あの手この手のひら

キスが苦手だ。
言葉を、思考を、自我さえ溶かしてしまいそうな甘く蕩ける口付け。例え其れが愛を証明する行為だと頭では理解していても、どこか苦手意識が付き纏う。
決して嫌いではない、苦手なのだ。
ぬるり、と唇の隙間から入ってくる舌に絡めとられて、息つく間さえ与えようとしない。呼吸が乱され息が苦しくなる。触れ合う所から発する熱に浮かされた思考は既に朦朧としている。生理的な涙が滲み、ぼやけた視界の先で捉えた零の表情を見つめながら、そのまま思考を手放した。

「…、…、ななし!」
必死さが伝わる声色が耳に届く、不思議と心地良さを感じる。その呼び掛けに答えようと、重たい瞼をゆっくりと持ち上げると、あの声の主は零だったのか、漸く理解が出来た。
「聞こえてる、けど…?」
「ななし!よかったわい…、急に気絶するように意識を無くすもんじゃから、流石の我輩も慌てふためいたんじゃぞ」
心底安堵した様な表情からは本心で心配していた事が読み取れる。それもそうか、情け無い事に口付け一つで意識ごと持っていかれるとは思わないだろう。自分でも、どうしてそうなったのかよくわからないが。
「熱は…ないのう」
ひんやりとした掌が前髪を分けて額に添えられる。そうやってまた、勝手に触れてくる。何処の誰にも踏み越えさせないようにしていた一線を、元よりそんな物存在していなかったという様に軽々と越えてくる。これが自分に対してだけなのか、それとも赤の他人にも出来てしまうのかは、考えたくないが。
「…悪かったね、雰囲気壊して」
「なんじゃ?我輩がその様な些細な事で怒るとでも思うたか?」
「別に、思ってないけどさ…」
嗚呼、上手く言葉が紡げない。何を言おうが子供じみた我儘の様になってしまう。これじゃあまるで情け無い子供そのものだ。
「…のう、ななし」
「何?」
「無理せんでもええんじゃぞ」
心中お察し、と。
仕掛けてくるのはそっちでしょ、と言い返しても良かったけど。言い訳じみた反撃は何を言おうが零の前では役に立たないのはもう十分に理解出来ている。
額から流れる様に頬に添えられた手。しようと思えば意図も簡単に口付けが出来る距離。そんな近くまで踏み込んでしまっているのはお互い様か。
「苦手ってさ、克服出来ると思う?」
「そうじゃな…、食わず嫌いならまだしも、克服しようと思う気があれば。お主なら出来ると思うぞい」
「そっか、じゃあさ」
克服出来るまでずっと付き合ってくれないかな。
両の手を伸ばし、触れた零の頬。そのまま触れそうな程に顔を寄せると穏やかな微笑みが返された。
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