02


『ファーストきす…ですか…?うーん、家族とか、メンバーとかなら…?』



テレビに向かって盛大なため息をついた。ぽわぽわと背後にお花を舞わせながらいかにも天然です、まだ何も知りませんって顔をしながら話すこの男の子。

轟焦凍くん。17歳。職業アイドル。

私の受け持つ高校に通い、そしてその補習担当になった男の子である。



「なぁ、今日20時からのバラエティ、絶対見てくれ。絶対にだぞ」



そんな電話を一方的にかけてきたと思えば電話口から『おい轟、そろそろ行くぞ〜』なんて聞こえてきた声に「あぁ、」と答えて「それじゃ、」なんて用件だけを伝えて電話を切った本人が今テレビの中で笑ってる。

約束というか一方的に言われただけだけど、一応時間通りにテレビをつけると始まったのは今大人気アイドルグループの秘密に迫る!そんな番組で。同じグループのメンバーである上鳴くんと爆豪くんと3人でソファに座ってインタビューを受けていた。MCの芸人さんの「ズバリ!恋愛の質問しようと思うんやけど〜?」というのをきっかけに恋愛話に移行したものの、淡々とファンのみんなが安心する答えを答える爆豪くんに、見ているこちらがドキドキしちゃいそうな、まるで期待を持たせるような発言の上鳴くん。質問の意味分かってるのかな?それともわざと?なんてこちらがハラハラする答えを言う轟くん、と3人それぞれ個性的というか。テレビの中の彼を今までちゃんと知らなかったけど、ふーん。こんなキャラなのかぁ、なんてちょっと感心してしまいそうになる。

…けど!


『えぇ〜!じゃあ轟くんは今まで女の子とキスした事ないん?』
『そ、うですね…。女の子…ああ、姉なら…。ほっぺに…?』
『いやそーいう意味じゃないねん!』
『すいませんっ!うちのリア恋担当、天然王子なんで!』
『もぉ〜!そういうとこやぞ上鳴くん〜!』

上鳴くんのツッコミに合わせてMCが更にツッコミを入れて。瞬間、どわっ!とテレビの中で笑いが起きて、次の質問のVTRへと移行する番組。それを見てとりあえず彫刻みたいな綺麗な彼の顔面にリモコンを投げつけてバキバキに壊してやりたい気分になった。

…こないだの夏のボーナスで奮発して買った液晶テレビだから、絶対にしないけど!



…しない、けど!


「…あんなこと、してきた癖に…、」

なにがキスした事ない?あぁ、でも家族とならあるだぁ?キスどころか、私に、私にあんな、あんな事しておいて…っ!





「先生すげぇな。ここ、もうこんな濡れてる」
「…っや、…っまっ、て、だめ…っ、」
「ちゅ…、ん。今更止まれる訳ねぇだろ」
「ひぁ…っ♡、そ、こ…っ、ぁ…っ♡」
「ん、ここ気持ち良いのか?…可愛い、もっと見せて」
「わかんな、だめぇ…っ♡ほん、とに…っひぅ…ッ♡」
「…っ、ゆめみ、可愛い…」
「な、まえ、は、…っだめ、…っぁ、んぅ♡」
「…あぁ、"戻れなくなるから?"」
「っひっ、…っあ、♡」
「ふは、怯えた感じも可愛いな。…でも、」


" もう今更戻れねぇだろ、お互いに。なァ、ゆめみ先生。 "





「〜〜〜〜〜〜っっ!!」

ガンッッッ!!机に思い切り額をぶつけて邪念を取り払う。あーーーもう!思い出すな!思い出すなってば!

あの日、いつも通りに補習をしている最中いきなり好きだと告白されて押し倒されて、あれよあれよと言う間に絆されてあろうことか事に及んでしまって。
…学校で。……しかも生徒と!


『天使先生はさー、どこか流されやすい感じがあるわよね♡そこも良いとは思うけどぉ、でも割と諦め早いし、いざとなったら押しに弱そー♡』

いつだったか先輩の先生に飲み会の席で何故か楽しそうにそう言われた事を思い出して頭をループする。
…いやいや、流されやすいにも程があるでしょ!?

そりゃ、初めてだったけど、多少…いやかなり…ううん、普通に!き、気持ち…良かった、けども!でも、体は許しちゃったかもだけど、でも告白を受け入れた訳じゃないし、って違う違う!そう言う問題じゃなくて!あーもうだから思い出すなってば!

テーブルに突っ伏した頭をさらにぐりぐりと押しつけて「うー」とか「あー」とか意味のない言葉を発してみてなんとか忘れようと試してみる。

平凡に生きてきた私の人生最大の事件以来、また普通にいつも通りの日々を過ごしている私。それなのにまるで全国民に申し訳なさを持っていて謝罪の気持ちと後ろめたさを感じて過ごしていて、心なしか胃も痛いし。何故なら、あれ以来彼からはなんの連絡もなくて。約2週間。もしかしたら、私の都合の良い夢だったんじゃないかな?夢だったらいいのに、なんて思う考えが過ぎっては消えて過ぎっては消えてを繰り返していて。だって、彼の手の冷たさや舌の生温さ、瞳から感じる熱い視線が私の肌に、脳味噌に、身体にこびりついて離れやしない。もしもあれが夢だとしたら、私は相当なる…欲求不満で。彼氏なし歴××年も良いとこすぎる。今だって、彼の事を考えただけで心なしか体がポカポカしてきちゃって、頭が…ってだめだ。

熱くなった両耳を自分の両手で包んで冷やしてから、ずり落ちたメガネをかけ直す。家用のメガネ新しく買おっかな。うん、こんな事考えてる場合じゃない。小テストの採点の続き、しないと。うん。

テレビの中ではまだ恋愛に対する質問コーナーが続いていて、相変わらずぽやぽやした顔でみんなに夢を与えている轟くん。キャラ作りもここまでくるともはや才能だよなぁ、なんてちょっと感心しながらも採点の手を止めてぼーっと画面を見ちゃったりして。いかん、集中。これ今日中に終わらせないと。

…でも、芸能人なんてみんなそんなもんなのかな。だとしたら学生時代に唯一ちょっとだけ好きだった男性アイドルの事を思い出して、少しだけ、ほんのりと心が痛くなった。

そんな事を考えながら採点の続きをするために手を動かし始める、まる、まる、惜しい、さんかく…
テレビの中の彼らへの質問はまだ続いていてMCの芸人の声で『じゃあずばり!好きなタイプは?天然王子の轟くん!』なんて聞こえてくる。好きなタイプ…。…あぁ、この子、また惜しいなぁ、ここケアレスミスだ。もう少し計算力が付けばなぁ。まる、まる。あ、ここも惜しい。減点1点にしとこ。好きな、たいぷ。まる、ばつ…。


『そ…うですね。
守って…あげたくなるみたいな。ふわふわした感じの女の子とか…後はやっぱり、年下の女の子とかは可愛いなとは思いますけど』


まる、ばつ、ばつ、減点…
機械的に採点していた手がピタッと止まる。



なんだ、そういうことか。


今まで微熱を持っていた身体が急速に冷えていくのを感じた。テレビからはおおー!だの、きゃー♡だの、騒がしい歓声が聞こえてくるけど。


つまり、彼がどうしても見せたかったのは、こーゆうことなんだろうか。

…だって、…いや、そりゃそうか。

望めばなんでも手に入る、あの容姿、才能、若さで人気絶頂、国民に愛されてるアイドルが、あの彼が。どうして好き好んで私なんかを。女の子って年齢でもないし、か弱くもましてや特段可愛くもない、そんな私を。今だって彼の周りには可愛くて小さくて、守ってあげたくなるような華奢なアイドルや私と同年代でも沢山経験も自信も溢れるような、見目麗しい美人な女優のお姉さんなんかが溢れているだろうし。きっと、あんな事は多分彼の気まぐれで。普段からフルコースを味わってるから偶にはジャンクフードでもって、自分の事をジャンクと思ってしまうのは悲しい気もするけど、でも多分そんな感覚だったんだろうって。彼が私の事を好きだなんて一瞬でも信じてしまったことがあまりにも情け無くて、馬鹿みたいで。気まぐれで、たまには…ってそんな感覚だという事にとても納得できる。できるのに、なんだろう、なぜか心が鉛を飲み込んだみたいにずっしりと重くて、苦しくて。インタビューが終わって場面が変わり、眩しいくらいの沢山のスポットライトを浴びて歌い出す彼と、弱々しい蛍光灯の白い光が照らす1LDKの部屋に取り残された私。


それが、まるで現実の、2人の距離のような気がして。


やめよ、ほんとに。もうやめよう。あんな事、忘れちゃえばいい。いくら"ハジメテ"を彼に捧げてしまったからといって、女の子って歳じゃない。心は女の子で居たいけど、20歳超えたらもう大人なんだし。そうだ、飼い犬に噛まれたと思えば。昔から、そう言って忘れなさいっていう風習もある。忘れられる訳ないじゃないって、そんな事教えるのは嫌だなって思ってたけど、今だけは役に立つかも。そうだ、うん。忘れよう。心がどうしようも痛くても、でも仕方ない事もあるんだって、世の中そんなもんなんだって。そう自分に言い聞かせて込み上がってくる涙に気がつかないフリをしてテレビの電源を切る。


切ろうと、したの。


『じゃあ最後にファンの皆さんに一言どうぞ!代表して轟くん!』

『はい、こういうの未だに緊張するんですけど…



先生、愛してる。

俺、先生が思ってるよりも本気だから…今まで待たせて悪ぃ。俺と、付き合ってくれ。』


ギャーーーー!!!
この日1番の歓声のような悲鳴のような何とも言えない声援が鼓膜をつんざいて、テレビに向けていたリモコンをぼとり、と落としてしまった私。


な、なに、なに!?
いまの、えっ、なに…せん、えっ!?


『えっ、なんや今の!?告白!?』
『あーーっ、あっ!アレだよな!今度出る予定の!ドラマの!』
『……チッ、馬鹿じゃねぇの』
『爆豪!馬鹿って言わない!な、轟、アレだよな、なっ?』
『あー!ドラマの台詞か!それにしてもリアルやったけどぉ〜??もぉ!轟くん、いきなりびっくりしたやん!』


あ、ああ。そうか。今度のドラマの台詞を、あ、はい、なるほど。
なんだ、だから別に、深い意味なんて。ましてや私に、ううん、私に向かって言ってる訳でもな、いもんね。うん。

上鳴くんに肩を掴まれて、な?と聞かれても何も答えずにじいっとカメラを見つめる轟くんとテレビ画面越しに目線が合って。まるで視線が交差しているような、そんな錯覚に陥ってしまって慌てて目線を逸らした。胸がばくばくする。なんだこれ。鏡を見なくても分かる、多分きっとめちゃくちゃ顔赤い。落ち着け、なにを舞い上がって。うん、そうだよ。さっき、たった今痛い目に合ったばかりじゃない。だめだ。全身の血が沸騰したみたいにバクバク言ってる。心臓が、言うこと聞くのを諦めたみたいに。

「お、お茶飲も…!」

と、とにかく頭を冷やそう、冷やしてそれで、って慌てて立ち上がる。そしたら、勢い余ってソファカバーにつんのめって、体勢が崩れて転ぶ。痛いし恥ずかしい、部屋の中でころぶなんて。まぁ誰も見てないんだけど。

「あれ、めがねめがね…」

どうやら転んだ拍子にメガネがどっか行ったみたい。慌てて周りを見回しながら漫画みたいにめがね、めがねと連呼するといきなり鳴り出したスマホの着信音。え、わ、色んなことが一気に起こりすぎて頭が軽くパニックになる。とりあえずでないと、でんわ、ぼやけた視界の中でうっすらと見えたスマホをテーブルの上から探し出してボタンを押して耳に当てる。


…あ、誰からか見てなかった。


「も、しもし?」
「…あ、先生?」
「っえ、?」

通話口からは私をパニックに陥れた張本人の声がしてきて更に頭が混乱してくる。

「え、なんで、?だっていま、てれび…」
「あれは収録だけど」
「…へ?…そ、そう…」
「……。」


な、なにこの沈黙…えっ、気まずくない…?


「…いまの、見てくれてた?」
「み、見た…けど?けど、あれでしょ、ドラマの台詞でしょ?別に勘違いとかしてないから、あ、安心して!?」

ああああああ!?私なに言ってんの!?こんなの勘違いしましたって言ってるようなもんじゃない!?気にしてたのバレバレじゃん!?
やば、と思った瞬間電話口で轟くんがフ、って柔らかく笑った声が聞こえて。絶対からかわれる。こんなに焦ってうろたえてる私で面白がるに違いない。なんて考えながらもなんかすごい泣きそうだ。なにがって、だって、「…そっか、なぁ…」なんてスマホ越しに何かを言いかけた彼の声が。

轟くんの声が、とっても、柔らかくて…温かいから。


こんなの、まるで、まるで…!好き合ってる、みたいな温度じゃん…!


「先生、今すぐ会いてぇ」
「…またそ、んなこと言って、」
「不安なんだ、すげぇ。」
「な、んで、?」
「…必死だから。先生に信じてもらえるようにって」
「っ、だから、って!あんな、あんっ、な馬鹿なこと!芸能人、なのに、!」
「…あぁ。自分でもここまで馬鹿だと思わなかった」

先生、俺がアイドル干されたら責任取ってくれねぇか?
冗談めかして笑いながら言う轟くんが、どうしようもなく愛おしくなった。どうしよう、どうしてこんなに。こんなに胸が潰れるくらいに嬉しい。ついさっきまで苦しくて死にそうだったのに。

不幸のドン底に突き落とされるのも、天国みたいな幸せに包まれるのも、ぜんぶ、全部彼次第なのかも。って思ったら急に恥ずかしくなってきた。だって、そんなの、そんなの…。


「…きみのこと、めちゃくちゃすき…みたいじゃん…、」
「…っ、!」


" 天使先生はさー?流されやすいけどなんだかんだで良い方向に向かうのよねぇ?だから、まぁそれでもいいんじゃない? "


いつだったか先輩に言われた言葉が頭をループして。
いくらなんでも上手く行きすぎじゃないの?
なんでもいいや、もう。
とにかく、今はもう天使みたいな君に会いたい。ただ、それだけ。






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