カラスバに飼われる*


 

「ここに来たきっかけは元カノだけど、素直に言うと流されただけだよ。べつに、愛してたとか興味があったとかじゃない。人に対しても、土地に対しても」



好きと言われてありがとうと返した。そこからおれは彼氏ということになってあの娘は彼女と言うことになったらしい。出会った当初に聞いたはずの名前はあの時はそれなりに覚えていたはずだけど今ではまったく思い出せない。何かのポケモンの名前に似ていた気もするし花の名前だった気もする。付き合いはじめの浮かれに浮かれきったあの娘がおれのことをダーリンと呼んだからぱっと出てこない時にはおれもハニーと呼んで誤魔化していた。なんともふざけた話だしこの話はそういうふざけた終わり方をする。


流されて彼氏とかいう地位を得たおれとは違ってあの娘はちゃんとおれのことを好きだったらしい。このくらいの歳の恋愛なんかだれかの彼女という肩書き目当てだろうとぼんやりしていたおれとは大違いだ。あの時おれの隣で腕を組んでいる別の娘を見たあの娘はぼろぼろ泣いてありったけの怒りと悲しみを表明していた。悪いことしたなと今では思う。


その日おれの腕にしがみついてたのは同じような馴れ初めで同じような女の子だった。ワガママで面倒臭くて自分が可愛いことをわかってる感じの女の子。おれはそういうのが嫌いじゃなかったから好きと言われて悪い気はしなかった。というわけでおれはまたもや彼氏になってあの娘は二人目の彼女になった。


そう。おれが地元の土を踏んだ最後の日。その日おれたちはショッピングと称して街中に出ていた。おれとしては腕を組まれると歩きづらいから嫌だったんだけど、断ると泣きそうな顔でどうしてと言われるからそのままにした。でもあの地獄の邂逅の直後は両側から折られるんじゃないかってくらいしがみつかれたし泣かれたしどうしてって言われたからやっぱり断っときゃよかったと思う。人生には面倒でも断ったほうがいいことが沢山ある。


とにかく外で修羅場はよろしくないということになっておれの家に連れて帰ったけどあの子たちは2人ともポケモンを連れていておれは丸腰のひとりぼっちだった。まったくまあ。孤軍奮闘とはこのことだ。
ポケモンが絡むと何もかもの騒ぎが大きくなっていけない。だからおれは半壊した部屋と2ヶ月分の敷金と共通の敵を見つけて仲良くなったらしい女の子たちに背を向けて形だけのボストンバックを持って列車に乗り込んだ。行く先も確認しないで乗りこんだ列車はおれをこの街に運んできてそれでおれはいまここにいる。


大家からは散々電話がかかってきてたけどある時からふっつり鳴らなくなった。多分もう誰に頼んだかも忘れた連帯保証人とかに連絡しだしたんだろうと思う。その頃にはおれもロトムもうんざりしてほとんどの電話を不通にしてたから誰だったのかはよくわからない。帰ったら誰かしらに殴られることだけは確かだ。


おれだってもうあんな真似はやりたくないけど必要になったらまたやるんだと思う。サビ組の事務所で見るからに機嫌の悪そうな組長を目の前にしてる今だってそうだ。この男が今のおれの恋人でなければとっくのとうに逃げ出してしまっているに違いない。男の金色の瞳がすっと縮まるのに併せて冷や汗がひとすじ背筋を伝った。へびにらみでポケモンがまひする気持ちがよくわかった。



「ほーん、つまりアレか。オマエはミアレやのうてももエエし、オレやなくてもエエっちゅうことか。ほんまもんのワルい男は違うなあ?」
「本職に言われた……。だから話したくなかったのに……。とはいえ今はさすがに愛着あるよ。ミアレにも、あなたにも」



この街にもこの街に住む人々にも散々に愛着は湧いている。でなければとっくの昔にこんな混沌とした街からも第一印象が最悪の反社からも逃げ出してまた違う街へと向かっているだろう。逃げ出すことだけは得意だったはずなのになぜかこの男の前では上手くいかない。それが惚れた弱みと言われるのならもうどうしようもなかった。どちらが先に惚れたかという話題は以前持ち出して最終的にはポケモンバトルに至ったのでもう蒸し返さないと決めている。


というよりほんの雑談のつもりだったのに話が散々な方面に向かってしまったとナマエは頭を抱えた。どうしてこの街に旅行に来たのかという至極真っ当かつ平和な話題でこうなるのは流石に自分でも落ち度を自覚しているし反省もしている。それでも目の前の彼氏はおれが流されるままに自由な交際関係を続けていたことが気に障るのか「浮気性かあ……」と鋭い目を向けたまま言った。



「今はちゃんとしてます!信じて!」
「そんなん言うて、半月も姿見せんかった男信じろ言われてもなあ?別に女でも作ったんちゃうやろかって気が気やなかったわ」
「ヴ、ごめんなさい。浮気はしてない。ほんとに。あんまホテル戻ってなかったり昼夜逆転してたり色々あって……」
「……ふ、まあええわ。まーたナマエがロワイヤルで暴れとるやらベンチで寝とるやらの報告が色んなとこからぎょーさん入ってくるから信じたる」


命拾いしたなあ?と初めから冗談だと言わんばかりに男は笑うが本職らしく細められた目には剣呑なするどさが宿っていたことくらいわかる。そしてその鈍い輝きが今も完全に消えてはいないことも。豪華なソファの隣に置かれた白い紙袋を持ち上げてカラスバは薄い唇を歪めた。なんとなくこれからろくなことは起こらないだろうと察したがまあこの男のすることならいいかと力を抜いた。これが流されているのか好意による油断なのかおれは知らないし知りたくない。どちらにしたってもう取り返しはつかない。それだけのことだ。


「それでも、それとこれとは話が別や。これ、付けさしてもらうで」
「なにそれ。アクセサリー?」
「プレゼントや、こっちおいで」


のこのこと歩みよるおれを指のひと振りで足元に跪かせてカラスバは薄く笑った。ペットと飼い主のままごとでありおれが反抗しないかを試す振る舞い。わざわざそんなことをしなくてもおれはあなたの望みなら全部叶えてやると本気で思うくらいには骨を抜かれてしまっているのに。


骨抜きの証明に伸びてきた手にうやうやしく口づけを落としてやると「オマエはホンマにアホやなあ」と呟くような罵倒が頭上から降ってくる。夜の物言いと似た甘ったるいそれに思わず部屋に視線を走らせるも多忙なジプソは今日ここに居ない。目線を上げると言葉と同じく甘く蕩けた金色の瞳と目が合った。



「勝手にどっか行って、誰にでもしっぽ振るアホな犬には首輪くらいつけとかなあきまへん」



上品とすら見える白い指がベルベットの箱から黒い革のベルトを取り出しナマエの首に巻きつけていく。首輪にぶら下がる形できらめくシルバーのプレートにはやみのいしを砕いたような紫の宝石が据えられていた。サビ組の色であり彼の得意とするどくの色。カラスバの象徴とも言えるそのタグは事務所の薄暗い灯の下で鈍く輝いていてそれがナマエには好ましく思えた。独占欲も執着もこの男から与えられるものは何ひとつ嫌いではなかった。これまでの自分からは考えられないことだった。


「苦しないか」
「ん、大丈夫」


カラスバがベルトの穴をひとつづつ動かし首と首輪の間に指を挟んで調整をしていくのをナマエは目の前の乱れひとつないネクタイの結び目を見ながらじっと待っていた。ただ黙って男の冷たい指先が自分の体温に馴染んで同じ温度になっていくのを感じていた。いつからこの男に触られても緊張しなくなったのかを思い出そうとしたが眠気に襲われてやめた。本当に犬にでもなった気分だった。


「オイ、欠伸すな。雰囲気のないやっちゃな」
「ん、なんかあったかくてつい。というかなに?首輪?」
「せや。ちゃーんと迷子札もついてんねんで?」


ちゃりちゃりと首元に垂れたタグを弄びながらカラスバは言う。手近な金のドドゲザン像で確認すると鈍い曲面の反射に確かにサビ組の住所と電話番号が映っていた。


「ねえおれMZ団所属なんですけど」
「そやけどこっちの方が常に電話取れるやろ?あのホテル、ただでさえカツカツの人数で運営してるんやから」
「それはそうなんだけどさあ」
「飼い主が誰かもそうやけど、オマエいつワイルドエリアでぶっ倒れてるかもわからんからなあ。急を要するときはオレらの方が都合が効くし」
「それもそうなんだけどさあ……!」


思っていたより実用的な意味での迷子札だった。
満足げなカラスバにようやく膝立ちから解放されたナマエはなにも言わずにソファーの真ん中に座る男の隣に腰掛ける。MZ団全員が横並びに座っても持て余すような大きさのソファーに二人距離を空けずに座るのも変な気がしたが目の前に座るよりこの男の機嫌がよくなることを知っているからそのようにした。案の定機嫌のいいカラスバはアーボックのような笑みを浮かべながらおれの顔を覗き込むようにして物を言う。


「まさかナマエの過去がここまでろくでもないとは思わんかったからなあ。まあでも正味安心したわ。お前はどこにも帰る場所なんかあらへんっちゅうわけやもんな」
「そんなに心配しなくても、これからもずっとミアレにいるよ。これのおかげで行き倒れても帰る場所があることだし」
「は、さよけ」


これを愛情だというのかは知らない。そういうことがわからないように出来ているおれとルールのぎりぎりを行くカラスバでは世間一般の事情は一生わからないままだろう。それでもこのおれに好きな人の好きなものは好きだと言えるだけの情緒が育ったのは確実にこの男の注いだ愛情の成果だった。



「あなたがもう要らないって言わない限り、おれは一生あなたのそばに居るんだと思うよ」
「……そら嬉しいけどな、プロポーズならもっとしゃっきり言ってもらわな困るやんか」
「エ、そういう感じ?どうしよう。指輪もなんにもないよ」
「そんなんオレのやった首輪があるやろ」
「あー、それはあなたにも首輪つけていいってこと?おんなじところで作ってもらおっか」
「なんでそうなんねん」


首輪がついたところでまたおれは何日もこの事務所に現れなくなることがあるだろうしその間カラスバも今まで通りの生活を送るんだと思う。首輪に繋がるリードはない。おれの行動に制限はない。それでも今のおれはこの首輪の対価も返さないまま彼を置いてこの街を出ることはないだろう。たとえその対価が一生かかっても返せないとしても。お金の話でなあなあはよくないとおれは過去と親友を通じてよく知っている。



「指輪どんなのがいいかな。いやでもとりあえず稼ぐところからか……」
「言うた側からさっそく帰ってこおへんやないか。いらんいらん、とりあえずその隈なくなるまで夜間外出禁止や。破ったら事務所閉じ込めるぞ」
「えー、彼氏さん厳しい……。うそ、嘘だから怒んないで。あと今日ここ泊まらせて。ホラ、指輪もいいけどさあ、おれにしか見えない場所に印があんのも唆るじゃん?」
「そんなん初めからそのつもりやわ。前にオマエのつけたアレもとっくの昔に消えてもうたし」
「エ?おれそんなに来てなかったっけ」
「せやから流石に声かけたんやろ。少しは恋人にツラ見せんかい」
「あは、それはダメだな。ごめんなさい」


軽く謝罪をしながらも両肩を押すと身の丈はほとんど変わらないくせにおれよりもしっかりとした体躯はなんの抵抗もなくソファーに横たわる。仮にも押し倒しているのはおれのはずなのにこちらを見上げて不敵に笑うところが好きだと思った。細められた瞳の熱につられて多忙にかまけて忘れていたはずの欲が身体の奥で目を覚ます。カラスバ自らネクタイを外すのを待てずに首元に顔を埋めると首輪のタグが擦れて音を立てた。自嘲混じりにわんと鳴くと吹き出すように笑った男がネクタイを外し終えた手でおれの頭を撫でては一言言う。よし。


彼の高級なスーツをぐしゃぐしゃにしたら怒られることは目に見えていたがそれに構っている余裕はなかった。とはいえペットの粗相は飼い主の責任に違いない。なにせ首輪に刻まれたとおりおれはあなたのバカな犬なのだから。