于禁と最近の流行り


 

※オリジンズ時空


戦勝祝いの酒宴は熱気と賑わいに満ちていた。どこでもかしこでも賑やかな喋りや笑い声が響き、遠くでは調子外れの歌も聞こえる。皆、此度の勝利と酒に酔っていた。

中央の方ではおそらくただ食事をしているだけの許褚と紫鸞が側から見れば大食い対決の様相を呈しているらしい。妙に盛り上がるそれに普段なら眉を顰める于禁も本日ばかりは目くじらを立てることもない。せいぜい水を差さぬように隅で静かに宴を楽しむくらいである。少しばかりの気掛かりといえば、いつも通りに隣で酒を舐めている自身の副官のことだ。


「お前は、向こうに行かぬのか」
「……?行かないです。ここが一番楽しいですから」
「…………そうか」


反論しようとしたものの、どこか満足そうなナマエの顔を見て于禁は言葉を飲み込んだ。副官ゆえに普段から宴席で隣に侍っているのかと思いきや、別にそういうわけではないらしい。彼女がどこに楽しみを見出しているのかは知らないが、本人が良いと言うのなら良いのだろう。一度だって宴の席で隣に居ろと強制した事はないのだ。それに、ぽつぽつとどれが美味いだの味付けが好みだのを言い合い、互いの杯が空になれば注ぎ、何気ない会話を交わす。そのような気安い時間は于禁にとって中々得難い喜びであった。



厳格を絵に描いたような出立ちで敵はまだしも味方にも恐れられている于禁に、実力は申し分ないが些か奔放なきらいのあるナマエを副官として添えたのは曹操の案である。気質のまるで異なる2人だからこそ、ともすれば反目し合うかとも懸念されていたがそのようなことにはならなかった。むしろ破れ鍋に綴じ蓋、お互いを補い合う関係であり、本人たちに聞こえないところでは夫婦と呼ばれることすらあったという。本人たちは至ってそのつもりはないのだろうが、かえってそれが面白い、とはとある軍師の談である。








深夜、死屍累々と化した宴席から1人の男が席を立った。自室へと向かう道すがら、普段なら一糸の乱れもない足取りもわずかにペースが乱れ、時々ふらつく様子すら見られる。いつもの彼を知る兵が見ればすわ天変地異の前触れかと怯えるだろう。


初めのうちは隅でナマエと居たものの、殿に呼ばれたためにそちらに向かい、気が付けば他の将軍たちにも捕まり、随分と長く宴席に留まることとなってしまった。此度の戦ではそれなりに戦功を挙げたからだろう。常と変わらぬ軍務を果たしているつもりではあるが、今回はすべてが上手く噛み合っていた。真に賞賛されるべきは立策した軍師たちと調練通りに行動した兵たちであるというのに、目上の人間から賞賛と共に酒を注がれるといくら于禁と言えども固辞するわけにいかない。


全軍挙げての祝宴を見越してか翌日は全員が休みとなっていたが、一日中寝て過ごすのは沽券に関わる。とにかく少しでも多く眠ろうと足を向けた自室の寝台には、薄手の掛け布を抱きしめて眠る自身の副官の姿があった。


「…………は」


冷や水を浴びたかの如く酔いも覚める。むしろ深酔いから来る見間違いであればどれほどよかったか。先ほどの場で、以前荀攸殿が酔っ払って無名の寝台に潜り込んだらしいと噂を聞いた。まさかとは思うが流行っているというのか、他人の寝台に潜り込む行為が。規律はどうなっているのか。責任者は何処か。


于禁が静かにパニックを起こしているまさにその瞬間、人の気配を感じ取ったのかナマエが小さく声を漏らしながら寝返りを打つ。むずがる子どものようなそれに思わず息を潜めてから、一体何をしているのかと頭を抱えた。眠りの浅いその時に声のひとつでも掛ければよかったのだ。いくら酔った頭とはいえ安らかに寝ているところを起こすのは忍びないなどと考えている場合ではない。この失策は我が身の不徳の致すところである。早急にどうにかしなくては。


「ナマエ、ナマエ。起きろ」


夜更けに許される最大限度の大きさで呼びかけても彼女は一向に目覚めない。なお、酔って意識のない女性に軽々しく触れる行為は節義に反すると于禁が判断したため今行える行為は声掛けだけであり、現状は明確に詰みと言える。


それにしても部屋を間違えるとは、思ったよりも飲まされていたのだろうかと于禁は苦くため息を吐く。ナマエに限って人の寝台に潜り込むような真似はするまい。なにより普段は節度ある飲み方をする女である。そこまで長く席に残っていたようにも見えなかったが、自分が立った後に不埒な輩でも来たのだろうか。そもそも、普段なら自分がそばに居るから近寄り難いだけで、彼女は顔も人当たりも良い方なのだ。もっと気をつけてやるべきだったと思案したところで普段より幼げな寝顔はくうくうと寝息を立てるだけである。眩暈がするのは酒のせいだけではない。


それにしても、一夜をこの部屋で過ごさせるわけにもいかないがナマエも副官とはいえ女である。勝手に抱き抱えるわけにもいかず、とにかく一回目を覚まさせて自分の足で歩いてもらわなければどうしようもない。于禁は覚悟を決めて掛け布を抱き込む彼女にそっと触れた。何度も名を呼びながら己の手のひらで軽く覆いつくせる肩を揺らす。ゆらゆらと頭が揺れるたびに悩ましげな声が上がる中、何度目かの揺れにいよいよ往生際の悪い目が開いた。


「ナマエ、起きろ。ここは私の自室だ」
「……んぅ、……于禁、どの?」
「そうだ。お前は部屋を間違えているのだ」
「……于禁殿だあ」


まだ夢の中にいるかのようなナマエは、于禁の顔を見てはまだ酔いの最中であるかのようにふにゃりと笑った。


「まってたんですよ、かえってくるの」
「……何を」
「だって、今日、あんまり話せなかったから」


さみしかったのでと目を擦りながら起き上がるナマエになにをどう言っていいのかわからない。間違えたのではなく意図的だと言うのか。無自覚な発言の数々に思考が止まったのか叱責は元より返答すらも出てこない。酔っているのは自明の理だが、それでどうしろというのか。


「……なんにせよ、軽々しく、異性の部屋に入るな」
「かくかどのが、于禁殿ならいいって」
「な、ッ!そのようなわけがあるか……!」
「でも、喋れたので、うれしいです。かえります」
「………………そうか。ッ危ない」
「うあ」


立ち上がった途端ふらついたナマエを咄嗟に抱きとめる。瞬時に絶影もかくやといった神速で手を離すも、胸元にうりうりと額を擦りつけているナマエが離れようとしない。どこぞの軍師に悪知恵をつけられたであろう酔ったナマエの手に負えなさに呆然と立ち尽くしながら、この女はこんなにも小さかったかと妙な感慨すら浮かんでくる。


「……歩けるか。こら、離せ。それは私の寝具だ」
「んん、大丈夫です。あるけます」
「それを離せと言っておるのだ」


どうしても抱きしめたまま離しやしない掛け布を一旦諦めつつ、触るぞと声を掛けながら彼女が真っ直ぐ歩くように肩を支える。暦は小暑、掛け布など無くてもどうにかなる。それよりも意識のあるうちにナマエを部屋に送り届ける事が重要事項である。


「ありがとございます。おやすみなさい」
「うむ、早く休め」


ぺこりと頭を下げたナマエはとうとう掛け布を握りしめたまま自室に入っていった。がた、と何かに躓いたような音がして眉を顰めるも、勝手に部屋に入るわけにもいかない。倒れる音はしなかったから大丈夫だろうと大雑把な見当をつけて部屋へと戻る。いくら于禁とて眠いものは眠いのだ。







「誠に、誠に申し訳ございませんでした……」
「委細は聞かぬ。罰として、今後宴席での飲酒を禁じる」
「ヴ、厳に拝命致します……」


翌日、于禁の部屋の前で死にそうになりながら待っていたナマエは、いざ現れた于禁のいつもの3倍は深く刻まれた眉間の皺を見て思わずぴゃっと飛び上がった。休日、それにあのような騒ぎがあったというのに定刻通りの起床である。申し訳なさやら居た堪れなさが怒涛の如くに押し寄せてきて頭が上げられない。目が覚めたら複数の掛け布に包まれていた身からすると私ばかり良い睡眠をとってしまい誠に申し訳ないと謎の謝罪まで頭に浮かぶ始末である。


「これからは、私が側に居る場合のみ飲酒を許す」
「エ、いいんですか……?」
「お前は、普段から節度を知らぬという訳でもない。昨日は私の居らぬ間に酷く飲まされでもしたのだろう。大方目星はついているが」
「ああ……」


于禁殿が立った後に珍しく隣に座った軍師様の顔を思い出す。確かに多くの酒を勧められ、随分と私的な話を喋ってしまった気がする。なによりも完全に面白がられていたことを思い出して血の気が失せる思いだった。あれだけ泥酔しておいて記憶が残っているのはどういうことか。普通全部忘れているものなんじゃないのか。せめてもの慰めは于禁が思ったよりもナマエのことを信頼してくれていると知れたことくらいか。


「本当にすみませんでした……。自分でも酔うとあそこまで本音が漏れるとは思ってもみませんでした……。以後気をつけます……」
「…………本音か」
「え?あっ、……ハイ」
「……ならば、尚更。私の前以外で酔うことを禁じる」


それならば昨夜の様なことは起こらぬだろうと真面目な顔で話す于禁に、この情けない顔がバレませんようにとナマエは祈った。確実に赤くなっている頬も、急上昇した体温も、喧しい心臓もなにもかも。二日酔いの頭の中では、昨夜、随分と楽しそうな郭嘉殿に吹き込まれた、「于禁殿は特別や例外といったものを嫌うけれど、君と他の人間の扱いは確実に違うよね。本人は気付いているのかな?」という言葉が響き渡っていた。