追えば逃げ、逃げれば追う
大晦日の夜。狭いながらも住み慣れた自室で、年越しそばを食ってまずまずの満腹感を得た身体をこたつに潜らせ、年末特番を観る。
そんな状況下で花道は何故かガチガチに硬直していた。
顔にはうっすらと汗さえ浮かんでいる。
喉の渇きを覚え、卓上の籠に積まれた蜜柑にゆっくりと手を伸ばす。
視線はテレビに固定しているが、映像も音声もその殆どが意識の外に流れて消えていく。
手探りで蜜柑を掴んだ指先が、柔らかな感触を掠めてビクリと過敏に反応した。
そして、花道は、努めて見ないようにしていたモノへ恐る恐る視線を向けた。
卓上に突っ伏して眠り込んでいる男の黒髪に、もう一度そっと触れてみる。
「……家に来てまで寝てんじゃねーよ」
自分の前であまりにも無防備な姿を晒す男に小さく不満を漏らす。
一緒に年越しをしようと約束したわけでもないのに、当たり前のような顔をしてこの部屋に訪れた流川を、花道は持て余していた。
ちょうど一週間前のクリスマス・イヴは、花道の方から流川に誘いをかけ、自宅でのお泊りデートとなった。
お互いの想いを認め合ってから暫く清い付き合いを重ねていたが、今宵は身も心も一つになる絶好の機会だと大いに期待を込めながら。
けれど頭上で繰り広げたシミュレーションのようにスマートな手順を踏むことは叶わず、花道はタイミングを逃し続けた。
自分も相手も、都合の良い妄想通りには動かない。
ご馳走に腹を膨らませ、風呂で温まった流川が早々に布団に潜り込んでも、動悸を抑えることに必死になったまま途方に暮れるばかり。
事に及ぶ勇気が時間の経過と共に縮こまっていく。
「お、おい。ルカワ、まだ寝るな」
とにかく先に寝かせるわけにはいかない、と花道が声を掛けながら流川の肩を掴んだそのとき。
『ぁん…っ、ダメぇ*』
くぐもった、女の高い声が壁越しに聴こえてきた。
(ゲ……)
アパートの壁は酷く薄い。
隣の部屋でも、恋人同士がお楽しみの真っ最中らしい。
その声に花道は背中を押されるような気分になり、ゴクリと生唾を一つ飲んで布団に侵入すると流川を背後から抱き締めた。
さらさらの黒髪にそっと鼻先を埋め込むと、自分も使っているシャンプーの香りがした。股間に集中した熱が更に膨張していく。
寝巻き代わりのスウェットの上からそっと脇腹を擦れば微かに跳ねるような反応が返ってくる。
直接肌に触れたい。裾を捲ろうとしたその時、
「やめろ」
流川は花道の手を冷たく振り払った。
「な、何だよ、良いだろ別に」
照れや戸惑いとは違う、冷徹な声色に思わず竦む。
「他の奴に煽られたカラダでオレに触るんじゃねー」
「な……っ、誤解だ! オレは」
「うるせー。もう寝る。今度起こしたらブッ殺す」
背中から伝わってくる確かな拒絶。
花道はそれ以上何も出来ず、何も言えず、屈辱に震えながら泣き寝入りした。
せっかくの好機を台無しにされた原因として、隣室の男は既に花道の鉄槌を食らっている。
お陰で大晦日は静かな夜を迎えることになったが、拒まれて傷ついた心はまだ立ち直ることが出来ずにいた。
もしまた嫌がられたら、そして嫌われたら、と思うと怖くて手が出せない。
「ぬおっ」
不意に、こたつの中で流川の脚が花道の太股にぶつかった。
懸命に自制しているのにきわどい接触をされては堪らない。
「くっ、この野郎……人の気も知らねーで……」
寝ても覚めても挑発し続ける、そんな彼の寝顔は幸か不幸か隠れたまま。
テレビで年明けのカウントダウンが始まろうとしていることに気付いた花道は、一瞬迷ったが流川の肩を軽く揺さぶった。
「おら、起きろ、ルカワ」
「……ん」
小さな身じろぎの後、ふわりと頭が浮く。
何度か瞬きを繰り返して上げた顔には寝起き特有のだらしなさがある。
可愛いという本音を舌の裏に隠しながら、花道は居丈高に言い放つ。
「起きたな。あけましておめでとう」
「……おう」
「ついでに誕生日も祝ってやる。ほれ」
小さな包みを渡す花道に、流川はボソボソと礼らしき言葉を寄越したが、中を確認する前に
「他にも欲しいモンがあるんだけど」
と意外なことを言い出した。
「あぁ? それだけじゃ不満があるってのか!?」
この強欲キツネめ、と続けた花道をじっと見つめる流川。
その眼がいつの間にかギラギラと好戦的に光っている。
そうして流川は、こたつから這い出ると、おもむろに服を脱ぎ始めた。
「この前は貰い損ねたからな」
面食らって再び硬直した花道の鼓膜を、衣擦れの音が艶かしく撫でた。
( End )