グッド・バイの寄る辺


※宗三左文字の修行申し出の台詞、また極後の台詞を匂わす描写があります。
※原作には描写のないゲームシステムの捏造があります。
以上をご承知いただける方はどうぞお楽しみください。



 降って沸いたような、とまでは言わないけれど。不意を衝かれたような報せだったのだ、少なくとも私にとっては。

 審神者の任に就いて久しく、刀たちも己を振るう戦に慣れ、練度と称するひとつのステータスが揃って頭打ちになった頃。先の見えない戦いはそこそこに刀の束ねる人間どものこころを磨耗させ鈍らせたが、戦場をかける刀たちは鋭い刃を冴え渡らせて、人よりもはるか巧みに躰を操った。そしてそれはこころに於いても同様で。刀身から人の体を与えられ、最初は戸惑うことの多かったようだが、人間始めて幾年の私がそのつきあい方を教える期間は短かった。彼らは早々に制御の仕方を心得たどころか、躰と等しく私よりも上手にこころを転がしていたように見える。
 例えば前田藤四郎や歌仙兼定や蛍丸は鵯のさえずりとか釣鐘草の香りとかどんぐりの葉を叩いて落ちる音とか、うつろい一つ一つを鋭敏に感じ取っては掬い上げて、自然に疎い私にもわかるよう言葉にして教えてくれた。太郎太刀やにっかり青江や山伏国広は刀として戦場で振るうことと刀の本分を外れた人の営みに組み込まれることの是非を、ただ人の世のそれなりを茫洋と漂ってきた私に論じて見せた。へし切長谷部や山姥切国広や蜂須賀虎徹は確たる自信の陰に潜んだ承認欲求やら劣等感やら虚栄心やら錯綜させ持て余した感情の端っこをごくたまにちらつかせて、物事に強い感慨の持ちそびれる虚みたいな私よりもよほど人染みていた。
 私の心の在り様については、戦闘に費やされる日々で疲弊したのもあるだろう。だがおそらく戦事にかまけなくったって、その心は元よりなまくらめいていた。しかし曇りの浮いた鉄みたいなそれのお陰で、恒常性を保つばかりの終わりなき審神者業に同期が倦み疲れ辞めていく中、さしたる悲嘆も絶望もなく続けられている。

 歴史修正主義者の野望や検非違使の断罪をはね除けて斬りかかる男士たちは、あまりに粗末な将のもとであっても遺憾なく力を発揮していた。無論まかり間違っても私の手腕の成すところではなく、偏に彼らの全うせんとする刀の性質に拠るところである。人の躰もこころも上等に使いこなす彼らを前にして、教えられることなど疾うに失せてしまった。むしろ軍事の采配や歴史の物語、日々の感嘆など、教わることの方が多い。優しく懐かしんだり楽しんだりして弾む彼らの言葉を聞いて、お飾り主人は唯々諾々と莫迦みたいに頷くのが常だった。それでもなんとか今日までやってこられたのは、刀の彼らが恐ろしく優秀で寛容で善性の代物だからだ。
 そのようして戦時中にしては穏やかで単調な平和の中、唐突に鮮烈に逸ったのが、刀剣男士たちの極という姿であった。

 政府から支給される三つの旅アイテムを一揃いに、心積もりの出来た男士が修行の許しを求める。現状の限界を見切った彼らは、もっと強く力を得て主人にさらに尽くそうと思うものらしい。刀たちの覚悟に滲んだ嘆願に、彼らの力無くして何も持たない私が否と言う筈もなく。活躍の場に歯痒さを抱えていた短刀から、1人、また1人と修行に出ては決意新たに装いも華々しく帰還して、戦場を目覚ましく邁進している。
 包丁藤四郎が戻ってからしばらくすると、脇差の堀川国広から話を切り出され、彼らも順繰りに送り出した。そして次には堀川と元の主を同じくする和泉守兼定と来て、加州清光を除いた新撰組の彼らも旅に出た。だからその後も、打刀の誰かが続くのかもしれないと、男士たちの自由意思に委ねながら、ぼんやり構えてはいたのだ。

 そしてある日、出陣の予定をすべて終えた居間で、熟れた柿の張りのある橙色をナイフで剥いでいた夕方。
 美味しそうですね、と皿に乗せたばかりの一切れを攫った彼が、咀嚼して飲み込んで言ったのは、甘いとか渋いとかではなく。「僕もそろそろ出ようかと思うんですが」
「…………えーと」 話が見えず、集中していた柿から顔をあげた私の表情に何を思ったか、彼──宗三左文字は気だるげに首をちょいと傾ぐ。「問題が?」
「なくもないかなあ、なんて」
「聞いて差し上げてもいいですよ」
 私の曖昧な物言いも、彼のひねた尊大な態度も、今に始まったことではない。私と彼の間では正常な範囲の会話だった。
「……まず、あなたが今食べた柿は、小夜くんが持ってきてくれたものだってこと」
「見当たりませんが」
「フォークと布巾を持ってきてくれてるんだよ」
「……」
 察しの良い彼のことだから、言わんとしたところはわかっただろう。一寸だけ罰の悪そうな、弟を慈しむような顔をして、どすりと向かいに胡座をかいた。「私は十二を聞いて十を掠めるような頭だから、せめて八は伝えてほしいな。宗三さんはいつ、どこに出ようって?」
「近いうちに、まあ、三日後くらいですかね。少し外に……修行に出ても、いいですか」
 可否を問われ、前例と区別して否を唱えるべくもないが。
 夕飯前の一室、間の丸い卓袱台の上には柿の皮、私の手とペティナイフは果汁でぺたぺたと濡れている。相応しいとか相応しくないとかはわからないけれど、理想からはちょっと遠いとこにあるんじゃないか、とは思った。そして、きちんと場を設けて願い出た五虎退とは対極だが、当本丸初の修行へ赴いた彼と幾人目かの彼とは異なるものだし、これが彼のやり方であるなら、とも思い直した。
 ちら、とこちらをうかがう翡翠の煌めきは、どこか無感動に見えたが、あくまで私見だ。私の推し量る以上にこころは渦巻いているかもしれない。
「うん、どうぞ行ってらっしゃい。気をつけてね」
 ありがとうにはどういたしましてを、ハワユにはファインを、ただいまにはおかえりを。当たり障りのない、手本通りの、この上なく理想的な見送りの言葉。形式だけの薄っぺらな承諾を請けて、宗三はうなずいた。それから小夜が戻ってきたので皮剥きを再開した私の頭の中を占めていたのは、当然宗三からの不意打ちだ。
 ぴったり八ほど告げられたその申し出を噛み砕いて嚥下しようとしたが、十はわからなかった。甘いとも渋いともつかず、反芻されるころには果実は宗三と小夜の腹におさまって、やっぱりわからぬままだった。

 修行に行きたい旨、大体いつぐらい、その二つはわかった。しかし他がわからない。修行先とか、思い至った経緯とか、覚悟のほどとか。普段の言動を加味すればこそ、なおのこと。
 ふつふつと、貝の呼吸がつくる気泡のように途切れ途切れに沸き上がる疑問の解を、宗三は語るものでもないと思ったのだろう。彼が決めた選択なら、私は今まで通りに、彼を信じて好きなように任せることが最善なのだと、考えはしたけれど。
「……あいつのこと、心配?」 明日明後日の予定から、修行にいくとなった彼へは身辺整理のためにも暇を……と簡単な雑事を書き留めていたとき。やらなくてもよい書類整理の手伝いを理由に部屋に訪ねてきたのは不動行光だった。宗三の申し出があった日の夕食の席で、その予定について皆に伝えていたためだろう。私の上の空を揺蕩う宗三を見透かして、彼は尋ねた。
「んー……うーん」
 唸るように声をあげた。心配とは言えないのだと思う。不安ともまた違う。ただ、不思議ではあったし、気にはなる。待つ不動に答えるよう言葉にするなら、その疑問は。「……宗三さん、帰ってくるかなぁ……」
「ずっと考えてたの?」
「……そもそも修行を自分から言い出したことにまだ引っ掛かってて、やっと今そこに……」
「あいつの修行ってそんなに不思議なんだ」 意外そうな不動の態度こそ、私にとってはすこし意外だった。仲間の前では片鱗を見せていたのだろうか。
「宗三さんに限ったことでは……不動くんも、修行申し出た子はみんな、だけど。……今までで一番長く大きいフックだなあ」
 多かれ少なかれ、修行に行きたいと切り出した刀に抱く気持ちは概して二つだ。更なる力を望むことへの驚きと、帰還するかどうかの疑念。彼らのことを信じていない、訳ではなくて。ただ、才覚も出自も、取り立てて何かあるわけではなく、あげるとするなら割に図太い神経と身一つ、あとは周りに恵まれたのが私だったから。強くなりたいそのこころを向けられるにはたいへん余る身だ。対して修行先で姿を見て、話すのは、彼らや人々が敬意を持って名を残した偉人な訳で。主としても人間としても出来が違う、二つを並べて見ればまず選ばれることのない方だ。或いは、雀のつづらであれば選ばれる方かもしれないが。

 子どもが親を選べぬように、物は持ち主を選べない。宗三の言葉であれば、『刀は主に縛られている』のだ。しかし物だった彼らはいま、秀でた躰も達者な口も優れた頭もある。然して修行に赴き、改めて得た瞳で映す世界は、彼らのこころに多大な某かを齎すだろうし。彼らの生の中では決して長くはない、むしろ刹那に等しい本丸での生活と比べれば、その天秤はあちらに傾いても栓ないことだ。
 だからこそ、五虎退を始め、修行した男士が皆、きちんと帰還したことにも驚く。いま目の前で私や宗三を心配してくれる不動だって、戻っては来ないかもしれないと思っていた。彼の手紙を受け取ればこそ、戻ると決めた不動のこころは、やはり向けられるにはもったいないと感じるのだ。

 修行から帰ってきて一層に頼もしくなった不動は、共に織田の元にあった刀たちと改めて関係を重ねているようだった。そして彼より先に修行に行った薬研藤四郎はさておき、真っ直ぐとは言えないだろう宗三や長谷部のことを気に掛けている。不動自身の思う在り方として最良ではなかった過去を気にして、私にも気を回してくれている。
「あー、その……あのさ」 書類整理という名目は完全に消え失せて、不動が言葉を選びながら、向き合うように姿勢をただした。その様子は彼が修行を申し出たときと重なって、私も一度手を止め、机を挟んで正座をし、彼の言葉を待つ。

「主が自分のことを力がないと認識していて、俺たちからの忠義に萎縮していることも識ってるつもりだよ。確かに、あんまり考えないで返事するところとか、ぼーっとしてること多いし、組織の長としては向いてない部分があると思う。主は俺たちが刀としての根幹を作った時代とは違う、直接に生死が脅かされるような戦いのない時代で生まれ育った人だから。
 それでも、貴方は知識のないことを正直に、俺たちの言葉一つ一つを拾って受け止めてくれたし、俺たちのこころを信じてくれてる。そしてそれは愛してくれていると同義だと、貴方なりの愛し方だと思う。俺はそれに返したいから、俺なりに応えるまでだ。それをどう処理するかは貴方が好きにすれば良いんだよ」
 まあ、欲を言えば引け目を感じないでくれるとうれしいけどね、と不動は微笑みながら繋いで、ひとつ息をつく。
「……俺ばかりの話になっちゃったな。主さぁ、荷物に白い鳩、つけたでしょ」
「ああ、うん」
 不動がゆっくりと話してくれたことが私のなかでぐるぐる回っている。すぐに飲み込むのは難しく、逸れた話題に頷いた。「ええと、そう。皆にしてる。まだ誰も使ってないけど」
 修行呼び戻し鳩という、用途そのままの名前で売られている白い鳩は、修行に行った男士に送ると本丸の座標軸における時間にして一瞬で修行から帰還させられる便利道具である。鳩とは言うが非活性のうちは張り子のようなそれを、私は修行する彼らの振り分け荷物にくくりつけていた。
「あれ見たときは、試されてる、信頼されてないとも思った」
「え、『必要になったらどうぞ』ってメモ、なかった?」
「見たよ! けど、俺、すごいひねてたからさ。主の意図を勘繰ったんだよ……」
 本丸で誰かが修行に出るにつけ行ってきた、私なりの見送りの儀式めいたものだったが、不動の発言は寝耳に水だった。しかし想像してみれば、用途を伝え聞いた程度の鳩一つと手紙にすらなっていない一言、彼らは断絶された修行先で紐解いた荷物の中に、そのふたつだけを見るのだ。私がどう考えてそうしたのかなんてわからないだろう。……私が、宗三はどう思って修行を申し出たのかわからないことと同じで。

「主がどうして渡したか、今の反応を見たり普段の主のことを考えたら、想像には難くない。だけどそれはあくまで想像なんだ。主の口から言葉を聞けた訳じゃないし、主に聞きたくても貴方は傍にいなくて、想像の中でねじ曲がってしまうことはある。
 だから、……宗三が見たら、どう考えるか。主の意図するところとは異なってしまうかもしれない。宗三は、自身の刀としての在り方に諦念を持っている節があるから」
 ね、もうちょっとだけ深く、あいつのこと考えてやってくれないかな。優しい声で、不動行光はそう言った。


 宗三の言葉が足りないというなら。そもそも私の言葉も足りていなかったということだろう。結局彼らの言葉を解するには及ばないことばかりだけれど。だからこそ、彼らが理解してくれると信じきって、伝えることを疎かにしてはならないだろう。
 不動の助言を経て、私は宗三のことを空の彼方ではなく、“もうちょっと深く”考えた。彼はどうして強くなりたいのか、私は彼に何を思っているか。どう言えば考えを伝えられるのか、その言葉を。
 あまり早く回らない頭がもどかしい。通常業務をこなしながらでは纏まらないまま、すぐに一日は終わってしまう。そうしてやっと、夕飯時の宗三の、内番着の背をみとめて声を掛けた。
「宗三さん。話がしたいので、少し時間を貰っても良いかな」
「……ええ、いいですよ」
 いつもみたいに済ました顔で了承する声は、ちょっとだけ、不安げに揺れたようにも思える。後でそちらに伺います、と心なしか足をはやめて下がる彼の後ろ、江雪左文字が私に向き合った。
「……彼と、話をするのですか……」
「うん、そのつもりです」
「……佳い顔をしています……。私は貴方の選択が和睦に至るよう、せめて祈りましょう……」
 僅かに口許を緩めた江雪は、軽く一礼して去る。兄弟刀である彼は、宗三の思いの丈を、もしかしたら葛藤も知っているのかもしれない。そしてたぶん、気にもしてくれていた。
「主、これどうぞ」 いつのまにか傍に来ていた小夜の、刀を握るには小さく見えるその掌には、明々とかがやく柿。「話が終わったときにでも、二人で食べて……。珍しく、ご飯が喉に通らなかったみたいだから」
「そっか。ありがとう、小夜くん。
 そうそう、この前の柿も美味しかったよ。ありがとうね」
「良かった。……僕も、美味しかった」
 初対面のときよりもずいぶんと和らげられるようになった雰囲気を纏って、おやすみなさい、と江雪の後に続く彼を見送った。



 柿をひとつ両手におさめて、宗三を待つ私の脳内で、彼らがかけてくれた言葉を繰り返していた。
 不動も、江雪も、小夜も。修行に出る宗三を気にかけていて、私よりもずっとずっと、彼のことを見ている。彼らだけじゃない、この本丸の皆はきっとそうなんだろう。私の足らない言葉を掬ってしまえるような、柔らかな優しさを持つ刀たちだから。
 そういう彼らにふさわしい人間ではないと、相応しく在れないと思う。しかしその優しさに甘えるだけより、せめて言葉を重ねることはできるはずだ。彼らが持つものよりも劣ろうとも、私にだって、躰も口も頭もある。

「……主、宗三左文字です」
 修行前のさいごの夜だった。
 わずかに冷たい秋の落ちる薄紙の向こう、来意を告げる声がする。くぐもっていて、私は、そのしきりのない涼やかな声を聞きたかった。
「どうぞ、入ってください」
 促した声は固く、障子は一間置いてから、音もなくゆっくりと滑る。再び見た彼は、武装こそ解除していたものの、左文字揃いの袈裟を纏った薄紅の着物姿で。
「……」
「……」
「……あ、どうぞ座って」
「……はい」
 少し呆けたまま彼を見上げて、彼もその両で異なる翡翠を凪がせて私を見ていた。私の言葉を待っていた。


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