あなたの声を聞かせて
※武者小路実篤著『お目出度き人』『友情』/志賀直哉著『暗夜行路』ほかの内容。また、その独自解釈。
※コラボクイズの内容を含む武者小路実篤記念館の展示物や志賀直哉随筆集などの参考
※ゲーム中の志賀さんと武者小路さんの手紙や台詞のバレ(信頼度台詞を除く中庭散策台詞も含む)、コラボ衣装の武者さん、有島さんがいない図書館、未実装の文豪の名前
※図書館の施設や転生、錬金術などの捏造
以上を含みます。よろしければどうぞ。
帝國図書館には、通常の市民図書館には存在しない様々な施設が存在する。24時間営業の高予算メニュー豊富な食堂だったり、貴重な妙薬や霊石を販売する購買だったり、医師の常駐する破損書物の補修も行う医務室だったり、本の世界に潜るための部屋『潜書室』だったり。これらは全て帝國図書館におけるとある業務の上で必要不可欠で、その仔細について今回注目すべきではないし諸兄はようようご存じだろうから省略させていただくが、主として図書館の住人が利用する。
この『図書館の住人』というのは比喩ではない。図書館には居住者がいる。彼らは文豪とか司書とか各々立場は異なるものの図書館で働いており、そして生活の基盤を此処とするものたちだった。斯かる理由から、憲法で定められている基本的人権が保証される最低限度の生活を送るための諸々の図書館としては特例的な機能──食堂やら寝台やら、そういったものを有しているのだ。
さて、話すべきは先にあげたどれでもなく。最低限度の生活に大切なひとつの行為、入浴についてである。
居住者──直裁に文豪、彼らはそれぞれ私室を持つ。現在の身を持つまでにさまざま部屋を持ち家を持ってきた彼らからすればきっと粗末なものだが、とかく一人につき一室を与えられている。その内には一般的なアパートやホテルのようにユニットバスがあるけれど、馴染み薄い彼らにはなかなかに不評であった。
では彼らはどこで入浴するのか。簡易風呂とは別の大浴場である。
この浴場、ちょっとばかり豪華だ。居住者がそれなりにいるから割合広く、シャワーも多い。水圧やノズルの形なども選べるし大衆浴場によくある『一度の水量が決まっていて押したら勝手に止まる』タイプではない。大理石でできた浴槽であるとか水槽内で魚が泳いでいるとか大きい一面窓から生い茂る緑が鑑賞できるとか温泉をひいた檜の露天風呂とかそういうコストの高いブルジョワ的素敵オプションもあったりなかったり。温泉好きや風呂嫌いにどうにかこうにか入っていただくための涙ぐましい努力もあったりなかったりあったり。重要ではないので割愛する。
ことの要点は三つだ。ひとつ、風呂が広いこと。ひとつ、この図書館は一般に秘匿されるべきが多く文豪はその筆頭であること。ひとつ、文豪はその生まれやら現状の職務やらから掃除夫の真似事をさせるには忍びないこと。ひとつついでに司書もそこそこに忙しいこと。
以上の理由から基本的には清掃業者を雇っている。業者は不思議に思う、何だって図書館にこんな施設があるのかと。話したことのあるのは体格のよい初老の紳士と、まだ年若くも気難しげな女だけであるから。しかし優秀な仕事人はその秘密の匂いを嗅ぎとってなお、暴かないものである。
そして業者はある日、浴場の籠にあるものを見つけ、それを雇い主の女に知らせて手渡してから仕事を終えた。
斯くして雇い主の女、もといこの図書館唯一の特務司書の手には、誰かの忘れ物があった。
この忘れ物。そう長くない赤の組紐が二本、駒結びで繋がった先にはふわふわとした丸い玉がそれぞれついている。逆の両端、玉のついていない方は引っ掛けるためか細い紐が丸くなっている。
羽織紐だ。羽織の前を止めるための和装小物である。さて、誰のものだったか。司書は記憶を巡らせると、一人候補が浮上した。
未だ蝉の声が残る、初秋の涼やかな日和だった。
訪れた中庭に尋ね人の姿を見つけた。ベンチに座って、庭の中程にある池の向こうを眺めて何か思案しているようだった。
「あ、司書さん。こんにちは!」
「こんにちは、武者小路さん」
傍まで寄らない内に尋ね人──武者小路実篤は司書に気づくと、爛漫な笑顔で挨拶をした。その快活さにつられて司書も少し微笑む。
「風が気持ちいいですよ、ここ」 武者小路はそう言って、彼が座る横をぽんと手で叩き、司書に座るよう促した。
彼は司書が今休憩時間だとわかっていたし、彼女は休憩時間も気にせず研究を続けることも、誘われればその厚意を無下にし難いことも理解していた。司書は惑うような様子を見せたが、にこにこと見つめてくる武者小路に圧され、失礼しますと一声かけて座る。
「僕、ここから見る池が好きなんです。水が綺麗で。鯨も飼えそうですよね」
「鯨……ですか。鯨は厳しいですね……予算と、スペースが足りません」
「むぅ、そうですか……?」 雑談の冗談だったのかもしれないが、常の彼の熱意であれば、周りを誘って色々工面し本当にやってしまうような雰囲気がある。不満そうな彼を見て司書は苦笑した。
「それにしても、司書さんに会えてよかった。
あの池の向こうの開いた場所、ちょっと使いたいんですけど戴けませんか?」
武者小路は司書の休憩をとらせようという思惑もあったが、寧ろ相談したいことがあった。司書の来訪を喜び、切り出す。
「構いませんよ。何に使うかで整備する必要はあるかもしれませんが」
「南瓜を作りたいんです」
きらきらと目を輝かせていう彼に、司書は頷いたが別の提案もしてみせた。「でしたら、『植物室』の一角をお貸しすることもできますよ」
『植物室』というのは司書が管理する小さな温室のことである。彼女がその不可思議な錬金術によって稼働させ、術や研究の種となる植物を育てているのだが、花々が季節関係なく常に咲き誇る空間は文士たちもしばしば訪れる場所であった。
温度や湿度管理が司書の施した術式によって綿密になされた植物室であれば、彼がその手を煩わせることなく栽培できるが、武者小路は司書の申し出に首を振る。「それには及びません」
「すみません、出過ぎたことでしたね」
「いいえ、ありがたいですが、司書さんのその術は素晴らしい、大きい力です。僕は自分たちの小さな力で小さな畑を作ろうと思ったので」
司書はその言葉にはた、と動きを止めて武者小路を見た。そしてぎこちなく笑う。
「そうですか。……では、種と、栽培の本を手配しますね」
「わぁ、ありがとうございます!」 今度の提案は喜色と共に受け入れられた。武者小路は朗らかに人好きのする笑みを浮かべて、一先ずの段をつけられたことに満足した。
「そうだ、これを。武者小路さんのものではありませんか」
司書は当初の目的であった羽織紐を、確信をもって彼に見せた。「ああ! そうです、司書さんが持っていたんですね」
武者小路はいつもの純白の洋装ではなく、着物を身につけていた。
彼は潜書のない非番の日には和装を好んで着ていたが、その姿に特別なこだわりがあると云うわけではないようだった。時折親友である志賀直哉から色がおかしいとか、帯はどうしたと何彼と世話を焼かれているところを司書は目撃したことがある。
余談だが、司書も以前に数度、その志賀直哉に質素を極めた実用性重視の地味な身なりに言及されたことからも、彼の方はそれなりに気を使う方だと窺える。故に尚更親友の服装に口を出しているのだろう。
時々左右わからず履き違えて転びそうになる萩原朔太郎ほどではないにしろ、羽織を裏返していたり帯の代わりに適当な紐を巻き付けていることもあった。
黒い鉄製ベンチに腰掛けた武者小路の羽織は、普段の絢爛な洋装と反してどこか物寂しい。合わせに華を添える飾りにかけるからだ。その飾り紐は司書から手渡され、武者小路は漸くあるべき姿に戻すことができた。
「うーん、志賀がいなくてよかった」
「志賀さんは本日、外出届を提出されていましたね」
「この前やっと目当ての自転車を買えたって喜んでいたんですよ。今日はちょっと遠くの店まで、肥料のお使いをお願いしました」
最近志賀を見かけない理由だ、休日はお気に入りの自転車で小旅行に出ているのだろうと司書は納得する。因みに肥料云々は武者小路が司書や館長などに許可をとる前から畑化計画を進めていた示唆していたが、司書は気にしないことにした。
司書は、武者小路に思い立ったら即行動のせっかちと言われるような節があることを、常の急ぎ足の彼の背から理解していた。そして中庭で捕まえることができて安堵したのだ。場合によってはじっとしていられないと言う彼の足跡を追って捜索をしなければならないから。因みにそういうところがあるので、いつものましろい衣装で行動すると汚れが目立つというのも彼が非番にそれを身に付けない訳の一つだろう。
「志賀といえば、志賀が僕の本をあなたに勧めたと聞きました」
ちょうど親友の話が出て、武者小路は彼からの手紙を思い出した。目の前の女性が特務司書に就任してからしばらく、今では少し時間もとれるようになったのか錬金術の学術書以外にも小説を読んでいる姿を見られるようになったから、彼は自分の小説を勧めてみたということだった。(ここで云う自分とは志賀ではなく武者小路のことである。)
「ああ、はい。遅まきながら拝読いたしました」
「嬉しいですね! 何を読んだんでしょう」
「先ずは、一時有碍書指定となってしまった『お目出度き人』を。それから『友情』も」
最初に有碍書の話から出る辺り、彼女が特務司書足る心持ちで挑んだのだろうと云うのが窺えて武者小路は笑ってしまった。どこまでも真面目な彼女らしいことである、読書を心の糧より研究の側面ばかりで捉えてしまうのは職業病なのだろう。
「すみません、感想は苦手なのですが……」 司書は作者を前にして、迷いつつ司書は口を開いた。「『お目出度き人』と『友情』、“自分”と野島どちらにもありますが、彼らの恋愛は相手を理想化し、相手そのものを愛すと云う口で自分のなかで理想化された相手を愛していますね。その描写が心情の流れに沿って描かれていて……惹き込まれていく。……恐ろしかったです」
泰然と聞く武者小路の前、司書は、少し喉をつっかえさせた。恐ろしいと云うのは、司書自身もその経験があるからか、理解できるからか、彼にその意味を掘り下げて説明することはなかった。それから『友情』の善いと思ったところを伝えて、ちょっと誤魔化すように笑う。「あとがきを読んで少し安心しました、想像のお話だと云うことで」
「もしかして」 司書の感想を苦手とする言葉に、自身も作文が不得手だった過去から共感を覚えつつ、苦手に取り組む彼女を好ましく見つめていた。その純粋な気持ちを害しないように作品の価値を読者に任せる姿勢で、頷きながら聞いていた武者小路だったが、その表情に思うところがあった。「野島と大宮を、僕と志賀に重ねましたか」
『友情』は主人公の“野島”と彼の年上の親友“大宮”、野島の想い人“杉子”の話だ。野島も大宮もまだ若い物書きで、大宮は成功しているが野島はまだ認められていない。しかし互いに尊敬しあい、切磋琢磨しあう仲である。野島はある日友人の妹、杉子に恋をして、それを大宮に告げる。大宮はよくよく親身になって協力を惜しまず、そして杉子には冷淡であった。しかし野島は杉子とは結ばれず、後の手紙にて大宮と杉子が結ばれたことを知る。
野島は杉子に対して彼の理想を持って恋をし、大宮は杉子を一人の女性として見た。大宮は親友の野島と杉子が上手くゆくよう手を尽くしたが、杉子は大宮こそが想ってくれる人として恋し、その熱意に大宮も親友を思って苦しみながら、恋心を彼女に打ち明けるのだ。
「野島も大宮も、誇張はありますが何人かがモデルになっていて一人じゃないですし、恋人をとったりとられたりと云うのはないですよ」
「はい」
後書きにもあった言葉を、武者小路の口から聞いて、司書はちょっと息を吐く。
「……皆さんのことを、私は詳しく知りません。文豪としてのあなたたちは、当時はもちろん後の世の人々からも、作品のみならずその人間性を愛されて研究書や伝記も多くある。読めばつまびらかになることもあるでしょうが、知る必要は必ずしもあるとは思っていません」
現在の彼らは、過去に生き人々に多大な影響を残した文豪である一方、その転生した身は完璧な同一個体ではない。錬金術の粋によって醸成された体躯は文豪として名を残したときの物とはその組成から大きく異なるし、彼ら自身も記憶を完全に覚えているわけではない。本人であるが別人である。
女は司書になる前、小説に馴染みのない生活を送っていた。しかし文豪としての彼らを知って、辿れば辿るほど、彼女の知る彼らは遠く感じるのだ。今までとて彼女は彼らに尊敬を抱いて接してきていたが、人が語る紙上の彼らをなぞると、まるで“自分”や野島がしたように、理想化されていく様に思えて、ひどく恐ろしかった。それは特務司書として彼らと向き合うことを考えれば、どうしても避けたい事だった。司書は彼らを、ただ神様として、過去に生きた偉人として敬い、線引きしたくはなかったのだ。