15.波乱の幕開け


黄瀬ガチ勢による襲撃から1週間ほどが経った。私のケガも良くなり黄瀬のメンタルもだいぶ回復したように見える。翌日の黄瀬のへこみ様ったらなかったからな…しっぽをさげた黄瀬犬がずっと私の後ろをついてまわってて私のほうが気を遣うくらいだった。守るって言った手前あんなことになって責任を感じるのもわかるけど、別に黄瀬が悪いわけじゃないのに。前にモテすぎるのが悩みって言ってたけど、あれってもしかして本音だったのかなぁ。

「名前っち、どこ行くんスか」

出た…最近の黄瀬の口癖。私がどこかへ行こうとする度に必ずと言っていいほど聞いてくる。

「ジュース買いに行ってくる」
「んじゃオレも」

「ロッカーに荷物取りに」
「そうだそうだオレもロッカーに…」

「青峰先生の雑用で呼ばれて…」
「絶対オレも行くっス(目がガチ)」
「絶対!?」

「…トイレだけど」
「んじゃオレも」
「来るな」

あれ以来黄瀬の過保護というかセコム化が深刻化している。正直許さんとは言ったものの今もこの校内のどこかにあのゴリラ女が野放しになっていると思うと少し怖い。ので黄瀬が常にそばにいてくれて安心といえば安心なんだけど…ちょっとさすがにやりすぎではなかろうか。この間の盗撮拡散やら傷害事件やらでどこに隠れ黄瀬ガチ勢がいるかわからないから有難い反面新たな敵を生み出していそうで心配なんだけど。

・・・

「お疲れ様っスー」
「お疲れ様でーす」

放課後になり黄瀬と体育館の扉を開けて挨拶すると先に来ていた部員達が「うぃーっす」と挨拶を返してくれる。ああ…落ち着く。傷害事件の後、青峰先生がバスケ部への見学を禁止にしてくれたおかげでこの時間は女子の存在を気にせずにすむ唯一の場所となった。あんなにめんどくさいと思っていた部活が癒しになる日が来ようとは…。聞いた話によると見学禁止令が出たことによりマネージャー希望者が殺到しそれも青峰先生が全部却下してるらしいけど、改めて黄瀬の人気ってすごいんだなと思い知らされる。

「名前ちゃん、今日も可愛いな」
「げ、森山先輩」
「そんなに嬉しそうな顔をして…照れるじゃないか」
「してないっスよ、勘違い乙っス」

突っ込もうとする前に私の心の声を代弁した黄瀬がぐいっと森山先輩の顔を押し退ける。

「はは、妬くな妬くな」
「妬くわけないじゃないっスか、オレのほうが名前っちと仲いいんスから」
「勝手な思い込みはよくないぞ、黄瀬」
「誰が言ってんスか」

前は頭を悩ませていたこの恒例のやりとりもどこか微笑ましく思えてしまうのだから今の私は相当疲れているのかもしれない。

「集合しろー」

青峰先生の声で集まる部員にプリントが配られる。

「試合の日程と集合場所書いてあっから各自確認しとけよ。んじゃ5分後に練習始めんぞー」

…げ。試合って私の誕生日じゃん。ついさっき部活が癒しとは言ったけど華の17歳の誕生日が部活て…なんか悲しい。…まあでも青峰先生と過ごさなくなった以上特に予定もなかったし、ただ寝て過ごすよりはいいか。

プリントに書かれた試合の日程を見つめながらそんなことを考えていると「お疲れ様でーす」というきゃぴっとした声が聞こえて目の端にピンク色の物体が映った。ああ…目も耳も塞ぎたい。なぜお前がここに…!

「苗字、ちょっとこっち来い」

青峰先生にそう呼ばれて行きたくないけど先生と桃井さつきのいるほうへ仕方なく向かう。

「お前、こいつにマネージャー業務教えてもらえ」

はい?ぱーどん?お言葉ですが先生、寝言は寝てから言ってください。なんでよりによってこの世で最も嫌いなやつに教えを乞わなきゃならんのですか!と心の中で叫ぶ。

「青峰先生が教えてくれるんじゃないんですか?」
「オレ、プレー専門だし。安心しろ、こいつ料理はクソだけど他の仕事はプロってっから」
「もー!大ちゃんひどい!」
「本当のことだろーが」
「………」

帰りたい。そして辞めたい。なぜ私がこんな痴話喧嘩というか茶番を見せつけられなければいけないんだ…

「よろしくね、苗字さん」

チラリと桃井先生を見た後ギロッと青峰先生を睨む。私がこいつを嫌いなの知ってるくせに…!もしや黄瀬との件での仕返しか?元はといえばあんたらが原因なのに!憎い…青峰先生が憎い…!

「なーに怒ってんだよ。ほら、よろしくお願いしますだろ?」

呆れたような顔の青峰先生に頭を持たれぐいっと無理矢理下げられる。うう…なんという屈辱…

「………オネガイ…シマス」

今までボール磨きと得点係くらいしかやっていなかった私に桃井先生はマネージャー業務の基本的な流れと今後やるべき仕事を口頭で説明する。不服ではあるけどしょうがないので必死にメモを取ってついていく。学生時代、現役プレーヤーだった青峰先生のそばでマネージャーやってたんだもんな…羨ましい。そんな邪念も時折抱きつつ。

「あと備品関係だね。湿布とかテーピング、他にもコールドスプレーとか最低限常にキープしておきたい数を今から伝えるから、そこ切る前に私か青峰先生に教えてほしいな」
「はい」

マネージャーって思ってたより色々やることあるんだなぁ。この他にドリンク作り、ゼッケンの洗濯、部室の掃除、ケガの応急処置、テーピング…全部1人で効率良く出来るかすごく不安。

「じゃあ一緒にドリンク作ろっか」
「はい」

まさかこの人とこんなにも長い時間を共に過ごす日がこようとは…なんというかすごく複雑。言われた分量の粉末と水を入れて混ぜる、をひたすら繰り返す。これも簡単だけど全員分を1人でやるってなると結構時間がかかりそうだな…段取り決めてやらないと。

「苗字さん、私のこと嫌いでしょ」
「…え!?」

いきなり何を言い出すんだこの女は。ほんの少し、ほんっのすこーしだけだけど見直していたところだったというのに。思ってたとしてもふつう聞かないでしょ、しかも教師が生徒に。

「あはは、わかるよ。青峰先生のこと好きなのもお見通し」
「………!」

この女…!マネージャー業務教えるとか言って私のこといじめる気…!?思わず動揺してドリンクをこぼしてしまった。

「ほんとわかりやすいなぁ。かわいい」
「バカにしてます?それに、別に青峰先生のこと好きとかじゃないですから…」
「嘘つかなくてもいいのにー。あ、でもきーちゃんとも仲いいよね?あやしーい!」
「せ、先生に関係ないでしょ…!」
「あ、顔赤くなった?やっぱきーちゃんが本命?ねぇどっちどっちー?」
「もう、うるさい!!」

調子狂う…自分のこと嫌ってるって思うんなら必要以上に話しかけてこなきゃいいのになんなの…変な人。誰があんたと恋バナなんかするか…!

「えー聞きたいー誰にも言わないからー」
「しつこいな!私ドリンク配ってくる…!」

生徒の私よりきゃぴっている恋愛脳女を置いて体育館へ向かうも最後の最後まで「配り終わったら続き話そうね〜!」と叫んでいる。こんなやつの「誰にも言わない」なんて信用できるかっての…!

「お、ドリンク出来た?んじゃ休憩にすっか。今から15分休憩なー。…で、どう?」
「どうもこうも…先生の幼なじみ変です」
「ははっ…変ってどう変なんだよ?」
「どうって…なんか馴れ馴れしいです」
「まあ世話焼きっつーかお節介っつーか、本人あれで悪気ねーから」

なにさ、擁護とかウザ。私、まだ先生のこと恨んでるからね…?

「ふーん…じゃあ私、みんなにドリンク配ってきます」
「おい」
「…はい?」
「オレにもくれよ。お前が作ったんだろ?」
「〜〜〜っ!はい、どうぞ!」

むかついてるのに不覚にもドキッとさせられてしまった。ドキドキしすぎてドリンクをぐいっと押しつけるように手渡すと逃げるように他の部員の元へと走った。

「あの、お疲れ様です。これどうぞ」
「サンキュー!」
「ああ、名前ちゃんの愛がオレの身体に染み渡っていく…」
「気持ち悪いです」
「マネージャー、オレにもちょーだい!」
「どうぞ…!」
「ん、ありがとー!」

なんか、マネージャー…悪くないかもしれない。ただ粉末と水入れて混ぜただけなのにこんなに感謝してもらえるなんて…ちょっと感動さえ覚える。

「黄瀬、お疲れ様」
「名前っち!あ、これ名前っちが作ったんスか?」
「うん、初めて作ったから不味いかもだけど」
「ありがと。…ん、めっちゃ美味しい!!」
「ほんと?よかったぁ」
「名前っちも飲んでみる?」

え、いや、それは…間接キスになるんじゃ…。でもまあ、前にもそんなことあったし黄瀬は特に意識してなさそうだったからいっか。私も喉渇いたし。

「…ん、意外と美味しい!」
「でしょ?これで残りも頑張れそうっスわ。桃っちとどうなることかと思って心配してたけど、頑張っててえらいえらい」
「ちょっ…!」

にこにこしながら頭を撫でてくる黄瀬の手を払うも、「帰りにまた話聞かせて?」と黄瀬は楽しそうに練習へと戻っていった。なんか今、私すごくアオハルしてる…?などと浮かれていると「名前ちゃーん!続きやるよー?」となぜか下の名前+ちゃん付けに変わっているピンク頭が満面の笑みで手招きして呼ぶので黄瀬に愚痴るネタがたんまり増えそうだと深いため息が出た。



「お疲れっしたー」
「じゃあなー」
「マネージャーもお疲れー」
「お疲れ様でーす」

…終わらん。今ゼッケンを洗濯機で乾燥させてるからその間にドリンクボトル洗って部室掃除しないと。あの女、「じゃあ私彼氏とデートだから帰るね〜!」とか言ってそそくさと帰りやがって…!

「名前っち〜」
「あ、ごめん黄瀬。私まだやることあるから先帰って?」
「なーに言ってんスか。手伝うっスよ」
「いや、でも疲れてるでしょ?大丈夫だよ」
「これくらい余裕っス。ほら、ボトル半分ちょーだい」
「ん、ありがと…」

正直黄瀬が手伝ってくれて助かった。1人でやるの心細かったし暗くなった学校で1人ってのもちょっと怖かったから。黄瀬と並んでボトルを洗っていると「で、桃っちとはどうだった?」と興味深そうに聞いてくる。青峰先生と黄瀬のどっちを好きかってことを永遠に問い詰められていたよ!とは言えないしな…ちょっと濁すか。

「んー…なんか馴れ馴れしいっていうか、好きな人いないのかってしつこく聞かれた」
「あはは、桃っちらしい。で、名前っちはなんて答えたんスか?」
「いないって言ったよ?それなのにあの恋愛脳しつこいんだもん、私に嫌われてるの知っててほんと強靭なメンタルしてるよ」
「青峰っちの幼なじみやってるだけあるっスよねぇ。でも、はたから見てたらなんか姉妹みたいで可愛かったっスよ」
「は?やめてよ。こっちは明日も一緒かと思うと憂鬱だってのに…」
「まあいいじゃないっスか。試合にも来るだろうし、もうこの際仲良くなっちゃえば」
「あんたねぇ…人の気も知らないで。何が悲しくて誕生日にまで嫌いなやつといなきゃなんないのよ」
「あ、そっか…試合の日名前っちの誕生日だったもんね。試合終わった後誰かとお祝いする予定とかあるんスか?」
「ないよ。青峰先生に祝ってもらう予定だったけど、もう無くなったようなもんだし…」
「…じゃあ、オレとどっか遊びに行かねっスか」
「いいの?試合の後だし絶対疲れてるよ?」
「だってせっかくの誕生日っスよ?何もないなんて寂しいじゃないっスか。オレも名前っちの誕生日お祝いしたいし」
「うん…ありがと。嬉しい」
「あはは、名前っちかわいい」
「うるさい…!えいっ」
「うわっ…冷た!こうなったら…反撃開始っス!」
「わー!!ちょっとあんた手加減しなさいよ…っ!」

黄瀬と水の掛け合いが思いの外ガチの戦いになってしまい周辺一帯を水浸しにした私達は様子を見にきた青峰先生に当然のごとくこってりしぼられた。青峰先生、いつも最悪のタイミングで現れる…。

・・・

試合(誕生日)当日。

黄瀬と一緒に会場へ向かう。こういう場所に来ることもあんまりないから新鮮だ。全員坊主で気合い入りまくってる学校や身長180センチ越えの選手ばかりの学校など強そうなチームがたくさんいる。頼むから初戦であいつらとは当たりませんように。

「なんか緊張してきた…」
「名前っちもバスケ部の一員になった証拠っスね」

確かに。マネージャーとしてじゃなくてただ応援に来るだけだったらここまで緊張していなかったかもしれない。みんなが毎日練習頑張っているの見てきたから、勝ってほしい気持ちが強くなって緊張してる。先輩達は負けたらそれで最後になっちゃうんだもんね…。

「おはよう名前ちゃん!そして誕生日おめでとう!」
「森山先輩、おはようございます…ってえぇ!?」
「これはオレからの気持ちだ、受け取ってくれ」
「いやあの嬉しいですけど、薔薇の花束に気持ちがどうって言われると重いんですが…」
「ちょっと先輩、試合会場に何持ってきてんスか!」
「試合と名前ちゃんの誕生日が被ったんだからしょうがないじゃないか」
「てかなんで私の誕生日知ってるんですか」
「好きな子の基本データを把握するのは初歩中の初歩。名前ちゃんのことなら生年月日血液型スリーサイズなど一通りのことはわかっているつもりだ」
「ひいぃぃぃやっぱこの人やばい!!!」
「どっちがマネージャーかわかんないっスね…てかストーカーっスよ。スリーサイズとかどこから情報得たんスか?その辺詳しく…」
「おい」
「はっはっは、ライバルに教えるわけがないだろう。とにかく名前ちゃん、今日オレは君のためだけに戦う。勝利という名の最高のプレゼントを捧げるから期待して待っていてくれ」

そう言って私に薔薇の花束を渡すと「キマった…」と1人満足そうに浸っている森山先輩。

「試合には勝ちたいっスけど森山先輩には早く引退してもらいたいっスわ…」
「ん?オレに歯が立たないから名前ちゃんを託す?そうかそうか!」
「言ってねーよ!どんな頭と耳してんスか!」

このやりとりが見られなくなるのは寂しいな。森山先輩、なんだかんだで私がマネージャー入ってすぐの頃から優しくしてくれてたし。厄介でウザいけど、めちゃくちゃいい人なんだよね…。先輩がいないバスケ部なんて、今は想像できないや。

「ありがとうございます森山先輩。試合、絶対勝ってくださいね!」
「ああ、任せろ」


他の部員や先生達と合流して荷物を置くとアップを始める。

「おはよ、名前ちゃん」

練習が始まるとこいつと一緒にいることが増えるから苦痛だ。まあ今日は私にとって初めての試合だし、マネージャー業務を全う出来るか不安だからそばにいてくれたら安心ではあるけれども。

「名前っち、これ預かってて」
「あ、うん」

アップを始めてしばらくすると暑くなったのかジャージの上を脱いだ黄瀬がそれを私に渡してくる。…のを隣でにんまりしながら見つめてくるピンク女。

「きーちゃんってば積極的〜。いいなぁ、青春羨ましい〜」
「始まった…ジャージ預かっただけでしょうが」
「わかってないなぁ名前ちゃんは。好きだからに決まってるじゃない」
「そんなわけ…マネージャーで友達だからだって」
「本当に少しも考えたことないの?きーちゃんが自分のこと好きかもって」
「いや…そ、そんなの…あるわけないじゃん」
「あ、嘘ついた。やっぱり名前ちゃんわかりやすくてかわいい」
「可愛くない、勝手に勘違いしてろ」
「そういう風に思わないのは、もし期待してきーちゃんの好きな人が自分じゃなかったら傷つくから…とかだったりして」

はぁ?何言ってんだこいつ…。そんなに私と黄瀬をくっつけて青峰先生から引き剥がしたいのか。まるで私の好きな人が黄瀬だとでもいうみたいに…。

「変な妄想しないで。てか、自分こそ彼氏いるくせに青峰先生といちゃついてるじゃん」
「あれ、やっぱ妬いてたんだ〜?」
「話すり替えないでよね。文化祭の日、青峰先生があんたのこと抱き上げてベッド行くの見たんだから…」

思い出すだけで胸くそ悪い。今更その話をこの人にしたところでどうにもならないっていうのに…私も私で何を口走っているんだろう。

「あ〜…あれね。ふふ、そういうことかぁ」
「いや、どういう返答?独り言?浮気を認めるってことでいいのね?」
「秘密。名前ちゃんが好きな人教えてくれたら話してあげる」
「何それだる。もういい、あんたと話してると疲れる」
「え〜私は名前ちゃんと話すの楽しいけどなぁ」
「しゃーらっぷ!!!」

ああ…まだ試合も始まってないのに疲れた。なにが姉妹だよ、こんなのが姉だったら私のほうがストレスで老けちゃうよ。

試合開始30分前になったところで桃井先生にコートのほうを任せて私はドリンクを作りに向かった。急いで作って戻らないと…とりあえず今日はレギュラー分だけでいいみたいだから大丈夫だとは思うけど。

「オネーサン大変そうじゃん。手伝ってあげよっか?」

試合会場でもナンパとかあるんだ…と驚きながら声の主に目をやると、灰色の髪に高身長のチャラそうなイケメン…!え、めっちゃハイカースト感すごいし怖いけどかっこいい…この人も選手なの?て…福田総合って対戦相手じゃん!ジャージ見て気付いてよかった…危うく敵のナンパについて行くところだったよ。

「大丈夫です。次、うちと対戦するんですよね?体育館行かなくていいんですか?」
「ああ、オレ練習とかしねーから。あいつ倒すのに練習とか必要ねーし」
「あいつ…?」
「リョータとは同じ中学なんだよ。お前仲いいんだろ?さっき一緒にいるとこ見た。付き合ってんの?」
「リョータって…黄瀬のこと?ただの友達だけど…黄瀬は上手いから練習しといたほうがいいよ」
「だーかーら、オレはそれより強いって言ってんの。つーかさ、試合とかだりーからこのままどっか行かね?」

なんだこの人…ちょっとかっこいいからって調子乗りすぎだろ。なんか…なんか…むり!

「行きたいなら1人でどうぞ。私忙しいから邪魔しないで」
「ふーん?」
「あ、ちょっと!ドリンク返してよ!」
「キスしてくれたら返してもいいけど」
「はい?どこのオレ様ですか?漫画の読みすぎじゃないですか?もういいよ、それあげるから消えて」
「可愛くねーな。リョータのやつ女の趣味悪すぎだろ」
「だからそういうんじゃないって…!」
「ならオレがお前のこと犯しても、あいつにはノーダメージってわけだ」
「は、はぁ…?犯すって…ちょっと触んないで…!」

あしらいながらドリンクを作っている私を後ろから抱きしめてきて顔を近付けてくるこの男に怒りとともに恐怖心が芽生えてくる。見た目からして何しでかすかわかんないし、この間女にさえ成すすべなくボコられた私だ…こんなガタイのいいやつに敵うはずがない。

「あいつの大事なもん奪うつもりだったけど、まあいいわ。彼女じゃねーにしろお前オレ好みのエロい身体してるし一発ヤる相手として不足はねーな…試合よりよっぽど楽しめそうだわ」
「はぁ!?やだっ…ちょっとほんとにやめて!」

こいつイカれてる…私を揶揄うように笑いながら身体を触ってきて、思いっきり力を入れても全然解けない。悔しいっ…

「さすがにここじゃまずいから移動すっか…うちの控え室なら今誰もいねーだろうし。言っとくけど、騒いだらリョータが痛い目見ることになるから…その辺覚えとけよ」

こんのクズ!黄瀬のやつどんな恨み買ってんの…こいつの女寝取ったとか…?何にせよ私もだけど黄瀬もケンカ慣れしてなさそうだから痛い目にあうってのが本当なら騒げない…けどレイプは嫌だ…!

「誰が痛い目見るって?」
「黄瀬…!!」
「おー…久しぶりだなぁ、リョータァ」
「何でもいいんスけど、その子離してもらえる?うちの大事なマネージャーなんで」
「マネージャーねぇ…てっきりお前の女かと思ったけど、違うってんならオレがこうしても文句ねーよなぁ?」
「きゃあっ!!」

後ろから抱きしめたまま黄瀬に見せつけるように胸を揉まれ、抵抗するももう片方の手で顎を掴まれて無理矢理キスされた。

「ふっざけんな…っ」

黄瀬が見たこともないほどキレた顔で男に掴みかかったところで「何してんだ!!」と青峰先生が現れて何とか止めてくれた。やばい…足が震えて、心臓がまだバクバクしてる…

「お前らはコートに行け、オレはこいつと向こうの顧問に話してくる」
「あ、青峰先生…!」
「ん?」
「もう、忘れるから…無かったことにして」
「は?何言ってんだよ、そういうわけには…」
「もし…もし万が一それで試合が中止になったら…先輩達は終わりなんだよ?そんなの、絶対ダメ」
「けどよ…」
「お願い。ただちょっと触られただけだから、大丈夫」
「……わーったよ。試合が終わるまでは黙っててやる。お前は今日1日絶対1人になるなよ、いいな?」
「うん。ありがと…先生」

青峰先生は私の頭にポンと手を乗せると、「オレはこいつとちょっと話したらここ片してすぐ戻るわ」と言って私達を先に戻らせた。

「名前っち…ごめん。大丈夫?」
「うん…大丈夫」
「あいつ、灰崎祥吾はオレと同じ中学で昔からあんまり仲良くなかったんスよ。またオレの周りの人間のせいで名前っちに怖い思いさせて…ほんとごめん」
「何言ってんの…黄瀬が助けてくれたんでしょ…?ありがと」

試合前の黄瀬に無駄な心配をさせまいと気丈に振る舞いたいのに、さっきから震えが止まらない。もし黄瀬が来てくれなかったら、今頃人知れずあの人にヤられちゃってたかもしれないって考えると怖い。男の人の力ってあんなに強いんだ…いざとなったら想像してた以上に全然敵わなかった。

「ごめん…私、ドリンクも作れてないし…後で買いに行かないと…。でも、試合が中止にならなくてよかった…」

私、ほんとダメだな。ドリンク作りさえままならなくて、また黄瀬に心配かけてる。恐怖心と申し訳なさで今になってポロポロ涙がこぼれ落ちてくる。溢れて止まらないそれを必死に拭っていると、黄瀬が自分のジャージを着せてぎゅっと抱きしめてくる。

「もう、何の心配してんスか。名前っちが頑張ってるのはちゃんとわかってるから。あとはオレに任せて、桃っちのそばで試合見てて」
「黄瀬…」
「あいつにだけは、死んでも負けないから」

抱きしめられた腕の力がぎゅっと一瞬強くなって思った。黄瀬、もしかしてまだキレてる…?

黄瀬のことが心配になりながらも一緒にコートに戻ると桃井先生に事情を簡潔に説明して試合の準備をする黄瀬。本当に大丈夫なのかな…。

「名前ちゃん、怖かったよね…大丈夫?今日は帰るまでずっと一緒にいてあげるからね!」
「それは…丁重にお断りします…」
「もう、こんな時まで…!」

なんだかんだ言いつつも、嫌いなこの人でさえ今は一緒にいてくれることに安心してる。ウザいウザいと思っていたこの天真爛漫さに救われてるなんてちょっと悔しいけど。

そして青峰先生も戻りすぐに試合が始まる。この距離から見てもわかるくらい黄瀬と灰崎クソ野郎の間には火花が散っている。こっちまで緊張する…けど大丈夫だよね?だって黄瀬めちゃめちゃバスケ上手いし、うちのチーム自体結構強いらしいし。

そんな私の思いとは裏腹に、灰崎が思いの外手強くあの黄瀬が押されている状態で点差はどんどん開いていく。おまけに黄瀬が冷静さを保てていなくて、ムキになって自己中心的なプレーをしてカットされたり連携が取れていないせいでパスミス連発したり…いつもはこんなんじゃないのに…

「ったく何やってんだあいつは…」

青峰先生もそんな黄瀬を見てイラついているのがわかる。きっとさっきのことがなければもっと落ち着いて力を発揮出来ていたはずだ。

青峰先生がタイムアウトを取り黄瀬達が戻ってくる。当たり前だけど練習よりすごい汗…他のみんなもすでに疲れてる。

「黄瀬、個人的な感情は抑えろ。お前のそれが全体のミスに繋がってんだよ、もっと周り見てボール回せ」
「別にオレは…っ」
「お前が頑張っているのはわかるがオレ達のことをもっと信用しろ。オレだって名前ちゃんにいいところを見せたい…!」

森山先輩のいつもの調子に呆れていると黄瀬が私の名前に反応してこっちに視線を移す。

「(頑張れ…黄瀬…!)」

笑顔を向けて頷くと、黄瀬もハッとしたような表情をした後私に微笑んだ。少しはいつもの黄瀬に戻った…かな?

「認めたくねぇがあの灰崎ってやつは強ぇ。今うちであいつと対等にやれんのは黄瀬だけだからな…黄瀬が止めらんなきゃうちの負けだ」
「先生…」
「大丈夫だよ名前ちゃん、きーちゃんのポテンシャルは負けてないんだから。信じて見守ろう?」
「うん…」

黄瀬が冷静さを取り戻しチームとして立て直すことが出来たものの灰崎を抑えることはそう簡単ではなく、点を取ったら取り返されの繰り返しで一定の点差から縮まらないままハーフタイムの時間となってしまった。

控室に移動し、水分補給をしながら作戦会議。

「黄瀬、行けんのか」
「行けるっス…行かせてください。ショーゴくんは絶対オレが倒す」
「そうか、ならあいつはお前に任せる。けどボールどんどん回してチャンスがあれば外からも点入れてかねーとあっという間に試合終わっちまうぞ。全員気合い入れていけよ」
「「「はい!!!」」」

あっという間に時間が過ぎ、一息ついたかと思えばまたすぐにコートに向かう選手達。そんな後ろ姿を見つめながら思わず黄瀬のユニフォームの裾を掴んで引き止めた。

「ん、どうしたんスか名前っち」
「私…信じてるから。うちのエースはあんなやつに負けないって。だから、絶対勝って」
「名前っち…」

黄瀬は私の両手を掴んで握ると屈んで視線を合わせ、

「名前っちが信じてくれるならオレはいくらでも頑張れるっスよ。だから、そばで見守ってて」

そう言ってコートへと向かった。


後半戦、黄瀬が脅威の集中力と灰崎をかわしてシュートを連続で決め、どんどん点差を縮めていく。青峰先生が「ゾーンに入ったか…」なんて意味のわからないことを呟いていたけどゾーンってなんだろう…。そんな疑問を頭の片隅で抱きながらも終いにはスリーまで決める黄瀬に思わず「かっこい…」と口から漏らしたのを桃井先生が聞き逃すはずもなく、「ん〜?今なんて言ったのかなぁ?」なんて冷やかされて咄嗟に自分の口を押さえて睨みつけた。

黄瀬のゾーンとやらが切れた後も流れはうちにあり、黄瀬にばかり気を取られる福田総合の隙をついて先輩達がシュートを決めたり、気を乱され反応が遅れた灰崎の上から黄瀬がダンクを決めて試合はうちの逆転勝利となった。

・・・

「こんな感じでいいかな…」

家に帰り、黄瀬と出掛ける準備をする。陽が落ちてきて、外も暗くなりかけている。この時間に準備して出掛けるの、なんかドキドキするな。試合の帰り道、黄瀬に「誕生日なんだから、めいっぱい可愛くしてきて」と言われたけど…黄瀬の言うめいっぱい可愛くってハードル高いんですけど…。なんだかんだ言いつつもちょっと楽しみにしてたからワンピースとか新調しちゃったりしてるんだけど…なんか黄瀬に見せるの恥ずかしいというか照れくさいというか。でも…今日の黄瀬、すごいかっこよかったな…。試合が終わってベンチに戻ってきたとき思わず抱きつきそうになったとは、口が裂けても言えない。

「名前ー、そろそろ行くわよー」
「ん、はーい」

お母さんに待ち合わせの場所まで車で送ってもらい、すでに着いているらしい黄瀬に電話する。

「もしもし、黄瀬?着いたけどどこ?」
「入場ゲートの前っスよ。オレはもう名前っち見つけたから、そこにいて?」
「え?」

スマホを持ったまま辺りをキョロキョロ見回していると、「名前っち」と後ろから声を掛けられて驚く。てか、相変わらずオシャレだなぁ。かっこいい…。

「今日の名前っち、女の子って感じでかわいい」
「い、一応これでも前から女やらせてもらってますけど」

ああ…また可愛くないことを。恥ずかしくてついそんな言葉ばかり出てくる自分をどうにかしたい。

「あはは、照れてる。オレのこと必死で探してるのも可愛かったな〜」
「もう、黄瀬…!」
「ごめんごめん、ほら行こう?」

黄瀬に促されてゲートを通ると遊園地の中はイルミネーションで別世界のようにキラキラ輝いていた。

「わぁ…めちゃめちゃ綺麗…!」
「ちょっと早いけどクリスマスシーズンってことでイルミネーションやってるって知ってここにしたんスよねー。光と魔法の遊園地がテーマなんだって」
「ほんと、おとぎ話の世界みたい」
「てなわけで…お手をどうぞ、お姫様」

いつもなら「何言ってんの?寒い」とでも言うところだけど、今日の黄瀬はバックのイルミネーションも相まって本当に王子様みたいにかっこいい。なんか、さっきからずっとドキドキしてる…。差し出された黄瀬の手を取ると、優しく微笑んだ黄瀬が「何乗りたいっスか?」などといつもの調子で聞いてくる。落ち着け…私だけ緊張してどうする。

「じゃあ…王子様にエスコートしてもらおうかしら」
「喜んで」

黄瀬王子のエスコートで最初に連れてこられたのはメリーゴーランド。眩しいくらい金色に輝くそれに胸が高鳴る。

「名前っちスカートだし馬車にしよっか」
「うん、ありがと」

「足元気をつけて」と気にかけてくれる黄瀬はどこまでも優しい。こういうところがモテるんだろうなぁ…。

「夢の国とかじゃないこういう遊園地って子供のとき以来だからなんかテンションあがっちゃうな」
「オレもっス。しかも夜に来るとか初めてかも」
「そうだよね、私も。夜の遊園地いいね、キラキラしててかわいい!」

子供向けの乗り物が多いからかまだクリスマスまで遠いからか、この時間は特に人が少なくて、本当に黄瀬と異世界に来たみたいだ…なんて乙女チックなことさえ考えてしまう。いやいや、キャラじゃないって…!座り直して手を座席に置くと黄瀬の手に触れてしまいまたも動揺する。

「あ、ごめ…」

パッと離そうとする私の手をそのまま握ると「ん?」とにっこり微笑んでくる黄瀬に心臓がドクンッと鳴った。よく考えたらこの狭い馬車に身長189センチの大男とめちゃくちゃ近い距離で座ってることを今更ながら意識してしまって顔が熱い…!なんか今日は黄瀬を友達じゃなくて男として見ちゃって調子が狂う…。

「名前っちジェットコースター乗れる?」
「あんまり激しすぎなければ平気」
「ここのならたぶん大丈夫そうっスね、行こ!」
「うん」

ガタンゴトンガタンゴトン…

「名前っち、オレの手握ってて」
「いや…ちょっと怖いからあんたの手より安全バー握ってたい…」
「え!?一緒に手繋いでバンザイしたいのにー!」
「1人でやれ」
「寂しいじゃないっスかぁ」

カタカタカタカタ…

やばい、めっちゃ急斜面のぼっていってる…これ真下に落ちるやつだ…息できなくなるやつ…

「名前っちってばー、聞いてるー?」
「聞いてない!」
「だーかーらー」

カタカタカ…

「…ぎゃー!!!!!」
「ふー!!!!!」
「こわいこわいこわい…!!」
「名前っち!名前っち!」
「むりむりむりむり…!!」


やばい…思いの外怖かった…。何度も手を取られそうになったが必死に安全バーにしがみついた。こいつ私のこと殺す気…?

「はい、ジュース買ってきたっスよ。名前っちこっちでいい?」
「うん、ありがと…」
「大丈夫っスか?無理なら最初からそう言えばいいのに」
「速いのは割と平気なんだけど真下に落ちるのがダメなの…内蔵浮く感じが無理…」
「それが楽しいんじゃないっスかー」
「は?変態かよ…理解に苦しむね」
「んー…じゃあ名前っちみたいなお子ちゃまでも乗れる乗り物探さないとっスねー」
「うざい、きらい」
「はいはい、いいこいいこ、よちよち」
「きー!!!」

黄瀬のやつ、ちょっと絶叫イケるからって調子乗りすぎ…私が何を言っても「そだねー」って目尻さげて子供を見るような目で見下してくるのがまじで腹立つ…!

「じゃあ次はこれ乗ろ」
「やだ」
「もー、まだ怒ってんスかー?ほら、流れる水の上をクルージングしながらイルミネーション見れるって…休憩がてらこれ乗ろ」
「…ふーん…いいけど」
「あはは、興味ある?じゃあ、はい。お手」
「やだ」
「名前っち、結構根に持つタイプっスね…」

なんだかすっかり黄瀬のペースなのが悔しくて素直になれなくて、園内マップを奪いスタスタ歩いていると「名前っちそっちじゃなくてこっち…!」と結局腕をぐいっと掴まれる。「まったく…マップ見て逆方向行くって意味わかんないっスわ」「は?イルミネーション見ながら遠回りして行こうと思っただけだし」「妖怪方向音痴言い訳女」「うるさい。怪人ナルシストイキり男」「は?」「あ?」…そんなこんなでくだらないケンカは乗り物に乗っても続き、流れる水やらイルミネーションどころではなかった。

ひとしきり言い合った私達は、「きっとイライラしてしまうのはお腹が減っているからだ、糖分が足りてないんだ」という結論に至りクレープを買って食べ歩きすることになった。私はいちごチョコ、黄瀬はバナナ生クリームとどちらも王道の確実に美味しいやつを選ぶあたり両者共に相当お腹が減っていたらしい。

「んー…うま…」
「クレープってたまに食いたくなるんスよねー」
「わかるー私クレープ大好き」
「名前っちのそれ一口ちょーだい」
「いいよ、はい」
「やったー」
「おりゃっ」
「ぶっ…ちょ…何するんスかー!」
「私をバカにするとこうなるのよ。覚えておきなさ…んぐっ」
「モデルの顔を汚した罰っス」
「お前…こっちはメイクしてるんだぞ!ふざけんな!」
「名前っちのなんてチョコ入ってるからオレのほうが被害甚大なんスよ!」
「「………ぶはっ」」

危うくまたケンカがおっぱじまりそうになったがお互いのひどい顔に吹き出してしまい爆笑に変わった。

「この顔でケンカしてるの面白いっスね」
「もうイルミネーションが泣いてるよ。雰囲気が台無し」
「まあこれも思い出ってことで…名前っち、こっち見て」
「ん?」

黄瀬が光の速さで構えたスマホで顔にクリームをつけたままツーショットを撮られる。いや、どうせならもっとちゃんとした状態で撮りたい。

「ちょっと…この顔で写真撮らないでよ」
「いいじゃないっスか、後で見返したらまた笑えそうだし」
「それは絶対笑っちゃうと思うけど」
「でしょ?でもまあ、せっかくだしイルミネーション見ながらちょっと歩こっか。ここ、今の時期映えスポットいっぱいあるんスよ」
「へぇ…見たい!」
「その前に、顔吹かなきゃっスね」
「そうでした」

顔のクリームを拭きとった後、話をしながら歩いているとイルミネーションメインのエリアにたどり着く。

「えー!やばいやばい!めっちゃ綺麗…!」
「確かに、オレも想像以上っスわ」

たくさんのランタンが浮かんでいたり、キラキラのトンネルがあったり、大きなクリスマスツリーがあったり…全部が幻想的で綺麗で可愛くて、自分でも驚くほどテンションあがってる。

そんな私を見て黄瀬はさっきから何枚も写真を撮っている。有難いけど、撮られ慣れてる黄瀬と違ってどんな風に自分が写っているか心配なんですけど…。

「黄瀬も撮ってあげる。ほら、あそこ立って」
「えー、じゃあモデルの実力見せちゃおっかなー」

そう言った黄瀬は心底ウザかったが、実際写真に写る黄瀬はほんとに全部雑誌の表紙みたいにかっこよかった。モデルの仕事、やっぱ黄瀬の天職かもな…。

「どう?オレイケてた?」
「うん、むかつくけどイケてた。やっぱモデルなんだなーって改めて思ったよ」
「何言ってんスか今更ー。名前っち、オレのスマホで一緒に撮ろ?」
「ん…」
「はい、チーズ。…お、いい感じ。じゃあ次はあっちで…」
「あ、あの…!」

黄瀬と写真を撮っていると知らない学生の女の子2人が黄瀬に声を掛けてきた。

「モデルの黄瀬くんですよね…?ファンです、よかったら一緒に写真撮ってくれませんか…!」
「あー……ごめん。写真はちょっと…握手でもよければ」
「大丈夫です…ありがとうございます!」

その様子を見ていたであろう周りの人達もざわつきだし、「あの…」「私も…」と気付けば黄瀬がこの遊園地のマスコットキャラ的存在になっている。え、私マネージャーのフリとかして助けるべき?いや、無理あるよな…。どっかで落ち着くのを待って合流したほうがいいかな…どうしよう…どうしよう…とオロオロしていると「名前っち、行こ!!」と突然黄瀬が手を取って走り出すからパニックになりながらも必死について行く。

「とりあえず観覧車乗ろ!」と言われるがままに乗り込み息を整える。

「ゼェ…ハァ…ゼェ…ハァ…」
「ごめん名前っち…暗いしそんなに混んでないから平気かと思ったんスけど…」
「いや…しょ、が…ない…しょ…」
「息切れまくってんじゃないっスか…!」

現役バスケ部と万年帰宅部を一緒にするなっての。転ばなくてよかった…。

「足、平気?ブーツだし走りにくかったでしょ。てかその前から結構歩いてたし…痛くない?」

黄瀬、ほんと女の子への気遣いすごいな。こんな風に心配してもらって嫌な気持ちになる子いないよ。「大丈夫」と言うと黄瀬は「えー、なんだ。帰りおぶる気満々だったのに」と笑っている。黄瀬に落ちちゃう女の子の気持ち…今ならちょっとわかる気がするなぁ。

「どっちみち観覧車は乗りたかったんスけど、まさかこんな形で乗るとは…」
「他のゴンドラに乗ってるの全部黄瀬のファンだったりして」
「ちょ…怖いこと言わないで?いや、ファンは有難いんスけど…」
「あはは、冗談」
「もう…。でも…よかった。名前っちが楽しそうで」
「ん?」
「ショーゴくんの件とかもあったし…ちょっと心配だったんスよ」
「ああ…確かに怖かったし嫌だったけどね。でも試合で勝ってくれたし、もう会うこともないやつのこと気にしても仕方ないかなって。ハエが口に止まったって思うことにした」
「ぶっ…ハエって…!ショーゴくんに怒られるっスよ」
「いやいや、怒りたいのはこっちだからー」

正直、言うほど完全にどうでもいいと思えているわけではない。つい数時間前の出来事だし、青峰先生以外経験のない私には衝撃的で。しかも好きでもない男にあんなことされて平気な女などいるものか。いや…イケメンだったし意外といるのかな。でもなぁ…あいつの場合性格クソだったし…。思い出したらまた嫌な気持ちになってきた…。せっかく黄瀬が遊園地連れてきてくれたんだから楽しまないと。

「見て、名前っち。あれさっき写真撮ったとこじゃない?」
「ほんとだー、上から見ても綺麗…!遊園地だけじゃなくて夜景も見れていいね」
「名前っちがこういうロマンチックな感じ好きなの意外だったけど、喜んでもらえてよかった」
「そりゃあ私だってキラキラしたもの見たらテンションあがるってー」
「じゃあ、はい」
「ん?」

はい、と黄瀬に差し出されたのは小さい紙袋。これは、もしや…!

「誕生日おめでとう。森山先輩に先越されちゃってちょっと悔しいんスけど」

そう冗談混じりに言って少し照れ臭そうに笑う黄瀬がなんとも愛おしい。試合終わりに遊園地に連れてきてくれただけでも嬉しいのにプレゼントまで…いつのまに用意してたんだろう…。

「開けていい?」
「いいっスよ」
「やった…!…え」

まず取り出した小さい箱には可愛らしくリボンが巻かれていて、私にでもわかるくらい超有名なハイブランドの文字が刻まれている。黄瀬がオシャレなのもセンスいいのも知ってるけど彼女でもない私がこんな高級なもの貰っていいの…!?豚に真珠というやつでは…

「ねぇ黄瀬…これいくらした?」
「名前っちってば、ふつーそれ聞く?いいから早く開けて」
「えー、だってさすがに悪い…」

と言いながら言われた通りに箱を開けて中を見ると、華奢でシンプルながら暗闇でもキラリと光を放つ宝石のついたネックレスが。

「めっっっちゃかわいい〜!!!」
「あはは、気に入った?どんな服にでも合うようにシンプルなものにしたんスけど、もっとデザイン凝ってるのにしたほうがいいかなーとか結構悩んだんスよね」
「ううん、これがいい!すっごい私の好み!はぁ〜…」

思わず何度も見つめてしまう。これを機にオシャレにももっと気を使おうと思うくらいかわいい。

「名前っち、つけてあげる」
「え、今?つけたいけどもったいない気もする…帰りに落としたりとかしないかな…」
「つけてるとこオレが見たいんス」
「わかった…お願いします」
「じゃあ、ちょっとそっち行くね」

小さな密室の中で隣に座る黄瀬に少しドキドキしながらもネックレスを渡して背中を向ける。

「髪…ちょっと前に寄せれる…?」
「あ…うん…」
「ありがと…」

黄瀬がたまに触れる手やすぐ後ろから聞こえる声にやけにドキドキしてしまう。高いところにいるからなのか、暗いからなのか、何なのか…。

「…ん…できた。こっち見て?」
「…どうかな?似合う…?」
「うん…すごく可愛い」
「ほんと?へへ…嬉しい」

本当にこんな高いプレゼント貰っていいのかなってまた聞き返したくなるけど、満足そうな黄瀬の顔を見てもう黙って素直に受け取ろうと思った。

「ありがとう、黄瀬。絶対大事にする」
「うん。あのさ…名前っち」
「ん?」

黄瀬が何か言いかけたところで私のスマホが鳴った。反射的に私達の視線はそっちに移り、画面を確認すると「青峰大輝」の文字が映し出されていた。

咄嗟に着信を切るも、「…出なくていいんスか?」と言う黄瀬の言葉に甘えてしまいたくなる気持ちもある。青峰先生がなんで電話を掛けてきたのか気になる…灰崎とのことを気にかけてくれてるとか?それとも、誕生日覚えてくれてたとか?ああ、さっきとはまた違う心臓のバクバクが…早く落ち着け…

「うん…平気。大事な用なら掛け直すかラインしてくると思うし」
「なら、いいんスけど…」
「せっかく黄瀬が連れてきてくれたんだから遊園地楽しみたいもん。あ、そういえば何か言いかけてたよね?ごめん…何言おうとしてた?」
「え?あー…オレ何言おうとしてたんだっけ…忘れたっス」
「あはは、あるよねそういうの」

その後お互い何かと話を振るもすぐ会話は途切れ、静かに夜景を眺めたまま時間は経っていった。

「そろそろ帰ろっか。ここも閉まるし、結構遅くなっちゃったっスね」
「うん、そうだね」

あれから何度も気を紛らわそうとしたけど青峰先生のことが気になってしまって気付くとそればかり考えてしまっている。こんなことならいっそさっき電話に出て用件だけ聞いておいたほうがスッキリして残りの時間楽しめたかもとか思ったり思わなかったり。隣を歩く黄瀬もいつもは「また青峰っちのこと考えてるんスか?」って呆れたり「懲りないんスからーもう知らないっス」って怒ったり、私が青峰先生のことを必要以上に考えないようどうでもいい話を永遠に喋ったりするくせに今日はあれからやけに静かだ。本気で愛想尽かされたかなぁ…。私も自分で嫌になるもん。この間ケガしたときは目の前にいる青峰先生より黄瀬の顔が浮かんで仕方なかったのに、今は誕生日をお祝いしてくれる黄瀬が隣にいるのに青峰先生のことが気になってる。自分で自分がわかんなくて、考えれば考えるほど頭パンクしそうになる…。

「さむ…」
「寒いっスねー…。オレの上着着る?」
「あ、ううん。もう少しでうち着くし大丈夫だよ。来月には雪とか降るかなー?」
「どうっスかねー…さすがに降らないんじゃないっスか?」
「だよねー」

…またも沈黙。別に当たり前のことなんだけど、帰りは繋がれていない手が妙に冷たく感じる。青峰先生からの着信に動揺しまくってるくせにほんと自分を殴りたくなるけど…。黄瀬、嫌な気持ちになったかな…。そんなことをうじうじ考えている間に家に着いてしまった。青峰先生のことが気になりつつも、黄瀬とバイバイするときはなんか寂しくなる。こんなずるい気持ち、誰にも言えないけど…。

「黄瀬、今日は私に最高の誕生日をくれてありがとう。あんなすごいイルミネーション初めて見たし、サプライズでプレゼントまでくれてめっちゃ嬉しかった」
「そっか…よかった」
「うん…あ、後で写真送ってね?じゃあ、また明日」
「あ…待って、名前っち…!」

呼び止められて振り返ると黄瀬に突然抱きしめられ、一瞬何が起きたのかと思考が停止する。えーっと…黄瀬も名残惜しくなっちゃったのかな…?

「…お礼を言うのはオレのほう。一年に一度しかない好きな子の誕生日祝えてすげー幸せだった」
「…?」

好きな子…?好きな子の誕生日って言った今…?好きって黄瀬が私を…?いや、そんなわけ…。混乱しつつも黄瀬に対してドキドキしてるのは、きっとそういう意味だってどこかで思ってるからだろう。

「オレが前に話した好きな子は名前っちっス。両思いって確信持てるまで伝える気なかったけど…もう気持ち隠すの限界っスわ…」

そう言って腕の力を緩めて私の顔を近距離で見つめてくる黄瀬に心臓が破裂しそうになる。胸が苦しくて、なんて言ったらいいか言葉が出てこない。

「黄瀬…」
「好きだよ、名前っち。返事は今すぐじゃなくていいから…もう一回ぎゅってさせて」
「うん…」

目を見つめて改めて告白され、切なそうな顔でそんなこと言われたら断れるわけない。黄瀬に好きって言われて、びっくりしたけど正直嬉しいって思っちゃってる…。でも、すぐに返事ができないのはまだ青峰先生を想う気持ちがあるから…。それなのにこの腕を離したくないんだから、どうしようもない…

しばらく無言でぎゅ…っと抱きしめられていた腕の力が弱まり黄瀬とバイバイしなきゃいけない寂しさが押し寄せた瞬間

「…っ!!!」

黄瀬の唇が私の唇に重なった。

不意打ちすぎて…まさかキスされると思ってなかったから油断してた。今度こそ心停止するかと思った…ていうかたぶん一瞬止まった。

唇を離した黄瀬の顔を見るも恥ずかしすぎて目が泳ぐ。こういうの慣れてないから反応に困る…

「名前っち、オレもう遠慮しないから。覚悟しといて」

そう言って微笑むと、黄瀬は言うだけ言って帰っていった。

「黄瀬のくせに、生意気…」

黄瀬の思いもよらぬ行動に足の力が抜けしばらく動けなくなった私はその夜案の定黄瀬のことしか考えられなくなり、灰崎はおろか青峰先生のことも忘れてしまうのであった。