楽進のお迎え


 

※現パロ



まさかこうなるとは、と最寄駅の構内から外を眺めてため息をついた。気分良く定時に上がり、さあ帰るぞと電車に揺られている間に降り出した雨はまるで収まる気配を見せない。突然の雨にコンビニの傘は全滅しているし、タクシーを呼ぶほどの距離でもない。つまり、今足りないのは濡れる覚悟だけ。それでも、この鞄最近買ったのになあ、とか明日も平日なのに、という心の声はまだまだ声高に不平不満を並べ立てている。


淡い期待に少し待ってみても、ざあざあとアスファルトに叩きつけられて弾ける雨粒は雨足の強さを物語っている。せめて持ってくればよかったと嘆いていた折り畳み傘も、これだとあまり役には立たなかったかもしれないな、と思った。そうやって自分を納得させたところで、現状どうすることもできないのは変わらないのだけれど。

もしかしたらと思って見たメッセージアプリも、「もう帰ってる?」の一言に既読がついたまま、返信はない。彼も定時ぴったりで帰ることはあまりないし、きっとまだ会社にいるんだろう。だとしたら、彼も濡れて帰ってくるのかもしれない。早く帰って準備をしておいてあげなきゃなあ。ようよう覚悟を決めて屋外の降りしきる雨を見据えた途端、すごい勢いで構内に駆け込んでくる1人のサラリーマンの姿が見えた。


その人は畳まれた傘を右手に持っているのになぜか全身がびしょびしょで、着ているシャツもスラックスも色を濃く染めていた。こんな時間に急ぎとは珍しいことだ、と思いながらも、傘があるなら使えばいいのに、とちょっとだけ恨めしくも思う。
なんとなく気勢を削がれて、傘、傘さえあれば、と何度も繰り返した思考をリピートしながらぼんやり見ていると、そのサラリーマンはきょろきょろとなにかを探すようなそぶりをして、その顔をこちらに向けてぴたりと止めた。ぱちりと目があった全身濡れ鼠のその人は、どこからどう見ても同棲しているわたしの彼氏、楽文謙だった。



「ナマエさん、迎えにきました!お待たせしてしまい恐縮です!」
「え、あれ、文謙くん?なんで?」
「メッセージを見まして、きっとこの雨に困っているのだろうと思い急ぎ参上しました!さあ、帰りましょう!」
「えっうれしい。てっきりまだお仕事中なんだろうなあと思ってたんだよね、来てくれてありがとう。……でも、なんで傘差してこなかったの?」



わたしの持ち合わせている小さなハンカチではどうしようもないくらいにびしょびしょの文謙くんは、申し訳なさそうに、「一分一秒でも速く到着しようと思いまして……」と分厚い身体を縮こまらせるようにもごもご弁明していた。返信がなかったのも、傘を持ってるのにびしょ濡れなのも、理由がこれなら文句のつけようもない。ありがとうねと苦笑しながらとりあえず顔周りの水滴を拭う。「お手を煩わせて恐縮です……」と、拭いやすいように頭を下げてなすがままにされている姿はまるでさんぽ帰りの犬のようだ。


「……愛されてるなあ、私」
「……!はい!あなたを愛しています!伝わっていて嬉しいです!」
「ふふ、ちょっと熱烈すぎるな」
「恐縮です!」


ぽつりと漏れた本音に、心底嬉しそうに両手を掴んで微笑む姿はぶんぶんと振れる尻尾が見えるようだ。彼を見ていると、仮にも彼女であるのに眩しくって仕方がない。まあ、ただでさえ目立つことになっているのに、さらに目立っているのは否めないけれど。








ぱしゃぱしゃと跳ねる雨粒で足元はすぐに濡れてしまったけれど、それ以外をガードするように文謙くんの大きな傘は私をすっぽりと覆っている。一本の傘に2人で潜り込んでいるのに私がこれだけ守られているのは、彼が半分以上傘の外に出てしまっているからだ。元々びしょびしょの彼が気を遣っているのはわかるのだけれど、頭すら半分出てしまっているから傘の意味がまるでない。傘を私に差し掛けている彼はなぜかにこにこと満足そうではあるけれど、シンプルに絵面がひどすぎる。


「ねえ、もっと寄ってよ。私がひどい彼女みたいじゃん」
「う、ですが、それではナマエさんが濡れてしまいます。私は大丈夫ですので!」
「いいから、」


ぐいぐいと寄るように腕を引いても、身長のわりに屈強な体躯をしている彼は全然動かない。彼女に向かってなんだその体幹は。押しても引いてもびくともしないものだから一周回って面白くなっていたけれど、ふと思い立って傘を持っている手にぴったりと寄り添う。すると、初めはあわあわしていた彼も、決して私を突き放したりはしないからやっとおとなしく傘の中に収まってくれた。鍛えられた肩はそれでもはみ出してしまっているけど、こればっかりはどうしようもない。

これ以上彼が濡れに行かないように傘を持っている手に掴まってぐいぐい肩をぶつけると、傘の真ん中にいるはずなのに服がじわじわ濡れていくのがなんだか面白い。それに、彼の挙動があからさまにおかしくなっているから思わず吹き出してしまう。多分、私を濡らすわけにはいかないのに私が濡れに来てしまうという矛盾に襲われているせいだと思うんだけど、なんか壊れたロボットみたいだ。
ぎくしゃくした動きについていくように逞しい腕にしがみついていると、濡れて張りついたシャツのぬるさが気にかかる。いくら体温が高いとはいえ、このまま風邪を引いてしまっては困る。



「帰ったらとりあえずシャワーかなあ」
「そう思いまして、出る前に湯を溜めておきました」
「えっすごい、偉すぎ。仕事ができる。天才じゃん」
「過分なお言葉、恐縮です……!タオル等も用意してありますので、身体が冷えてしまう前にお入りください!」
「うそ、私が先なの?それはちょっとなあ……」
「しかし、これ以上あなたの身体を冷やすわけにはいきません……。私のことはおかまいなく、頑丈だけが取り柄ですので」
「そんなわけなくない?現状取り柄しかないんだけど……。……あ、そうだ、一緒に入る?」
「エッ」


それなら解決じゃない?と笑いかけても、彼はフリーズしたみたいに前を見たまま全然動かない。確かに一緒にお風呂に入ろうと言ったのは初めてだったし、刺激が強すぎたのかもしれない。ちょっと後悔しながら立ち止まった彼の目の前でひらひら手を動かすと、我に帰ったのか一拍遅れてぶわりと顔が赤く染まった。そんなにかと覗き込もうとして、時が止まった。だって、私に向けられた視線も、固まった手を掴んだ掌も、信じられないくらい熱い。


「ぜひ、ご一緒させてください!」


私を見る顔は嬉しそうにはにかんでいるのに、ぎらぎらと獲物を見るような目が逸らされることは決してなくて、やっぱり嘘かも、と訂正もできないような雰囲気に慄く。いつの間に傘を持ち替えたのか、私がしがみついていたはずの腕は今やしっかりと私の腰を捕らえているし、ぎくしゃくしていた歩き方もスムーズに、なんならちょっと足早になってすらいる。ああもう、完全にやらかした。普段は純情なくせして、スイッチが入ると信じられないくらい雄全開なのを忘れてた。

もう今後の安否をお祈りすることしかできない私は、そっと荒れた天気に祈った。願わくば、私にこの靴を乾かす時間が与えられますように。そして、彼が明日も平日ということを覚えていてくれますように。