ぼんやりとそんなことを考えるほどに新しい刺激も嬉しいこともない日々が続いている。……執行者からの襲撃は刺激的でしかないのだが。
ひとつの場所に留まることも出来ず、拠点を移し、色々な街を渡り歩き、執行者から逃げる生活から解放されるのは、いつになることだろう。
そんなどうしようもないことを考えながら、アイテム屋や食材屋が建ち並ぶ道を人に当たらないようにして歩く。夕刻にも関わらず辺りはわあわあと賑やかで、キャッチなども多い。そんな中で、ああ、最近はこんな靴もあるのかなどと行き交う人々の足元を見ながら、ぼんやりと考えながら宿への帰路についている。
「バニラ? どうかしたか」
「……なんでも、ありません」
隣を歩くイージスが、真面目さが滲み出た真っ直ぐな瞳を彼女に向けている。何でもないというバニラに、ただ「そうか」と言うとまた前を向いてしまい、それっきり。
好きな人に向ける言葉ではないというのは百も承知だが、よりにもよってなんでこの男と買い出し班になったんだと、バニラは自分のジャンケンの弱さを恨めしく思った。なぜあの時チョキを出さなかったのか、などと今更考えても仕方ないことばかり浮かぶ。
本来なら、好き合う彼と同じ組になれて嬉しく思うところなのかもしれないが、天邪鬼な性格が邪魔をしてしまって素直に喜ぶことが出来ないでいる。今はふたりきりになりたくないのだ。
……想いが通じ合ってから数ヶ月。何か変化を求めていた訳でもない。想いが通じ合ったからといって、そもそも交際しようと約束し合ってもいないのだから突然何かが変わるわけもないとバニラは思っていた。
周りにひけらかすようなこともしたくないし、そもそも誰に相談していたわけでもないし、全て秘密でいい。そうしないと、確実に質問攻めに遭うその様子を想像して、仲間たちの様々な色を思わせる表情に微笑ましく思いながらもほんの少し――主にヴィシャスに対して――対応が面倒だなと感じてしまうほどに想像上の彼らはわいわいと騒ぎ立てているのだ。だから、別に何も変わらないのならそれはそれでいい。彼だってそう思っているはずだ。……多分。それを確かめることも出来ないのだけど。
「……いくじなし…………」
ぽそりと呟いた自分への恨み言は、彼の耳に届かぬまま風に掻き消され、夕陽に溶ける。
夕暮れの街の中、想いが通じ合ったときのことを思い出しながら、彼の隣から離れて少し足早に前を歩き出す。
……もう考えるのは辞めよう。そもそも、今は逃亡中の身でもあるのだから浮かれていてはいけない。新しく仲間になったオウレンという男も頼り甲斐がありそうでないような男なのだから自分がいつも気を張っていないと、執行者に追われているにも関わらずこの一行は気が緩み過ぎているように感じる。そう思ったバニラはまたツンとした雰囲気を纏わせてスタスタと、その仲間たちの待つ宿屋へ早く戻ろうと歩みを進めた。
人目に付かぬように入り組んだ裏道へ行くと、イージスがバニラへと手を伸ばす。
「おい、あまりひとりで先に行くな」
「なんです? 子供扱いですか?」
制するように華奢な肩に置かれた手から心配されているのが伝わるようで、それ以上は何も言えなくなった。
自分達は咎我人だ。いつ追手が来て捕まってしまうか分からない。街に居る人間だって全員が全員安全だと信じるのはあまりに不用心。“投影”を見られている可能性の方が高い。だから、ひとりになるのは避けるべきで、そんなことは分かっているが――。
ぐちゃぐちゃ、ぐらぐら、ぐだぐだ。胸の内に抱えるを口に出来ず、半ば八つ当たりのように身を捩って彼の手を振り解こうとした。が。
「……イージスさん?」
「――……」
……固まった。唐突に。
バニラが後ろから肩を掴む彼を見遣るが、前を見たままぴくりとも動かない。心なしか頬が赤いような……? と、訝しむように目を細めてじぃと見詰めるが、それでも動かない。まるで何かに吸い寄せられているかのように。
何かあるのかと思いイージスの視線を追い掛けてみると……。
「あ……」
ちゅ、ちゅ、と唇を吸い合う音がした。――自分たちと歳の変わらなさそうな男女が抱き合い、キスをしている。言うまでもなく恋仲同士の逢瀬だろう。離れるのを惜しむよう、何度も何度も角度を変えて唇を重ね合わせていた。唇と唇の隙間から覗く赤が絡み合い、何か、端から溢れているような……。頬が赤いように見えたが、裏道で建物の影が濃いため、勘違いかもしれない。……が、そう見えるほどに、熱烈で目が離せない――。
ガクン、とバニラの膝が崩れそうになる。まるで膝に“刺激的だったか?”とでも笑われているような気がして、かぁっと顔に熱が集まった。
見てはいけないものを見てしまった罪悪感と、緊張と、――。胸の内で全部混ざってなんと形容して良いものか分からない感情が身体中を巡っている。
動けないまま俯いて目を逸らすしかないバニラの腕が、ぐ、と掴まれたかと思うと、曲がり角の方へ連れられていた。
「っ、別の道を使うぞ」
バニラの腕を引き前を歩くイージスの耳はとても赤くて、白いふわふわとした甘い菓子のような髪が溶けそうだ、なんて彼女はぼんやりとした頭で思った。彼も“あれ”を見ていたんだということは聞かなくても分かる。
ああ、もう。早く頭から消えて欲しい。……どうかしてる。ひとときの逢瀬を楽しむ男女を自分たちに重ね合わせて空想するなんて。自分の浅ましさを振り払いたくてぶんぶんと頭を振ってみるものの、そんなことで消えてくれる筈もない。
スタスタと早歩きだった足がゆっくりになり、やがてふたりとも何も言わずにぴたりと歩みを止める。イージスは何か言いたげにしているが、どうせ不純だ破廉恥だなんだと口煩く言うつもりなんだろうと思い、バニラは彼にどうしたのかと訊ねることはしなかった。
「……イージスさんは……、……」
「……?」
「…………いえ、なんでもありません」
「言いかけておいて辞められると気になるんだが」
「……お気になさらず」
何を口走ろうとしてるんだ、とバニラは自分で自分の頬を叩きたいような気分になった。ふぅ、と心を落ち着かせるように内側に溜まった熱を放出するように息を吐いてみたけれど全然冷めてくれない。
物語や演劇でも見たことがある癖に今さら何を気にすることがあるんだ、と自分を叱咤してみるが、あんなものは人に見せるために綺麗に取り繕っているだけなんだと思い知らされた。
(ばかみたい。夢見る乙女にでもなったつもり?)
王子様のロマンチックなキスを夢見て、きゃあきゃあと戯れる若い少女でもあるまいに、と。またバニラの可愛げのない悪い癖が顔を覗かせた。
いつまでも考えていたって仕方ない。もう行きましょうとイージスに帰ろうと促すが、彼はその場から動かない。しかも、ジッとバニラを見詰めているではないか。イージスの琥珀の瞳があまりにも真剣なものだから、バニラはよく分からなくて、怪訝な顔をして首を傾げた。
「な、なんですか……? そんな顔をして……」
「言いかけていたことを言ってくれ。気になって仕方がない」
「……は!? なぜですか!? 気にしないでって言いましたよね!」
なんて気の利かない人なの! と心の中で悪態を吐きながら取り乱し、バニラは顔を真っ赤にさせた。
鈍感な人。デリカシーのない人。なんて女心の分からない人。心の中でではあるが、女の癇癪の如くポイポイと手当たり次第に物を投げてしまうように言葉を放った。また可愛げのない、底意地の悪い女のようなことをしておきながら、それでもバニラはイージスのそんなところも好きで嫌いになんてなれないことを自覚させられて、なんだか悔しくなった。生真面目で嘘の吐けない彼だからこそ自分は好きになったんだと思い知らされる。
いつまで経っても口を割らない彼女のそんな様子を、イージスは変わらず見詰めていた。
「お前が……」
「え?」
「焦がれたような目をしているから、それが何なのか知りたい。だから……」
「わ、私が……?」
自分は、そんな目をしてあの男女を見詰めてしまっていたのかと愕然とするバニラ。
イージスが一歩詰め寄るものだから、彼女は一歩後ずさってしまった。なぜ離れるんだと少しムッとした彼は彼女の手をぐっと掴んだ。逃がさないように。
俯く様子をジッと見据えながら、イージスは口を開く。言ってくれ、と。……言わなければずっと平行線だと分かる。いつもなら憎まれ口を叩いて逃れられるのに、今日はそれが出来ないとバニラはドクドクと心臓を鳴らしながら理解した。
たった一言、言えばいい。でも。
(言えるわけない! 辱めだわ、こんなの……!)
恥じらいのせいでなかなか出て来てくれない言葉により、口を開いては閉じる、を繰り返している彼女はまるで辺りの池を泳ぐ魚のようだった。
「…………その……あ、あなたは…………キス……し、したいとか、思わないんですか……?」
ああ〜〜〜〜〜〜っっっ……。言った。言ってしまった。とバニラは至極恥ずかしくなり顔を上げられず、より深く深く俯いてしまう。
破廉恥な女だと思われたに違いない。引かれたかもしれない。幻滅された? 今度こそ、嫌われた、かも。と思うと胸がぎゅうぅっと苦しく締め付けられるような感覚に襲われた。
気を遣われたりするくらいなら、もういっそ、思うことを言って貰った方が楽だ。なんとでも言ってくださいな。と半ばヤケになっている状態のバニラは、唇を噛み締めて彼の言葉を待つ。
「……つ、つまり、唇にキスをして欲しいということか?」
「〜〜〜〜!?」
はぁ!? と本日二度目の大声が出そうになったが、明け透けに言い直された自分の欲に恥ずかしくなり、バニラはわなわなと唇を震わせるしかできないでいた。
言い方というものがあるけれど、それをイージスに期待するのは間違いであるということは、彼を知る者なら誰にでも分かることだ。本人以外にはなるが。
居た堪れなくなり、買い出しの荷物の入った紙袋をぎゅっと抱き締めながら「忘れてください!」と言うが、言い切る前に「忘れるわけないだろう!」と言い返されてしまい、彼女はますます訳がわからなくなり目が回るような思いだった。
「俺だって、その……」
「……イージスさん……?」
「気分を害したら申し訳ないが、俺は、ずっと、したいと思っていた……」
今日か、明日か、明後日か。いつ、この日常が破綻するとも限らない。いつ執行者に捕まり消されてしまうかも分からない日を送る自分たち咎我人にとって、一分一秒がどれだけ貴重な物か。
跡形もなくこの世から存在を消されるかもしれない。勿論そんな簡単に負けるつもりはないが、実際に危険な目に何度も遭っているのだ――命を捧げて守ったとして、自分が消えてしまうとして、そうなる前に、一度でいいから愛しい人に触れたいと思うのは、浅ましいのだろうか。誰かに浅ましくないと許されたい。けれど、それを許してくれるのは、他でもない、愛しい人がいい。
欲しいと手を伸ばしたときに怖がらせたり嫌がられてしまったらと思うと、イージスはどうしても言い出せなかった。絶対に手放したくない、守りたい、大事にしたい相手だからこそ、バニラに許されたかったのだ。
(小賢しい、狡い男で、すまない)
お前に言わせて悪かった、と言い、また一歩彼女へと近付く。すると、お互い手にしている荷物の紙袋が擦れ合った。邪魔だな、と思ったイージスは道の傍らにそれを並べ置く。なぜ自分の分まで……とバニラは頭の片隅で思ったが、そんなことをいちいち追求するほどの余裕はない。彼女にとっては展開が早過ぎるようだ。
(心臓が、うるさい。どうしよう、どうしよう……)
内側にもうひとり自分が居て、苦しくて耐えられなくて、ここから出してと言いながらドンドンと心臓を叩いているのか? というほどにバニラの胸は音を上げている。
アッシュグレーの髪の隙間から覗く蜂蜜の瞳が愛しい彼女をその目に捕える。緊張から伝う汗が肌に滲んでいく様を見ているしかなかったバニラは、無性に赤い髪に紫の瞳を隠してしまいたくなった。
荷物を持っていた方の手がバニラの頬に触れる。すり……と手袋越しに撫でられ、今度こそ爆発してしまうような気がして、衝撃に耐えるかのように瞳をギュッと閉じてしまう。当たり前だが爆発なんてしなければ何も起こったりしない。ただ、イージスがその様子を脳裏に刻もうと見詰め続けているだけで。…… バニラにとってはそれが一番困るのだが。
恐る恐る開けられた瞳と、ずっと彼女を見据えていた瞳。またかち合った視線と視線に、お互い、もう何も言えなくて――。
「……いいか?」
たった一言、呟かれたそれに、バニラは身体中の血が沸騰したかのような感覚に陥った。
「……き、聞かないで、ください……。私だって、あなたと……」
「……っ、バニラ」
「……! ん、っ……」
――自分は辛抱強い方ではなかったんだなと思い知らされる。きっと「したいと思っていた」と言ってくれただろうに。なかなか聞けない言葉なのに。最後まで聞いていられなかったことが悔やまれるが、仕方なかった。イージスは、今すぐ触れたくてたまらなかったのだから。
お互い、キスの作法なんて知らない。ただ唇を重ね合うだけだと思っていたが、そんな安易なものではなかった。人生の中で、こんなにも人の唇の感触を味わうことなどない。これから先、ずっと、この愛しい人の柔らかさしか知り得ない。そう思うと、身体中が熱くなって――溶けそう、だなんて陳腐な表現しか出来ないでいた。
「イージス、さ……」
「バニラ……」
重ね合わせた唇は生クリームや果物のように甘いだろうか。初めてのキスは檸檬の味がするなんていうけれど、そんなもの感じる余裕はない。世の中の人はどうやってそんな風に心を落ち着かせられるのだろうとぼんやりとした頭で考える。
何度も何度も想像していたファーストキスは一瞬で終わってしまった。しかし、その一瞬は、瞬く間ではなく何分にも感じられた気すらする。
息をするために唇を離したが、まだ離れたくない。離れ難い。ああ、先程の男女もこういう気持ちだったのかも知れないと夢中な頭の片隅で、どこか冷静に考えた。
彼等の真似事だが、角度を変えて唇を重ね合わせてみる。すると、バニラがぴくんと身体を震わせて「ん、ふ……」と声を漏らすものだからイージスは欲張ってしまった。
(……もっと、聞きたい)
声が出てしまって恥ずかしいバニラは顔を自身の髪色と同じように赤くし、小さく震えていた。重ね合わせる度に唇が擦れて、キスをしていると分からせられているようで、もう、頭が上手く働かない。
勿論恥ずかしいだけじゃない。喜びも幸福感も満たされていく。だが、満たされ過ぎて、現実味がない。それなのに感覚が現実だと突き付けてくるからもう訳が分からなくなって――。
隙間が出来たときに酸素を取り入れようとするのに、すぐにまた塞がれる。優しく堪能するように、だけど食べられているようにも感じられて、甘い物を欲していた自分が甘ったるいケーキになったように思った。もっと食べたいと思ってくれるだろうか。まともに働かなくなった頭はそんなことしか捻り出してくれない。
もうどれだけそうしていたのか、これ以上したら唇が蕩けてなくなる気がして、彼女は目の前の彼の胸板を少し押した。苦しくさせてしまうほど夢中だったことに気付いたイージスは唇を離し、赤く火照るバニラを惚けた頭で見詰める。
ふ、と熱く浅い息を吐く唇に、イージスは吸い寄せられるようにまた顔を近付けた。美味しそうだ、なんて可笑しなことを考えながら。しかし、ぺち、という柔い音と共にバニラの手により口を塞がれてしまった。
「……おしまい、です。だ、誰かに見られたらどうするんですか……」
じとりとした紫の瞳は、やり過ぎだと訴えかけている。誰かに見られたら――という言葉にそれもそうかとハッとした彼がすごすごと柔らかな頬から手を退けたので、バニラは胸の内でホッと安堵の息を吐いた。
そして、沈黙。内包された熱のせいでお互いまだ夢見心地だ。ひと足早く夢から逃げ出すように歩き出したバニラが「帰りましょう」と口にする。
足早に歩く彼女の手をイージスが追い掛けて掴むと、ビクッと身を固くさせたので怖がらせたかと不安になったが、それは瞬きする間もなく払拭された。
「……耳、赤いな」
「…………う、うるさいですよ……」
ギギギ、と軋んだ音を立てているかのようにぎこちなく恨めしそうに振り向いたバニラは耳どころか顔も真っ赤に染まっていて。まるで果物のようだと思った――それまでは良かったのだが。
「……ふっ。くく……」
なんて愛らしいんだろうか。そう思ってしまっては笑みを溢さずにはいられない。
恐ろしいほど美しい笑顔の仮面をつけていると思われるほどのバニラも、自分の前ではこうなのだ。俺の前だけでは、こんなにも、わかりやすくて……可愛い。愛しさが込み上げて来て、止められなかった。
生真面目で堅物な彼の笑顔。いつもは得意げにフンと口角を上げている程度なのに――少年のような顔で屈託なく笑うだなんて、聞いてない。
(イージスさんのくせに、ずるい)
胸が高鳴ってきゅんとしてしまったバニラは負けたような感覚に包まれてしまい、思わず負けず嫌いを発動。何を笑っているんですか、とまた可愛げのないことを言ってすぐ、ああまた喧嘩になるとすぐさま後悔したが、彼はいつものように言い返さないどころか笑みを宿したままだ。
「すまない。だが……その。それだけお前に意識して貰ってるってことなんだな、と思ってだな……」
「……っ! し、知りません……!」
否定しないということは肯定と取られても仕方ないというのに、そんな駆け引きどころではないバニラは、ふいっ! と髪を振りそっぽを向く。
彼女を逃したくなくて、こちらを向いて欲しくて、イージスは捕らえたままの手をもう一度ぎゅっと握った。バッと勢い良く振り向いたバニラの双眸に映る自分が紫に塗られていて、なんだか気恥ずかしくなった。けれど、それよりも、もっと彼女の事が知りたいと思って止まない。
浅ましいと笑ってくれ。いつものように怒ってくれてもいい。それでも――。
(見せて欲しい。どんなお前も。自分すら知らない姿だって)
握っていた手でバニラの手のひらをなぞり、ゆっくりとほっそりした指に自分の指を絡ませると、白と黒が交差する。彼は解けないようにしたバニラの手を引き寄せ、黒い手袋越しの手の甲にそっと口付けた。きっと他の人が見ていたらキザだと思われるであろうその行動が様になっていて嫌味がないのだから、まるで物語に出てくる選ばれた王子のようだ。
バニラ、と名前を呼ばれ、彼女はぴくりと反応した。ふわりとした髪を揺らし、ちらりと彼を覗き込むように目線を向けて。まともに顔を見れない状態なのだから許して欲しいと言いたげに。
「……先に謝っておく。すまない」
「な、なんですか……?」
「この先、バニラと共に居る中で、恐らく俺は……お前をもっと知りたいと思う日が来る」
「は、はあ……。なるほど……?」
すり、と指先を絡ませながら話すものだから集中出来ない。解いてくださいと言おうか、などとぼんやり考えていると――。
「だから、俺に全てを暴かれる準備をしていてくれ。どんなお前も見せて欲しいんだ」
――とんでもない人だ。なんて人だ。
そんなことまで言わなくていいんです! と叫びたくなったが、彼の顔に「真面目に言ってます」と書いてあるほどに直向きさが伝わってきた。本気なのだと思い知らされ、バニラは何と言っていいのか分からなくなった。
「あの、私……」
準備をしておけ、ということはつまり予約ということで、いつか、タイミング次第では――ということで。バニラは自分の全身が茹で蛸のように赤く熱くなっていくのが分かり、上手く返事を考えられなくて。
「あ……! お、俺、は……その!」
「……イージスさん?」
「ち、ちがっ!その、破廉恥なことをしたいと言った訳ではなく、お前の全部を知りたいという意味で――」
「……違うんですか?」
彼は自分の放った言葉の内容を今更ながら理解したようで、取り繕うように慌てふためく。イージスの顔はこれでもかというほどに顔が赤くなっている。茹で蛸が二匹居ると勘違いされかねないほどに。
確認するような問い掛けに、正直なイージスは何も返せなかった。違うと言えない彼の答えは無言。つまり、違わないということだろう。
「早く戻るぞ」と言い、ひとり先に逃げ出すようにさっさかと早足で宿へ向かう。
どこまでも高潔な心を持つ彼の後をゆっくり追いながら、バニラは考えた。
もし。――もし彼に、自分の知らない自分を見せることになる日が来るとしたら、と。
「……毒を食らわば皿まで、ですからね」
そうひとり呟き、彼の唇が触れた手袋に重ねるように、ちゅ、と口付けた。優しく凪ぐ向かい風が、頬の火照りを冷ましてくれているように感じながら。
真面目な人ほどこういうとこあるよねって思ったのと、とにかくイチャイチャが書きたかったのでリハビリに。
2023.04.19