法正と優しさ
※現パロ
「あ、新作」
「……寄りますか?」
有名コーヒーチェーン(最も、彼女にとってはスイーツショップと言って差し支えない)の前で徐に呟く彼女の意図を汲む。ぱっと目を輝かせてこちらを振り向くナマエは「いいの?」と聞くが、別に何でもいいと肩をすくめた。この女がたまに行きたがる、店内からメニューの何から何まで可愛らしいカフェよりはこちらの方が助かるというもの。それに、どうせこの後も彼女の買い物に付き合わされるだけなのだ。足が疲れたと泣き言を言われる前に休んでおくのはこちらとしても悪くない提案に思えた。
「ね、あたし席取っとくね。後で払うから!」
列に並ぶ俺を置いて、するりと人波を抜けていく女はいつだって勝手気ままだ。ちゃっかりと窓際の二人席を確保してご機嫌らしいナマエからは、ふわふわしたうさぎが喜んでいるスタンプと共にドリンクチケットが即座に贈られてきた。何度要らないと言っても送ってくるこれは本人曰く「いやがらせ」らしい。なにせあれは俺が嫌そうにするたびに心底楽しそうに笑うのだ。本当に性根の捻くれた女だ、一体誰に似たのやら。
最適な報復を考えている間に列は進み、気が付けば自分の番になっていた。彼女の望み通りフラペチーノとアイスコーヒーを頼もうとして、そういえばあいつは寒がりだったなと思い出す。フラペチーノとノースリーブのサマーニット、さらにこの冷房の効いた店内ときたら、すぐにかたかたと震えだすのが目に見えるようだ。俺といる時にしか薄着はするなという約束を律儀に守っているのはいいが、この猛暑のせいでそもそも自分が寒さに弱いということを忘れているらしい。溜息を吐いて注文し直す俺を、手慣れた様子の店員が微笑ましげに眺めていた。
「え、この暑いのにホットにしたの?」
「ええ、色々ありましてね」
「ふうん?そうなんだ。てかめちゃくちゃ可愛いし美味しそう!いただきます」
嬉々としてストローに口を付けるナマエは、初めこそおいしい!と目を輝かせていたが、半分ほど飲んだ頃には案の定滑舌の甘くなった口から「さむい」とあわれな鳴き声が漏れた。
「何もかもが予想通りで助かりますよ」
「なんのはなし?え?くれるの?」
「ほら、交換です」
コーヒーは飲めない、さらには熱いのも冷たいのもダメという贅沢な舌の彼女のために、ほどよく冷めたチャイティーラテ。一口飲んで嬉しそうに口角を上げたナマエは、「手もさむい」と言いながらまるく整えられたアイスグレーの爪で甘えるように俺の手にやわく爪を立てた。触れる細指は塗られた色に似合いの冷たさで、よくぞまあこの数分でここまで冷えられたものだと感心さえしてしまう。望まれるままに手を持ち上げると、すぐに冷たい両手が絡みつく。
「やさしーね。こんなの誰にでもやってるの?」
「この俺が?やっているとでも思うんですか?」
「あは、全然思わない」
ひどいやつめ、と女は言葉とは裏腹にへらへらと笑う。俺の手と飲み物でひとしきり体温を取り戻したらしいナマエは、悪戯っぽく小首を傾げてあのさあ、と話し出した。
「世間の女子的にはどうかわかんないけどさ、あたし的には優しい人って恋人にしたくないんだよね」
俺を優しいと評した舌が乾く間もなくいきなり何を言い出すのかと眉を顰める。とんだ褒め言葉もあったものだと思ったが、このなにか企んでいそうな顔はそういうことではないのだろう。わずかに首を引いて続きを促すと、かるく頬杖をついた彼女は意気揚々と話を続ける。
「孝直も優しいけどさあ、言ってもリターンありきじゃない。そういうのじゃなくて、ほんとの"優しい"人。居るじゃん、お人好しっていうか、欲がないというか」
ストローから登る甘ったるさに辟易しながらも、頭の中でぼんやりと特定の人物が像を結ぶ。彼女は会ったことがないはずだがと一瞬思案して、別に特定個人のことを指しているわけではないと苦笑した。ただの架空の人間の話。それでもこんな大雑把な人物評価で充分当てはまってしまうのだから、あの人も大概というものだ。
「そういう人、なんか嫌なの。普通に心配になるし、付き合ったとしても他にも狙ってるやつ絶対いるでしょとか、誰にでもやってんじゃない?とかってずっとやきもきしなきゃいけないし」
「ああ……、それはそうだろうな」
「あは、心当たりあった?」
「大いに」
脳裏にくっきりと像を結ぶはなんとも情け深い我が上司のことで、確かにあれが恋人となるとさぞかし座りが悪いことだろう。誰にでも頼られ、それに応えようと奔走するお人好し。その人柄の賜物か、同性であろうとも勝手にのめり込んで暴走する輩が後を立たない。俺が苦虫を噛み潰した顔をしていたのがそんなに面白いのか、目の前の女は上機嫌にくふくふと笑い、でもね、と続ける。
「孝直はあたしにだけ"優しい"から好きだよ」
性格がよろしいとは言えない台詞をしれっと言い放つ女は、なるほど悪党に似合いとしか言いようがない。悪い女、不敵に見上げる視線の角度も計算されているのではないかと思うくらいに。
匂い立つような魔性は一瞬で影を潜め、何事もなかったかのように両手でカップを口に運ぶナマエは「あ、そういえば靴下買わなきゃいけないんだった」と呑気に買い物の予定を立てている。それでも俺が見つめているのに気が付いたのか、不思議そうに長いまつ毛を瞬かせた。
「貴女も、あまり愛想を振りまかないよう。というよりもう少し周りを警戒しろ」
「あはは!ねえ、ヤクザみたいな男が連れてる女に手出そうってやつが居るとでも思うの?」
あんまりにあけすけな言葉に眉を寄せるも、ナマエはそれすらも面白いといった様子で笑い続ける。お前が1人で席に座った時、周りの男がお前を見ていたことにも気付いちゃいないんだろう。睨みつければすぐに消えたが、この女には本当に危機感というものがない。正しくは"他人に興味がない"だろうが。
「居たら流石に相手しちゃうかも。面白すぎて」
「やめろ。面倒ごとを増やすな」
楽しそうにけらけらと笑う女が、出会った当初は微笑みひとつ見せなかったことを覚えている。誰彼構わず無表情で、話す言葉は最低限。つまらない、無愛想な女かと思えば、限られた友人には目を輝かせて笑いかける。そんな顔もするのかと、その代わりように興味を持った。そう、ただの興味だった。この気まぐれな女を落とせば一体どんな顔をするのだろうという好奇心。
「あは、心配しなくてもだいじょーぶ。あたし、好きな人にしかお愛想しないよ」
放り出された俺の手を取り唇を寄せるフリをしながら、満ち足りたように女が笑う。結局、落ちたのはどちらかなど問うつもりはない。俺は確かにそれが事実なのだと知っていて、それでも女の笑顔に気が気でない。それが答えだ。
「はあ……、そういう変に素直なところが怖いんですよ」
「そりゃあ孝直の前だもん。トクベツだよ」
「それならいいが……」
確かに愛しているし、愛されている。それなのに、目の前の笑顔が他の人間に向けられるさまを想像しては腹の底が昏く焦げ付く。お前のその顔を見るのは俺だけでいい、いっそ閉じ込めてしまおうかと喚く感情を押さえつけ、どうにもならぬと内心で舌打ちをした。杞憂を理由に縛りつけるような愚かな真似は俺のプライドが許さない。それに、実力行使などという無様な手を晒した時点であいつは俺に対する一切の関心を失うだろう。そういう面では女の方がよほどシビアだ。あの目が再び有象無象と同じようにこちらを見ると考えるだにぞっとしない。
「なあに?歯切れ悪いなあ」
「いえ、なんでもありませんよ。貴女には、これからも優しくない女で居てほしいものだというだけです」
「うわ、なにそれ!ひどい言い草」
「言い出したのはそっちだろう」
こんなにも女の立ち居振る舞いに振り回されたことはない。本来なら苛立ちの種にしかならないそれも、ナマエならば仕方がないと諦められるくらいには絆されている。手懐けられている、とは言いたくないが。
複雑な気分をかき消すように残ったクリームを飲み干し、そろそろ行くぞと立ち上がった。何もかも、胸焼けがするほど甘ったるくて仕方がない。