並行する時代



さらさらでまっすぐで、前髪の揃った金髪。

息子が毎週欠かさず見ているアニメに、そんな女の子のキャラクターがいる。釘付けになっている息子ごしにその子を見るたび、わたしは思い出すのだ。わたしの青春時代に映えるあのひとを。


わたしが生まれたのは、とある小さな町だった。平々凡々な町並みの中で、平均的に育てられ、問題なく年を重ねた。小学生では初めて恋をして、中学生のときは部活に精を出して。高校生のころはというとアルバイトばかりしていた。
通学路にあった昔ながらの喫茶店。小さい頃、お母さんがたまに連れて行ってくれるそのお店のアップルパイが大好きだったのを思いだしてバイトを志願した。マスターのおじいさんは相変わらず優しくて快諾してくれたし、アップルパイの美味しさもまるで変わっていなかった。

そこによく来てくれていた常連さんが真子くんだった。きらきらの金髪をさらりと靡かせて、細くて長い指でカップを持つお兄さん。

「なんや、バイトの子?」
「そう。名前ちゃんって言うんだ。仲良くしてあげて」
「名前ちゃんか、よろしゅうな」

そう言って綺麗な歯並びの口元で笑ってくれたのが出会い。
最初はその都会的な容姿にどきどきしてたけど、「彼氏はおらんの?」とか、「スカートちょっと短かないか?」なんてフレンドリーに、でも少しおじさんくさくちょっかいを掛けてくるもんだから、いつの間にかすっかり緊張なんて消えてなくなっていた。
それからもお婆ちゃんが亡くなったときは慰めてくれたり、友達と喧嘩したときは話聞いてくれたり、彼氏ができたときは「どこの馬の骨や!」なんて言いながらも喜んでくれたり、遠くの街の大学に入学が決まったときはお祝いしてくれたり。今もわたしが高校3年間の記憶を思い出すたび様々な場面でその金髪は揺れている。
喫茶店という居場所に、マスターと真子くんとアップルパイ。それがわたしの青春の中心だった。

その町を出てしばらく、マスターは高齢であることとアルバイトの人手がなくなったことを理由にその喫茶店を閉めてしまったとお母さんから聞いた。寂しかったけどまあ仕方がない。

大学を卒業して社会人になったわたしは、数年して年上の彼と結婚して子どもも授かった。ホテル事業に携わる夫が地方都市に転勤するとなって、産まれたばかりの子と一緒に今の土地へ。夫の収入に甘え専業主婦を経て、子どもたちがそこそこ大きくなったのを機に、わたしはわがままをひとつ言った。

「喫茶店をやりたいの」

ずっと考えていたことだった。
およそ20年も前の、あのコーヒーの香りたつ昼下がりに、好きな食器と雑貨に囲まれてすごす時間をわたしはずっと忘れられなかったのだ。
コーヒーもずっとお店と同じところから豆を買って淹れてきたし、今ではあのアップルパイも忠実に再現できる。マスターが店を閉めたと聞いてからずっと、あの時間を、いつかまたわたしが作れたらと思っていた。

そうして夫の承諾を得てオープンさせたのがこのお店だ。流行りのカフェと言うほどのきらびやかさではなく、わたしがアルバイトをしていたあのお店の雰囲気を踏襲した、古民家を使った喫茶店。近所の方々や誰かのSNSの写真を見たのだというお客様がよく来てくれて、ひとりで営業するのにはちょうどいいくらいの客足でのんびりとやっている。常連さんも付き始めていて充実した日々だ。マスターのお店がわたしの居場所になったように、このお店も誰かの居場所になってくれたら、と願いながら今日もコーヒーを淹れている。

その日の午後、お客さんがひとりもいなくなったので、店先の落ち葉を掃いていると。

「ローズ、ここに喫茶店なんかあった?」
「さあ、どうだったかな」

制服に眼鏡の美人さんな女の子と、とろけるようにウェーブした長い金髪のお兄さんが、そんな風に話しながら店前で足を止めた。

「3ヶ月前にオープンしたんです。よかったらどうぞ」

ふたりはお互い顔を見合わせ、時間を確認すると揃って中に入ってくれた。カフェラテとブラウニーをふたつずつ。美味しいと喜んで滞在してくれたあと、コーヒーとアップルパイを持ち帰った。

「美味しかった。仲間内にコーヒーとアップルパイが好きなやつがいるんだ。次は彼も連れてくるよ」

お兄さんが奏でるように言って、ふたりが帰って行くのを見送った。また来店してくれるような口ぶりだったことに心が躍る。しかもわたしと同じくコーヒーとアップルパイが好きだというご友人を連れて来てくれるだなんて。新しい出会いの予感に、食器を洗う手も進んだ。


そのあとはひとりもお客さんが来なかったし、雨が降りそうな気配もあるので、今日は早めに閉めちゃおうかと思っていた、その瞬間だった。

力強く引き戸が開いて、来客を知らせるベルが弾けるように鳴った。

「い、らっしゃいませ」

その突然と、勢いで揺れる彼のさらさらの金髪に驚いてわたしはぴしりと固まってしまった。
わたしの思い出の中とまるきり同じ姿をした彼の手には、うちの店名が書かれたテイクアウトのカップが握られている。

「もしかして、名前ちゃん…か?」

彼がわたしの名前を呼んだ。恐る恐るだけどはっきりと。やっぱりだ、やっぱり彼は。

「真子くん!」

さっきの真子くんの豪快な入店に負けず劣らずの勢いでカウンターから飛び出した。

「すごい、どうしてここにいるの?」
「そらこっちのセリフや。俺はいろんなとこ引っ越して歩いとるからな」
「わたしも何年か前に引っ越してきたんだ。それで、落ち着いてきたから昔やってたみたいに喫茶店を開いて、そしたらいま真子くんが来て…ほんとびっくりした」
「俺もびっくりしたわ。マスター、死んだのに、ローズがおんなし味のコーヒーとアップルパイ買うてきたから」

そう言って、握り締めていたカップを見た。どれだけ想って来てくれたのか、凹みができてしまっている。ローズっていうのはきっと今日来てくれたお兄さんのことかな。コーヒーとアップルパイが好きなお仲間というのがまさか真子くんだったなんて。ていうかひとりで来ちゃいましたよ、この人。次回連れてくる、って言ってくれたのにね。

「懐かしくて死にそうなって、店の場所聞いて急いで走って来てん。これ作ったん一体どこのどいつや思て」

言い切ってから昔のように綺麗に笑う口元。
その口が覚えていてくれたんだ、あの頃の味を。わたしの思い出と同じ味を刻んでいる人が他にもいたんだ。そう思ったらじわりと体中に広がる感情があった。マスターが亡くなったというのは初耳で胸を打たれたけど、この再会に悲しい色を混ぜてしまうのは違うと思ってひとまず心の隅にそっと置いておいた。

「そおか、名前ちゃんやったか。ええ女んなったなあ」

真子くんは昔してくれたみたいにゆったりとわたしの頭を撫でた。先程のじわりがまた体の隅々までに滲んでいく。

「真子くんすごい、何も変わってない」
「アンチエイジングってやつや」
「あはは、何やってるの?わたしにも教えてよ」

およそ20年ぶりだというのに真子くんは何ひとつ変わってなかった。まっすぐな金髪も、スマートなスタイルも、軽い口ぶりも。見た目に関しては「気味悪がるとこやで?」なんて言われたけどそんなことない。真子くんのアンチエイジングとやらの賜物だと思うし、年齢は聞いたことなかったからあの時が実はわたしと大差ない二十歳手前くらいだったとすれば納得の範疇だ。
なにより過去になって終わってしまったあの頃が戻ってきたみたいで嬉しいという感情しかなかった。真子くんの方も、年月を越えてまたわたしに会えたことを喜んでくれているようでわたしの頭を撫でる手が止まらない。
わたしもあの頃の、制服を着たような気分に染まっていく。


と。ぼーんとひとつ、振り子時計が鳴った。

「真子くん時間ある?もう少ししたら息子たちが学校から帰ってくるの。よかったら会ってやってよ」
「息子?名前ちゃんの?ほんま大人になったんやなあ」

感慨深げに言って目を丸める真子くん。大人、だなんて。ぜんぜん変わらない真子くんと違って、わたしは高校生の頃から比べたらすっかり歳を重ねた大人にしか見えないはずなのに。この年にもなってわたしを子供扱いしてくれる人なんて真子くんくらいだよ。

「じゃあ待っとるから、コーヒー一杯淹れてくれるか」
「もちろん。ジャズもかけようか。好きだったよね」

カウンターに促すと、真子くんはまた笑ってくれた。

「あァ、ありがとう」

そう言って真子くんは腰掛ける。椅子を引くその細くて長い指もそのままだ。

「ありがとうって言いたいのはこっちだよ」

あのお店も、マスターも、マスターの味も。わたしの居場所にあったいろんなものはもう無くなってしまったけど。こうして真子くんは変わらずに居てくれた。
大学を出て、就職して、結婚して、わたしを取り巻く環境もわたし自身も大きく変わったけど。こうして真子くんは変わらずに来てくれた。

長らく会っていなかったのに、触らせてくれるその空気は今日もかっこよくて面白くて綺麗でどきどきして。
家族や友達とも違う、わたしの大切で大好きなひと。


「変わらないでいてくれてありがとう。またわたしに会ってくれてありがとう」

ちょっと恥ずかしかったけど、どうしても伝えたくて勇気を出して言ってみた。
わたしを穏やかに見つめて笑ってくれる真子くん。新しい思い出が刻まれていく瞬間に、その金髪は今日もまた楽しそうに揺れている。




Long time no see