司馬師と始まらない


 

※現パロ


休日の朝、そろそろ起きなきゃなあ、と思いながらベッドの上でごろごろしていると、唐突にインターホンが来客を告げる。配達にしては早くない?と首を傾げながらカメラを覗くと、向こう側には休みにしてはきっちりとした服装で、どこか所在なさげに立ちつくす友人の姿があった。
何事?と一瞬思ったけれど、そういえば昨日「明日行く」というシンプルなメッセージが送られて来ていたことを思い出す。にしても早すぎるでしょ。司馬家の御曹司ともあろう男がこんな小学生みたいな時間から遊びに来ないでよ。



「流石に朝早くない?」
「そうか?このくらいの時間には起きているものだろうと思って来たのだが」
「女子は色々時間がかかるものなんだよ」



インターホン越しに文句を伝えても、当の本人は全然ピンときてない様子。ノーメイクでそのばっちり綺麗なお顔を持ってりゃそうもなるでしょうよ。というか休みの日に規律なんてものがあると思わないでほしい。この時間に目が覚めているだけでも奇跡みたいなものなんだから。

女心というか人間の心をわかってない子元には朝ごはんとして近所のパン屋でいい感じのパンを買ってくることを課して、その間に急いで着替えて簡単な化粧を済ませる。どうせ今日も一日居るんだろうけど、冷蔵庫の中に食材はまだ残っていただろうか。まあなかったら外食かデリバリーでいいか。





大学生の時には気付かなかったことだけど、司馬子元という男はとにかく休みの過ごし方がへたくそだ。ごろごろするでも買い物に行くでも映画を見るでもなんでもいいのに、何をしていいのかわからないのか休みともなると私の家に現れる。そして、当然の流れとして家主である私に、私だけが楽しい映画や買い物に付き合わされているのだ。もっといい趣味を見つければいいのに。


とはいえ毎度、私がそろそろ忘れた頃にインターホンが鳴るから、本当に暇でどうしようもない時にだけに来ているんだと思う。多分。そう信じたい。以前、彼が久しぶりの休みだと言いながらうちに来たから、気軽な気持ちで前に来たのはいつだったっけと思い返して怖くなったことがある。仕事が苦にならない人ってほんとうに不思議だ。たぶん別の生き物なんだろうなと私は固く信じている。






しばらくして、無事にいい感じのパンを手に入れて帰ってきた子元は我が物顔で私のソファーでくつろいでいる。なんなんだ、とは思うけど、買ってきたパンが全部私の好きなやつだったから許してあげた。私の分のついでにコーヒーも淹れてあげよう。



「ねえ、せっかくのお休みなんでしょ?わざわざこっちこなくても家でだらだらしてればいいのに」
「何もせず自宅で無益な時間を過ごす、というのがどうにも怠けているようでな。お前といる方が気が紛れる」
「なんだそれ……。休みって怠けるための時間じゃないの……?」
「ほう……、見解に相違があるようだな」



気になったことを聞いてみたらとんでもない返答が返ってきた。これだからストイックな人間は、としか言えない。思考回路がまるきり違う。朝が早いのも夜が遅いのもいやで、自分ひとりが過不足なしに生きていければそれでいいとフリーランスを選んだ私とは雲泥の差だ。たぶんこれは人間力の差とも言う。

子元に言わせれば、私はたんぽぽの綿毛のようなものらしい。地に触れればしっかりと根を張る素養はあれど、側から見るとあまりにも危なっかしく、頼りないのだと。言われっぱなしの私に言わせれば、休みかたを知らない子元の方がよっぽど危なっかしくて仕方がないのだけど。



「だからといって、わざわざこの狭い家に来ることはないと思うんだけどなあ」
「そうだと思うならいい加減私の家に来い。うちでもお前の仕事はできるだろう」
「ええと、お付き合いもしてない異性と一緒には暮らさないかな……」



コーヒードリッパーにケトルを傾けながら、いつの間にかぴったりと背後に寄り添う声に返事をする。人がキッチンに居るときに背後をついて回るのは子元の悪い癖だと思う。狭いし危ないと何度言っても聞きやしない。鳥の雛でもあるまいに、と思った自分にちょっと笑えた。随分大きな雛ですこと。


ドリッパーからコーヒーの落ちる水音に紛れて、耳の近くで低く唸るような声が聞こえる。見えないけれど、きっとつれない返事に不服げな顔をしているのに違いない。世間的には正しいことしか言っていないのだけれど、この話になると子元は妙に頑なになる。



「なにが不満だというのだ、お前は」
「そうだなあ。例えば子元が家に居る時間が同じくらいだとしても、"たまに遊びにくるお客さん"と"たまにしか帰ってこない旦那"には大きな差があるよ」
「……お前が家に居るならば、もっと早くに帰宅しようものを」



さわやかな朝の日差しが差し込むキッチンに、子元の恨めしげな声が響く。あれやこれやと難癖つけて彼の告白を断り続けている私もどうかと思うけれど、諦めの悪すぎる彼も大概だ。


とはいえ、本当に困っているのなら、メッセージアプリをブロックして、引っ越すなりなんなりしてしまえばいいだけの話。そんなことはわかってる。なのに、私も子元のことが好きだという事実のせいで何も上手くいかない。本当はもっと話したいし、触れたいし、子元が彼氏ならどれだけいいかと思う。


ただ、結婚となると話は別だ。彼のお父様は超有名な会社の役員だし、社内恋愛から結婚なされたというお母様だってそう。それに、彼と親との距離の近さも素晴らしいことだけれど悩ましい。つまりは、こんな普通の人間が華麗なるエリート一家に馴染めるわけもないでしょう?


子元と出会ったのは大学の時で、好きになったのは私が先、だと思う。顔も良ければ頭もいい、そりゃあ大概の女の子は好きになるでしょう。でも、漏れ聞こえてくるご家庭の様子を知るにつれて、そんな気持ちはどんどん失せていった。文字通り住む場所が違う。育ってきた環境が違いすぎて玉の輿とか言ってる場合では全然ない。いくらなんでも荷が重すぎる。
だから、できればこのまま友人として付き合っていけたらいいなと思っていたのだ。社会人となって数年、なにを思ったか子元が突然私に告白してくるまでは。


あーあ、はやくわたし以外に好きな人でも見つけてほしい。それなら諦めもつくってのに。最悪なことを考えながら棚から彼と私のマグカップを取り出そうとしたら、手前のグラスに手が触れて、一拍挟んでがしゃんと大きな音がした。あ、やっちゃった。思わず床に散らばった破片を拾おうとして、ちくりと指に痛みが走る。



「いた、」
「馬鹿め、触るでないわ」



しゃがみこむ私に合わせて長身が沈み、「見せてみろ、」と手を伸ばす。「大丈夫だよ」と隠そうとした指はあえなく彼の手によってがっちりと捕獲されてしまった。どうしてそこまで、と思わず彼の顔を見るけれど、彼は長いまつ毛を伏せながら静かに私の傷を検分している。その顔は少し不機嫌そうで、「そこまで深くはないだろう」と告げる声がどこか遠くに聞こえた。どうして彼が怒っているのか、私には全然わからない。


ぷくりと浮いた血の玉を眺めて、「絆創膏は」と問う声でふと我に返る。あの棚の中と指を指すと、無言で棚に向かった子元はごちゃついた中から的確にお目当てのもの見つけたらしい。私がシンクで血を洗い流している間に彼は絆創膏の袋をぺらりと剥がす


「自分でやれるよ?」
「私がやる。……拒んでくれるな」
「…………なら、お願いしようかな」


この答えは間違っている。子元が言いたいのがそんなことじゃないことくらい私にもわかる。さっきまでの不機嫌の理由も、彼の真意も。わかっていながら誤魔化す私に、それでも彼は何も言わなかった。実力行使に出るなりやりようはいくらでもあるだろうに、真面目だなあと思う。人ってこういうところにも育ちの良さが滲み出るものなのだろうか。


コーヒーの香り漂うキッチンの中、大きいくせに繊細な動きをする手が私の指に丁寧に絆創膏を巻いていく。いくじなしの私は何も言えずに覆われていく指先をじっと見つめていた。彼を傷つけるだけなんだから離れなよと冷静な私が脳裏で囁く。うるさいな。つめたく見える彼の白い手が案外温かかったこと、忘れることさえ出来ないくせに。


「終わったぞ」
「……ありがと。うああ、掃除機かけなきゃ……。子元は危ないからあっちいってて……」
「馬鹿めが、真っ先に怪我をしたやつが危険を語るでないわ。私がやる。お前は大人しく朝食でも食べていろ」
「いやでもあなたお客さん……。あう、睨まないでよ。わかりました、向こうで待ってるね」


すごすごと2人分のコーヒーを持って引き下がる私を満足げに見送った子元は、手早く破片を片付けて早急にソファーに戻ってきた。仕事ができる人は家事も簡単にできるらしい。ちょっと冷めたコーヒーを片手にスマホを触る横顔は、自分の家とは思えないほど絵になっていて何事かと思う。一体何ならできないんだこの人。じっと見ていたのがバレたのか彼が訝しげにこっちを向くから、慌てて彼の近くにあったリモコンを手に取った。


「そうだ、何本か見たかった映画あるんだけど、子元も見る?」
「悪くはないが、物にもよるな」
「うーん、じゃああからさまにB級のやつはやめとこうかなあ」
「わざわざ出来の悪いものを見たがる心境が理解できんな。時間の無駄だろう」
「そういうのを見たい時だってあるんだよ」


B級映画の方がまだマシだ。始まりがあって、終わりがある。私たちにはどっちもありはしない。一瞬浮かんだそんな考えをかき消して、何事もなかったかのように私たちは生活に戻っていく。そのままずるずる今日と同じ明日を迎えて、これからも私たちはしあわせになれない。