V.Vオキーフと逃避行*
※解放者√
一機のACがルビコンの辺境を駆けてゆく。四脚のうちの二脚をもはや引き摺るようにして、時折躓くようにふらつくその機体はそれでも速度を落とさず狂ったように疾走する。帰投する場所もなく、またその意味もなくしたACとそのパイロットは、ひとつの星の命運をかけた死闘に勝ったとは到底思えないほどみすぼらしい姿であった。
おれのハンドラー、今はもういない。おれが殺したから。その事を考えるたびになぜか621の視界はぼやけて見えづらくなった。
いつもの任務なら、誰を倒そうが、どんな断末魔を聞こうが、621の水面にはさざなみのひとつも立たない。そしてそれは、きっと今回も同じと思っていた。それなのに、どうしてこんなことになっているのだろう。あの船から脱出してからというもの、長い嵐の中にでもいるかのようだ。
もはや数えきれないほど同じことを繰り返してきたはずなのに、どうして?ありとあらゆる不具合にまみれガタガタ揺れる機内で同じく不具合まみれの621は思考する。どうして彼の時だけこんなにも喉が勝手に震えるのか、胸の奥に澱む飲みくだせない息苦しさのこと、どんなに拭ってもあふれつづける視界を塞ぐ水の意味を。
621にはなにもわからない。621の不具合の理由を教えてくれる人ももう居ない。
今はどのくらい経ったんだろう。蜂起は成功したんだろうか。まだ終わってすらいないのだろうか。戦闘の途中で壊れてしまったらしい無線は何も教えてくれない。でも、結局621にはなにも関係のないことだ。
ザイレムから脱出してすぐはずっと話しかけてくれていたエアの声も今は聞こえなくなった。気遣って1人にしてくれたのかもしれないし、呆れてとにかく情報を集めに行ってしまったのかもしれなかった。それすらも今はどうでもよかった。
わけもわからず滲み続ける視界に見たことのないACが映ったと同時に、かろうじで動き続けていた機体ががくりと速度を落とす。警告アラームは鳴り続けていてどれがどう駄目になったのかさえわからない。621はほとんど無意識にそのACに向けて機体を動かし横付けにした。近くで見るその四脚ACはひどく傷だらけで、621はお揃いだと思った。
ザザ、と耳障りな音が鳴り、壊れたと思っていた無線が通信を告げる。621は一瞬身をすくめるも、ノイズ混じりでろくに聞こえないそれを無視して外に出た。エアが居たら危険だと止めたかもしれない。それでも、理由はわからなくとも、621はどうしてもけたたましく響く無線の中には居たくなかったのだ。
冷えきった風が脆い身体を容赦なく嬲る。急激な温度変化に震える視界の隅で、横のACのコアが開くのが見えた。
「灼けた空の上を飛んでるんじゃなかったのか」
「……だれ」
「…………?解放戦線から差し向けられたんじゃないのか」
「……しらない」
ほとんど感覚のない足を引きずり、ボロボロの愛機の足元で座り込む。身体と一緒に頭も冷えていくさまがやけに心地よくて、ずっとこのままでもいいかと思った。
なぜか同じように降りてきて、向かいで煙草を吸う男はオキーフと名乗った。ヴェスパー部隊の第3隊長、"元"同僚のラスティからレイヴンの話は聞いているとも。
「……ラスティは、どうした」
「…………わかんない」
どこかに痛みが走った気がして、621はちいさく蹲り膝に顔を埋める。ラスティ、おれの友達。あの息が詰まりそうな報告の後、もしかしたら脱出して生きているかもしれない。問題なく助かっているかもしれない。でもそうじゃなかったら?あの猥雑な無線の中にどうしても居られなかった理由を621はようやく理解した。今はもう、どんなことだって聞きたくなんかない。
小さくなった621に対して、何を考えているのかわからないままにオキーフはぼんやりと遠くを見ながら煙を吐き出している。どうしてこの男はずっとここにいるのだろう。眠くはないはずなのにすこし重くなったまなこで見つめていると、彼はぽつりと殆ど独り言のように言葉を溢した。ここにフィーカがあればいいのにな。フィーカってなに?飲み物、だな。温かくて、苦い。
621は目を閉じて、飲んだこともない飲み物に思いを馳せる。たまにウォルターがマグに淹れていた、黒く波打つ飲み物がそれだろうか。くろい水面からしろい湯気が立ちのぼり、空気に溶けていくさまを不思議と見つめたことを621は覚えている。ウォルターはいつもおれには別のものをつくってくれたから、それを飲んだことはないけれど。何気ない思い出のはずなのに、また身体のどこかがちくりと痛んだ気がした。気だるげに頭を振って正体不明の感覚を振り払う。とはいえ、その鈍い痛みは消え去ることなどなかったが。
それにしても、と621は虚ろな瞳で目の前の男を視界に入れる。ウォルターと同じものを好むこの男なら、彼の言っていたこともわかるだろうか。
「オキーフ、ふつうの生活って、なんなんだろう」
「…………、難しいな」
膨大な本棚から目当ての一冊を探すかのように、オキーフはうんと時間をかけて答えた。
企業勤めでもわからないものなのか、と621はぼんやり思う。ウォルター、あなたの言うものはなんだか難しいものらしい。そんなもの、おれひとりでわかるわけがないのに。また目の前が滲み始めて、621はぽつりぽつりと生まれて初めての恨み言を溢す。
「言われたんだ。再手術して、ふつうの生活をって」
「そうか」
「でも、おれ、ふつうの生活なんかしらないのに」
そして、教えてくれる人ももういない。
「オキーフ」
「……どうした」
「オキーフは、生きたい?」
「……どうだろうな。今はただ、疲れた」
「……おれも」
つかれた、という言葉は朝焼けか夕焼けかも分からぬ茜色の空に溶けて消えた。オキーフの紫煙と621の白い息だけが凍った世界に動きを与えて、どうしようもない2人だけが生きていた。
「……乗れ」
もう動かないんだろう、それは、と告げられて漸く半身とも言える機体を顧みる。くずおれるように折れた前二脚は、あるいは何かに祈っているようでもあった。
「……どこにいくの」
「……どこでもいい、ただ落ち着いて、眠れる場所に」
無言で差し伸べられた男の手を握って立ち上がる。煙の匂いが染みついた無骨な手が無遠慮に621の冷えた頬を擦って、ぱりぱりと目の下の氷を払った。不思議と、この男に触れられることは621は嫌ではなかった。
オキーフの助けを借りながらバレンフラワーに乗りこむ。当然のように一人用の機内で621は暫し迷ったのちに男の足元に蹲り、そっとその膝に頭を乗せた。ものごとを考えすぎた頭は痛くて、不具合を起こしつづけていた目とまぶたはもう開けていられないほど重かったからだ。それでも、痛みを感じているうちはこの身体は生きている。
嗅ぎ慣れない煙草の匂いを感じながら、621は気絶にも似た眠りの中に落ちていった。
妙に狭くなったコクピットの中、速度を緩めてバレンフラワーを駆るオキーフはレイヴンの温もりを膝に乗せたまま思案する。胸ポケットには拳銃がひとつ。
見るからに丸腰の男が1人、ACに比べれば玩具とも言えないこの拳銃でも殺せるはずだった。何を思って近付いてきたのかは不明だが、現状勢い付く解放戦線からも敗色濃厚と化したアーキバスからも逃走しているオキーフに味方はいない。ゆえに、誰であろうが一発で仕留めて終わり、そのはずだった。なのに、猟犬とも鴉とも畏怖されるACから出てきた男が、途方に暮れて膝を抱えるただの人間であったから。
混乱しきって放心している姿に毒気を抜かれたというのもあった。これがあのスネイルをして害獣と言わしめた男かという虚脱感も。だがそれ以前に、自分がどうして泣いているのかもわからない子供を殺す趣味はなかった。それだけだ。
オキーフはかすかに寝息を立て始めた男を一瞥して、溜め息をひとつ吐く。ここまで言い訳じみた思考を並べる程度には、俺も気が滅入っているらしい。
まあいい、とにかくこの星を出る。緊急用の脱路はこの状況でもまだ幾つか機能しているだろう。そして、戦火の遠い静かな町で普通の生活とやらを求めるのも悪くない。それは彼自身が望み、焦がれているものでもあるからだ。
バレンフラワーは思い出したかのようにルビコンの地平を振り返る。そこに残されたレイヴンの機体は、跪き、赦しを斯うような所作をしていた。
しばらく経って、解放戦線の一員がルビコンの辺境で独立傭兵レイヴンが乗っていたと見られる機体を発見した。機内は無人であり、独立傭兵の行方は未だ不明である。