Low-Q


手紙


 いつもより風が強く、海の波も高い日の午後。
 砂浜に、一人でブツブツと独り言を漏らす男の姿があった。


「ハルコさんへ、と……」


 対山王戦で背中を負傷し、リハビリ生活を送ることになった桜木花道。
 その彼にとっての最近の楽しみは、湘北バスケ部の近況が記された晴子の手紙を読むこと、そしてその手紙に返事を書くことだった。

 砂浜に直接座り込み、病院から勝手に拝借したレターパッドとペンを手にした花道は熱心に文字を書き込んでいく。

「ぬ。チョウテン、のチョウってどんな漢字だっけ……」

 ふと忘れた漢字を思い出そうとして顔を上げ、果てなき海原をぼんやりと眺めた。
 すると、まるでその隙を狙うかのように横から強い突風が吹きつけ、レターパッドの表紙を下敷にしていた手紙は一瞬のうちに花道の手元から離れていく。
 筆圧によって下の紙にまで文字の跡が残ることがないようにと、あらかじめ一枚だけ引き千切っていたのが悪かった。


「ぬあーーッ!? ちょっと待てい!」

 風に飛ばされた手紙を追い掛けるために慌てて立ち上がろうとする。
 しかし、同時に自らの背中を意識した。
 今はまだ無茶をすることは禁じられていたから、とっさに動き出すことを躊躇ってしまう。
 おまけに長く砂浜に腰を下ろしていたせいで尻や腰の辺りが少し痺れて感覚を鈍らせていた。
 視線だけが空しく手紙を追い掛ける。
 と、その視線が不意に遠くからこちらに向かって走ってくる人影を捕えた。

「ルカワ……!」

 花道が入院して暫く経った後、流川は体力作りのためにこの海岸沿いを走ることを日課にしたらしい。
 お陰で二人は不仲であるにも関わらず校外でも頻繁に顔を合わせる羽目になったが、互いにこの場所を気に入っていたし、いけ好かない相手に自分から引くことなどしたくない。
 だから、鬱陶しいとは思いつつも花道は流川の走る姿を鋭い目つきで睨んではヤジを飛ばし、流川もそんな花道を挑発して悔しがらせてみたり無視したり、犬猿の仲に相応しい応酬を繰り返しながら僅かな時間を共有する日々を過ごしてきた。



「……?」

 一定のリズムでひたすら砂を蹴り上げていた流川だったが、ヒラヒラと頭上を飛んでくる白い紙に気付くとスピードを緩めた。
 不審に思って遠くに投げた視線が、異様に目立つ赤い頭の男を捕える。

 流川は呆れたように溜め息を吐くと、膝をグッと曲げ──高く、跳んだ。

 その瞬間、花道の心臓が大きく波打ち、勢いよく押し寄せた衝撃は全身に響いた。
 しなやかに跳ぶその姿を、スローモーションでも見ているかのような錯覚と共に凝視する。

 流川の伸ばされた右手が手紙の端を捕え、風を避けるように背後へ回す。
 そして着地すると何事もなかったかのように、けれど手紙は握り締めたまま再び駆け出し始めた。

 花道は顔をしかめながら立ち上がり、流川との距離が縮まるのをただ待っていた。


「オメーのだろ」

 花道の傍で立ち止まり手紙を目の前にかざしながらそう言った流川の顔は汗にまみれ、肩が小さく上下している。
 自由に走り回ることが出来るその男を、花道は心底羨ましく思った。

「そうだ。返せ」

 手紙を拾ってくれた相手に礼も言わず、デカイ図体よりも更にデカイ態度のまま手を差し出す花道に少しムッとしながらも、流川は無言でその手に白い紙を渡した。
 目の前の男が最近バスケット部のマネージャーとなった赤木晴子と手紙のやり取りを始めたことは耳に入っている。
 他の部員たちもその手紙を直接見ないまでも、何となく話だけは聞かされていた。
 桜木君は元気みたいだよ、と報告する晴子に流川は一言、知ってる……とだけ答えた。
 不死身の男の姿をこの目で直に確認しているのだから。
 花道の辛さなど分かりはしないし分かろうとも思わない。
 が、結構やるときゃやる男だと随分前から認めてしまっている。
 だから心配もしていない。

 花道は不貞腐れたような表情を浮かべていたが、手紙を取り返すなり目を剥いて大声で叫んだ。

「あーーッ!? 端がグシャグシャになってるじゃねぇか……! ハルコさん宛の大事な手紙に何てことしやがる!!」
「……キタネェ字」
「なぬ!?」
「何がリハビリ王だ。どあほう」
「ッ、てめ……!! 人の手紙を勝手に読みやがったな!?」
「読むつもりはなかったが、拾った時にチラッと見えた。“リハビリ王として”だけ」
「……チッ。ああ、そうだ。この天才はな、既にリハビリ界の頂点に立──」

 手紙を返したのだからもう用は無い。
 流川は自ら振った話を一方的に打ち切るように止めていた足を動かし始めた。

「あっ!? てめー、最後まで聞かねーかコラ!!」
「じゃーな、リハビリ王」
「う、うるせっ! もう来んな!!」


 いつものように肩をすくめて見せた流川の、その背中が離れて小さくなっていく様を眺めながら……花道は先ほどのシーンを脳裏で再生した。
 衝撃の余韻は背骨の辺りに張り付いている。

 全身がバネのように素早く高く跳ぶ流川の姿は、悔しいが目を奪われてしまう。
 でも自分だって負けてはいない。負けてはいられない。

──早くあの背中に追い付き追い越してやる。

 体がウズウズしてきて花道の口角が自然と上がり始めた。
 沸き出した覚えのある興奮は、傷付き地に臥そうとする身体を高みへと浮かび上げる。何度でも。

「今に見てろよ、ルカワ! はーっはっはっ!」


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ハルコさんへ

もう2学期がはじまってますね
この天才桜木はすでにリハビリ界のリハビリ王として頂点に立っています
ふっふっふっ
諦めの悪いミッチーやオレの不在によって新キャプテンになったリョーちん、そしてオレの補欠で全日本ジュニアに選ばれたくせにチョーシに乗っているルカワ
そのうち奴らをまとめてギャフンと言わせてやるくらい華麗な復活を遂げることを約束します!
待っていてください
必ずハルコさんのご期待に添って見せますよ
天才ですから

桜木花道

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 手紙を書き終えた花道は、海に背を向けると両腕を上げてゆっくりと身体を伸ばした。
 まだまだ先は長い。
 でも、体に受ける風は追い風だ。
 どれほどリハビリが厳しくなろうとも耐えていけるだろう。
 花道はバスケットが大好きになったし、そんな自分のことも前よりずっと好きになれたのだから。



( End )





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