スティック・ウィズ・ユー

本格的にイタリアに来て、引っ越しやらを済ませてチームの練習に合流するまでの少しの休日。
細々としたものを片付けながら、そろそろ昼でも食べるかと立ち上がったところに置きっぱなしのスマートフォンが揺れる。表示された名前を見てすぐに通話をタップすると、もしもし……?ともはやコミカルなまでに哀れっぽい声が響いた。


「しょーちゃん、わたしが寝ないように通話繋いでて……」
「ハ?そっち今夕方だろ」


先程壁に設置した日本時間の時計を見る。夜というには早い、夕方というには遅い微妙な時間ではあるが、どう考えても眠気に襲われるには早すぎるはずだ。
それでも、時差の計算はやくてすごいね……とおよそ眠気で舌が回ってないんだろうふにゃふにゃの喋り方は、ほとんど目を閉じかけている女が目に浮かぶようだ。同じベッドで眠っていた数日前までに散々聞いたふやけた声。


「そう、今日寝てなくて、頑張って起きてるんだけど、今寝ると生活リズムぐちゃぐちゃなる」
「なんで俺がいなくなった途端に昼夜逆転してんだ」
「なんかゲームがおもしろくて……やめられなくて……」
「ハァ…………」


情けない声音からろくでもないことだろうと思ってはいたが、想像より数倍どうでもいいことだった。眉間の皺を深めたまま馬鹿じゃねえのかと溢すと、やめ時がなかったんだよおと一丁前に言い訳してくる声に大きなため息で返事をする。無いわけないだろ。


「まあ、生活リズム戻そうとしたところだけは褒めてやるよ」
「ありあと……」
「今にも寝そうじゃねえか。起きろ。飯食ったか?風呂は?」
「んん……、先にはいった。お風呂場で寝落ちたら、めんどくさいから」
「飯は」
「おひるにたべた……」
「食え。今すぐ」
「ねむすぎてお腹すいてないよぉ……」
「煩え。食ったら多少目覚めんだろ」


むにゃむにゃ恨めしそうに鬼だとかママだとか言ってるのが聞こえるが聞こえないふりをしてやる。数日ぶりとはいえ、声を聞いて多少気分がいいのは自覚している。遠距離になって1番最初の連絡がこれかとは思うが。
いいから起きろとせっつくと、がさごそ音がしてあ、カップ麺あったと気の抜けた声がした。おい、まさかそれで終わらせるつもりか?んー、食べないよりはいいと思っています。あーもういいさっさと食え。

俺は昼飯を、ナマエは夕食を食べて寝る支度をしながら、その間もずっと通話を繋ぎっぱなしで。物を食べているときはちょっとしゃっきりしていた声は、全部済ませたと報告してくるときには欠伸混じりでいよいよ眠気に負けかけていた。もういつ寝落ちてもおかしくなさそうだ。


「もう寝ろ」
「んや、まだ早い。もーちょい」
「……そーかよ」
「あ〜も〜明日も明後日も一限あるのほんとむり。必修一限にするのほんとひどいよね……」
「お前そんなんで大学卒業できんのかよ」
「だからこうしてしょーちゃんに手伝ってもらってるの……」
「ぐずぐずしてっと待ってやんねえぞ」
「やだぁ、絶対そっちきれいな人多いじゃん……」
「ハ?他の女なんざどうでもいい。お前が卒業してようがしてなかろうが時期になったらこっちに連れてくるっつってんだ」


学費無駄にしたくなけりゃきっちり卒業しろと吐き捨てる。お前以外に一緒に住んでもいいと思うやつなんか存在しないんだから、約束は守ってもらわないと困る。夏休みはこっち来るって言ってたからわざわざ今から1人で住むには広すぎる部屋を借りてんだ。俺の荒い言葉に萎縮することもなく、さっきまでぐずっていた女は緩んだようにふふっと息だけで笑った。


「ん、がんばるよ。バイトもがんばってるし、夏休みまでに飛行機代と生活費貯めるの」
「おう、早く来い」
「んふふ、はやくあいたいな。しょーちゃん居ないと寝れないの。なんか、さむくて」
「……布団かぶって寝ろ」
「もー、そーゆーのじゃないよぉ。でも、きょうは、いーかんじにねれそー」


どんどん緩くなっていく口調に起きとくんじゃなかったんかと言いたくなるが、もうここまで来ると寝かせてやった方がいいと判断して黙り込む。これだけ早く寝たら一限だろうが起きられるだろう。それより、こいつの思考が駄々漏れているとしか思えないストレートな物言いの方が問題だ。
「お前、それ他の誰にも聞かせんなよ」
眠たいとやたら素直になる変な癖を他の誰にも知られないように厳命する。俺の隣で眠っていたときには色々役に立つことも多かったが、通話ですらそうなるなら話は別だ。誰にも知られてたまるか、ナマエのそんなところを知っているのは俺だけでいい。なにが……?とほとんど寝息のように答える呑気な女に舌打ちを漏らす。


「寝る前は俺以外と通話すんな」
「わ、りふじん……」
「わかったか?」
「あい、わかった。じゃあ、たまに夜、電話かけていい?」
「こっちからかける。俺が電話かけたら寝ろ」
「おお、暴君……」
「いいから寝ろ」
「んぅ…………」


おやすみ……と消えかけの声の後、ぱたりとスマホの倒れる音と共にすぅすぅと軽い寝息が聞こえ始める。今更になってビデオ通話にしておけばよかったかとぼんやり思うが、雑念を振り払って起こさないように通話を切った。さっさと片付けに戻ろう。どうせあと少しで終わると見渡して、急に目につく部屋の空白に舌打ちをした。この数年が早く過ぎればいい。取り急ぎは今年の夏、はやく隣にいつもの温もりが戻ればいい。あの賑やかさでこの無駄に広い空白を埋めればいい。この部屋が広く感じなくなる日を、今はただ待ち侘びている。

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