「もしもし、凛月?」
『なぁに』
「いや……今日は凛月のボーナスの日だけど、お金は」
『ああ、俺の部屋来て。手渡しして。じゃ、早く来てね』

ぷつり。
一方的に切られた通話。本当に恋人同士なのかと疑われてもしょうがない部分はあるが、私と凛月は正真正銘、恋人だ。

ボーナス日にきちんと【ボーナス】を選択するのは、もはや凛月一人になっている為、最初から札束は用意していた。これは他人としてでも恋人としてでもなく、上司としての報酬だ。

「はあ……行きたくない……」

札の重みで少しずっしりとした封筒を持ち、ため息をつく。
ボーナス日、凛月のご機嫌は二パターンだ。
凄く良いか、凄く悪いか。普通のテンションであることは、まずない。

そしてこれを見分けるいい方法がある。
機嫌がいい時は、彼から部屋に出向いてくる。そして機嫌の悪い日は、彼が私を部屋に招き寄せるのだ。……まるで、人間を屋敷におびきよせ、食らう……吸血鬼のように。

だからと言って、怯えて縮こまり、生娘のように逃げ惑う訳にもいかない。だから、私は足取りも重くエレベーターに乗り、【Thief】の隊員のプライベートルームが立ち並ぶ階へと入った。

「おお、名前かえ」
「ん? 零さん。どうしてここに」
「いや、我輩はちっとばかり凛月の顔を見に……」
「追い出されたね」
「くっくっく……さすがの名推理じゃの、女王様?」
「誰でも見れば分かるよ。その数ミリ下がった眉を見ればね」

廊下で、私にとっての同僚――ようするに【Thief】の上司役にあたる者の一人、朔間零に出会った。彼は凛月の兄だ。

頭脳明晰、容姿端麗、あと、壊滅的に家族に好かれない男。お家に木曜日しか帰らないなんて、労働基準監督署が聞いたら卒倒しそうで面白い。まぁ、彼の場合は強制じゃなく自主的に、あくまでプライベートの都合で、家に帰れないのだが。

「最悪のタイミングで、弟とスキンシップを図ろうとしてくれたね……」
「おや、今日は特別報酬の日じゃったかのう。まずい、MVPを確認し忘れておったわい。今回は何十万円じゃったか……」
「きちんと払わないとダメだよ、零さん」
「うむ、そうじゃのう。名前のように、きっかりと報酬を揃えて出そう。ではな。次は『コーヒー』を用意して、『UNDEAD』の部屋で会おうぞ」
「ミルク入れてね」

零さんと軽く握手を交わし、軽口を飛ばしあってさっさと別れる。凛月の部屋のすぐそばで、彼と会話を交わすこと自体、自殺行為だ。お互いにとって。

彼の部屋の前に立ち、ノックをしようと右手を挙げる。

「早く入って」
「おっと……待ち伏せでもしてた?」
「足音で分かる」

凛月はまるで、太陽が東から昇るのか確認されたような顔をして答えた。……そういうものなのだろうか。暗殺者は、それだけで人を見分けられるのかもしれない。

彼の部屋に通される。昼間はここでずっと眠っている為、そこそこに生活感の感じられる部屋だ。レオや泉の部屋のキッチンはほぼ何も使われた形跡がないが、彼のキッチンは様々な調理器具に、紅茶を沸かすポットなどが置かれている。

部屋の真ん中にあるテーブルには、ティーカップが置いてあった。

「はい、凛月。【ボーナス】でいいんだよね」
「うん。ありがと〜、名前」

凛月はにっこりと笑い、封筒を受け取った。
彼は今までずっと【お願い】ではなく【ボーナス】の方を選んでいるのだが、不思議なことに銀行口座に振り込むのはダメと言ってくるのだ。

特別報酬は口座に振り込むのが組織の常識。それを拒むということは、組織に金の流れを掴まれたくないということだろうが……いったい何を買うつもりなんだろう。今まで気になっていたけど、いつか聞いてみたい。

「……今月は、これで新しいティーカップを買うんだ」
「え」
「気になるって顔してた」
「そ、そっか。……アンティークのカップでも買う気?」

その大金で、買うのがティーカップ? という疑問が新たに生まれた。既にテーブルには、高級そうなティーカップが寂しく鎮座している。中には、まだ温かそうな紅茶が静かに水面を張っている。

「名前とさ、お揃いのやつ買いたくてねぇ……」
「え、私と?」
「うん。……なに、恋人とお揃いとか、嫌いなタイプなわけ……?」
「あ、いや、違うよ! 凛月がそんなことしてくれるなんて、思ってなくて……」

頬が緩む。何でもないような顔をして、結構私のことを考えてくれている凛月が好きだ。

――あくまでも、こういう時の凛月が。

「そう? ふふ……じゃあ、もっと喜ばせてあげようか」
「ありがと。でもごめんね、この後はちょっと忙しくて……」
「――兄者」

さっきまでの優しい声とは、まるっきり反転したような声が、部屋の中を冷たく響いた。

「手から、におうんだよ。兄者の使ってる、ハンドクリームの匂い。気障ったらしい、薔薇のにおい……」
「――さっき会ったから。でも、握手しかしてない」
「触らせていいとか、誰が許可したかな」
「……ご、ごめん」

凛月はたまに、とても恐ろしい目をする。殺意とも悪意とも違う、なにかもっと違う目で、私を見てくるのだ。

こういう時の対処方法は知っている。――迂闊に口を開かず、逆らわないことだ。

「うん。良い子。……俺の扱いをよくわかってるねぇ、名前は。だから好きだよぉ……もちろん、それが理由で好きな訳じゃ、ないけどねぇ……♪」

凛月は声だけは上機嫌の時のそれを出し、テーブルの上のティーカップに指をかけた。

「良い子にはご褒美あげる。ほら……」
「……っ」
「飲んで。せっかく高級な茶葉で入れたのに」

入っているものは、それだけじゃない!

と経験則上分かっている。けれど……飲むしかない。震える指でそれを受け取り、そっと口をつける。鼻に抜けるのは、いかにも上品な感じの香りだ。高級な茶葉、というのは決して嘘ではなかった。

「おいしいでしょ。エッちゃんに貰ったんだから、おぞましいくらい高い値段がするんだろうねぇ……♪」
「英智に? それは確かに、そうかもね」
「ちょっと……なに名前で呼んでるの」
「――天祥院。しょうがないじゃない、だって私にとっては同僚なんだから」
「生意気」
「っ、まって……凛月」

するりと頬に、凛月の案外大きな手が触れる。それだけで、おかしなほど私は肩を跳ねさせた。触れるか触れないかくらいの優しさで撫でられると、私の唇からは、明らかに普通でない声が漏れる。

「やらしい声……」
「っ、あ……んぅ……っ」

――あつい。体が、急激に熱くなる。いつものように。まるで、『薬』でも盛られたみたいに……!

「どったの、名前? もじもじしてさぁ。それじゃまるで、俺に悪戯されたいみたいだけど……?」
「もういたずら、されてるしっ……!」
「はは、そうだねぇ」

凛月が私の手を取る。それだけでも反応してしまう体が憎い。そのまま彼に連れられ、ベッドに投げ出された。

「察しのいい名前は分かると思うけど。今日の俺は、『いつも通り』に機嫌が悪いからね……」

携帯ナイフが刃を見せ、私のシャツのボタンを飛ばした。そのまま前を切り裂かれ、シャツはただの布地に代わっていく。スカートも、……ショーツでさえも。

「せいぜい、貧血で倒れないよう、気を付けてねぇ……?」



じゅる、と何か液体を吸われる音がした。
それは私の首筋から発生していて、血だ、ということが分かる。そこを絶え間なく、凛月の熱い舌が這う。きっとヒリヒリして痛いはずなのに、私の体は快楽以外のスイッチがオフになってしまったようだ。

「あっ、あ……」
「んぅ、ふふ……おいしい……」
「も、やめ……」

太ももの間に擦り付けられる雄が、いやに熱い。下の花弁はひくひくと蠢いて凛月を誘っているけれど、そこには凛月の太いモノがこすりつけられるだけで、入ってはこない。――一度でさえも。

それでも、まるで挿入されているように気持ちがよくて。喘ぐ声は止められなかった。

「入れて欲しい、って顔してる……」
「っ、う……りつ、」
「だめ。【お願い】まで使ったら、ズルになっちゃうでしょ。俺はもう【ボーナス】貰ったんだからねぇ……♪」
「あっ、ああっ! っやぁあ……」

張り詰めた亀頭で、硬くなった小さなクリトリスを刺激される。凛月も気持ちがいいのか、少しだけ目を細めていた。悶絶するように首を横に振って耐えていると、彼の意地悪い笑い声が降ってきた。

「ふふ……かわいいね。大好きだよ、名前……」
「っう、うううっ――」
「あれ、今のでイっちゃった? ほんとに名前は、俺が好きだねぇ……?」

顎をすくわれ、唇が重なり合う。凛月とのキスは、血の味がした。いやだと思うのに、不味いと思うのに、入り込んでくる舌に、自ら舌を絡めてしまう。

そう、――好き。ほんとに好きなんだ、凛月が。

「りつ……っ、ね、入れてっ……」
「あはは、おねだりしてるの?」
「うん……おねがいっ……」
「ええ? でも俺、ズルはしたくないなぁ。他の皆は、どうせ【ボーナス】我慢してまで、あんたとエッチなことしてるんでしょ……」

また凛月の目が不穏な色を含む。
してない。そんなお願いをしてくる隊員は、私の騎士の中にはいない。そう言っているのに、凛月は一度も納得してくれたことがなかった。信用無いなぁ、と思うとすこし、悲しいが。

「別に気にしなくてもいいよ。どうせ他の男とセックスできるのも、あと少しだけだからね……?」
「だからっ、してないって……」
「あと、100万ドル」

え?
と私が声を出そうと思ったら、突然突き上げるような快楽が背筋に走った。

「ああっ……!?」
「あ〜……きもちいい……」
「な、なんで、いきなりっ、あああっ」

待ちわびていた熱が埋め込まれたせいか、私の思考回路を焼き切るように、勝手な快楽が脳みそをぐるぐると回って気持ちが悪い。まって、いまは考えなければ、いけない。そういう危険信号が……勘が、働いているのに。凛月が腰を深く落としていくだけで、ずるずると理性まで引きずり落されていく気がした。

「いいよねぇ、俺は。【お願い】しなくったって、恋人だから、好きに抱けるもん……♪」
「は、ああ、あぐぅっ!?」

絶え間なく突き上げてくる凛月。あまりに深くを穿ってくるので、ときどき怖いと思ってしまう。けど、徐々にその怖いという気持ちさえも、真っ白な快楽に塗りつぶられていく。パンパンと乾いた音が耳に入ってきて、凛月と繋がっているということ以外、何もわからなくさせられる。

「ほらっ、イってよ。……早く!」
「あっ、んあああっ!? や、やめっ、ひぃっ……! も、わ、わからな、い……なんにも、わかんないよぉっ!」
「……あは」

心も体もぐちゃぐちゃになる私を見て、凛月は小さく微笑んだ。

「わかんなく、なっちゃえ……」

ホワイトアウトしていく視界の中、最後まで見えたのは、赤色の瞳。



「っく――」

くぐもった凛月の声が、少し蒸した部屋に響いた。少し遅れて、ぶぴゅ、という下品な音も一緒に響く。余さず名前の子宮にそそぐよう、種付けするように深くに自身を押し込んでやった。

びくびくと太ももが跳ね、凛月の腰を無意識に挟んでしまう姿は、あさましくて、最高に――気分がよくなる光景だ。

「はは……、お腹ぽっこりしちゃってるし」

死んだように眠る名前の、薄いお腹を撫でた。名前が気絶してからも、お構いなしに揺さぶって注いでいたせいか、そこは容量オーバーだとでも訴えるように僅かに膨れていた。

ぜんぶ、凛月の精液だ。

「あーあ。もうさすがに入らないかぁ……」

ずちゅりと厭らしい音が立つのもお構いなしに、凛月はそれを引き抜いた。凛月のものでせき止められていた白濁が、どろどろと凛月のベッドのシーツを汚していく。

なんとなく、眠る彼女の隣に横たわってみた。まだ眠るわけにはいかない。夜は、凛月の活動時間だ。だから、なんの意味もない行為だけど。

「……ねぇ、名前。あと100万ドルで、俺たちずっと一緒にいれるんだよ。良い物件探すのに苦労してさぁ……セキュリティもよくて、物分かりのいい管理人がいて、閉じ込められたら逃げられないような場所……」

眠る彼女になら、語り掛けてあげてもいい。
わからないこと、全部教えてあげてもいいのだ。

普段の仕事と、五週に一度のボーナスで、高層マンションの一室を買おうと思っていること。そこは名前のための部屋。一度入れたら、二度と出れない、監獄塔。いや、愛おしい彼女が入るのだ、それは鳥籠とでも表現しておくべきだろうか。

「全部お金集めきったら、もう、女王でいる必要ないからね。他の人間の目に触れる必要もない。安心して、俺だけの眷属になりなよ……?」

優しく、騎士然と、その唇にキスをした。
でも、騎士のための女王はもう、いらない。必要なのは、凛月だけの恋人だから。

一か月と一週間後も、凛月は【お願い】はしないだろう。