王子一彰
白馬には乗らない


「わたし、おうじさまとけっこんするの」

 それが幼い頃の彼女の口癖だった。
 将来の夢を描く時に。
 大人から聞いた白馬に乗った王子様がお姫様を助ける物語の後に。
 おうじさまとけっこんすることが幸せなのだと謳う姿に大人は可愛いと微笑むだけで純粋かつ本気の願いがなかったことにされる。それに対して幼かった彼女が傷つくわけではないのだけど。
 ただぼくの名前がおうじかずあきだと知った子が「かずあきくんとけっこんするんだ」の声に、子どもながらどきりとした覚えがある。そして「かずあきくんはかずあきくんだよ」と返した彼女にも。
 あの時答えた打算のない言葉を、ぼくは今も覚えている。


「王子ってモテるんだね」
 唐突に話しかけられて振り向いた。彼女、神威アキは漆黒の髪が印象的な女の子だった。昔から見慣れていたからだろうか。彼女の髪色が少し抜けた感じになっていることに気づいた。
 ぼくが反応しないことに焦れたのか彼女は強調するように自身の手に持っている白い封筒をぼくの目の前に突きつける。彼女の言葉から空ける前に白い封筒の中身がどういうものなのか分かってしまった。
「アキって手紙を届けるの好きだね」
「好きでやっていないよ。皆、私の家が王子の隣だって知っているから都合がいいんだよ」
「気乗りしないなら断ればいいのに」
「無下にできないでしょ」
「ぼくにその気がないことを知っているのに?」
「それでも伝えたいんじゃないの?」
「そういうことじゃないんだけどな」
 アキが数度瞬きをする。先程までまっすぐに向けられていた目が不意に外され、ぼくに無理矢理手紙を握らせた。
「酷いなぁ」
 ぼくが今、恋愛事に関心がないと同学年で知らない人間はいないだろう。ああ、でもアキ伝手なら少しだけぼくが顧みるのは知られているな。別に自分の想いを他人に託すのが悪いとは言わないけどぼくにとってアキを使うことは悪手だというのに。正直に届けに来たアキだって。ぼくがどう想っているのかなんて今まで考えたことがないだろう。……本当に酷いな。
 ぼくの言葉がお気に召さないのかアキの眉間に皺が寄っていた。真っ直ぐ向けられた目がぼくを探ろうとしているようだ。
「ん?」
 何食わぬ顔で促してみればアキは溜息を吐いた。同時に眉間から皺も消えて、顔に呆れの色が強く出た。
「王子って物腰柔らかいし趣味とかさ、他の男子とは違って気品あるっていうか。物語から出てきたみたいだ――って女子の中で騒がれたりするのに実際はそんなことないよね」
「もしかして怒った?」
「怒ってない。でも王子に好意を寄せている女子が気の毒だとは思ってる」
「手紙引き受けるの断ればいいのに」
「だーかーら、無碍にできないって……もう!」
 堂々巡りになると悟ったのだろう。アキは頬を膨らませて歩き出す。そしてぼくも。帰り道が同じだから途中で別れることもない。ぼくが隣で歩いてもアキの歩く速度は変わらないから折角だし、ともう少しだけ歩み寄る。
「それよりも髪染めた?」
「うん、よく気づいたね。他の子、何か雰囲気変わった? とか、結構曖昧だったのに」
「分かるよ。黒髪が似合うなと思っていたから」
「そうなの?」
「うん」
「そうなんだ」
 アキは自分の髪を触り、そして視線を髪の方に向けた。
「友達がね、染めるならもっと明るい色にすればいいのにって言ってたんだけど私的にはこれでもかなり冒険したって思ってて」
「うん」
「……今の色、イマイチ?」
「似合っているよ。ちょっと大人っぽい雰囲気になったかな」
「ありがと」
 髪を触るのを止めてアキは頬を緩ませた。その顔を見ていたらほんの少し悪戯心が湧いてくる。度が過ぎると本気で受け取ってくれないだろうから至極真っ当に返事をした。
「うん、綺麗だよ」
「――王子、そういうの似合うんだから迂闊に言わないでよ。私じゃなかったら勘違いするよ」
「迂闊には言わないよ」
「ならいいけど」
 赤くなったアキの顔を見つめる。アキ反応だけでは褒められたからかそれともぼくに言われたからなのか。後者だったらいいな。君を目の前にして湧き上がる感情はいつもぼくの思考を鈍らせる。
 ――こんなに不器用ではなかったはずなんだけどな。
 友情も昔馴染みとしての絆もあるのに一番欲しいものだけが推し量れない。焦りは禁物だと分かっている。だから少しずつ、彼女の中にぼくを積み上げていく。そしていつか……彼女がぼくをちゃんと意識したら、口にしたい言葉がある。

 ぼくはアキのことが好きだよ。

 
20200930


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