Low-Q


誰にも言えない 02


「ねぇ、桜木花道。流川とまた喧嘩でもしてるわけ?」

 オレの基礎練習を見ながらアヤコさんが呆れたような顔をして尋ねてきた。

「……別にしてないっスよ」
「じゃあ今日のあの雰囲気は何なの?」


 部活の間中、ルカワは一度もオレを見なかった。おまけにオレが話し掛けても無視しやがる。
 怒っていることは明白で、その原因はさっきオレが手を振り払い置き去りにしたことだと見当はついていたが、どうすれば良いのか分からずにオレは苛立つばかりだった。
 いつもはしつこく居残るくせに今日はさっさと引き上げてしまったアイツを、追い掛けることも出来ずに。

「最近は上手くいってるみたいで安心してたのに……」

 あのコがあそこまで露骨な態度を取るなんて余程のことね、とアヤコさんは溜め息を吐いた。

「原因は何なの?」

 強い口調で問われても、白状するわけにはいかねぇ。

「またおめーが流川にパスを返さなかったとかじゃねーの」

 いつの間にかアヤコさんの横に立っていたリョーちんが言った。当たらずとも遠からずのその言葉が重く響く。


「アンタ、まだそんな子供じみた意地悪してたの?」
「いやッ、そんなことは……」
「流川もいい加減に堪忍袋の緒が切れたのかもな。お陰で皆も集中力に欠けてた」

 確かに他の奴らも口にはしなかったが、ルカワの態度から不穏な空気を感じて顔を曇らせていたようだった。


「全く困らせてくれるわ本当。仲良くしろとは言わないけど、もう少し自重しなさいよね。わかった?」
「コラ、返事はどうした花道」
「……ウース」


 自重が必要なのはアイツの方だと言いたかったが無理矢理飲み込んで頷いた。



* * * * *


 翌日の昼休み、10組の教室までわざわざ出向いてやったのにアイツはいなかった。
 舌を打ち諦めて戻ろうとしたが、やっぱりちゃんと話したくて、仕方なく探し始める。
 屋上に上がると、いきなりドンピシャで寝こけたルカワの姿を見つけた。
 おあつらえ向きに周りには誰もいない。


「おい、ルカワ」


 曲げた肘に頭を乗せて横たわっているルカワに声をかける。これくらいのことじゃ起きやしねぇだろうが──


「……何の用だ」
「うおっ、起きてたのかテメー!」


 どういうわけか珍しくルカワは起きていたらしく、オレは思いっきり焦ってしまった。
 寝起きの声じゃなくてハッキリとした、だけどいかにも不機嫌な声。やっぱりまだ怒ってる。
 ここは一つ、オレが大人になって譲歩してやるべきなんだろう。
 オレだって、本当はコソコソしたかねーんだ。

 そう思っていたのに、口からは正反対の言葉が出てしまった。

「たいがいにしとけよ」
「あんだと?」

 ルカワの目の色が変わる。

「何度も同じこと言わせんじゃねぇ。軽はずみな行動は謹め」
「…………」

 ああっ、違う。こんなことを言いたかったンじゃねぇ。オレのセリフは火に油を注ぎ、周辺に爆薬を並べているようなもんだ。

「言いたい奴には言わせとけば良いだろ」

 そう吐き捨てたアイツは、何かを堪えるような今までに見たことのないツラをしていた。
 何で。何でこうなっちまうんだ。

「オレはなッ! お前との関係が……た、大切なんだ。だから、誰にも邪魔されたくねーんだよ! 何でそれが分か」

「邪魔してんのはテメーだ、どあほう!!」

 いきなり左の頬をブン殴られた。

 尻餅をついたオレの胸ぐらを掴み上げ、ルカワが射抜くような眼差しで見下ろしてくる。


「大切だと? テメーはビビってるだけじゃねーか。オレたちの関係が壊れることよりも、男同士で付き合ってることがバレて汚く罵られることの方が怖ェんだろうが」


 喉が貼り付いて何も言えなかった。殴られた頬よりも強い痛みを訴える箇所がある。
 視界いっぱいに映ったルカワは肩を震わせながら大きく息を吸い込んだ。


「そんなに格好つけて生きてぇンだったらな……好きだなんて言わなきゃ良かったじゃねぇかッ!!」


 その叫びは確かにオレの全身を貫いた。


 これほど声を荒げたコイツを見たことはない。
 オレは今ようやく気付いた。
 ルカワをひどく傷付けていたことに。


 衝動的に口にした最初の告白も、浮かれて二週間繰り返した好きだという言葉にも、何が起ころうとも揺らぐことのないダンコたる決意は伴っていなかった。
 それを見透かしたから、だからルカワは「好き」だと返してくれなかったのかもしれない。
 口でなら何とでも言えるから。言葉よりも態度で示すことを望んでいたんだ。
 過剰なまでのディフェンスはルカワとの関係を守るどころか、ルカワを遠ざける結果にしかならないことに、オレはようやく気付いた。


「──ル……カワ、オレが悪かった……スマン」


 素直に謝った。
 世間体を気にしてみっともなく騒いだオレは自分の思い遣りのなさを自覚して打ちのめされた気分だが、ルカワに与えた苦痛はそれ以上だ。コイツの顔には怒りよりも失望が色濃く映って見えていた。

 そんなルカワは謝罪の言葉を聞くといつもの無表情に戻り、暫く何かを考えるようにオレの顔をじっと見下ろしていたが、やがて背中を向けると静かに言った。

「許して欲しけりゃ、人前でオレにキスしてみろよ」
「な……」

 やはり態度で示せと脅かす。きっとオレの心を試している。

「フン……。テメーにゃ出来ねーだろうがな」

 そう切り捨ててさっさと屋上を出ていくルカワの背中を見ているうちに、何だか猛然と腹が立ってきた。

 まるでオレの想いがニセモノみてぇじゃねーか。

 確かに覚悟は足りなかったかもしれんが、好きなもんは絶対好きだ。

「ナメやがって……!」

 オレは拳を固め、腹をくくると立ち上がった。


 勢いよく屋上を飛び出し階段を駆け降りて後を追う。
 一年生校舎の廊下を歩くアイツの後頭部が視界に入った。


「ルカワァッ!!」


 廊下にいた何人もの庶民がどよめき何事かと注目する。教室のドアや窓を開けて覗いてくる奴までいる。
 しかし、それで良い。そのためにわざと大声で叫んだんだからな。


 オレの声に気付き頭だけで振り向いたルカワに向かって突進した。庶民どもが悲鳴をあげながら避ける。
 しかしルカワは絶対に逃げやしねぇし、オレも……もう二度と逃げねぇ。


 僅かに身構えたルカワの両肩を掴んだ。


 二週間前の記憶が一瞬脳裏に蘇る。


 あの時は二人きりで他に誰もいなかったが、今は何人もの人前で──オレはルカワにキスをした。
 強引に押し付けるだけで精一杯の。


 このまま時間が止まればいいと思った。でもオレはもう立ち止まりすぎたから、これからはちゃんと進むべきだ。ルカワと一緒に。ずっと一緒に。

 体を離し、オレはルカワの鼻先に指を突き付けた。

「ザマーみやがれ!!」


 廊下はシーンと静まり返っていた。
 もうどうなろうと構わねぇ。
 ケチをつけてくるような奴には片っ端から頭突きをかましてやる。


 目を丸くして呆然としていたルカワは再び無表情になって、ボソッと何かを呟いた。
 何だ? と問う前に、オレはまたしてもコイツに殴られた。さっきほど強くはなかったけど。


「……っテェな! 何しやがる、この暴力ギツネ! おめーが」
「ダマレ、どあほう」

 今度は蹴りをくれやがった。もう勘弁ならん。

「上等だ!! ギャフンと言わせてやる!! 鉄拳を食らえーーッ!!」


 久しぶりの大立ち回りでの殴り合い。
 ムカついたけど、終わってみれば何だか妙にスッキリした気分にもなった。


 そして。
 この喧嘩によって、オレは庶民どものリアクションに肩透かしを喰らうこととなった。
 オレたちは恋人同士とは程遠い『犬猿の仲』と思われていたんだった。だから……


「いくら流川が嫌いだからって、あそこまでやるか、フツー?」


 奴らはオレがしたルカワへのキスを、『悪趣味な嫌がらせ』として認識してしまったらしい。
 それでもルカワの親衛隊の女どもには「サイテー」だの「ヒドイ」だの散々イヤミを言われたが、もはや開き直ったオレには屁でもなかった。



* * * * *



「何か、気ィ張って損したな……」


 居残りを終え、部室で着替えながらそう呟くと同じように横で着替えていたあの野郎はわざとらしく溜め息を吐いてみせた。


「だからオメーはどあほうだ、つってるだろ」


 ぐっ! オレがせっかく折れてやったのに、この態度。


「くっそー、これからは、オマエはオレのモンだって見せ付けてやる!」
「触んな、どあほう」
「ああッ!?」
「面倒くせーことになるのは御免だ」
「ふぬっ、テメーこそあんだけ触ろうとしてたクセに!」
「あれは単なる嫌がらせ」
「……!! こっこっこっ、このキツネーーーッ!!」


 オレが叫ぶとルカワは再び溜め息を吐き、お手上げのポーズをとった。
 何でオレはこんな奴を……そういや、まだ一度もコイツから好きって聞かされてねーぞ。
 まさか、オレの一人よがりってことは……いや、しかし……


「桜木」


 ロッカーを閉める音と同時に呼び掛けられ我に返る。
 まだ固まったままのオレの肩先に、ルカワが右手を置いた。間近で見たソレはデカくて節の目立つ、ちゃんとした男の手だった。


 急に視界が陰り、不審に思って顔を上げるとルカワのドアップ。その小さな唇がゆっくり開く。



「愛してンぜ」



 頭の中が真っ白になった。
 そして意味を理解した途端、真っ赤になって絶句していたオレは、ルカワに喰らい付くような濃厚なキスをされた。



( End )





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