烏丸京介
恋歩き


 休み時間。
 なんとなく顔をそちらに向ければ絡み合う視線。嬉しくなった気持ちをそのまま表情に乗せれば容赦なく外される視線に烏丸は少しだけ納得がいかなかった。そう少しだけ。彼女、アキの耳が赤くなっているのに気づかなければ、完全に不機嫌になっていたところだ。自分がここまで度量がないとは――きっと彼女でなければ烏丸は気づくことはなかっただろう。
 溜息を吐きそうになるのを堪える。
「烏丸くん今、こっち見てなかった?」
「相変わらずかっこいいよね、目の保養〜」
 自分の期待とは違うところから上げる黄色い声に今度は我慢することなく溜息を吐いた。
「烏丸が不機嫌を露にするの珍しいね」
「そう見えるか?」
「うん、神威さんと何かあった?」
「別に何もない」
 時枝に話しかけられ答えるが、納得していないのか気遣わしげな目を向けてくる。が、隠しているものは何もなく本当に何もないのだからこれ以上口にすることはできなかった。
 烏丸とアキが付き合うことになってから三ヶ月経った仲である。
 そのことを知っているのは親しい友人達のみ。付き合っていることを隠しているわけではないが公言するものでもないというのはお互いの考えだ。
 付き合うことになってからアキが自分を意識するようになっていることを烏丸は把握している。言葉がなくても彼女の態度は素直で分かりやすい。先程のように恥ずかしくなって視線を逸らすことは両手で足りないくらいはある。
 これで手を繋いだら。腕を引き寄せ抱き締めたら。頬に触れて口づけたら。そして――と考えて思考を中断させる。
 先日、苗字から名前呼びにしただけでアキは感極まって目を潤ませていたのを思い出す。思わず彼女の頬を両手で包み目を覗き込んだところで、アキは全く動かなくなった。彼女のキャパが超えたのだと悟ることは容易だった。
 気づかない振りをして事を進めることもできなくはなかったが彼女の意思を無視するようで嫌だった。これから共に過ごすことができるのならば少しずつ慣れていけばいいと決断した烏丸は紳士的だった。
 同じクラスとはいえ烏丸はボーダーやバイトで時間を確保することが難しい。メッセージのやり取りや電話で親密さは増していっても対面でのコミュニケーションには不足していた。視線を合わせるのは数秒。隣を歩いて指先が触れるだけで一瞬強張る身体。
 最初は可愛いなと思う余裕があった烏丸も数週間経った頃には物足りなさを感じるようになった。
 自分がどれだけアキを求めているのか知った瞬間である。
「賢から聞いたんだけど、Cクラスで神威さんに告白するって息巻いている人がいるらしいよ。結構、猪突猛進なタイプみたいだからフォローしておいた方がいいのかもしれないね」
「ありがとう、覚えておく」
「うん、烏丸なら大丈夫だと思うけど」
 今二人の時間を大切に紡いでいきたいのに変な横やりが入るのは困る。
 想いを口にしていないし、表情にも出していないのに時枝の言葉を聞く限り自分が思うより冷静ではないのだろう。  
 烏丸はもう一度アキに視線を向けるが、彼女は烏丸の想いを知らず目の前の友人と話していた。

 時枝から話を聞いて、それとなく伝えようかと思ったが結局直球で「アキに好意を寄せている人間がいるらしい」と口走ってしまった烏丸はその瞬間、余裕がない男のかっこ悪さに気づいて少しばかり後悔した。
 が、アキは烏丸が気にしたかっこ悪さに気づいていないのか触れることはなかった。逆に言葉を素直に受け止めていた。
「私、烏丸くんでいっぱいだから、なんだか申し訳ないよね」
 そんな日が来ないように祈っておこうと呟く彼女の隣で思わず抱きしめそうになったのをぐっと堪える。かわりに確認するように指先を触れる。アキの耳が赤くなるのを横目で見届けて、そっと指を絡める。そしてゆっくりと絡み返された指に思わずアキの顔を覗き込む。
「は、ずかしいからあまり見ないで……」
「ああ」
 目を逸らすアキの言うことは聞かずに見つめる烏丸は彼女の可愛さと少し進展できたのとですこぶる機嫌が良かった。

 だから少しだけ気が緩んでいた。いや、事が起こったのは不可抗力ではあった。

 ボーダーの防衛任務で午後から授業を受けることになっていた烏丸は、昼休憩の時に学校に到着した。
 階段の踊り場にいる人間の密度というか妙に浮き立つ雰囲気に何かが引っかかった。誰かに尋ねることも考えたがここは自分の教室に行くために通らなくてはいけない。どうしても気になれば教室でクラスメイトに話を聞けばいいだろうと思い、烏丸はそのまま歩みを進めた。そして視界に入ってきたアキの姿に足を止めた。
「せめて理由を――」
「好きな人がいるの」
「そいつには気持ち伝えてるのか? 俺。神威さんが他に好きな人がいても」
「いえ、私付き合っている人がいて」
「誰!?」
「あう――……」
 今もなお、引き下がろうとしない男子生徒に断るための文言を口にしていたアキだが、急に顔を赤くし言葉を詰まらせている姿を周囲に見せたことでざわつきが大きくなった。
 烏丸は慌てて話題の中心に飛び出した。
「俺の彼女だ」
 声量はそんなに出していなかったのに言葉がこだまする。人々の話声がぴたりと止まり辺りは静寂に包まれる。周囲が目を丸くしている。一部の者は叫びそうになったのを抑えつけているのか、身体が微かに震えていた。
「気が済んだか? アキ行こう」
 諦めろ。と、暗に伝える。
 男子生徒は烏丸を見る。先程の勢いはどこへ行ってしまったのか何も言わずに立ち去った。それを確認してから烏丸はアキに目を向ける。
「烏丸くん、今、彼女って……」
「本当のことだろ」
「う、うん。あらためて聞くと幸せで――」
 アキの目元に熱が集まっていくのが見て分かる。この場にいるのが自分だけれあれば良かったのだが……烏丸は周囲の関心がこちらに向いていることを確認するとアキの手を取り急ぎ足で歩く。
「烏丸くん教室入らないの?」
「少し落ち着いてから入ろう」
「? うんっ」
 アキは烏丸の顔を見ても分からない。ただ自分の手に籠められた力から察するに彼が必死だということは感じ取っていた。
「烏丸くん」
「なんだ」
「好き、だよ」
「知ってる」
「うん」
 その声を合図に歩く速さがゆったりと心地良いものになる。握られた手が緩められ、アキは烏丸の手を握り返した。


20200725


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