G5イグアスと地獄で再開


 

※3周目EDバレ有り





オールマインドに呼び出されたステーションで、胸が空白になる気配に621は小さく息を吐いた。そろそろ今回も終わりが来るだろう。それがどんな形であろうとも。


出来損ないの621に感情の機微はわからない。それでも、おそらく機嫌が悪いのであろうがなり声で野良犬と呼ばれたことは覚えている。飼い主のいる犬にも野良犬ということがあるのかとぼんやり思い、そのまますぐに忘れさってしまった。わたしは変わらずハンドラー・ウォルターの猟犬であり、他人からの呼び名などあまり重要なことではなかったからだ。
ただ、足元に転がる残骸を見て思う。今はそれが限りなく正しい名称だということを。


「待ってたぜ、野良犬」


その時彼女は初めて男を認知した。
量産機がいくつかとすこし違った機体がひとつ。実質的には無人機のはずだ。なのに、その呼び名には聞き覚えがある。
撃ち放たれるレーザーを避け、ミサイルの照準を合わせながら621はひたすら朧げな過去を引っ張り出していた。


621はこの男のことを覚えていない。


今までずっと、お世辞にも広いとは言えない621の記憶領域はACと任務のことばかりが詰まっていて、他に割く余裕などなかった。わたしのことを野良犬と呼ぶ男。きっとかつてわたしがどこかで殺した、もしくは殺しそこねた中の1人。その男がどうしてこんなにも私に執着しているのか、俺を見ろと吠えているのかわからない。べつに、今まで通り。わからないことも知らないことも、621にとっては普通のことだ。でも、この妙に落ち着かない気分はそれのせいだということはわかる。
だから、どうしてもこの男のことを知りたいと思った。それは621がつめたい眠りから目覚めてほとんど初めてと言っていいことだった。


オールマインドと呼ばれるAIが名を呼ぶ。そう、確か、前にも聞いた。密航してすぐ、レッドガンの特別声の大きい男がこの名前を呼んでいた。ああ、もっと前から興味を持っておくんだった。まさかこんなところまで来てくれるなんて知らなかったのだ。わたしを消すことがすべてだと、身体を捨ててまでここへ来た男。すべてが煩わしいと味方すら切り捨てひとりきりでわたしの前に立つ男。無意識に噛み締めていた唇を舐めて、初めて舌に乗せる名前を何度も何度も繰り返す。刻み込むように、忘れないように。


「イグアス」

「死ぬまで、わたしのこと、見ていてね」


今まで感じたことのない感情が胸を満たす。621がもっと言葉を知っていれば、これが歓喜というのだとわかったかもしれない。
初めてだったのだ。ただまっすぐに、何も通さず621だけを見る人間なんて。どこかくすぐったくて、むず痒い。それでいてわるい気分ではない。そんな感情もなにもかも、すべてが。
名前は覚えた。声も覚えた。彼の姿も形もわからないけれど、なんだっていい。今はそんなものはどうだっていい。うるせえな、と吐き捨てるように彼が言う。


「てめえは先に地獄で待ってろ……!」


だって、なんと!彼は地獄にだって来てくれるらしいのだから!
飛びかかってきたブレードを躱しショットガンを直撃させる。そのままパイルバンカーを押し付けようとすれば機体は一瞬で上にワープした。とめどなく鳴り響く銃声が祝砲の如く鼓膜を震わせる。この瞬間、大いなる計画も、人類の運命も、どちらも621の頭の中からは綺麗さっぱり消えていた。ちっぽけな2人の生命の削り合いの中、621はうっすらと、されど確かに笑っていた。


「やくそく。勝ったほうが、地獄の果てまで会いにいく」
「いいぜ……、てめえが満足するまでやってやるよ」


すべてを捨ててまで俺を見ろと絶叫した男と、それを認知した上で死ぬまで目を離してくれるなと願った女。
これが、機能不全の強化人間C4-621の初恋だった。






そして、散逸していた意識は再び始まりに戻ってくる。





「イグアス、むかえにきたよ」


コーラルリリースを無事に終え、なんやかんやでまたウォルターの猟犬としてダム襲撃の日を迎えた621は何度目かのはじめましてで意気揚々と人工声帯を震わせた。


迎えにきたとは言ってもイグアスが621のことを覚えているとは思っていない。ただ、こっちはお前のことを気に入ってしまったんだから仕方ない。地獄の果てまで散々纏わりついてやるから覚悟しろの意の含まれたご挨拶だった。野良犬に相応しくガラが悪くなってきているがだってもう誰も前世を覚えていてくれないのだから仕方がない。いくら621に記憶が残っていたって他が覚えてなければいい感じにするにも限界というものがあると思うのだ。
というか皆が何をどうしてもいい感じに生き残ってくれないのが悪い。まあほとんどの死因は621が暴れているせいだと理解はしているので、これはいわゆる八つ当たりである。


閑話休題。ということで、彼もいつもの初対面みたいにぎゃんぎゃん吠えるかなと思っていた。誰だテメェとか気色悪ィとかそういう旨を。言ってしまえばその声を聞きたいと思ってこんな事を言ったのだから。なのに、イグアスはしばらく黙ったままで。621がへんなのと首を捻って、男はようやく柄にない静かさで口を開いた。


「……遅え、野良犬のくせに待たせんじゃねえよ」


カミナリが落ちたようだった。ばちりと背骨を衝撃が通り抜け、瞬きも忘れて621は目を見開く。長い渇きに慣れていない目はすぐに痛みだしてはぼろぼろと液体を溢し、あわてて瞬きをするも目が元の機能を取り戻すには少しかかった。


なるほど、このルビコンが地獄でなくてなんというのか。解放戦線が聞けば怒り出しそうなことを考え、621はあの時のようにへたくそに笑う。その顔の動きで目尻に溜まった涙がぼろぼろ頬を伝った。


621のこれまでの人生とは、もっぱら自らの主人に執着して、それにも関わらずその彼を失い続けるだけだった。そうしてどこにも行き場のなくなった感情ばかりが今も621の中で燻り続けている。この感情の名前を彼女は知らない。教えてくれる人が誰もいなくなってから、ようやくそれは彼女の胸を食い荒らすからだ。
何度も何度も何度も何度も繰り返しては失い、ある時には友人さえも失い1人きりで燃える星を見とめた。その時もそのどうしようもない感情だけが胸に残った。でも、最後の最後までイグアスが居てくれた時だけ、あの時だけはその抜けるような空虚がなかった。たぶんそれは621が考えるに、嬉しかったのだと、思う。
つまり、RaDの頭目のように感情に疎くない人間に言わせれば、彼女はとにかく寂しかったのである。


我に帰った621は寝返りを誘う解放戦線の通信をブッチして、憤るダナムも放っておいて過去最速でダム変電施設を破壊した。そして困惑しきりのウォルターやミシガンに有無を言わさずレッドガン基地にそのままお邪魔して、帰投したガレージでヘッドブリンガーの横に立つ男に彼女の出せる最高速度で抱きついた。


そこにどんな思惑があったにせよ、まずACから降りてきた野良犬が女だったことでACS限界を迎えかけていたイグアスは、抑揚の薄い人工声帯でもわかるくらい嬉しげに名を呼ばれたことで完全にスタッガーし、その後の肉体的接触でリペアを使う暇もなく速やかに撃破された。女のハグは時にしてどんな兵器よりも強い。
一部始終を見ていたヴォルタ曰く、イグアスの最期の言葉は「女とか聞いてねえぞ」だったと言う。今まで621が外交のすべてをウォルター任せにして誰ともろくにコミュニケーションを取っていなかったために起こった事故であった。


その一部始終は鳴り物入りのG13ということで様子を見にきた暇な連中に目撃され、凄まじい速度で拡散された結果2人は隊員全員から異様に生暖かい視線を向けられることとなった。浮ついた話の少ない基地では色恋沙汰はほとんど劇薬に近い娯楽である。ゆえに、不器用な笑みで、それでもとかく嬉しそうに抱きつく独立傭兵レイヴンと、顔を真っ赤にして抱き返すこともなく固まったG5イグアスは今も隊員たちの語り種となっている。