カキツバタとサボり仲間


 

無数の学生が放り込まれているテラリウムドームの中にも、人の来ない場所というのは存在する。
例えば、ポーラエリアの山の上。とにかく寒い上に登るのにも手間がかかり、降りるまでにも野生のポケモンがわらわら出てくるためにほとんどの生徒はあまり山頂付近には立ち入らない。そんな場所にてくてくと歩を進める。目指すは山頂近くの小さな洞窟、きっとそこに彼女は居る。
見上げればパネルに写し出された空は黒い雲に覆われていて、気温はいつもより下がっていた。テラリウムの中にも嵐は来るらしい。


「おー、いたいた」
「わーセンパイだ。どうしたの?」
「どうしたもこうしたも、お前さんを探しに来たんだわ」
「え、なんで」
「天気が想定外に荒れるらしくてねぃ、安全のために引き返せとよ。んで、誰かさんが見当たんねえからオイラ直々に探しに来たってワケ」
「ええ?うわほんとだ、初めて見た」


激しく吹き荒れはじめた雪を見て、そういうこともあるのかとニャスパーのように目を丸くしているナマエはこんなところに迷子になっていたわけでもなく、教師の指示も届かないところでサボっていた、というのが正しいところ。タロの友達にしては不真面目というかなんというか、自由な奴だ。まあ最早ダブりを超えて三回目の留年を迎えた人間が言えた義理ではないが。


「変なの。ここって天候管理されてるんじゃないの?」
「さあねえ。そこらへんのポケモンがあまごいやらゆきふらしやらやったんじゃねえの」
「ふうん。もしかしてセンパイがやったの?」
「おー、ご期待のところ悪ぃけどいくらツバっさんとはいえそいつぁ厳しいねぃ」


なあんだ、とつまらなさげにナマエは口にスナックを放り込んだ。オイラにどんな期待をしてたんだこいつ。多少減ったお菓子はパーティ開けされていて、誰かが来るのを待っているようでもあった。「センパイも食べる?」「もう食ってる」塩気のあるそれに思ったより口の中の水分を持っていかれてもごもごしていると、「え!?言われる前に食べてるこの人、信じらんない」と袋がすすすと遠ざけられる。そりゃあねえぜ、いつものことじゃねえの。
「悪ぃ悪ぃ。こいつで勘弁しちゃあもらえませんかねぃ?」とさっき自販機で買ったナマエお気に入りのミルクティを渡すと、「……よかろう」と尊大な小芝居の代わりに真ん中にスナックが帰ってきた。



サボり癖のある人間というものはいつでも抜け道を探しているものであって、その上いい感じに時間を潰せる場所もこの箱庭の中ではそう数があるものでもない。そんなんだから、いいスポットを見つけたと思えばナマエが先にくつろいでいたり後からひょこっと現れたりで、今ではこうして2人で駄弁っていることも日常の一部だ。だから、お互いに好きな菓子やら飲み物やらは把握済み。そのせいで妙に仲良しなオイラ達を見て、ナマエを悪の道に唆しているんじゃないかとタロから若干疑われてさえいる。元々そういう奴だって言ってもまるで信じちゃもらえない。これが日頃の行いってやつか?


「捕獲に夢中になってたらここまで来てました〜!って体でいくんで。口裏よろしくお願いしますね?」
「いいぜぃ、貸し1なー?」
「あっひどい。ここぞとばかりにうきうきして」
「いやー丁度仕事溜まってんのよ。いい後輩を持ったなー!」
「うっそまた溜めてるの!?この前タロちゃんに叱られてたのに!?」
「まだいける!って放ってたけどそろそろ視線がやべえわ。つーわけで手伝ってくれぃ」
「うーわなるべく早急にタロちゃんを癒す会やらなきゃ……」


部員でもないのに書類手伝わせるのもどうかと思うけど、まあナマエならタロも許してくれるだろ。沈痛な面持ちでここに居ないタロを労った後、それなら早く帰ろ?と立ち上がりかけるナマエの腕を反射で掴む。少し収まってきたとはいえ外はまだまだ吹雪いているし、ここを飛んで帰らせるのは流石に酷だし。いろんな言い訳が浮かぶ中、「もーちょい」と甘えるように言うと、ナマエはむ、と唇を歪めながらも「仕方ないなあ」と元いた場所にすとんと収まった。かわいーやつ。ギリギリまでサボりたいと思ってんだろうな。それもあるからにこにこ笑っておいた。遅くなれば晩飯も一緒に食う口実になるし、とかいう打算は勿論口には出さない。


「お前さん最近よくここいんのな」
「そうなの!よくない?ここ。秘密基地みたいで楽しいし、ちょっとさむいけど静かでいい感じ。」
「オイラも今度からここでサボろうかねぃ。めぼしいとこはもう粗方見つかっちまう」
「そりゃご自由にどうぞ。でも絶対他の人に見つからないでよね」


センパイがバレたら私もタロちゃんに怒られちゃうんだから、と可笑しげに笑うナマエは薄暗い洞窟の中でもひどく眩しく見えて目を眇める。こいつぁいよいよ重症か、と苦笑いを浮かべる視界の隅っこで、ナマエの薄い肩がふるりと震えた。


「なあ、さみーからそっち寄ってもいいかぃ」
「いいよー?というかその格好見てるだけで寒いね」


それじゃあ遠慮なくと冗談のつもりで背後から抱きすくめても、あったか〜いとむしろ向こうから擦り寄ってくる有り様で、こうなるともう自分で墓穴を掘った気分だ。まさかここまで危機感ねえとは思ってなかった。
あーもーなるようになれ。半ばヤケクソでこじんまりとした頭の上に顎を乗せればふわりと甘やかなシャンプーの香りが鼻をくすぐって、腹の底、ぐらぐら煮え立つ感情が獲物を前に目を開く。




卒業やらその後の進路だとか家のあれそれ。そういうややこしいことは考えたくもない。できればずっとこの学園で呑気に日々を送りたい。
それでも、この女は自分のように留年もせずにするりと卒業していくだろう。卒業し、就職するかなんかして、いずれ他の誰かと出会うだろう。そうしてたまにあんな人がいたなと思い出されるころにはこの手はナマエに届かない。

何度試行されても変わらない未来予測図に眉を顰める。逃したくない。せっかく無防備にも近寄ってきた獲物を他の野郎に取られるのなんざ以ての外だ。かといってオイラと一緒に留年してくれとも言い難い。流石にそのくらいの良識はある。じゃあどうすりゃいいってんだよ。
堂々巡りで最早どこに向けてるんだかわからないやつあたりを放り投げて、ままならなさにため息を吐いた。


「センパイ?どうかしたの?さむい?」
「……いーや、ちぃとボーッとしてただけよ」


がっくりとナマエの肩に顔を埋めて、気にすんなと声をかける。不思議そうにそう?と返事をしたナマエは、んふ、髪、くすぐったい、と肩に乗ったカキツバタの頭をご機嫌にフワフワ撫で始める。顔がほとんどひっつくくらい近づいてるのも含めて本当に何も気にしちゃいねえ。ため息には敏感に反応したくせに、この距離感を気にしねえことがあるかよ。


なら、こっちだって、気にする必要なんか無いのかもしれない。腹の奥からぞくりと激情が沸き立つ。みすみす逃すくらいなら、忘れられるくらいなら、どうしたって消えない傷痕を残してやろうか。この無邪気に笑う警戒心の薄い女を見ていると、それでも必死に働かせている自制心も風前の灯だった。ああもう、オイラは精一杯頑張った。めちゃくちゃ我慢しようとした。スゲー偉い。だから、ちょっとくらいご褒美もらったっていいよな?


「おーいナマエ、こっち向いてくれーい」
「ん?はあい」
「おー、いい子いい子。じゃあ次は目ぇ瞑んな」


姿勢を変えて相対して、何も疑うことなくすっと大きな瞳を覆い隠してしまった目蓋に不用心だと苦く笑って唇を落とす。ふるりと震えた長いまつ毛が持ち上がるよりも先に、驚愕に薄く開いた唇に狙いを定めた。
何度も何度も齧り付いて、酸素を求めて開いた唇に舌を捩じ込んで蹂躙して、胸を叩いていた手がくったりするまで捕食にも近いくちづけを繰り返す。いよいよ力が抜けきって、後ろに倒れそうになるナマエを引き寄せるとなんの抵抗もなくこちらに倒れ込んだ。寄りかかってぜいぜいと必死に息を吸う半開きの唇から頬と同じ赤い舌が覗いて、これが最後だと言い聞かせながらもう一度だけ喰らいつく。


「……は、も、なに、せんぱい」
「ごちそーさん」


息を切らしてぱちぱちと瞬く瞳は涙で潤んで、ぐす、と鼻を鳴らす姿に猛烈に悪いことをした気分になる。いやまあ、悪いことはした。しかも狙って。流石に言い逃れできないが、どう言ったらいいかも解らない。から、軽く茶化して名残惜しい赤い顔から目を背けた。サイテーなのは百も承知だ。


「……ねえ、これ、センパイ的には、誰とでものやつ?」
「あ?いーや、オイラそこまでプレイボーイじゃねぇよ」
「じゃあ、どういう意味か、きいていい?」
「あー……そりゃあ、なんだ?こう、……任せるわ」
「うそここで逃げる?まって、遊びかどうかだけ教えて。ちゃんと、対応するから」


へらっと笑って交わそうとしてもナマエはいつものように誤魔化されてはくれなくて、かといって泣いたりなんだりするでもなく、困ったようではありつつも黙ってこちらの真意を伺っている。静かに、見透かすような表情で。
そうなると気圧されるのはこっちの方だ。わかりやすく泣き喚かれるとか、ビンタされるとか、そっちの方がよっぽどよかった。我ながらどこまでも勝手な話だと思う。ナマエに押し付けようとした審判はさらに重みを増してカキツバタの元に戻ってきて、もはや逃げられもしない。自業自得か。観念した、と言わんばかりに両手を軽く挙げて、諦めと共に重い口を開いた。


「……本気つったらどうすんだぃ」
「……うそ」
「ウソじゃねえよ」
「…………本気?」
「本気も本気よ。ナマエこそ、今更誤魔化されちゃあくれねえんだろ?」
「それは、そうかも。ああ、なあんだ。じゃあ私、センパイのこと愛していいのね?」
「は?」


飛び出した爆弾発言に今度はこっちが面食らう番だ。まんまるの目をきゅっと弓形に細めて、うれしいと無邪気に笑う後輩の姿をまじまじと見ても、それが嘘には到底見えない。これが演技なら名女優になれるとさえ思う。意図が読めずに目を見開いて固まっていたら満面の笑みで両手を握られて、センパイ?と顔を覗き込まれる。あーそのアングルかわいーなぁ。若干現実逃避に近い感想を抱きながらも、この流れが想定外すぎて全然頭が動き出さない。


「センパイ、ちゃんと言葉にして。私、絶対断んないから」
「お前さんそんなん欠片も見せなかったじゃねぇの」
「だって、そういうのアピールしたらめんどくさがって逃げるタイプかと思って。でも、そっちから言い出したんだもん。いいでしょ?」


爛々とかがやく瞳はバトルの最中かと見間違うような熱に満ちていて、思わず唾を飲み込む。なるほど、お互いどう攻略したものかと策を巡らせては攻めあぐねていたらしい。それで突然チャンスが来たなら、そりゃあこんな顔にもなるよなあ。
それにしたって、


「お前さん、どうにも男を見る目が悪かねぇか?」
「む、逃げ腰。逃すか」
「おーい逃げねえから手に爪立てんのやめてくれーい」


爪立てたって痛くも痒くもないとはいえ、じわじわ緩む顔をこのまま見られ続けてんのも締まらない。オイラのゆるっゆるな嘆願を聞いてぷ!とプリンみたいに膨れた頬で渋々手を離したナマエをがばりと抱きしめる。そして、自分からボールに飛び込んできた奇特なやつにお待ちかねの一言を告げたのだった。






「タロちゃん!ただいま!」
「わ、ナマエ!心配したんだよ?どこまで行ってたのもう!」
「えへ、ごめんね。遅くなりました。ご無事だから安心してね」
「オイラがちゃーんと見つけたおかげだねぃ」
「カキツバタはまたサボってたの!?ナマエ大丈夫!?変なことされてない!?この人の誘いに乗ったらダメだからね?」
「えへへそんな、大丈夫…………ではないかも」


突然じとっとした目でこちらを見るナマエに何事かと目を瞬かせるも、思い当たる節にあっと反射で声を出す。そういやまだ謝ってなかったな。


「カ・キ・ツ・バ・タ!?」
「いやー順番間違えたのはまじで悪ぃ。ゆるしてくれぃ、このとーり!」
「なにしたの!?もう!カキツバタはナマエに接触禁止!悪影響です!」
「いやぁそいつは困るねぃ」
「何が!?」


ブルーみたいにいかくしながらばってんを向けているタロの前で、ちょうはつするようにナマエの肩を抱き寄せにんまりと笑う。


「ナマエ、オイラの彼女になっちまったから」


みるみる赤くなったり青くなったり忙しいタロを見て、こりゃ今日は書類どころじゃなさそうだなとほくそ笑む。リーグ部の部室から絶叫が聴こえるまで、あと数秒。