「剣呑じゃのう」

呟いたのは同僚の一人、零さんだった。それは私にしか聞かせない声量であって、決して私の隣にいる交渉相手のおじさまには聞こえない。財界で最近台頭してきたというグループの重鎮だ。

いくら公式スパイ組織と言えども、決して国からの金で組織がすべてまわせるわけではない。だから、大企業や財閥をスポンサーにつける為に交渉を行うこともままあって。特に零さんと私は、そういう仕事が多かった。

「……で、最近の××社の権益もすべて私が握っているのだがね、ほかにもいろいろと忙しいんだよ」
「まぁ、素敵です」

ニコニコと営業スマイルを浮かべ、重鎮さんのご機嫌をうかがう。今日のお相手は少しセクハラオヤジの気でもあるのか、零さんをそっちのけで私の方ばかり話しかけてくる。無理やり肩に手を置かれるが、まだそれくらいなら許容範囲だろう。

しかし、こういう相手は大体それでは留まってくれないのだ。

「どうだい?」
「あら、何がですか?」
「もっと話が聞きたいとは思わないかね」
「……ええ、とっても」

肩に置かれた手が、僅かに私の頬を撫でた。中年男性特有の脂っぽさがして、少し不快だ。あからさまに厭らしい意図をもった動きだった。

「聞かせてやろうじゃあないか。私のとっている部屋で」
「まぁ、素敵。とっても気になります、けれど……」
「どうしたんだね」
「大変……けがをしてらっしゃるわ」

え、という男の間抜けな声が響いた次の瞬間、思いっきり彼は前のめりになって倒れた。零が一つ手を叩けば、すぐに黒服が現れて彼をどこかに運んでいく。

「本当に、剣呑じゃのう――おぬしの騎士は」
「か、返す言葉もないというか……」
「しかし正確じゃな。見事、死なない位置にナイフを刺しておる」

「――お褒めの言葉と受け取っておきましょう、朔間さん」

私たちの後ろから、まだうら若い青年の声が降ってきた。丁寧な物言いをする男は、なんと私の抱えている騎士の中には一人しかいない。

「司くん」
「申し訳ありません、お姉さま。しかしもう、あれ以上は我慢なりません」

紫色の瞳が、爛々と燃える炎のように揺らめいている。そうとうの激情っぷりに、思わずゾクッとしてしまう。彼が放ったナイフの鋭さと、その正確さを見せつけられた後なので、余計に。

「ううんと……助けてくれるのはありがたいんだけど……」
「ああ……流血沙汰は朔間さんの苦手分野でしたね」
「いかにも。我輩、名前がいなければこの場でうぇっとなっちゃってたところじゃ」
「魔物がどうなろうと、知ったコトではありませんが」

ツン、とした態度は零さんをはじめとする『UNDEAD』や他の【Thief】に向けられるものだ。司くんは基本的に真面目なのだけど、どうもまだまだ子供じみた態度が残っている。そこが可愛いと思うのは、親馬鹿ならぬリーダー馬鹿であって、改善させなければならないのだけども。

「今日はもう、交渉は出来ないでしょう。お部屋までお送りいたします、名前お姉さま」
「まぁ、ぶっ倒れちゃどうしようもないか……交渉は明日、仕切り直しね」
「そうじゃな。明日は我輩だけで向かうとするかの……。明日になれば、あのセクハラオヤジも改心するじゃろうて」
「だと良いけどね」
「ではのう、名前。そして厳正なる騎士殿」

ひらひらと手を振る零さん。ばいばい、と手を振ろうとしたけれど、それは司くんに手を取られたことで叶わなかった。

その後、【Theif】の宿直階、司くんの部屋に連れ込まれた。そのまま腕を引っ張られて部屋の奥へと入り込み、シャワールームに二人一緒に入る。服も着たままだというのに、こんなところに何の用なのか。そういう風に私が切り出そうとしたら、司くんがそれを遮るように口を開いた。

「名前お姉さま、どういうおつもりなのですか」
「どういうつもりって……」
「あのように汚らわしい男に、肩を抱かせて、あまつさえその頬を触れさせて」

口調こそ礼儀正しいものだけど、声に含まれた色は嫉妬と怒りに満ちていた。アメジストのよう、と表現するには余りにも生々しい感情に満ちた目に睨みつけられると、なんだか悪いことをしてしまったように感じられる。

「そこまで怒らなくても……所詮は商売相手だし……」
「商売相手に、体を触れさせても良いとおっしゃるのですか」
「そ、そういう意味じゃ……」

つい、気後れして言葉がしりすぼみになる。

どうにも、この可愛い年下の恋人のヤキモチには困ってしまう。彼を不安がらせたという意味では私が悪いのだけど、司くんとあのセクハラオヤジを比べて、万が一、億が一にでも私が司くんを蔑ろにするわけもないのに。

「ああ、汚らわしいっ……あんな男が私のお姉さまに触れるなんて」
「ひゃっ!?」

苛立った声をあげた司くんが、傍にあったシャワーのノズルをひねった。途端に冷水が私たちに降りかかってくる。何してるの、と抗議もそこそこにノズルを締めようと彼に背を向けたら、突然抱きすくめられてしまった。

「司くんっ! なにして、っあ!?」

抱きすくめられて動けない私の股に、するりと脚を滑り込ませた司くん。そのまま割目にぐりぐりと膝を押し付けてきて、私の口からは情けない声が漏れた。何が起こっているのか分からない。

「ああ、名前お姉さま。この程度で感じてしまわれるのに、あんなに無防備に他の男を寄せ付けるおつもりなのですね……」
「っ、あ、んんっ……」

鏡すらないシャワールームなので、司くんが今どういう顔をしているのかすら分からない。ただ、すごく怒っていることだけは伺えた。

「も、離してっ……」
「お断りいたします」
「っ、上司を困らせちゃだめ、でしょ!」

最終手段として、上司という言葉を出してみた。従順で真面目な部下である彼なら、あるいは通じるかと思ったのだけど。

「申し訳ありません、名前さん。今の私は部下として在るつもりはないのです」

名前さん、とプライベートな呼び方を使って、私の読みは外れたと宣告してくる司くん。スカートのチャックが下ろされる音が、水の音の中で嫌に大きく聞こえた。そのまま滑り込んでくる熱い掌に、期待するように下腹部がきゅんと疼いた。

「恋人として、貴方にお仕置きするつもりですので」



綺麗にしてさしあげます、とそれだけ言った司くん。あっという間にみぐるみはがされて、衣服を全部着たままの司くんの前で全裸にさせられる恥ずかしさは異常だ。それだけならまだしも、シャワーなんてものがあるのがいけない。

「名前さん、足をちゃんと開いてください」

床に座らされ、壁に背を預けたままM字開脚のような格好にされる。彼が手にしているのは、シャワーのホースだ。今から何をされるのか分かってしまって、ゾッとする。

「い、いや……やだっ、やめ、ああああっ!」

シャワーのノズルを最大にして、司くんがあろうことか私の秘部にそれを当ててくるのだ。血や泥を洗い落とす用途で使われるシャワーは、かなりの水圧がある。それを敏感なそこに当てられると、来る刺激も半端なものではない。

「あっ、ああああ! いやっ、やめてぇっ」

もはや悲鳴に近い声で訴えると、司くんは冷たく目を細めるだけだった。

「はぁ。しかし、言ったではないですか。綺麗にすると」
「こんなとこ、さわられてないのにぃっ」
「おや、そうでしたか。てっきりお優しい名前さんのことですから、ここまで触れさせたのかと」

ニコリ、微笑む司くん。酷いことを言われたのに、怒りたいのに、頭の中を無理矢理埋め尽くそうとする快楽に、頭がぐるぐるする。襲ってくる水をそのままに、司くんが気まぐれのようにその指先を割目に伸ばした。その細い指が、ぐっと中に押し込まれる。それだけでも膣が情けなく痙攣して、しかも丸く出っ張ったところを遠慮なく指で押してきた。

「あひっ、あ、ああああっ!」

耐えきれずに絶頂してしまう。司くんはクスクスと笑って、私の目じりに浮かんだ涙をぺろりと舐めとった。

「……まさか、水だけでイってしまわれたのですか?」
「ちっ、ちが……つかさくんがぁ……ゆび、いれたからっ……」

朦朧とした頭で反論すると、何を気に入ったのか彼はノズルを止めてくれた。何が何だかよく分からなくなりそうだったけれど、止めてくれるなら良かった。絶頂で力が抜けたからだが、更に力を失うようだった。

「も、気が済んだ……?」
「はい。名前さんからの司への愛、確かに感じ入りました」
「よかった……」
「おっと」

司くんの首に腕を回し、ぎゅっと抱きしめる。少し態勢を崩して、彼は私の前で膝をついた。せっかくの高級スーツを濡らしてしまったのが可哀そうだったけど、司くんのことだ、どうせこんなのは何着でも買えてしまうのだろうから、気にしないことにしよう。

それよりも、だ。

「司くん、怖かった……」
「それは……すみません」

苦笑して、司くんが私のことを抱きしめた。冷たい水に晒されていたことを思い出すと、改めて涙がボロボロ落ちてくる。それを見た彼は、かなり動揺した顔で私の涙をぬぐおうとする。

「も、申し訳ありません、まさかそこまで怖がられるとは……!」
「っうう、いいの……っ、わたし、わるかったし……」
「そ、そのようなことは……っ」

いや、実際そうなのだ。あの時司くんが助けてくれてなかったら、うまく躱せたか分からない。部下に穢れ仕事をさせてまで守ってもらおうなんて考え、良くない。だから、これくらいのことで泣いてはいけないのに。

それでも、司くんの体温が感じられない快楽は、怖かった。だから涙が止まらないのかもしれない。

なんて自己分析だけは出来たものの、ぐすぐすしている情けない自分が恥ずかしい。涙をぬぐってくれる司くんを上目遣いでそっと見上げると、彼はずいぶんとしょんぼりしていた。

「ああ……慣れないことをしてはいけませんね、やはり」
「あっ、んう」

司くんがもう一度強く私を抱きしめたあと、そっと唇を重ねてきた。一切の強引さのない、甘やかすようなキス。何度も何度も落とされるそれに、いつしか涙は止まっていた。

「ぁ……、つかさくん……?」
「申し訳ありません。自分の嫉妬心に苛まれ、あろうことか我が主君に無体を働いた愚かなKnightを……どうか許していただけますか?」
「……うん」
「感謝します、My lord」

ちゅ、と手の甲にキスを落とされる。彼と付き合う以上は、こういう対応にも慣れなきゃいけないのだろうけど、それでもちょっと恥ずかしい。この前そう言ったら、照れ屋で可愛いと言われてしまったけど。

それに、こんなことで恥ずかしいなんて言えないし。

「あのね、司くん」
「はい、なんでしょう?」
「お願いがあるの……」
「なんでしょう」

きょとん、とした顔。この顔はまだまだ子供っぽくて、可愛いと思うのだけれど。

「……優しく抱いてほしいって頼んだら、私の騎士は応えてくれる?」

その頬にキスをして、わざと大人ぶって微笑んで。
そうすれば、きっと子供じゃなくて、男の彼が姿を現すのだ。