マルク・スナッフィーはぬいぐるみ
ただいま、とリビングのドアを開けると、ソファーでぬいぐるみを抱き抱えながらスマートフォンを見ているナマエがいた。近寄ってみるとナマエはずいぶん険しい表情で、ぷい、とそっぽを向くのを見るにだいぶご機嫌斜めらしい。きつく抱きしめられた某家具屋のサメが助けを求めるみたいに片ヒレを腕の隙間から差し出している。かわいそうに。
「きみのぬいぐるみが帰ってきたよ?」
手を広げて隣に座ると、じ、っと俺を見つめるナマエは無言でサメを解放して俺を迎え入れた。ぎゅうぎゅうと力をこめて、きっと俺をさっきのサメみたいにぎちぎちに抱きしめてるつもりなんだろうけど、残念ながら背中に回っている細い腕では少し身動きしただけで今にも振りほどけてしまえそうだ。ほほえましいと笑う俺を見て八つ当たりできてないことに気がついた彼女は、むすっとした顔で握りしめていたスマートフォンを眼前に差し出してくる。
「なにこれ」
「マルク・スナッフィーと付き合ってる女だって」
「きみのアカウント?」
「違うに決まってるじゃん」
差し出されたSNSを前にいくつか写真を見ていくと、確かに目の前の彼女とは似ても似つかぬ趣味をしていて、顔を見ても名前を見ても本当に覚えがない。そもそもナマエ以外に付き合ってる人なんか居ないんだけど。
「知らないヤツだ」
「交際を匂わせてるらしいけど」
「ん〜、でもなんか色々知ってるふうではあるな。誰だ?」
「過去に火種が多すぎるんじゃないですかあ?」
「……それはごめん」
このアカウントの持ち主が言ってる俺の小さな癖なんかが当たってたりするから、昔遊んでた頃に接点があったのかも。いやたぶんきっとそう。過去の過ちが1ダースでも足りないくらいあるから何も言えない。ナマエだって、ただの妄想で言ってるやつと本当に会ったことがある人間の区別がついてしまったからこそこうして怒っているのだろうし。
「でも信じて。俺はナマエとしか付き合ってないし、ナマエに一途だからよそに目移りしてる暇なんかないんだ」
「……そんなのわかってるよ」
マルクのこと信頼してるし、愛されてるのも充分伝わってる。でも、だからこそ、本当に私でいいのかなとも、思う。
俯いた彼女が小さな小さな声で呟くから、心臓が握りつぶされたみたいにぎゅうっと痛くなる。あんまり弱さを見せたがらないナマエがちょっとだけ見せた本音。昔遊んでいたことも隠さず伝えていたし、彼女もあまり気にしている風ではなかったから勝手に許された気になって、何にも対処しなかった俺のせい。
なまじナマエとマスコミに撮られることがなかったものだから、SNSに溢れる俺と知らない女へのお幸せに!のコメントに苦しくなる。
俺は、ナマエと幸せになるよ。うん、と震える声を隠すように顔を埋める彼女をつよく抱きしめた。
「ナマエは現役引退するまで待つって言ってくれたけど、もうここらで公表しちまうか」
「……いいの?」
「まだやりたいこともできたし、もう何も手放さねーって決めたの」
そっか、と俯いていたナマエがやっとこっちを見て笑ってくれたから、嬉しくなって少し赤くなった目元にいくつもキスを落とす。ちょっとだけ頬のあたりが湿ってるのもはやく乾いてしまえばいい。二度ときみが悲しみで泣くことがなければいい。
「ナマエは匂わせたりしねーの?ナマエなら大歓迎なんだけど」
「やだ。なんでわたしのだいすきな人を知らないやつらにおすそ分けしてあげないといけないの?全部わたしのものだし」
「へはは、ワガママ。俺に似てきたんじゃないの?」
「マルクほど子供じゃないよ」
「ふ〜ん?俺ぁガキだからこういうとき我慢なんかしないけど?」
彼女を抱き上げ足取り軽くベッドルームに向かう。明日は役所に婚約届を取りに行かないといけないから、あんまり無理はさせないでおこう。えっ?そういう流れ?と目をぱちくりさせているナマエに、自分がどれだけ可愛いこと言ってたかわからせてあげないと。