Low-Q



 昔から、生意気だとか女にモテるのが気に入らんだとか、くだらねェ理由で喧嘩を売られることが多かった。
 オレも黙って殴られたままで済ませようとはしない。
 やられたら、やり返す主義だ。


 中学卒業の日に、以前オレがブッ飛ばした記憶のある奴ら4、5人に囲まれた。
 それでも負ける気はしなくて。
 しかし、いまいち加減というものが分からず、全員片付けた後にやりすぎたかな……と少し反省もした。

 もうこういうのは止めておこう。
 バスケットのことだけを考えていたい。喧嘩してる暇なんか、ねぇんだ。

 そう思ったのに。

 湘北高校に入学したばかりのあの日。
 学校の屋上で初めて桜木と出会って、そして殴り合いの喧嘩になった。
 原因は何だったか、もう忘れてしまったけど。
 何発も頭突きを食らって、自分の血の色と、桜木の髪の色とで視界が赤く染まったことは、今でもよく憶えている。

 わめきながら執拗に攻撃してくる桜木の胸を掴み、渾身の右ストレートを打ち込んだ。

 それでもアイツは倒れない。
 どれだけ殴ろうと蹴ろうと倒れやしねぇんだ、アイツは。


 仲間に止められても尚掴みかかろうとする桜木を睨みつけた後、オレは踵を返して屋上を出て行った。
 そして、階段を降りながら、止まらない出血に病院へ行くことを考えていたのだが。
 踊り場に足を置いた瞬間、ふと握ったままだった左手に違和感を抱いた。

 掌を開く。

 そこにあったのは、真新しい金色の釦。

 一応自分の制服を確認してみたが、前釦も袖釦も全部付いている。
 どうやら、桜木の上着の釦をオレが引き千切ったらしい。
 思いきり投げ捨ててやろうと思ったが、釦に刻まれた高の文字が目に止まり、高校に入ったら喧嘩をしないという決意をあっさり挫いてしまったことに気付いて急速に萎えた。
 とは言え、わざわざ返してやる気にもなれずにオレは桜木の釦を自分の制服のポケットにねじ込んで……確か、そのまま保健室へ足を向けたんだと思う。


 ──3年前のことだから、あまり記憶に自信はない。


「はーはっはっ! 見ろ、ルカワ!! ボタンがキレイになくなった!!」

 屋上から静かに下の景色を眺めていたオレの背中に向けて、馬鹿でかい声が飛んできた。


「どあほう」

 自慢するものでもないが、桜木が悔しがるならと、オレも振り返って釦が全てなくなった制服を見せ付けてやる。


「ふん! オレんところには、てめーの親衛隊など目でもないほどの可愛い女の子たちが集まってきたからな。だからオレの勝ち!!」


 湘北卒業の今日。数えきれないほどの女達に囲まれて、一時避難しようとこの屋上に来たのに。


「うるせぇな。どっか行け、どあほう」
「へっ、キツネも少しは感傷らしきものに浸ってやがんのか」
「別に。てめーこそ式の最中に泣いてただろ。見えたぜ」
「な、泣いて悪いかッ!!」
「いや。好きなだけ泣いとけば。てめーの涙は見飽きたが……もうそれも最後だ」
「……最後?」

 桜木の声が小さくなる。
 オレは急に外気の低さを感じた。三月。まだこんなにも寒い。

「最後じゃねーだろ、ルカワ……」

 まだ少し縁が赤い目でオレを凝っと見つめている桜木。

「てめーを倒したときの感動の涙は、まだ取ってある」

 そんときゃオレも泣くかもな。まあ絶対にそんなことはさせねーけど。

「言ったはずだ。オレもアメリカに行く。そのうちテメーをブッ倒すからな、覚悟しやがれ」

 まだまだ、オメーが行くにゃ早いぜ。アメリカは。
 でも……案外コイツなら、本当に追い掛けてくるかもしれん。

「その日まで、これを持ってろ。忘れないように」

 桜木が握り拳を突き出した。一体何だ。

「いいから手ェ、出せ」

 言われるまま掌を上にして差し出すと、ほんの一瞬だけ桜木の手が触れた。随分と暖かい。

 パッと離れた桜木の手の残像が消えたあと、自分の掌に視線を固定した。


「あ?」

そこに現れたのは、くすんだ色の釦。


「…………」


 テメーで制服の釦を取っておいたのか。オレに寄越すために?

「なに考えてんだ、どあほう」

 卒業の日に男が男に釦をやってどうする。
 普通は女が好きな男の釦を貰うんだろ。
 オレは女じゃねぇし、こんな釦なんて欲しくは……


「ふっふっふっ。それは第二ボタンだ。心臓に一番近い。オレの本気を受け取れ」
「…………」

 本当に超のつくアホウだ、コイツ。
 既に勝ち誇ったかのような態度をしてやがる。その偉そうなツラは黙って見過ごせねぇ。どうしても。

「お前の釦なら、もう貰ってるぜ」

 つい、そう言ってしまった。
 桜木の表情が怪訝そうに歪む。


「最初にここで喧嘩した時に、オレが引き千切ったやつを……何故かまだ持ってる」


 そう。オレの部屋の机の引き出しの奥で、あの時の釦は裸のまま転がっている。


「あ…………あーーっ! そうだ、あン時に上着の第二ボタンがなくなって……探しても見付からなかったが……て、てめーが持ってたのかッ!!」
「そうだ」

 頷いてやると桜木の顔がみるみる真っ赤になっていった。オレはそれを見て満足する。
 失くしたのも、補充したのも、オレの手に渡ったというわけだ。


「このやろう……! 二つもオレのボタンを……えぇい! さっき渡したやつ、返しやがれ!!」
「イヤだ。もう貰った」
「何だとコラッ!!」


 別にちっとも欲しくはなかったのに、釦を握った手のひらを決して開きたくない。

 その意味を考える前に桜木の拳が飛んできた。

「この泥棒ギツネめっ!! 今日こそ退治してくれるッ!!」
「どあほう。かえり討ちにしてやる」

 とりあえず腹を蹴っておく。
 やっぱり倒れねぇな。
 また一発、結構痛いやつを食らう。避けようと思わないのは何でだ。自分でもよく分かんねぇ。
 とにかく、やられたらやり返す主義を貫くのみ。

「さっさとアメリカにでもどこにでも行っちまえ!!」
「るせー。てめーなんか待っててやらねぇからな」
「なにおう!?」


 結局また卒業式の日は喧嘩でしまいか。
 やれやれだ。喧嘩してる暇はねぇってのに。



 ──でも。
 いつかまたこんな風に喧嘩する日が来るってことが、今はそんなに嫌じゃない。



( End )





List