きみの時雨と甘いあい
近侍の今剣が無邪気にはしゃいだ声で持ってきてくれたのは、政府からの封。いつもの表だけかと思ったら、封筒のなかにもうひとつ封があった。
「あーるじさまっ! おてがみ、ぼくもみていいですか?」
「戦績ならどうぞ、皆の頑張りが載ってるよ。すごい頑張ってるね、これなら大丈夫って誉められた」
「ふふん、とうぜんです! そのあかいのは?」
「こっちは駄目でーす」
ひょいっと抱きついてきた今剣の視線をかわして、戦績を彼に渡す。今剣はもにょもにょと不満そうに、でもちょっと嬉しそうに、かわいい小さな口を動かした。
「さ、台所にいっておいで。そろそろおやつ時だよ」
「……はぁい」
大人しくその言葉にしたがって、彼は執務室を出ていく去り際、ちらりと大きな目をこちらに向ける。寂しそうな色をした紅だ。
「ひとりでかなしんじゃ、いやですよ」
「うん、ありがと」
心配ないよ、とにっこり笑って、ひらひら手を振ると、名残惜しそうに銀に耀く髪を棚引かせて、襖の向こうに消えた。然して独りになって、赤判の捺されたその手紙の封を切る。この印は刀剣に見せちゃいけないらしい。まあ、みんなに見せたって大して面白くないものだものなぁ。読み終わると適当に破棄してから、立ち上がった。
本丸の気候は晩春の折りだ。満開を過ぎて葉桜でいっぱいになりつつある庭を通り抜けると、土と肥料の匂いがつんと鼻をうつ畑に出る。今日の畑当番は誰だったかな、ちょっと思い出せないけど、姿を見かけないからあんまり乗り気じゃない誰かだったんだろう。
ぴちちと名前も知らない小鳥が鳴いて、ひらひらと蝶々が舞う畑で、私はちょいと蹲る。よく耕された畑の土に、緑色のまぁるい野菜がころころと顔を覗かせている。その中で一番手近にあった物に手を伸ばして、外側の葉っぱを剥ぐと、ぺりっと瑞々しい音をあげて体から離れる。あ、あおむしだ。お食事中ごめんね、君のおうちをちょっと頂戴ね。
葉っぱを二三枚手に持って、途中井戸に寄って汲んだ水でそれを綺麗に洗ってから、部屋へと戻る。さて、お仕事お仕事。子供用まな板みたいな大きさの端末をすすいっと動かして、戦績を改めて見る。こうしてネットで確認できるのに、いちいち手紙でもお知らせしてくる辺りが人間のお仕事ってかんじだなぁなんて思いながら。
「かせんー、おやつをいただきにきましたよ」
軽やかな声が響く。高い一枚下駄の歯で土を掠める音をさせて現れたのは今剣だ。甘いあんこの色を宿した白い蒸気が漂う厨で、すうと深呼吸をする。
「やぁ、ちょうどあら熱をとり終わったのがあるよ。主と君の分でいいかい?」
「うーん……、いえ、岩融とたべます」
「そう? じゃあこの大きいものにしよう」
「ありがとうございます!」
菜箸をもって皿に盛り付ける歌仙と、嬉しそうにその手元を見る今剣は仲の良さが滲み出ている。彼らは長く共に本丸を作り上げ、戦場を駆け抜けてきた刀同士であった。その背を微笑ましく思うこの心は、彼らと同じ主から享けたものだ。燭台切光忠は微笑を浮かべながら、しかし小さい天狗の刀が云った言葉に首を傾げた。
「彼女と食べないの?」
「はい。でも、あるじさまはあまいものがおすきだから、あとでもっていってあげてください」
「わかったよ、ありがとう今剣」
光忠の問いに少しだけ寂しそうな顔をして、歌仙から皿を受けとると礼をいって厨を走り去っていった。歌仙は、あら熱がとれた菜の花色の和菓子を整然と皿に並べる光忠に、新しく皿を差し出した。「じゃあ、よろしく頼むよ」
「僕が?」
「君が春の花を模したいと、大半をつくってずんだ餡まで拵えたじゃないか。主も喜ぶだろう」
話は終わりだと言うように歌仙は澄ました顔をした。小さな皿にひとつ、きみしぐれが乗っている。そのひび割れた黄身の花から、草色が覗いている。
半刻ほど経った後、光忠は小皿をもって彼女のもとへ向かった。庭の方では賑やかな声が響いて、暇な仲間たちが楽しそうに遊んでいるのだろう。その喧騒に背くような位置に部屋はある。
襖は開け放たれていて、来意を告げると呑気な声が入室を促す。「どーぞ、開いてるよ」 少しくぐもっていた。
「……何してるの?」
部屋の主は襖に背を向けて、暗がりに身を置いていた。その丸くなった背は光忠の目を引いて、おやつを机において傍に寄ると、ぱりりとなにか張りのある音が聞こえた。
「んー、影を食べてる」
「影?」
平然と不思議なことを言うから、光忠は怪訝に思って、彼女を覗きこんだ。彼女は膝をおって抱え込むように座り、畳に投げ出された端末を僅かな光源としてその体を照らしている。画面には最近の戦績が写っていた。
「かっこわるいよ、そんな姿勢して」
「うん」
相槌だけ返す彼女に、光忠はため息をひとつついて、黒い手袋を嵌めた手を伸ばす。「こら、目にも悪いでしょ」
その手はぽすりと頭にのった。声も随分と優しい響きだ。そこでようやっと彼女は光忠を見たから、光忠は彼女の顔を見ることができた。不安げな、道に迷った子供のような顔をしている。
「ごめんなさい」
素直な謝罪を聞き入れて、彼女の手元を見た。彼女が影といっていたもの。それは食べかけの葉だった。「これ食べてたの? 甘藍……キャベツ?」
「畑泥棒しちゃった」
「きみの畑でしょ。でも珍しい、生の野菜嫌いじゃなかった?」
彼女が一部の刀剣たちと同じように肉ばかり好んで、野菜をあまり好まないことを知っていた。特に生の野菜を盛り付けたサラダなどは、馬になった気分だとごちる御手杵や包丁藤四郎の横で苦笑いしながらも、箸の進みが遅くなる。洋食好きだが、野菜に関しては歌仙が作る筑前煮(彼はがめ煮と言っていたが)はよく好んで食べていた。
「うん、特にキャベツはそんなに。後味ちょっと苦いよね」
「きみが食べてる春キャベツは苦味が少ないんじゃないかな」
「そうなの? 普段気にして食べないから違いわかんないや」 素っ気ない言葉で少し口を尖らせる。この人はもう元服を迎える歳を超えて子どもではないのに、しばしばあどけない仕草を見せることがあった。「あと、私の畑じゃなくて皆の畑だよ。みんながつくって、はらぺこあおむしがすんでる畑」
「彼は不法侵入だよ。紋白蝶が飛んでると思った、萵苣を先に収穫しちゃったからなぁ」
「ちしゃ? 猫?」
「レタスの事。交互に植えてたんだ、青虫避けになるから」
「へー、どっちも同じような草なのに。光忠は物知りさんだ」 またぱりぱりとキャベツを食べて、苦いなぁなんて言うから、そのままで食べてるのかと思えば机の上に在った白い粉末状のものが入った瓶を時々振りかけている。ぱらぱらと音がなった。
「零れてるよ」
「うんうん」
「誰が掃除すると思ってるの。というかこの白い粉は何……」
「お塩だよ」
「なんだ、味の素かと思った」
そう思うなら何で白い粉なんて言うかなぁ、とくすくす笑って、彼女は一枚、光忠の口許に近づけた。「たべる?」
眼の前についと出されたその葉は水滴を浮かべて、塩の結晶が薄く溶けかけきらきらと輝いている。何てことないキャベツの葉一枚、料理と呼べない代物だが、彼女が手ずから差し伸べるそれは随分魅力的に写る。そっと口を開いて食むと、微かな甘味を引き立てるように塩がきいていて、口のなかにあおい葉の香りが広がる、が。「おいしい?」 尋ねる彼女に、笑顔を作った。
「おいしいよ、青虫が好むのもわかる」
「うそ、僕が作ったサラダの方が美味しいでしょうって顔してる」
「よくわかったね」
「だって私もそう思った」
おかしそうに肩を揺らす彼女に目を丸めた。だとするなら、なぜそうやって食べているのだろう。その疑問は見透かされて、彼女は微笑む。
「時々こうやってたべたくなるの、昔初めて自分で食べようって思った食べ方で」
「キャベツに塩を?」
「そう、キャベツじゃなきゃ駄目なんだよ」
特別美味しいとも思わない、簡単なだけのその食べ方。彼女の言う昔がどれ程昔かわからないけれど、どうしてそう食べようとしたのか謎だった。
「本に書いてあったの。おかあさんがね、小さな女の子の影を取り返すお話で……」
「うん」
「もうあんまり覚えてないんだけど。
女の子が影を鬼みたいな牛にごはんとしてなめられる。それで女の子が気を失ってしまったから、おかあさんが慌てて追いかけて、『牛なんだからキャベツを食べなさい』って言う」
「何でキャベツ?」
「さぁ、朝御飯の用意中に慌てて追いかけたから持ってたとか、そんなだったかな。
牛はキャベツなんかまずくって嫌だって言うから、おかあさんは塩を出して、『お塩かけたらとっても美味しいんだから』って勧める。あんまり美味しそうなものだから牛はそれを食べて、『美味しい美味しい』っていって影を返して、女の子は息を吹き返すんだ。
私もその話を読んでさ、そんなに美味しいものなのかなって試してみたくなって」
「それで食べたの?」
「うん、なんか美味しい気がした」 今じゃほかに美味しいものたくさん知ってるからあんまり美味しくないけど、そう繋げた彼女の顔はまた寂しそうな、道がわからない幼子みたいな顔をした。
「他にもね、おんなじおかあさんと女の子の話が集まった文庫本でさ。
おかあさんと喧嘩して女の子が夜の電車で雲の上の子どもだけの国に行って、楽しいんだけど電車に乗る前に追いかけてきたおかあさんを思い出して寂しくなって、皆の涙で雲が溶けておかあさんのもとに帰れたり」
「きみはその本が好きだったんだね」
光忠の言葉に目をすがめ、うすく笑う。
「そうなのかな。もう手元にないけれど。
本の中でおかあさんがたくさんね、女の子の名前を呼ぶの。女の子のために必死に走って、名前を呼ぶの。……おかあさんって皆そうなのかなぁ」
ぽつりと呟かれたそれは、前に聞いた彼女が審神者になった理由を思い出させた。光忠は詳しいことは知らない、ただ歴史修正の煽りを受けたことがあるらしい。そうして、刀剣を戦場に送り出すときや、今みたいに戦績を見つめるときにいつも険しく、少し憐れむような表情をしていることくらい。
「本丸の書庫に少しだけ、絵本とか児童書とかがおいてあるでしょう」
キャベツの最後の一枚を口に入れながら、端末の画面を消し机の上においた。消える前に少し見えたメッセージには、本丸の存続云々とあった。
「……時々粟田口の子とかが取り出して読んでいるね」
「そうそう、あれ家から持ってきたものなんだよね」
楽しそうに語る彼女は懐かしむような声音で、光忠の顔に手を伸ばす。
「私、本は今もあまり読むの得意じゃないけど、たくさん家にあったこと覚えてる。多分お母さんが、子どものために用意してくれてたの」
「……うん」
「読むのは苦手だけど、読んでもらうのはすきだった。寝る前になると本を持ってせがみにいった、その時間がだいすきだったはずなのに」
彼女の手が光忠の頬を優しく滑る。触れる部分を確かめるように、柔く往復する。
「本の中に女の子が出てきたら私の名前で読んでくれた。その声がどんなだったかわからない。声を聞きながら、顔を見ていたはずなのに。もう思い出せないの」
彼女は顔を歪めて泣き笑うのに、目は乾いていた。その顔が光忠の肉の器の急所、心の臓あたりが軋ませる。
「私の家族はもうここにしかいないんだ、皆だけだ」
光忠は時折、子どもみたいな顔をする彼女を見ると、可愛いなと思う。泣きそうな顔をしていると抱き締めて慰めて、背中をさすってやりたいと、笑ってほしいと思うけれど。
この身体が鋼と焔で鍛えられた物だと知っている。目の前の彼女によってこの心を与えられたと知っている。この身体はいつか折れるもので、この心は紛い物だ。人間のそれとは異なるのだと、同じときを歩めないものだと知っている。
そんな“もの”だらけの本丸にしか家族はいない。“もの”に家族の面影を求めて、子どもっぽく甘えて見せて、さみしく微笑む女はとても可愛そうだったから。
「ねぇ、僕が名前をよんであげようか。僕らならきみを忘れることも、きみが忘れることもないよ」
「そうなの?」
「うん、きみが僕らに魂をより分けて与えてくれたから。どうしたって消えない糸がある」
「ふぅん、それは善いことだなぁ」
幸福そうな彼女の頭にもう一度手をやって、彼女が彼にしたような優しさで撫でさする。彼女の笑顔をそのままに、彼も微笑み返す。
「だろう。だからよんでもいいかい」
「変なの、許可なんていらないのに。いいよ。わたしの名前、よんで」
「──スバルちゃん」
ひときわ優しく、あまやかに、柔らかな葉で包むように名前をよぶ。きっと人間でいうところの愛情をこめて。
言葉が耳をうって、彼女の乾いていた瞳は、あっと満ちた。
光忠は驚いた。彼女にもっと笑ってほしかったのに、その頬をついに時雨が伝ってしまった。何か間違えただろうかと彼の胸を不安が過ったが。
彼女はぐいっと乱雑な手つきで涙滴を拭いとって、光忠の胸に頭を預けて、絞り出すように呟いた。
「……もっとよんで。たくさん」
「え?」
勢いよく顔をあげたかと思えば、彼女はその至近距離でまだぼやける目で戸惑う彼を見据える。
「一緒におやつを食べよう。喧嘩もしよう。庭を見て季節を感じて、畑で泥だらけになって。私が危ないことをしたら叱って、あなたに辛いことがあったら私が抱き締めるんだ。たくさんそういうことをして、たくさん名前をよんで。忘れてないよって、おねがい」
声は震えていた。希望と懇願に滲んでいる。泣いているのに笑っているから、やはり彼の心であろうあたりを突いて、ぎしりと鳴ったようだった。
「わかった。約束しよう」
「うん、約束だよ」
「スバルちゃん、ほら。まずはおやつを食べよう」
持ってきた小皿を彼女の前に差し出して、急須を傾けてお茶を淹れて。嬉しそうに耀かせる彼女に自然と顔がほころぶ。
──スバルちゃん。
僕らの、かわいそうで、かわいいスバルちゃん。
彼は胸のうちで彼女の名を繰り返しよぶ。なぞるように、撫でるように、忘れ得ぬ名前を。
燭台切光忠は然して心ノ臓を占めるものを、味があるならばきっとあまいものだと、愛情だと信じている。