽が持つサイドエフェクトがそれを更に上げた。
 常に魅力的な色を持つ人間を探す。考えることは相手が強いかどうかだけ。自分が戦った時楽しめるかどうかという判断にしかならず、戦闘面では有能な能力だが戦闘が行われない日常生活においては退屈でしかない。
「何を考えているのか分からない」
 たまに……いやよく言われるがその通りだと天羽は思う。日常生活において天羽はほぼ何も考えていない。強さ以外に考えるものがなく必要がないと早急に捨てたものだった。
 だから平和な三門市というものは天羽にとって退屈そのものだった。
 不謹慎なのは分かっている。それでも心が動かされないのはとてつもなく退屈なのだ。生きている感じがしない。
 ボーダーにいる時もそうだ。皆が強くなるために腕を磨いているが天羽にとってはつまらない色だった。勿論、天羽が好きな色の人間は数人いる。だけど黒トリガー持ちでランク戦に参加できない自分にとっては彼等もまた縁遠い存在であった。

 ――退屈だ。つまらない。何もない。暇。退屈。つまらない。……近界民、攻めてこないかな。


 天羽がボーダー本部にる時だった。
 小腹が空いたし何か食べようと食堂に向かっていたらある扉を見つけた。扉には丁寧に「休憩室。お茶出します」と書かれている。
(こんなところに部屋なんてあったっけ?)
 トリオンでできた本部は、施設の模様替えを行うことがある。今は隊員数が増えているため突発的に行われることはない。そもそも施設替え自体滅多なことではやらない。もしかしたら告知があったのかもしれないと天羽は思い返すが、だとしても基本的に物事に関心を示さない天羽にとってそれはどうでもいいことだ。特に困ることなんてない。
 とりあえず食堂へ――……と思ったのに何故か天羽の関心は扉の先へ向けられていた。
 珍しいことだった。
 関心を示す要素はないはずだ。無理矢理上げるとすれば「お茶が出る」という言葉に引っ掛かったというところだろうか。本当に無理矢理だ。食べるものがあれば丁度いいしなかったら予定通り食堂へ向かおうとなんとなく思っていたら、天羽は一歩踏み出していた。


 天羽が部屋に入って思ったことは休憩室はどこだということだった。
 喫茶店を模したような内装でカウンター席にテーブル席。のんびりするのに最適なBGMも流れていて休憩室からどんどん遠ざかっていく。扉に掛かれている休憩室は誤字だったのではないかとさえ思った。

「いらっしゃい」

 突如声を掛けられて視線をやれば端の方にある二人掛けというには少し大きいソファに腰掛けている女性がいた。「いらっしゃい」と言うからにこの部屋の主は彼女で間違いがないのだろう。
 彼女を目で捉えた時、天羽が思ったことは一つだけだった。

「アンタ、生きてる?」

 天羽の言葉に女性は一瞬目を見開くがすぐに何かに思い至ったらしい。「あぁ」と唸ると目が三日月の形を作るように細まり、口元が笑みを浮かべようとして急に引き締められた。笑おうとしているのだろうがその理由は分からないし我慢するのも分からない。
 他人から見てただの怪しい人物。場所がボーダー本部でなかったら皆目を逸らすだろう。しかし哀しいことにボーダーにいるということはある程度身分が保証されていることになる。怪しいけど危ない人ではない。天羽に分かることはそれだけで、別にどうでもよかった。
 彼女がわざとらしくこほんと咳払いをする。

「生きているよ。それよりどうしてそう思ったのか聞いてもいい?」
「色が見えない」
「天羽君のサイドエフェクトか〜なるほど、うん、そうくるのか」

 一人で納得して何やらぼそぼそ呟いている。よく分からないが自分のサイドエフェクトが反応しないのは目の前の彼女が原因らしい。天羽は彼女の首を掴むように触れた。

「ひゃい!?」

 自分の手から読み取ったのはどくどくと打たれている脈。じわじわと熱が伝わってくる。

「本当だ。生きてる」
「え、さっきので信じてくれなかったの!?」
「ああ、色がない人の言葉は聞く必要がないから」
「ちょっ、それは冷たすぎない?」
「確かに冷たいかも……温かい」

 天羽の一言で何かに気づいたのか女性が声を上げる。

「確かに、うん、君の手冷たかったから柄にもなく変な声出た……とりあえず放してくれない? ここレンジあるし牛乳温めるからそれで温まりなよ」
「…………お腹空いた……」
「分かった。コンビニで買ってきたパンがあるから好きなの食べていいよ。はい、座る」

 言うと彼女は天羽を無理矢理ソファに座らせる。ソファは思った以上にふかふかで身体が沈む。天羽が目をぱちくりしている間に目の前のテーブルに置かれたのは大きなビニール袋。中にはいろんな種類のパンが入っていた。
 天羽は特に何も考えることなく適当にパンを取ると遠慮なく袋を開け食べ始めた。
 彼女は気づいたら牛乳を温めに行っていたのかカウンターの方から温め終了の音が聞こえた。そして数十秒後、湯気がでているマグカップを片手にもう片方には缶コーヒーを持ってソファに戻ってきた。

「はい、どうぞ」
「……ありがとう」

 天羽はテーブルの上に置かれたマグカップを手に取り口につける。ちょっと熱があるそれを冷まそうと息を吹きかけていると真正面から勢いよく缶を開ける音が響いた。

「それで聞きたいことがあるんだけどいいかな?あ、嫌だったら答えなくてもいいんだけど」
「……」

 天羽から返事はない。ただ牛乳を冷まそうと息を吹きかける音だけが聞こえる。返事がないのは答えたくないことなのかとも彼女は考えたが一応聞くだけ聞いてみるかとそのまま自分が思っていることを口にする。

「さっきの話だと天羽君の目には生きていない人間には色がないんだよね。それってどんな感じ?」
「別にどうもないよ」
「モノクロな感じ?」
「ちゃんと見えているよ、アンタは茶髪でピンクのシャツに紺のパンツとジャケット」
「へ〜色が見える時ってどういう感じ?」
「見える時はいろいろ。つまらない色か面白い色」
「極端だね。じゃあもう一度。私はどう見えるの?」
「見えないから分からない」
「どう思う?」
「特に何も」
「それは君のサイドエフェクトが利かないからだよね」
「やっぱり……」
「おぉー利いていないの確定? じゃあ折角だから聞いちゃおう。サイドエフェクトが利いていない状態で見える今の気分はどんな感じ? まぁ対象が私しかいないからちょっとあれだけど」

 まるで悪戯に成功したような顔で彼女は嬉々として告げる。次の瞬間首を傾げたり難しそうな顔をしたりころころ変わる表情に顔はさぞかし忙しいことだろう。
 しかし天羽は自身のサイドエフェクトが利かない理由の方に関心が向いていた。
 サイドエフェクトを無効化するサイドエフェクトがあるのは聞いたことがない。ボーダー本部にそういう人間がいれば自分にも伝わっているはずだ。であれば他に考えられることは何だろうかと思考を巡らせる。

「おーい、天羽君聞いてる?」
「……うん」
「もしかして何か失言あった?」
「今、考えてた」
「え、私がどう見えるかってやつ?」
「うん……?」

 若干噛み合わない会話に彼女は頭を捻りつつ天羽の言葉を待つことにする。しかしなかなか返ってこない。先に音を上げたのは彼女のスマホだった。

「わー休憩時間終わりだ……ごめんそろそろ行かないと!」

 彼女は急に立ち上がるとバタバタと仕度を始めた。そして最後にビニール袋の口を大きく開く。 
 
「付き合ってくれたお礼に好きなパン選んでいいよ。あ、マグカップはカウンターの流しに置いといてくれればいいから」

 最初に出会った時とはうって変わり、隠すことのない笑みを天羽はぼーっと見つめる。それは人好きがするものだなとなんとなく思った。

「いやーまさか真剣に考えてくれるとは思っていなかったからさ、天羽君マイペースだけど真面目でいいと思うよ」
「何が?」
「ほら、サイドエフェクトが利かない状態の私の印象」
「……」

 そんなことを聞かれていたかと天羽は思い出そうとしたが脳から直ぐに「覚えていない」と返ってきたため諦めた。
 思えばサイドエフェクト関係なしに他者に対して第一印象を持つのは初めてのことだ。

「変な人」
「え!?」
「アンタ、変な人だ」
「二回も!?私は変じゃありませーん。ちゃんとエンジニアチーフという肩書きがあるんだから」
「アンタ、エンジニアなんだ。道理で見ないと思った」
「次、また会うかもしれないし、今日見たついでに名前覚えておいて。私神威アキ。よろしくね」
「別に興味ない」
「興味持つ!あ、私最近この部屋で実験を兼ねて休憩するようにしているから気が向いたらおいで」

 アキは天羽の返事を待つことなくそのまま部屋を出た。扉が閉まると外から「やったー!」という奇声が聞こえた。

「……やっぱり変な人だ」

 天羽がサイドエフェクトなしで抱いた第一印象に間違いはなかったようだ。


◇◆◇


 それから天羽は気が向いたらあの部屋に足を運んでいた。意識したつもりはない。本当になんとなくだ。
 お昼を少し過ぎてから行くとそこには必ずアキがいる。彼女の休憩時間なのだろう。よくお昼ご飯を持ってきていた。ほとんどコンビニ食だった。

 アキはよく天羽のことをマイペースだと言うが天羽に言わせればアキも大分マイペースだった。
 身構えることなく普通に話を振ってくる。静かな時もあるけど妙にテンションが高い時もあって、そして死ぬように寝ている時もある。彼女の色は最初から見えなかったから生死を確かめるために首根っこを掴んだことがあるが悲鳴を上げながら飛び起き、そして天羽の姿を見ると倒れるように眠りに落ちた。
 正直自分が敵だったらどうするんだろうと天羽は思っていたが、そもそも人前で眠る点を突っ込むべきである。更に言うなれば寝ている人間の首を掴むのもいかがなものか……残念なことにこの空間に常識は全く存在していなかった。
 アキは天羽を気遣うわけでもなく自分の興味があることに反応を示す。そこは自分と似ていると天羽は思った。
 天羽がたまたま気が向いて話し掛けた時、アキは作業途中でも必ず手を止め向き直る。するのはなんでもないただの話。サイドエフェクトの話や食べ物は何が好きだとかそういう他愛もないものだ。でも彼女は覚えているようで、たまに目の前で広げるビニール袋には新商品味見会と称し、いろんなメーカーのチョコレートを買い占めて食べていた。「余ったものは貰って行っていいよ」と言われたので天羽は遠慮なく貰って帰っている。


 ある日、アキからこの部屋について聞いた。ここはサイドエフェクト無効化する機能を備えているらしく今は稼働実験中だということだった。
 実験が終わったらこの部屋はなくなるのかと聞いたら「どうだろう」と無責任な言葉が返ってきた。この部屋の開発の経緯を聞いた天羽としては自由奔放な彼女がこういう時だけ大人しく上の言うことを聞くのは不思議でしょうがない。

「成果はあるし残す努力はするよー?個人的には他のサイドエフェクトも試してみたいんだけど、超感覚は天羽君のおかげで確認できたからあとは超技能とか特殊体質とか」
「神威さん誰か連れ込むの?」
「いやーこういうの継続が大事だったりするから。一度だけっていうのもね。まぁないよりはいいんだけど。仕事で頼むのもいいけどそこまで緊急性がある実験でもないんだよね」
「ふーん」

 少し面白くない話だった。天羽の興味は完全に違うところへいった。

「天羽君みたいに毎日来てくれると嬉しいんだけどね」

 毎日なんて……いただろうか。天羽はぼんやりと考えるが答えは「気づいたらいつの間にか」。とても無自覚で無責任な言葉が頭の中を反響する。
 ただ天羽が思うのは、この部屋で会うアキは何のフィルターにも掛けられていない。色に捕らわれない自然体だ。そして不思議なことに天羽はアキの色が見えないことを気にしてはいない。ただ想像する。

 ――神威さんはきっと温かくなるような綺麗な色をしているんだろうな。


◇◆◇


「天羽、最近良いことあったのか?」

 迅悠一とは第二次大規模侵攻以来の任務で今はその報告の帰りだった。藪から棒になんだろうと思ったがそもそも迅はいつも突拍子もなかった。そう言うと「お前だって普段から自分ペースだろう」と頭をぐりぐり撫で回される。迅は数少ない天羽を可愛がる人間の一人だ。別に気にしないが今日はなんだか鬱陶しくなり天羽は手を払う。

「あ、ぼんち揚げ食う?」
「これはいつもの迅さんだ」
「ははー迅さんはいつも通りだからなー。だから言うけど」

 迅が纏う雰囲気が変わる。これは戦いの時に見せるあの目に近い。

「ちゃんと踏ん張れよ」

 近々自分が苦戦を強いられる程の強い敵が現れるということだろうか。中々ないそれはとても楽しいことではないかと天羽は思う。でも迅がわざわざ口にするということはそれだけ気を引き締めないといけないのだろう。

「ああ、折角いい傾向が出てるんだから、惑わされるのは勿体ないぞ〜」
「……」
「あ――やられたっ!!!」

 迅の言葉に天羽は頷くと、唐突に扉の向こうから悲鳴と怒声が衝突事故でも起こしたのかと言わんばかりの叫び声が聞こえた。
 今歩いているのはエンジニアの研究室がある区域だ。どこのチームかは分からないけど通るとたまに悲鳴や奇声、叫び声が聞こえてくることがある。そしてこの声の主を天羽はよく知っている。

「室長は――会議かぁ……これは私が行ってくるから皆はゲート制御システムの復旧ができるところまでお願い!」

 慌ただしく部屋を飛び出してきたアキは思いっきり迅の胸にぶつかった。アキが転ばないようにと迅は上手く受け止めていた。手は自然と彼女の腰に回っている。天羽はちゃんと見ていた。迅の胸からアキは顔を上げる。今、アキの顔は驚愕と焦りで染まっている。

「あ、ごめっ……迅君、それに天羽君も丁度いいところに!」
「神威さん、緊急事態みたいだね」
「そう!今ゲート制御システムが落ちちゃって……大事になるかもしれないから頼んでもいい!?」
「了解。外のことはおれ達にまかせて神威さん達は中をよろしくお願いします」
「ありがとう!」

 迅の言葉にアキは少し落ち着いたのか先程と違い、顔が引き締まった。分け目も振らず走り出した彼女は「ヒール邪魔!」と叫びながら平気でヒールを脱ぎ捨てて走って行った。

「迅さん、見えてた?」
「いや、何かある可能性はあったけどゲートの方だとは……」
「そっちじゃない」
「ん?神威さんとぶつかったことか?嫌だなー天羽、こんな時にさ」
「それでもない」

 珍しく間髪入れずに答える天羽に迅は目を細める。天羽の顔はいつも以上に何を考えているのか分からない。だけど彼から滲み出ているものはとても黒くて見る者から見れば怖いという感情を植え付ける。
 迅は天羽の肩に手を置く。その手から伝わってくる温度を感じて天羽は今すべきことを思い出す。

「……行くぞ」
「……」

 迅の手が天羽から離れる。その瞬間に再び天羽の胸には黒くて冷たい何かに侵食される。天羽はそれを抱えたまま無言で迅に従った。



 天羽はアキが部屋から飛び出してきたのを見ていた。迅とぶつかる時も彼女の様子も見ていた。二人のやり取りを見ていた。その後走り去っていた彼女も見ていた。
 それはいつもの神威アキだった。
 だけど天羽が見た神威アキの色は酷くつまらない色をしていた――。


20180826


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