Low-Q


納得いかない 02


「ルカワ……その、さっきは……」
「…………」
「お、おい待たねーか! シカトすんな!」


 部活で再び顔を合わせることになった桜木を、オレは出来るだけ視界に入れないようにして目線も合わせずにいた。

 顔など見たくねェし、声も聞きたくねェ。
 嫌いだ。大嫌いだ、と何度も胸の中で呟いた。
 桜木への感情を認めたくなくて抗っていた頃のように。
 そうすることでしか、崩れ落ちそうな自分を保つことが出来ないでいた。

 しかし、どれだけ突き放そうとしても執拗に居座り続けるソレは胸の中に細かい傷を残しながら確かな存在を告げてくる。

(痛ェ……)


 珍しくオレにパスを出そうとする桜木が視界の端に見えたが、機嫌取りでもしているつもりなのかとまた腹ただしく感じて受け取らなかった。
 ガキのようだと思う。いや、ガキも馬鹿にするような無様な行為と言える。
 まるで、あのどあほうみてーだ。大嫌いだ。


 練習に集中するよう努めるが最悪な精神状況では何も身につきそうになく、居残りを諦めることにしたオレは片付けを終えるとそのまま帰宅した。


 しかし。いくら居残りを止めたとは言え、擦り減った神経で動けば疲労の度合いはいつも以上強い。
 それなのにベッドに倒れ込んでもなかなか眠りにはつけず、天井を睨みつけながら嫌なことばかり思考する羽目になっていた。
 バスケと睡眠を邪魔されてまで、何でこれほどあの男を……何でだ。

 結局この夜は殆んど眠れなかった。


* * * * *


 翌日の昼休み、オレは重い体を引きずるようにして屋上に上がった。
 柵の前に立ち校庭を見下ろすと目眩が起き、殆んど倒れ込むようにして横になる。

 授業時間は全て睡眠に当てたがまるですっきりせず、胃がムカムカして弁当にも手をつけられなかった。
 相当重症だ。らしくないにも程がある。


 不意に扉の開く音が聞こえた。
 背中の向こうから誰かの足音が近付いてくる。


「おいルカワ」

(──!)

 桜木。
 マズイと思った。今、コイツのツラを見たら更に不調をきたすことは間違いない。


 それなのに。

「……何の用だ」

 返事をしちまった。

「うおっ、起きてたのかテメー!」

 起きてると思って声をかけたんじゃねーのか、どあほうめ。

 上体を起こして見上げた桜木の表情には焦燥感が浮かんでいる。
 一瞬、桜木の口が声を出さないまま開いて閉じた。無意味な動き。何かを躊躇している。
 オレも無言のままその口唇を眺めた。
 もうキスの感触など遠い昔の記憶のように霞んでいる。

 桜木の口が再び、ゆっくりと開いた。


「たいがいにしとけよ」
「あんだと?」

 コイツは……この期に及んでそんなことしか言えないのか。
 猛烈に吐気が込み上げてきた。


「何度も同じこと言わせんじゃねぇ。軽はずみな行動は謹め」
「……言いたい奴には言わせとけば良いだろ」

 オレは必死に色ンなものを飲み込みながらそう言ったが、どうせ無駄だ。
 桜木は、オレよりも世間体を取る。
 もしこの関係が周りの連中にバレたりすれば、コイツは保身のために離れていくんだろう。


「オレはなッ! お前との関係が……た、大切なんだ。だから、誰にも邪魔されたくねーんだよ! 何でそれが分か」

「邪魔してんのはテメーだ、どあほう!!」

 オレは喉に詰まっていた感情を吐き出しながら力任せに桜木をブン殴った。
 いよいよ目の前が歪んでカラダが震えたが、溜まりに溜ったもんを全部この男にぶつけてやらねーと……いや、それでもこの心が晴れることはない。

 尻餅をついた桜木の胸ぐらを掴み、本気で締め上げた。

「大切だと? お前はビビってるだけじゃねーか。オレたちの関係が壊れることよりも、男同士で付き合ってることがバレて汚く罵られることの方が怖ェんだろうが」


 人のキモチを何だと思ってやがる。オレには感情がないとでも思ってやがるのか。

「そんなに格好つけて生きてぇンだったらな……好きだなんて言わなきゃ良かったじゃねぇかッ!!」


 オレの存在を否定するかのような態度。その場を動こうとしない臆病者。
 こんなにサイテーな奴なのに、何で……嫌いになれねーんだ。



「──ル……カワ、オレが悪かった……スマン」

 酷く掠れた声が耳に届いた。
 締め上げているせいか、その顔は苦しそうに歪んで見える。

 しかし、猜疑心の塊と化したオレの胸は固く閉じきっていた。
 そう簡単には許せん。
 オレを嫌いだと言ったのと同じ口で正反対のことを言いやがるコイツの……その言葉の何を信用出来るってんだ。


「許して欲しけりゃ、人前でオレにキスしてみろよ」
「な……」


 背を向け返したオレの言葉に、桜木は絶句した。

 ……別に、人前でどうこうしてー欲しいわけじゃねぇ。
 ただ、今はどうしようもなく桜木を困らせてやりたかった。
 オレのことで悩み、オレのことだけしか考えられなくなりゃ良い。
 他人の視線など意識せず、オレ以外の誰も見えなくなっちまえば良い。


「フン……。テメーにゃ出来ねーだろうがな」

 叶わないと知っている。
 それでも願わずにはいられなかった。
 自分と同じ分だけ想って欲しいという傲慢な願望を押し付けて勝手に失望したオレを、桜木はまた嘲笑うだろうか。

 オレはまだ呆然としている桜木を置いて一人で屋上から出て行行った。




(頭、冷やさねーと……)

 階段を降り、一年校舎の廊下に出るとそこは生徒が大勢行き来していた。
 オレは道を塞いでいる連中に頭の上から声をかけた。

「おい、どけ」
「あ……。る、流川君」

 女達が怯えたような顔をする。
 その時、ふと考えた。

 ……オレは、たまに人から怖いと言われることがある。
 デケーから威圧感があるのだろうが、それだけとは言えない。
 奴らはオレの他人に対する関心の希薄さを感じ取り、近付き難いと思っている……そんな気がした。

 オレの何気無い言葉や態度に傷付いた人間も、いたのかもしれない。
 そういや先輩にも無神経だとか何とか言われたっけ……


「ご、ごめんね、流川君。邪魔しちゃって」
「いや、こっちこそ……」

 他人など、どうでもいいと思っていたけれど。
 オレは女達の横を通りすぎ、コイツらも全員感情のある人間だということを、うっすらと意識していた。



「ルカワァッ!!」

 突然、馬鹿デカイ声が廊下に響き渡った。
 振り向かなくとも分かる。アイツの声だ。
 周りの奴らはどよめき何事かと注目している。

(目立ちまくり……)

 窓から射す日の光に透けた赤い髪が眩しい。
 けれど目を閉じようとも逸らそうとも思わなかった。

 桜木は獲物を見つけた獣のような血走った眼をしながら、オレに向かって一直線に走り寄ってきた。

 そのバカヅラを見て、やっぱり諦めたくはないと思った。
 このキモチに追い付いて欲しいと、そう求めることを諦めたくはなかった。
 オレはそんな風にしか出来ねェ。自分に嘘はつけねェ。


「オイ──」

 桜木がオレの両肩を掴んだ。
 勢いよく接近してくる顔面に、まさかと思う。

 そして。オレは、そのとき呼吸を忘れた。
 強く押し当てられた唇の感触よりも、歯がぶつかっていることを先に意識した。


 おい……分かってんのか、桜木。
 今、オレ達の周りには、大勢の人間がいるんだぜ。


 頭が少しボーッとしてきた時、桜木は離した唇を大きく開き、オレの鼻先に指を突き付けると勝ち誇ったように叫んだ。


「ザマーみやがれ!」


 てめーこそ、自分のザマを見てみろ。
 てめーは人目を憚らず、オレにキスをしたんだ。

(──殆んどヤケクソだろうが、まぁ、てめーにしては……)


「上出来だ」


 オレは口の中だけで小さく呟いた。

 しかし、どうすんだ、この状況。

(とりあえず、殴っておくか……)

 オレは再度桜木の頬に拳を叩き付けた。

「……っテェな! 何しやがる、この暴力ギツネ! おめーが」
「ダマレ、どあほう」


 桜木は歯軋りしながら拳を固め、予想通り憤怒した。

「上等だ!! ギャフンと言わせてやる!! 鉄拳を食らえーーッ!!」


 久しぶりの大立ち回りでの殴り合い。
 しかしオレ達は、ようやく自分を取り戻せたような気がした。



 そして。
 オレ達のキスと喧嘩を目撃した奴らは、呆れるほど単純なリアクションを見せた。


 オレ達は恋人同士とは程遠い『犬猿の仲』と思われているらしい。だから……


「ぷぷっ。流川、災難だったな。桜木はお前に惚れている! なんちって!」

 奴らは、桜木がオレに嫌がらせのつもりでキスをしたと解釈し、中には冗談混じりにからかいのネタにしてくる奴までいた。
 実際、そんなもんだろうな。
 やれやれ……



* * * * *


「何か、気ィ張って損したな……」

 居残りを終えて部室で着替えながらそう呟く桜木の横で、同じように着替えていたオレは深い溜め息を吐いてみせた。

「だからオメーはどあほうだ、つってるだろ」

 てめーで思う程、てめーのことを見てる奴なんかいねーってんだ。
 でも、勘のいい奴なら気付くかもな。


「くっそー、これからは、オマエはオレのモンだって見せ付けてやる!」
「触んな、どあほう」
「ああッ!?」
「面倒くせーことになるのは御免だ」
「ふぬっ、テメーこそあんだけ触ろうとしてたクセに!」
「あれは単なる嫌がらせ」
「……!! こっこっこっ、このキツネーーーッ!!」

 コイツはニワトリか。
 本気に取りやがって。

 でも、コイツはオレの望む形に近付いたから、今度はオレもコイツの望む言葉をくれてやろうと思った。


「桜木」

 また何やら考え込んでいるらしい桜木の肩に手を置いた。

 本当は、ずっと言いたかったのかもしれない。

「愛してンぜ」


 だがしかし、目の前のニワトリは豆鉄砲を食らったかのような表情になった。
 何だ、そのツラは。
 どうやら、このどあほうは口で言っても分からねーらしい。

 だから。オレは桜木の唇に思いきり喰らい付いてやった。



( End )





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