ヴェルナーの最高傑作*
鳥の隊のハンターが消えた。
誰に何を言うでもなく、ほんの少しの前触れもなく、あるよく晴れた朝に拠点から姿を消した。荷物も何もそのままにして、あたかも朝の散歩にでも出かけたかのような身軽さで。鳥の隊の編纂者や技術者、オリヴィア含む他の隊のハンター、現地の協力者たちの必死の捜索にも関わらず、この広大な禁足地からはその痕跡の一欠片すらも見つけることはできなかった。
禁足地を駆けずり回り人の頼みを聞いてまわるお人好し、かと思えばその身一つで竜都の切り札を制し、この地の安寧を守った男。
常から薄笑いを浮かべたとっつき易い顔に反して装備で隠れている身体はひどく凶悪な男だった。大小深さもさまざまな傷痕、火傷のひきつれ、そしてそれを覆い隠すほど縦横無尽に彫られた刺青。
ヴェルナーはベースキャンプの水辺で涼んでいた男を見て思わず声を上げたことを覚えている。思わぬ悲鳴に目を丸くして振り向いた鳥の隊のハンターは、全身にまとわりつく無彩色の刺青を見てああこれ、と照れたように笑った。その照れ笑いもどうにも不釣り合いの落差を増すばかりではあったが。
曰く、どこで生命を落とすかわからない職業故に、一欠片でも見つかれば自分だとわかるようにしていると。ジグソーパズルだってできるよとにへらと笑って自身の死後を語るハンターに、ヴェルナーは無言で近寄り丹念にその墨の馴染んだ身体を検めた。武器の具合を確認するかのような手付きに不思議そうではありつつもされるがままに収まるそれは、幾多の傷と相まって確かに唯一無二へと仕上がっている。おざなりに礼を言って離れたヴェルナーにハンターはひとり首を捻っていたが、それを見逃さなかったアトスは食事ついでに自隊の加工屋に意図を問う。あの不可解な接触は一体何だったのかと。
「ある程度図案は覚えた。これであいつのパーツは見分けがつくさ」
できれば活用する日が来ないことを祈るがね、ともう既に別のことを考えているのか、興味の失せたように語るヴェルナーにアトスは目を丸くした。ヴェルナーが他人のことを積極的に覚えようとした?なるほどあの人たらしはいよいよこの朴念仁すらたらし込んだらしい。オリヴィアに話せば喜ぶだろうとアトスは思った。星の綺麗な豊穣期の夜のことだった。
ご大層な心掛けで何よりだ、とハンターが居なくなった今、過去を振り返りヴェルナーは皮肉に思う。ご丁寧にヒントまで用意して、そのせいで誰もがその一欠片を探して探して探して、それでも見つからないのだからまだ可能性はあると望みをかけて。どいつもこいつも薄々わかっていながらも示し合わせたように口を閉ざしていた。まるで口にすることで事が確定するのを恐れでもしているようだった。
鳥の隊は事実上解散となった。
編纂者と加工屋が残ったところで要となるハンターが消えてしまったのだから仕方がない。あのハンター志望の子供も先生と慕う男が消えて随分と消沈しているように見えた。勿論ヴェルナーが声をかけたことは無い。他者への寄り添いなど彼が最も不得意とするところなもので。
*
「……またあんたか」
誰しもとうに休んだ夜中、もう間もない翌日のために加工材料を仕分ける最中のこと。誰しもが見つかってほしくないと願いながらも探し続ける矛盾の塊、その最たるものが今ヴェルナーの手元にあった。姿を消したハンターの頭部、静かに目を閉じた眠りの似姿。
護竜の毛皮に埋れてあったそれは、死んで暫く経つだろうにおよそ眠っているだけのように瑞々しい。今にも目を開けそうなほどなのに、爪で裂いたような首の切断面だけがひどくグロテスクで、ヴェルナーは静かに眉を顰めた。端から不釣り合いだとは思ってたが誰が首とその他で別れてこいと言ったんだ。
どんな扱いをしても文句の一つも言わない首(それは別に生前からだったが)をぐにぐにひとしきり検分した後、比較的綺麗なウエスで包んで持ち運びのできる小箱に仕舞い込む。誰にも見つかってはならない。ヴェルナーの頭は既に今後についての思考を開始していた。
ヴェルナーがこれを見つけるのは初めてではない。ハンターのものとみられる身体パーツはぽつりぽつりと忘れた頃に加工素材に紛れて現れた。消化されているでも乾ききっているでもなく、ただ温もりがないだけの、今さっきまで生きていたのが急に取り外されただけのような人体。ある程度粗雑に扱っても傷みも腐りもしないそれは、どこから見ても明らかに異質だった。
シーウーの触手に絡まるようにしてあった蔦の巻きつく模様の右脚、タマミツネの尻尾からはトライバルにデザインされた愛用武器の彫られた左手、胴体は3つに分かれて仲良くドシャグマの群れの腹の中に収まっていた。オリヴィアに狩猟エリアを変えるようそれとなく要請してもどこでだって見つかるパーツ。まるで理屈に合わないそれを真面目に考えるのは随分と前に辞めてしまった。あり得ないと言ったって現にあるのだからどうしようもない。そんなものの是非など考えるだけ無駄だ。
そもそもモンスターを腑分けするオリヴィアやアトスは気付かないのかと首を捻ったが、無理だろうなと頭の中の冷えた部分は理解している。ハンターの身体は密やかに、素材を加工するヴェルナーにしか気付かないであろう場所にわざわざ紛れ込んでいるのだから。意図的な作為を感じたとしてもヴェルナー相手にそんなことをする人間などおよそ1人しか考えつかない。案外遊び好きで不謹慎なことも嫌いではなかった。冗談は通じる相手にしか言わないよとへらへら笑って自分の身体をパズルと称したあの男。
「なんだってあんたは俺に執着するんだ」
理由など当に知っている。知っていながら、口に出さずにはいられなかった。非効率を心底嫌うヴェルナーには珍しい事だった。
*
デタラメになりがちな噂に対して決して劣らぬその強さと人懐こさ、さらには禁足地中を飛び回る神出鬼没が相まって、その場に現れるだけでとかく目を惹く、そういう男だった。
そんな奴がどうして俺に興味を持ったのか知らないが、いつからか鳥の隊のハンターは遠目から仕事を見物したり、的確に足りない素材を持ってきたりしていた。初めは加工場に誰も居ないタイミングを狙って素材を置いていくものだから、犯人を特定するために星の隊総出で張り込みまでした。とはいえ、俺以外の奴らは初めから気付いていたみたいだったが。気付いてたなら言ってくれと苦言を呈した時も、どいつもこいつも意味ありげに生ぬるく笑っていた。あれはまあ、そういうことだったのだろうと今では思う。
閑話休題。そういうわけでとっ捕まったハンターは一体何事かと目を白黒させていたが、オリヴィアの「ヴェルナーが礼を言いたそうだったのでな」という含み笑いの言葉に、自身が捕まった時よりなによりまさに驚愕という顔をしていた。思わず全員が吹き出したのは言うまでもない。
「ヴェルナーが……!?」
「なんて顔してんだ。あのなあ、俺だって礼くらい言うさ。わざわざ探してきてくれたんだろ?ありがとな」
ハンターは驚愕のままに二、三度目を瞬かせていたが、すぐににへらと締まりのない顔で笑った。
そこからだ、あいつが目に見えて俺の近くで過ごし始めたのは。懐かれたとは思ったが、悪い気はしなかった。たまに質問をすることはあれど、ある程度理屈を理解した上での物言いであったし、気に触るような無駄口を叩くわけでもない。実験にしろ採集にしろ、言ってしまえばたいそう便利な男をわざわざ嫌うこともない。
向こうは向こうで鳥の隊は女所帯だから、同性と絡んで気でも抜きたいのだろうとそう思っていた。失踪の前日、偶然人通りの絶えた日暮れにあの言葉を聞くまでは。
「おれ、ヴェルナーのこと好きだよ」
「……そりゃどうも」
友愛か、それ以外かは聞かなかった。明言しないことであえて逃げ道を作られたのだと瞬間的に理解していた。融解する金属のように熱に融けた瞳でこちらを見るものだから、どちらかなどこの俺であっても一目でわかるというのに。拙い言葉に釣り合いの取れない重ったるい瞳を抱えて、相手に選択を委ねるそれは決して慈悲などではない。追い込んだ獲物が一縷の望みにかけて逃げるのを望むか、ここで大人しく仕留められるを望むかを選ばせる振る舞い。頂点捕食者の悪趣味な遊び。
逃げるを選択したヴェルナーに対し、ハンターもそこから深掘りを始めるでもなく、いつも通りのへらへらした物言いでひとつ言葉を継いだ。
「おれのこと忘れないでね」
すうと冷えた瞳がよくよく研がれた刃物の如くにぎらついた。背筋を凍えさせるに足るそれを、かつてこのハンターに狩られた数多の竜たちも見たのだろう。男は何もなかったかのようににへらと笑い、肝を冷やしたヴェルナーを置いてそれじゃあねと立ち去った。それが鳥の隊のハンターを見た最後だった。
*
忘れろと言われたって忘れられるものか、とヴェルナーは苦く嘆息する。忘れさせる気もないだろうと、宝探しの児戯だとでもいうように見つかる破片を睨みつけて。
タチの悪い悪戯だと忌々しく思いながらもなぜか捨てられなかったそれ。初めは偽物だと信じていた、死んだ瞬間で時を止めたような異常な物品をいつしかヴェルナーは本物だと信じてしまった。だからこそ今、ヴェルナーは1人で龍灯の都に立っている。足元にはハンターの入った箱ひとつ。どうしても試してみたい事があった。
ヴェルナーの行動原理は単純だ。物理的に、なおかつ自分なら可能だと認識したことを実行する。例えそれがどんな結果を齎そうとも。自己増殖を繰り返すゾ・シア、そしてそれを可能とするエネルギーである竜乳。それを無尽蔵に製造し続ける、他でもないハンターが守った龍灯。試行する価値はあると思った。ゆえにヴェルナーは手頃な大きさの繭を切り開き、まさしくパズルのようにハンターの身体を順に竜乳の中に放り込んでいく。
オリヴィアたちにも声をかけた方がよかっただろうかとふと思うも、今更だと躊躇を放り投げた。声をかけるなら初めからそうしておけばよかったのだ。一欠片でも見つかったその時に皆に伝えて、弔いのひとつでもあげればよかった。そうしなかった理由は今でも定かではないが、ただ一番初めに見つけたそれを黙ってポケットに放り込んでからすべてが始まったのだ。ばらばらになった指の一本。空翔ける鳥の彫り込まれた左手薬指。
あれが帰ってくれば皆も喜ぶだろう。本当に?実際のところはわからない。生物倫理だとか同一性だとか言い出すのかもしれない。それでもそれは管轄外の話だ。知ったことではない。ただ少なくとも、ヴェルナーはハンターが消えたことをそれなりには悲しんでおり、帰ってくることを喜ばしいと信じたのだ。
そして今、最後の首を放り込む。
龍灯の淡い光に照らされ、てんでばらばらに散らばったハンターはまるで完成前の影絵のように浮かんでいた。
「なあ、あんた一体何考えてるんだ」
問いかけのようで、独り言のようでもあった。ヴェルナーが他人に興味を持つことは殆ど無い。ましてや人の頭の中を知りたいと思うことなど未だかつて在りはしなかった。それでも今知りたいと思うそれが人生のうちで培ってきた常識にまつわるものなのか、それともこの男への素直な興味なのか、ヴェルナーには判断がつかない。きっと今後も解ることはないだろう。
繭の中を軽く攪拌すると、くるくると回転するパーツが音もなく在るべき場所へ滑り込んでいく。帰巣本能という言葉が浮かんでヴェルナーははは、と声に出して笑った。細切れの部品になったって欠ける事なく帰ってきたのだから、ここまでお膳立てされりゃ苦労はないだろうと。
薄く濁った光の元で、笑い声に呼応するように瞼がふるりと震えた気がした。洞察の鋭い男だ。初めからヴェルナーがこうする事など分かってやっていたのだろう。ハンターの誘導した方へ好奇心のままに進んで、なるほどまんまと追い込まれたわけだ。かくして共犯者となった今、この愉快犯には文句の一つでも聞かせてやらねば気が済まない。
「ほら。早く起きろ、ねぼすけ」
揶揄を含んだ呼び声に、不安定に揺れる首は確かににっこり笑ったのだ。