諸伏に片想い


警察学校に入校して早数ヶ月、厳しい訓練や寮生活にも慣れてきた頃。同期の子と食堂で昼食をとっていると女子達の色めきだった声が聞こえてくる。これももう毎日のことなので慣れたし何が起きているのか見なくてもわかる。彼らが現れたのだ。

「降谷君今日も美しいー…」
「わかるーでも私断然松田君推しー」
「諸伏君てマジ教場の癒しだよねぇ」
「萩原君、一緒にご飯食べよー!」

私は彼らが現れるたびに思う、誰か伊達班長のことも騒いでやれと。まあ、噂によると遠距離中の外国人彼女がいるらしいなかなかやり手の彼なので、当の本人は全くもって気にしていないのだろうが。

「いいなぁ、一軍女子は。私も萩原君と一緒にご飯食べたーい」
「悪かったわね萩原君じゃなくて。あんたも混ざってきなよ、あれだけ群がってたら一人くらい増えても問題ないでしょ」
「嫌よ、一軍女子怖いもん。週末の合コンなんて争奪戦よ?参加券争いも熾烈ながら当日は戦場らしいわよ」
「こっわ…なんかすごそうだね」
「ま、うちらには無縁な話よ。卒業まで平和にやり過ごそ」
「そうだね」

同じ教場の同期のイケメン4人はビジュアルもさることながら秀才であり体力おばけであり、まあとにかく多彩なのだ。これも聞いた話なのだが早くもスカウトの話もきているとかいないとか。同期といえど全然住む世界の違う人だなぁ、と毎日視界に入るたびに思う。

・・・

本日のメインイベント。私の大嫌いな訓練の一つ、マラソンの時間が訪れてしまう。警察学校では男女共に同じ講義や実技が行われるためあの4人のファンはどんな内容でも喜んでいるがこの炎天下の中元々走るのが苦手な私は嫌で嫌でしょうがない。私のような体力の無い人間のために用意されたようなものなのだが、こんなん人助ける前に自分が死ぬって。

鬼塚教官の説明の後始まる地獄の時間。「苗字、そんなにとろくて犯人が捕まえられるのか!」と檄を飛ばしてくる教官が名前の通り本当に鬼に見えるし暑すぎて灼熱地獄にいるかのように感じる。しかも最悪なことに今日は生理だ…ただでさえ体調が悪いというのに教官は容赦ない。まあ、当たり前なんだけれども…

あと何周走ればいいかなんて考えようもんならメンタルが終わるので無心で走り続けるが、暑さと生理による気持ち悪さでいよいよ限界が迫ってくる。みんなも頑張っているんだし警察官になるんだろ自分…と鼓舞するも足は止まりしゃがみ込んでしまう。少しだけ休んだらまた残りの分走るから…説教なら聞くし反省文も書くから…とにかく今は水と少し日陰で休ませてくれ…と伝えたいが言葉にするのもままならない。

「苗字、実際に犯人を目の前にしてもそうしている気か?」
「違……すみま…せ…」
「ならば立て、サボるな」
「はぁ…はぁ…」

鬼が遠くでなんか言ってるわ…まじで意識飛びそ…そうぼんやり思っていたとき。

「熱中症、脱水症状かもしれません。少し休ませるべきではないでしょうか」

私の身体を支えて鬼に歯向かうのは…桃太郎…ならぬ諸伏君…?ぼんやりとした視界に薄っすらうつる綺麗な顔…諸伏君がこんなことしてくれるなんて意外だな、教官に意見なんてしなさそうだし女の子助けるにしても萩原君とかのほうが想像つくのに…

「諸伏、俺に意見するとはいい度胸だな」
「すみません…でも、熱中症は死に至る危険もあります。教場から死人が出たとなれば教官も学校も立場が悪くなると思いまして」
「……仕方ない、救護室へ運んでやれ」
「ありがとうございます。彼女の残りの分は戻り次第俺が追加で走りますから」
「よかろう」

諸伏君、私のためにそんな悪魔との契約を結ぶなんてだめだよ…と引きとめたいのに瞼がどんどん重くなってくる。「大丈夫?」という声とともに諸伏君に抱き上げられたところで私の意識はなくなった。


目が覚めると真っ白なベッドに見慣れない部屋で眠っていた。一瞬さっきの諸伏君は夢だったのかなと思ったが、自分がいる場所が救護室だとわかると現実だったことを理解する。窓の外を見るとすでにマラソンは終わっていて、時間的に講義を受けている頃だ。途中から入るのは気まずいし、次の授業から出ることにしよう。ああ、それにしても諸伏君に悪いことしちゃったな…私の分まで走るとか言ってたけど、いくら体力が人間離れしているとはいえあの炎天下の中大丈夫だったか心配だ。

しかし結局その日は諸伏君と話せるタイミングが上手くとれず、もやもやしたまま1日を終えることとなった。


翌日のお昼休み、諸伏君をきょろきょろ探していると1人で昼食を食べているところを発見する。よかった…他の4人と一緒じゃなくて。ただでさえ人気者の彼に声を掛けるのは勇気がいるのに、他の人といたら余計に恥ずかしいし。

「諸伏君…!」
「あれ、昨日の…」
「昨日はありがとう。あと、私の分までいっぱい走らせてごめんなさい…!」
「全然平気だよ、気にしないで。それより、体調大丈夫?」
「うん、おかげさまで」
「よかったら隣座る?早くしないと席埋まっちゃうよ」
「え、あ、じゃ、じゃあ…」
「はい、どうぞ」

一言お礼を伝えるだけのつもりが、まさかの展開になってしまった。椅子まで引いてくれて、なんて優しいんだろう諸伏君。周りの女子に睨まれていないか怖いけど、たぶん相手が萩原君じゃないから殺されることはないと思いたい。

「あの、これ…よかったら食べて」

ゼリーを諸伏君に手渡すと「苗字さんも食べたいんじゃないの?女の子ってこういうの好きでしょ」と言って返されたので「ううん。何もお礼できないから、ほんの気持ちだけど受け取ってほしい」とぐいっと押しつけると「苗字さんの体調が心配だから受け取れないかな。気持ちは貰っとく」と輝く笑顔で王子発言されて完全に負けてしまった。今まであの伊達班のメンツを見ても有名人だとしか認識していなかったけど、今諸伏君の隣で私吐きそうなほどドキドキしちゃってます…!


それからというもの、たまに1人でお昼を食べていると諸伏君がやってきて「隣座っていいかな?」と声をかけてきてくれるようになった。「うん、いいよ」と爽やかな笑顔を向けるも内心全力でYES!と叫んでいる私だ。一見大人しそうに見える彼だけど、話してみると意外と親しみやすく、話すたびに私の体調面を気にしてくれるのが女の子扱いしてもらえている感じがして嬉しい。

「苗字さんはなんで警察官になろうと思ったの?」
「んー…やりたいこととか特になくて、自分の好きなものってなんだろうって考えたときに、地元の人達が好きだなぁって思ったの。知らない人でも優しく声かけてくれたり、よく行くスーパーの人もみんな細かい気遣いがすごくて好きだなぁって。だからみんなの安全とか町の平和に貢献したいって思ったのがキッカケかな…ってなんか語っちゃったね」

別に大した話じゃないけど、改めてこういう話したことないから恥ずかしくなって諸伏君に苦笑いをすると諸伏君はすごく優しく微笑んでくれた。

「へぇ、素敵だね。苗字さんに守ってもらえる町の人は幸せ者だな」

なんて温かい言葉までくれる。そんな諸伏君に「諸伏君は?」と聞き返すと少し表情が曇り「ちょっと気になる事件があって…その真相を知りたいんだ」と視線をそらして言った。諸伏君のこんな表情、初めて見た。聞いちゃいけなかったかな…と変な空気にしてしまったことを後悔していると、「あれ、諸伏ちゃんが女の子といるなんて珍しいねぇ。俺も混ぜて〜」「最近ヒロとよく一緒にいる子だよな」「あー、この間マラソンでぶっ倒れてたやつか!」「おい松田、そんな言い方をするな」と残りの4人が集まってきたので「わ、私もう食べ終わったから、お先に失礼します!」と言って逃げるようにその場を後にしてしまった。感じ悪かったよね…でも伊達班の5人はいつも周りに誰かしらいるし、私のことなんてすぐ忘れるか。やっと最近諸伏君に慣れてきたというのに、全員一気には心臓がもたない…

そんなことがあって勝手に気まずさを感じていた私は彼らを避けるように行動していたのだが、ある日いつも萩原君といる一軍女子から声をかけられた。シバかれるのを覚悟して小鹿のように震える足でついていくと、「苗字さん週末の合コンに来ない?」というまさかのお誘いだった。どういう風の吹き回しだ?しかも相手は伊達班の5人だという。こんなの、シンデレラが舞踏会に行くようなものだ。

「なんで私…?」
「苗字さん諸伏君と仲いいじゃない?なんか面白そうだから誘ってって萩原君に言われたの」
「面白そう…」
「まあ私も萩原君推しの子と行くより気が楽だし、他担なら歓迎よ。行くわよね?」
「え、あー…はい…喜んで…」
「よかった。当日は楽しみましょうね」

そう言うと一軍女子は上機嫌で去っていった。当日はなるべく萩原君との会話は避けねば…と心に誓い、貴重な諸伏君との時間というよりも有名人&一軍女子の輪に入る緊張と恐怖で気が気でなくなった。


そして週末。目立ちすぎず地味すぎずな服を選んで控えめにメイクをして指定されたお店へと向かう。すでに何人か先に着いているということと外が暑いということもあり、早速お店の中に入ると諸伏君他数名がすでに来ていて「こっちだよー」と手を振ってくれている。緊張はするものの、こういう大人数での飲み会も久しぶりだ。なんかちょっとわくわくしてきたかも…なんて心を躍らせつつテーブルを挟んだどちら側へ座ろうか悩んでいると「苗字さん、ここ座りなよ」と諸伏君が声をかけてくれる。どうしよう、めちゃくちゃ嬉しい…。いいタイミングで到着したことと諸伏君が優しい人であることに心から感謝した。

「諸伏ちゃん積極的だねぇ」なんて茶化してくる萩原君に、そんなことあるはずないと思いつつ顔が真っ赤になる。恥ずかしいから早く熱引いて…!と焦る私とは反対に諸伏君は「そんなんじゃないって、苗字さん困ってたから」と言ってさらりと躱す。さすが、萩原君の扱いにも慣れている。

全員揃ったところで「んじゃとりあえずテキーラ人数分頼みますか」とパリピ全開の萩原君が言い出したので早速びびる私。飲んだことないけどアルコール度数の高いものだということは知っている。でもここで断って悪目立ちするわけには…そう思いOKを出すと隣の諸伏君が「俺は車で来てるからウーロン茶で」とサラリと言うもんだから裏切られた気分になる。っていうか車の運転していいんだっけ?意外と諸伏君もワルなの?と色んな戸惑いが生じる。

そうこうしていると9人分のショットグラスと裏切り者のウーロン茶が行き渡り「かんぱーい!!」の合図で一気飲みをする。テキーラって一気飲みするもんなんだ…と急いでみんなのようにグイッと口に流し込むと今まで経験したことがないようなアルコールの強さと喉が焼けるように熱くなる感覚に思わずむせてしまう。そこでも空気を壊さぬようにと隠れて咳き込んでいると、みんなの様子を楽しそうに見守っている諸伏君が何も言わずにスッ…とウーロン茶が入ったグラスを私の前に寄せてくれた。その優しさに感謝してウーロン茶を急いで流し込むと次第に呼吸が落ち着いてくる。死ぬかと思った…

そして少しして気付く。これって…間接キッスでは…!?!?しかも諸伏君と!なんなら諸伏君のほうから!いや待って落ち着いて…?諸伏君は隣で死にかけてる陰キャの私を人命救助しただけだって…自惚れるなよ落ち着け…。そう自分に言い聞かせコソッと隣の諸伏君にお礼を言う。

「ありがとう…また助けてもらっちゃったね」
「ううん、あいつらの無茶に付き合わせちゃってごめんね。大丈夫?」
「うん、もう平気。あんまり強くないのに調子乗っちゃった」

そう言ってへらりと笑って見せる私に諸伏君はまた優しく微笑んでくれる。

「はい、メニュー。カクテルとか甘いのもあるから好きなの頼んで」
「ありがとう。てか、諸伏君は今日飲めないんだね」
「ああ、日中用事があって出掛けてたから…ノリが悪いってあいつらにも怒られたよ」
「あはは。私も残念だな、諸伏君が酔っ払ってるとこちょっと見たかったのに」
「じゃあ今度、2人で飲みに行く?」
「えっ…!?」

おっふ…突然不意打ちで現れるチャラ諸伏の威力たるや…。こういうことに慣れていない私はなんと答えるのが正解なのかわからないまま諸伏君に「…なんてね」とか言わせてしまった。冗談だった可能性のほうが高いけどなんて勿体無いことを…!もっと合コンのテクニックを予習してくるべきだったと激しく後悔したのだった。


「じゃあ二次会はカラオケね〜」とみんなを引率する合コンの猛者萩原君を筆頭に二次会へと流れていくなか、私は酔いと気疲れでひっそり離脱を試みていた。

「どこ行くの?」
「あ…諸伏君…」

彼は本当に周りをよく見ている。あの面々の中でこんな私の存在にさえいちいち気付いてくれるのだから。いや、みんなが賑やかすぎて逆に浮いてるとか…?そんなことを思いながら「私はそろそろ帰るよ、みんなにも伝えておいて」と手を振ると、「ちょっと待ってて」と言い残し萩原君達の元へ走っていった。

道端でぽやぽやしていると「ごめん、お待たせ」と戻ってきた諸伏君に「送ってくから帰ろう」と手を引かれたので意識を取り戻した。

こ、これが…諸伏君の車…!諸伏君と密室に2人きり…!本当に最近の私は運を使いすぎている気がする。だって諸伏君に迷惑しかかけていないのにその度にこうやって優しくしてもらえて…こんなにときめくこと今までの人生でなかった。

「家の方向教えてくれる?」
「うん」

残念ながらここからうちまでの距離はそう遠くない。幸運続きといえどそこまで上手くはいかないか、と浮かれていたばかりなのに早くも現実を思い知る。うちまでの距離が100キロ先だったり、途中工事してて回り道しなきゃいけなくなったりしないかな…なんて願いも叶わず、諸伏君と楽しく話していると車はあっという間に家の前に到着してしまった。

「苗字さん眠そうだね、大丈夫?」
「うん、大丈夫。送ってくれてありがとう」
「どういたしまして。俺、苗字さんといる時間が好きだから…もう少し話したいなって思ってたんだ」
「そうなの…?すっごく嬉しい」
「前にどうして警察官になりたいのか聞いたことがあったでしょ?」
「ああ、うん」
「みんな色んな理由で入校してきてると思うんだけど、苗字さんが話してくれたことがなんか忘れられなくて…それくらいなんかいいなって思ったんだよね」
「そんな大したこと言ったかな?大袈裟だよ、諸伏君こそ…本当に優しいよね」
「そんなことないさ…」

諸伏君が話している途中でスマホが鳴り、「ごめん、ちょっと出るね」と言い通話ボタンを押すと電話の向こうから「諸伏ちゃ〜んまだ〜?もしかして苗字ちゃんとセッ…」と酔っ払った萩原君の声が聞こえたが何か言いかけたところで諸伏君が急いで通話を切った。

「じゃあ俺はあいつらのところに戻るけど、苗字さんは早めに休むんだよ?おやすみ」
「うん、おやすみ」


それから時間はあっという間に流れていって、卒業の日。結局あれ以来たまに話したりはするもののプライベートで諸伏君と会うことはなく、自分の気持ちを伝えられないまま今日に至ってしまった。気持ちを伝えたところで配属先ももちろん違うしそもそも私と彼じゃ釣り合わないのもわかってる。長い人生のたった数ヶ月一緒の時間を過ごしただけの同期に過ぎないんだから…

卒業式の日ということもありいつも以上に大勢に囲まれている彼と話すタイミングもなく、最後に一言だけお礼を伝えたいと何度か様子を伺ったがそんなチャンスは訪れなかった。

「名前、行こ?」
「あ、うん…」

「さよなら、諸伏君」そう心の中で呟いて振り返ったとき、彼と目が合った。伊達班の面々やたくさんの人達に囲まれながら、いつものように優しく微笑んで私に手を振ってくれる諸伏君に私も笑顔で手を振りかえす。

「えっ、えっ、どうしたの名前!今になって泣き出して…!まあ確かに泣きたくなるよね卒業式って…よしよし」

願わくば、いつまでもそのままで。
私の日常に光をくれてありがとう。
大好きでした、諸伏君。




ー…数年後

こんな風によく晴れた日はあの頃のことを今でも思い出す。私は無事希望していた地元の警察官となり、大好きな町の大好きなみんなの平和を守るべく今日も元気に働いている。

諸伏君は元気にしているだろうか。昔話してくれた「事件の真相」とやらには無事に辿り着けたのだろうか。きっと彼のことだからとっくに事件を解決に導いて、役職のついた敏腕刑事になっているんだろうな。

そんな彼にいつかまた出逢えたとき胸を張って笑い合える自分でいたいから、今日も私は精一杯職務に励むんだ。目には見えずとも、きっと今日もどこかで同期達も頑張っていることを信じて。