人通りの絶えた廊下に水音が響いている。男が女の顔を掴み、深く口づけているらしい。女の苦しげな喘ぎはかすかに聴こえるが、その姿は黒い影にすっぽりと覆われて見えない。黒い影の名は賈充という。

職務中の昼下がり、相引きにしては奇妙な時間と場所。相も変わらずサボり癖の抜けない司馬昭を探していたはずの男が女の手を取り、この廊下に引き摺り込んだのは数刻前のこと。


男が現れる少し前、中庭に佇む女は穏やかな陽光に照らされながらつかの間の休息を享受していた。この頃ずっと部屋に篭っていたものだから、気分転換でもしようと思いたってのことだ。暑さも盛りを過ぎ、涼を運びはじめた風を浴びて女は心地よさげに目を閉じていた。完璧な午後だった。

色の白い肌が陽を浴びて、輪郭が光と混ざり、溶ける。彼女に似合いの薄い色をした着物が風にそよぎ、きらきらと目映く反射する。
ただの通りすがりだった。することはまだ山ほど残っていた。それでも、光の中に立ちつくす女を見た賈充は、居ても立っても居られなくなって彼女を陽を遮る廊下の隅へと連れ出したのだ。


「公閭?どうしたの?」


壁に片肘をつき女の姿を覆い隠す賈充に、不思議そうに首を傾げるナマエは尋ねた。至極真っ当な問い。それでも、お前があまりに綺麗だったから、と素直に口にするのは憚られた。その代わり、光に溶けて消えそうだったつややかな頬を撫でる。柔く触り心地のいいそこは薄く熱を帯びていて、賈充の指に確かに女の実在を伝えていた。


「司馬昭殿を探しにきたの?ここには居なかったけど」
「そうだったが、気が変わった」
「あなたもサボることにしたの?見つかるわよ」
「心配するな。ここは誰も通らない」


ふうん、とさして興味もなさそうに答えた女は、理不尽に壁に押しつけられているにも関わらずぼんやりと男に身を任せている。
戯れに薄く開かれたままの唇に指を添わせると、血色のいい唇がちいさく動いて、賈充の黒く染められた爪先を喰む。思わず目を見開くと、彼女は指を咥えたまま陶然と笑い、すぐに我に帰ったように顔を背けた。目の前で固まったように立ち尽くす男を置き去りにして。


自分の行動に照れたらしい女は、まばたきを繰り返してから徐ろに目の前の男に抱きついた。こうすれば照れた顔を見られずに済むとでも考えたのだろう。赤く染まった耳を無防備に晒して、胸元で「ねえ、はやく帰ろうよ」とむくれる女はどこまでも愚かしく、愛おしい。目の前にいるのはお前に目が眩んだ盲だというのに。


そうして話は最初へと戻る。数刻に渡って散々口内を食い荒らされた女は賈充に縋りつきなんとか立っている有様で、それがさらに男の欲を満たしてゆく。もう何度目かもわからないままにあえかな舌を舐り、甘く歯をたてては蹂躙する。息が足りていない女は顔を赤く染め、わずかに与えられた息継ぎの合間に身を捩るも、目の前を覆い尽くす影から逃げられるはずもない。




「もう……、あなたってば本当にわかんない……」


そろそろ本当に限界だという頃に漸く解放され、未だに息を切らしながら恨めしげに女は言った。
涙に濡れた頬を拭ってやりながら、わからないのはこちらだ、と言いそうになる。これほどまでに愛し、穢し、それでもなんの躊躇いもなくその身を俺に預ける女。汚辱の腕に抱かれようともなお目を眇めるほど眩しい光。


「もう歩けない。つれて帰って」
「ああ」
「ねえ、なんで急にこうなったの?」
「……お前が、あまりに綺麗だったからな」
「なにそれ、へんなの」


陽の光に照らされるお前がどれほど美しかったか、知る由もないのだろう。抱き上げて近くなった顔をまじまじ見ていると、視線に気が付いたのか眉を顰めて女は言う。


「続きは夜じゃないといや。人払いもしてよね」
「くく……、お前はつくづく甘すぎるな」
「そう?あなたに似たんじゃないかしら」
「ほう……、俺に?」
「ええ、あなたってわたしにとことん甘いから。だから、帰ったらお茶を淹れてくださるわね?喉がからからなの」
「くく、都合のいい」


軽口を叩きながらも2人の影は角を曲がり、見えなくなった。薄暗い廊下には靴音ひとつさえ残らず、今はもうなにも聞こえない。