弓場拓磨
その先を引き寄せて


「弓場くん、ネクタイ渡す予定ある?」
「何言ってんだてめェー」
 声色、表情、雰囲気、表れる全てから想像したパターンとは違う結果が得られたことだけが分かった。搾り出した勇気は一気に萎み代わりに想定外の緊張が膨れ上がる。
 噂に疎い私が知っているから相手も知っているものだと――そう思い込んでいたのだと気づいたのは弓場くんの言葉を聞いてからだ。
「大学の入学用か? そういうのは自分で揃えるものだろう」
「そっちじゃなくて」
「じゃあなんだ?」
「卒業式」
「あァ?」
 はっきり言えと促される。
 自分の口で説明するのは気持ちをあらためて伝えることと同じで恥ずかしい。彼のことは意識しなくても募らせることができるのに想いを形にすることにはまだ慣れていなかった。
 弓場くんの視線から逃れようとする自分に気づいて叱責する。それからいつも通りを装ってもう一度自分の気持ちを煽り勇気を絞り出す。
「知らない? ネクタイを交換して卒業式に出ると二人は永遠に結ばれるってやつ」
 意識しすぎて息をするのをおざなりにしてしまった。慌てて息を吸うけど、早口になってしまって言葉が脳内で再生されて鼓動がどくどく音を立て息苦しくなる。ちらりと弓場くんの顔を確認すれば彼の眉間には薄っすらと皺が寄っていて喉が詰まる。
「あぁその話か……」
「え、知ってたの?」
 ならなんであんな反応したの? いや、今のその反応は何!?
 じっと睨みつけると弓場くんは眼鏡をかけ直した。
「普段占いとか見ねェだろォが。そういう迷信、信じるとは思わなかったんだ」
「いいとこだけは信じるよ」
「都合がいいなァーオイ」
「気が向いたんですー。少しでも良いことがあると嬉しいでしょ」
 別に高校卒業したからってそこで縁が切れるとは思っていない。でも、これから進学して社会人になっていく自分の姿は漠然としていたから絶対のものが欲しかった。あやふやな自分の中に存在する唯一に気づいたら想いだけが強くなった。
 弓場くんが欲しい。ずっと傍にいて欲しい。
 願いを叶えるにも私は何の力も持っていない。だから今できることをやろうと思った。「これからも一緒にいようね」と可愛らしい約束を素直に伝えることができなくて。それでもやれば良かったと思ったのは覚悟して口にできたものの結果があまりいいものではなかったからだ。
 訪れた静寂のせいか時の流れが遅く感じる。気分は急降下。小さな呼吸を繰り返しながら、悟られたくなくて目を伏せた。その間どれだけ時間が経ったのかは分からない。
「……おめェーはネクタイを交換したいのか」
 飛び込んできた声に弾かれて目が弓場に照準を合わせる。
「うん」
 反射的に返事をしたけど嘘ではない。
 弓場くんが自分のネクタイを解く。たったそれだけの行為が艶めかしくて思わず見とれてしまう。
「交換しねェのか? それとももう他に気ィ向いちまったか?」
「……弓場くん以外に向けないし向かないよ」
「そうか」
 眉間の皺はいつの間にか消えていてふわりとした柔らかい雰囲気が漂った。真っ直ぐな眼差しに心が刺激される。黙って自分のネクタイを解けば制服と擦れる音が聞こえて身体が熱くなる。これじゃあ直球で「好きだ」と伝えた方が私の心臓の負担は軽かったかもしれない。
「黙りこくってどうした?」
「弓場くんのその顔、私の好みだから他の子に披露しないでほしい」
「そーかよ」
「そうなんだよ」
「なら、もう少しこっち来い」
 何が「なら」なのか分からないけど言う通り近寄れば弓場くんの顔が目の前にきた。そして自分が手にしていたネクタイを私の首に巻いてくれる。目を閉じればいいのか逸らした方がいいのか分からなくて咄嗟に弓場ちゃんのまつ毛の長さを観察する。視線を少しずらせば真面目な視線と絡み合いそうで逆に胸が落ち着かない。見る場所を間違えたかもしれない。
 早く終わって欲しい。いや、もう少しこのままでいたいかもしれない。
 行ったり来たりする感情に振り回されていると顔に温かい息がかかった。思わず目を瞑る。
「おめェーも他の奴にそんな腑抜けた顔見せんじゃねぇぞ」
 巻き終わったのか手が離れ目の前から熱がなくなったのが分かった。
「俺には巻いてくれねぇのか?」
 目を開ければしたり顔で待っている弓場くんがいた。なんだか私ばかりいっぱいいっぱいになっている気がしてちょっとだけ悔しい。
「屈んでよ」
 私の言葉通り動いてくれようとしたのは分かったけどそんなの関係ない。私は弓場くんの胸元を掴み引き寄せた。

 そして――。


20200113


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