堕ちろ


※精神不安定な暗いお話。弱った彼による罵倒と懇願が入り交じってます
※転生体についての捏造を含みます


「死ぬときは道連れだぜ……ぼっちは寂しいからな」
 心神喪失した男の言葉に、和かな懇願にも似たそれに。
「まずはお休みに、安静になさってください」 司書は肯定も否定もせず、依り代である本を補修しながら、安心させるように微笑んだ。しかし何より鋭い刃を持つ男は見抜いてしまう、きっとその笑みは痛ましそうに歪んだ、拒絶であるということを。
「俺を、見捨てるのか。嘲笑ってるんだろ、弱い男だって」
 心のどこかで、己の精神が弱っているから、こんなことを言ってしまうのだとわかっていた。それでも言わずにはいられない、そうであると思う反面、否定されたくて仕方がない。
 そんなことはありませんよ、司書は男が望む通りに、一方で望んでいない言葉を返す。穏やかな、上っ面だけの笑みを浮かべて言うのだから、男には堪らない。
「嘘だ、嘘つき。ああそうだ、あんたは冷酷な女だ、俺なんてどうなってもいいんだろ。困ったような顔して、優しい振りして、その裡でどうだっていいと思ってる。無関心だ、俺のことなんて気にしちゃいない」 焦燥をにじませ、落ち着きなく捲し立てて。すがるように司書を見たって、女は顔色を変えずにいる。
「太宰さん、ゆっくり息を吸って、吐いてください」
「はは、言うとおりにしたらあんたも俺のいうこと聞いてくれんの? ほら、吸った、吐いたぞ、なぁ。聞いてよ」
「聞いてますよ、太宰さん」
「じゃあさ、俺と一緒に死んでよ」
「……」 女はちょっと詰まったから、男は少しだけ胸のすく思いをしたが。
「そんなに、死にたいですか。あなたにとって何者でもない、ただの司書と」
融通の利かぬ子どもに言い聞かせるようだった声音は落ちて、真面目な顔をした司書の言葉は、男の心のやわい部分を引っ掻いた。
「べつに、何者でもないなんて、言ってないじゃあないか。ひどい女、俺を呼び起こしておいて、他人ぶってら。ああ、お前みたいな人間、俺だってどうも思ってやしない、馬鹿馬鹿しい、くそっ、どっか行けよ。顔もみたくない」
 悪態をついて背を向け、布団を被った男に「そうですか」と無感動に頷いて、カーテンを閉める音と、お大事に、と少しだけ優しそうに降ってきたが、男の耳ではそれさえも逆撫でされたように聞き取れた。
 忌々しい、ほんとうになんとも思っていないんだ。補修室の布団は向かっ腹をたてる男に重くのし掛かる。なんてひどい女のところに喚ばれてしまったんだ、それさえなけりゃ何も考えないでいられたのに。眠りをさましたくせに俺のファンでもなくて、ただ義務として付き合っているだけの血も涙もない女。そうだ、あんなのと心中して何になる。あんなどうでもいい女。他のやつらにはよく笑って気にかけてやるくせ、俺のことは気にしやしない。忘れてしまおう、あんなやつ。くさくさして、治まらない憤りを抱えながら、補修の疲れか眠りに落ちていく。あーあ、なーんにも楽しくない。

 はっと目が覚めたのは補修が終わったから。補修室はどこか、司書のにおいがするから長くはいたくなくて。ふらふらと覚束ない足取りで、割り当てられた部屋へと戻る。道中誰にも会わなかった、嬉しいような、腹立たしいような。皆してどこかにいるんだろう。もしかしたら集まって俺の悪口でもいってるのかもしれない、きっとそうだ。だって、あの女に──司書に当たり散らした記憶がある。
 司書は誰にも別け隔てなく接する、この図書館でたった一人の特務司書だ。誠実な態度で平等に向き合うからいつだって忙しい。みんな司書と仲良くなりたくて、みんな司書を好ましく思ってる。俺はちがう、俺だけはあんなやつらと同じじゃない。嫌いだ、とびきり大嫌いだ。あんなやつ、そうは思うのに、見てほしいと思ってる。憎いとさえ思うのに、嫌われるのは怖かった。ああでもきっと嫌われた。だって、詰って罵った。ぞっとした。俺はなんてことをしてしまったんだろう。嫌われたら、──いつも真摯に相手を見るあの黒く曇りのない瞳に、睨まれたら。見てさえくれなくなってしまったら。ただでさえ霞んでいた視界は一気にぐらりと揺れ、血の気が引いた。そんなの、もう、生きていけやしない。……そうだ、そうなる前に、司書に嫌われる前に死んでしまおう。
 なんて簡単なことだったんだろう! さっさと死んでしまえばいいのだ、あの女と顔を会わせる前に、昔やった通りに! ぐちゃぐちゃになった頭は晴れ晴れとして、名案だと思えた。そうと決まれば早速、部屋に隠してあるとっておきの睡眠薬と、ただ度数が高いだけのまずい酒をかっ食らおう。がさがさと漁って、部屋を汚してひっくり返して、見つけた薬を熱いアルコールで胃に流し込んで。朦朧としはじめる視界で見た部屋は、物が溢れているのに、全てをみても司書の思い出がよぎるものなんてひとつもなかった。──本当に、何でもない女だったんだ。

 燦々と陽が降る部屋。何もかもま白くて、ああ、天国かなと息が漏れでる。行けるとは思ってなかったけれど、誰かが俺を憐れんでくれたのかもしれない。
「おはようございます」
 ふわ、と馴染みのある匂いがして。微睡みながら声のする方を見る。
「司書、さん……?」
「はい」 いつも通りの返事があって、少し安堵した。きっと天国で見る幸せな夢だ。
「司書さんだ、……ねぇ、手ぇかして」
「どうぞ」 願いを聞いてくれる、都合のいい女。司書だけど司書じゃない。初めて触れれば、温かくもない、美しいだけの石膏のような手。
「ああ、死んでまであんたを見るなんて……」 自分の思う通りに手を差しのべてくれる司書、願っていたけど望んでいなかった女。顔をみたくなかったのにこうして夢を見るなんて、なんて不毛で、むなしいか。
「──生きていますよ、太宰さん」
「……は? 何言って……」
「あなたも、私も、生きてます。ここは医務室です」 失礼しますと太宰の手を取って、司書自身の首に添えた。触れた手よりも温かくて、どくん、どくん、と一定の脈動が伝わる。「ほら」、司書の、命の音だ。
「な、な、なななな、じゃあ、俺、また」 生き残ってしまったのか。言葉は継げず、さっと青ざめた。目の前にいる司書が、都合のいい夢じゃなくて本物だというなら。願う言葉などいってくれるはずもない。だから、顔をみたくないと言ったのに。
「ごめんなさい、太宰さん」 司書が謝った。ああ、そうだ、お前なんか嫌いだと罵られる。耳を塞ぎたくても、司書の口を塞ぎたくても、手は司書に握られて首にある。ひっと息を吸い込んだような、矮小で醜い悲鳴が出たが、司書の口は止まることはなく。
「わたしは、あなたを死なせることは、したくないし、できないです」
「え、……なんで」 思っていたような言葉じゃなかった。想像して覚悟できなかった言葉などではなかった。予想の範疇の外側で、何をいってるかよくわからないから零れた言葉を、女はそのまま拾ってつづける。
「あなたの身体は、生前のそれや私のものと異なり、魂を軸としてあなたがかいたお話やあなたの想い、人々の想い、そういったものを寄り合わせて、本と、洋墨から作られたものです。なので私や生前のあなたであれば死に至るような怪我、病気で死ぬことはありません。あなたが飲んだ薬はただの市販薬であり、生前であれば命を落としたでしょうが、あなたの身体には効果がないとされています」
「こうかが、ないって……そんな、じゃあ」 憂鬱を、暗い闇の底を晴らす薬もないっていうのか。心中できるわけがない、死ぬこともできない。司書は、救いのない身体を与えたんだ。「俺は、いつ死ねる」
「文学を守りきったら」 ひねり出した渇いた声に返ってくるのは、きっぱりと、毅然とした態度で。
「あはは、ははは!!! ほんとうにひどい女だ! そんなの、そんなのいつになるとも知れないのに! ただの防衛戦、対症療法、根本を叩くに及ばずそも原因もわかってない癖、自分は死なない場所にいて、勝手に死ねるのに!!! 俺には戦わせて戦わせて戦わせて身を切らせて、だのに終わるまで死を与えない! 救いをくれない……!!」 もうどうだっていいように思えた。顔もみたくなかったが、憎まれても、恨まれても、この女の血肉に刻まれるなら、なにか記憶に残るならなんだっていい。救いもしないのに、一人で勝手に死にそうな女の頭に、ただ俺だけを焼き残してやりたい。戦況は見えなくて、もしかしたら女よりさきに死ねるかもしれないけど、そうすりゃこの澄ましたかおの女はきっと俺のことを忘れて、どっかにかたづいて楽しくいきるんだろう。ふざけた話だ。忘れさせてなるものか。
「呪ってやる」首に触れた右手を引っくり返して、添えられていた司書の手をとって。司書の左手を、爪が食い込むまで強く、強く握りしめる。苦痛に顔を歪めればいい、少しは俺の苦しみを味わえばいい。「こんな身体を与えやがって、こんな想いをさせやがって。呪ってやる、絶対に許さない。俺のことを忘れるな、いつだって思い出せ。あんたが魂を揺さぶって眠りから引き摺り起こした、楽に死ねない身体を与えたのが誰なのか。あんたのおきれいな肌に傷を刻み、痛みを与えてるのが誰なのか。忘れるな」
石膏のような白い肌は、血がとまって赤らんだ。俺にはもう存在しない鮮紅。こんなに冷たいのに、素知らぬ振りで流れている。
「忘れませんよ」 変わらぬ口調で、女は言った。痛みなぞ感じていないような顔だった。言い募って呪詛をはいたのは俺だというのに、その泰然としたようすに、声に、肩が震えた。恐ろしかった。腹立たしかった。どれだけ俺が言葉を重ねても、文字を連ねても、この女には響かない。俺の想いは届かずに打ち捨てられる。
「忘れない。忘れるものか」 もう喋ってくれるな。俺の夢ではない、都合のいい女ではない司書が、願いを聞いてくれるはずもない。「どうぞ呪ってください、許さないでください。好きにしてくれて良い。だから」
何を言っているんだろう、この女は。得体の知れない女だ。こんなにも、俺にとって訳のわからない存在だっただろうか。握りしめていた手は緩み、訝る俺に、司書は初めて表情らしい表情を見せる。
「文学を守ってください。私にはあなたたちにお願いするしか出来ない。それさえしてくれるなら、私のことを嫌っても、恨んでも、憎んでも、どうしたって構いません」
「何、いってんの……馬鹿じゃない、そんな、だってあんた、」 この女は。俺のファンじゃない。まともに小説を読んだことなく、ずっと怪しげな錬金術ばかり学んでいたような、胡散臭い科学者だ。人間味が薄くて、嘘なんて知らないような物質論者だ。だというのに、この女にとってはきっとなにものでもない文学を守れという。俺が愛してきた文学を、疎んだ文学を、全て引っくるめて。今にも泣きそうな掠れた声をして、その瞳には一滴も涙は浮いちゃいないのに。「何でそこまでする、何が、そこまで」
「……私の命は、文学に。特務司書になると決めた日に、この命の使い道も決めた。文学を守るという誓いをたてました」
 誓いのためだというのか。本当に馬鹿馬鹿しい、人間らしくない女。神なんて信じていないくせに、修道女のような女。どれだけ落ちぶれて呪いを受けても、なにものにもおかされることのない女。
「あんたが言ったんだ。あんたが、始めた。俺はあんたが望んだ通りに戦うから、俺の望みも聞けよ」
 ──なぁ、聖女さま。俺のいる地に堕ちてこい。


補修ボイス、とても好きです。
指が踊るままに書いたものなので、そのうち書き直したい


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