ナイスアンバランス
「悪い……」
屋上の扉を開けたのと同時に耳朶を撫でるように届いたその声は、低く静かではあったが冷たいとは感じなかった。
こういうシチュエーションは恋多き親友のお陰で一応は見慣れてはいるものの、目の前の男女から漂ってくる空気の重さは相当なもので自分のタイミングの悪さに舌打ちしたくなる。
「わかった……呼び出してごめんね」
そう言った女の声は細く震え、その瞳に涙が浮かんでいるだろうことが見ずとも判ってしまう。
女が小走りで屋上から出て行く姿を、出来るだけ視界に入れないように努めた。
ドアの閉まる音が響いた後にも残った気まずい空気を何とかしたくてオレは無理に笑顔を作る。
「よっ、流川。相変わらず……モテてるみてーじゃん」
相手はいつもの無表情のままだ。
「でも迷惑、ってか?」
「別に……」
「前に見たときは迷惑そうにしてたけどなぁ、オマエ」
そう。コイツは誰に好きだと告白されても冷淡に切り捨てるという噂で、それがデマとも言いきれないことはこれまでにも何度か目撃したことがある。
だからこそ、オレは違和感を抱いた。
先ほどの流川の態度は今までと明らかに違う。
小さな悪評に焦って態度を改めるようなタマじゃないのは確かだが、心境の変化に繋がる何かがあったのだろうか。
「──知らねえ奴に好きだの何だのと言われても、どうしようもねえ。それに……」
「それに?」
「オレには、もういるし」
「え!?」
我が耳を疑う答えにオレは驚き、狼狽した。
「いるって、す、好きなコが!?」
「……」
「う、うちの学校のコか?」
「まあ」
「おいおい……ま、まさか……バスケ部のマネージャー、ってことはないよな?」
咄嗟に不安を口にしたオレは、血の雨の降水確率200%の修羅場を想像してゾッとした。
どうかそれだけは勘弁して欲しい。
「違う」
「そ、そうか。あ、もしかしてもう付き合ってたりするわけ?」
「まあ、一応」
頭上に描いた地獄絵図は杞憂に過ぎなかったようだ。
ほっと安堵の溜め息を吐いたオレを見下ろしていた流川は、おもむろに背を向けて屋上を出ていこうとした。
「あ、おい、流川」
「なに」
首だけで振り返った流川の声は、低く静かではあったが、やはり冷たさは感じなかった。
その意外性が今は納得出来るような気がする。
恋をすると人は優しくなれるという言説は、どうやらこの男にも例外ではないらしい。
一体相手はどんなコなんだとか、そのことを知る奴は他にもいるのかとか色々聞きたいことはあったけれど。
「えっと……そのコによろしくって伝えといて。はは……」
結局選んだのはそんな言葉。
片手を軽く上げて出て行く流川の背中を見送った後、オレは花道のことを思い浮かべた。
「流川に好きなコがいるって知ったらどんな顔するかな、アイツ……」
* * *
放課後。バスケ部の練習を覗きに体育館に行ってみると、部員達がフロアのモップ掛けをしていた。
「おお、洋平」
出入り口の近くにいた花道がすぐにオレを見つけた。
原色の赤い髪は相変わらず異端で浮いているが、額の汗を拭いながら笑みを浮かべる姿はスポーツ選手らしい爽やかさが感じられ、コイツも成長したもんだと感心する。
「今日はバイトじゃなかったのか?」
「あー、そうだけどまだ少し時間があるからさ」
「ふっふっふっ、なるほど。そんなにこの天才のプレイを見……っ」
ボコッという鈍い音が花道の得意気なセリフを遮る。
「……ってェな、コラアッ!!」
ボールをぶつけられた後頭部を押さえながら、花道は勢いよく振り返った。
「サボんな、どあほう」
流川のその言葉に、花道は怒鳴りながらモップを振り上げて飛びかかって行った。
流川も同じくモップで応戦を始め、埃が派手に宙を舞う。
当然他の部員は何とか止めさせようとしてるけど、面白いからオレは止めない。
やっぱりコイツら、あんまり変わってねえかもな。
しばらくして、ようやく気が済んだのか二人は背を向け合って休戦した。
しかし。
「あ、忘れてた」
「ぬ?」
突然流川が何かを思い出したように花道に向き直り、一度オレの方をチラッと見てから抑揚なく言った。
「水戸がてめーに“よろしく”だとよ」
「あ?」
「伝えたぜ」
その流川の声は、低く静かで……そして恐ろしかった。
何よりもその言葉の表す意味が、とてつもなく怖すぎた。
「……なにぃーー!?」
「おおっ!? 急にどうしたんだ、洋平? 何なんだよ、よろしくって」
「おま、花道っ、お前が流川の……」
( End )