Low-Q


人工微熱


 好き放題に熱を放ち人々の体力を奪っていた太陽がようやくおとなしくなり始めた頃、流川が訪れた病室の窓は珍しく開いていた。

 それでも涼風を取り入れるには至らず、侵入してくる空気はじんわりと残暑を孕んでいる。


「よぉ、来たか。ちっと暑ィかもしんねーが我慢しろよ。冷房がブッ壊れちまったらしい」


 ベッドに腰掛けていた花道はうちわを流川に向けて扇ぎながら言った。


「ぬ。おいおい、キミ。まさか手ブラかね?」


 偉そうに肩をすくめて呆れたポーズを作るのは、久しぶりの再会に舞い上がってニヤケてしまう口許を取り繕うためなのだろうが、誰が見ても花道が上機嫌だと知れるほど、綻びは一層広がった。

 しかし、それとは対照的に流川の方はあからさまに仏頂面で全身からピリピリと不穏な空気を放っている。


「うるせー。わざわざ来てやっただけでも有り難いと思え」


 酷くぞんざいな口調でそう言い捨てると、流川はうちわを奪い取り、窓際に掛けてあったパイス椅子をベッドの傍に置いて乱暴に腰掛けた。


「?……なに怒ってンだ、てめー」

「別に」

「ったく、知ってはいたが本当に冷てー野郎だな。こっちが電話しなきゃ全然見舞いにも来ねーしよ」


 投遣りに言った花道の言葉に、流川の不快指数は更に跳ね上がる。

 何故なら、ここへ来たのは今日が初めてではなかったのだから。




 花道の入院後、流川は全日本ジュニア合宿に参加する前日にこの病室を訪れていた。

 特に用事もなく自ら会いに行くのは初めてのことで、だからというわけでもないのだが流川は高揚感らしきものに付きまとわれた。

 しかし。今考えると、当然のように会って話が出来るものと思い込んでいた自分を呪いたくなる。

 肝心の花道は……ベッドの上で気持ち良さそうに高鼾をかいていた。

 眠りを愛する流川は睡眠を妨げられる不快感をよく知っていたから、自然に起きるまで待ってやろうと思った。

 だから暫くは、ただ子供のような寝顔をぼんやりと眺めていたのだけれど。

 小一時間が経過しても花道は一向に目を覚まさない。

 焦れた流川が何気無さを装いながら軽く咳き込んでみたり小さな物音をたてて花道の意識を引き寄せるような不本意な真似をしたというのに、甲高い鼾の音量には到底敵わず無意味な行動に終わった。

 どうしたものかと迷い、ポリポリと頭を掻いたあと、少し時間を潰そうと思い付き静かに病室を出て行った。

 潰すような時間の余裕などないのだが、このまま帰ったのでは本当に時間の無駄になってしまう。

 1階の売店に入り、暫く雑誌を立ち読みした後、流川はふと自分が見舞いの品を何も持って来なかったことに気付いた。


(まぁ、あのどあほうには必要ねーか……)


 そう思いながらも花道が以前に好きだと言っていたカップアイスを2個買って、病室に引き返した。

 まだ寝ているようなら今度はちゃんと起こそうと考えながら。




「あれ……?」


 花道が寝ていたベッドは、空になっていた。


 トイレにでも行ったのかと思っていると、向かいのベッドに寝ていた患者の男性が遠慮がちに声をかけてきた。


「桜木君のお見舞いですか? 彼ね、さっき検査を受けに出て行ってしまいましたよ。まだ当分戻らないと思いますけど……」


 瞬時、胃に穴が空いたような気分になった。

 そして、ソレを埋めようと芽生えた……苛立ち。

 見舞いに来るという事前連絡などはしていない。だから花道に非はない。タイミングが悪すぎただけだ。

 でも。

 置き去りにされたかのような錯覚を覚えたことが、癪に障った。

 流川を二つの意味で追い掛けていたのは花道の方だった筈なのに、これでは立場が逆になってしまっている気がする。

 そんなことは、絶対に許せない。


(冗談じゃねー……)


 流川は、自分が来たことを花道に伝えると言う男性の申し出を強く断わり、足早に病室を後にした。

 そして帰り道の途中、すっかり溶けてしまったカップアイスの残骸に気付くと、一気に口の中へと流し込んだ。

 その過度の甘味はすぐさま酷い苦味に取って変わり、今でも舌に残っている。




「……最近の調子はどうだ? あ、おめーのことじゃなくてバスケ部の連中の」

「絶好調。足引っ張る奴もいねーし」

「あ? 誰のことだァッ!?」

「病院で騒ぐな、どあほう」

「ぐ……っ!」


 二人の間には剣呑な沈黙が流れたが、不意に同室の男性患者が財布を持ってベッドから立ち上がったことに気付いた花道が俊敏に反応し、口を開いた。


「オッサン、どこ行くんだ?」

「ん、ちょっと家族にね、電話をかけて来るよ」




 男性が立ち去った後、花道が寂しそうな瞳を見せながら沈んだ声色で小さく呟く。


「あのオッサン、オレがここに入る前から居たんだけどよ、見舞いに来てくれる人を見かけたことが殆んどねーんだよな……」

「ふーん……」

「オレには色ンな奴が会いに来てくれるがな。毎日のように」

「あ、そ」

「……でも」

「……?」


 言い淀む花道に、流川は目線だけで話の先を促した。




「オレが一番……あ、会いたかったのは、おめーだルカワ」




 流川の瞼が、微かに反応した。

 そして思い出したくなかった筈の屈辱的な記憶を、無理矢理に反芻する。

 まだ、自分勝手に怒っていたかった。

 そうしなければ、心を開け渡してしまいそうで。

 今ここで花道の言葉に翻弄されてなるものか、と懸命に抗う。

 抗うけれど。


「……どあほう」

「まーた、おめーはそればっかりだな。照れるな照れるな」

「どっちが。赤くなるなら言うんじゃねーよ」

「はっはっはっ。今日は暑ィなー」




 二人は揃って窓の外へと視線を逃がした。

 夏の名残りが、体感温度の上昇を誤魔化してくれることを期待して。



( End )





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